無垢なる傲慢
「初めまして。柳鷲介です」
「ロベルト・A・東だ。良い話し合いができると期待しているよ」
日本から戻った翌日、ミュンヘン市内の高級ホテルの一室で鷲介はスーツ姿のいかつい顔をした褐色の男性と握手をかわしていた。
彼はロベルト・A・東。マルクスが探してきた鷲介の専属トレーナーになるかもしれない人だ。
出身国はブラジルであり、名前の通り日系ブラジル人でもある。ブラジルサッカーリーグのクラブや一部のトップ、有望株選手などと契約をかわしており、国内ではそれなりに名が知れたサッカートレーナーであるらしい。
また以前マルクスから聞いた通り、”ゾディアック”No1プレイヤーであるロナウドと深いかかわりを持つ人物だそうだ。まだ少年だったロナウドのプレーを見たロベルトは契約していた強豪クラブに入団させるよう働きかけ、彼が15歳でトップチームデビューしバルセロナRに移籍するまで彼の専属トレーナーとして活動していたという。
マルクスを含めた三人はさっそく席に着き、給与条件を始めとする数々の契約内容など具体的な話を始める。
いくつかのこちら側の妥協やロベルトの譲歩などはあったが大きな問題は起こらず無事契約はかわされ、鷲介は改めて彼と固い握手をかわした。
「改めて、よろしくお願いしますロベルトさん」
「ロベルトでいい。君と私は年齢こそ違えど立場は対等。公式の場でもないのだから敬語は不要だ。
──というかね、私自身堅苦しいのは苦手なんだよ。親戚の叔父に対するように普通に話してくれ」
いかつい顔に笑みを浮かべるロベルト。
「ところで柳君、いきなりですまないのだが一つ、頼みごとを聞いてもらえるだろうか」
「何ですか?」
「私の知人が君に会いたいと言ってきかなくてね。今日、このホテルにやってきている。
少し時間を貰えないだろうか」
鷲介はマルクスの方を見ると、代理人は無言で頷く。こちらに任せるつもりのようだ。
「かまいませんよ。特に急ぎの用事もありませんし」
「ありがとう。すぐに彼らを呼ぶから少し待ってくれ」
そう断ってロベルトは携帯でどこかに電話をする。気安い会話が終わり数分後、部屋のドアがノックされる。
立ち上がったロベルトが扉を開き、姿を現す男性二人。彼らを見て鷲介は目を丸くする。どちらも見たことがある人だからだ。
「やぁ鷲介。ヨハンさんの誕生日パーティ以来だ」
前に出て再会の喜びをあらわにするのは同い年でありながらバルセロナRとブラジル代表でレギュラーの座を掴んでいる”太陽”の異名を持つ”ゾディアック”No1プレイヤーであるロナウドだ。
そして彼に続く形で姿を見せたのはスーツ姿や髪型に乱れ一つない男性だ。かといって堅苦しい雰囲気はなく、表情も柔らかい。
「パウロ・アヴェイロさん……ですか?」
「ええ。そうです。初めましてですね柳君。パウロ・アヴェイロです」
微笑し握手を求めてくるパウロ。彼はマルクスと同じサッカー選手専属の代理人であり、あのロドルフと同じでサッカー界に最も影響力を持つ敏腕代理人として知れ渡っている。
ロナウドを始め幾人もの世界トッププレイヤーと契約を交わしており、難しい契約でもロドルフのように問題も起こさず、また選手とクラブをどちらも満足させてしまうその手腕から一部では世界一の代理人とさえ言われている人だ。
鷲介も直接の面識はない。彼を知っていたのはサッカー雑誌やTVなどで姿を見たことがあるからだ。
「マルクスさん、ロベルトさん、柳君。今日は時間を取っていただきありがとうございます」
「いえ、それはかまわないのですけど。俺に何か用事があるんでしょうか」
まさかまたどこかのクラブから移籍の誘いがあるのだろうか。そう思い鷲介は少し警戒するが、
「いえ、私は特には。──ロナウドがあなたと顔を会わせたいと、それと私を紹介したいと駄々をこねまして」
パウロは困ったような顔でそう言う。鷲介は彼の隣に座るロナウドを見ると、
「パウロさんにはヨーロッパに来てからいろいろと世話になっているからね。ロベルトさんとも契約をするみたいだし、パウロさんともぜひ会ってもらいたいなと思ってね!」
「話が繋がってないぞ。なんでロベルトさんと契約をすることがパウロさんと会うことに繋がるんだ」
半目で鷲介は言う。
大晦日、日本で顔を合わせて分かったがロナウドの気質はマリオに近い。あれほどはっちゃけてはいないがラテンのノリがかなり強い。
控えめに接していたらいいように動かされる。そう察して口調もやや乱暴なものへと変えていた。
「繋がっているよ。どちらも俺にとっては恩人だ!」
「まぁ私が柳君とマルクスさんと接触するきっかけが、ロナウドの口利きなのです」
苦笑してそう言うのはロベルトだ。鷲介はマルクスを見るが彼もそれは初耳だったようで小さく首をかしげていた。
その反応を見てロベルトが説明する。何でもマルクスが鷲介の専属トレーナーを探しているという情報が代理人ネットワークを通じてパウロとロナウドに伝わり、そのロナウドがパウロにもし話が来たらぜひ雇われてくれないかと言ったということらしいのだ。
「ロベルトさんは俺や柳のようなスピード、スプリント系選手に対して特に有能だからね。
ブラジル国内でしか活動していないから知名度はそこまで高くないけど、元ブラジル代表の人も幾人も世話になった経歴もあるのさ!」
自分の事のように胸を張るロナウド。
「何故ロベルトさんにそんなことを言ったんだ」
「何かおかしいかな? 君にとっては必要な人だと思ったからで──」
「そうじゃない。何故別のクラブの選手を助けるようなことをするんだってことだ」
自然と鷲介の視線が鋭くなり、声が尖り始める。
鷲介のそれを察したのかパウロがロナウドに促す。
「ロナウド、きちんと説明してあげるんだ。
柳君は君と同じ”ゾディアック”と並び称されている若手のトッププレイヤー。それが同格の相手に助けられたことは不思議であり、格下に見られているように感じて不愉快なんだろう」
鷲介の心情を的確に言い当てるパウロ。
指摘されロナウドは目をぱちくりさせる。しかしすぐ笑顔になって、口を開く。
「別に難しい理由じゃないよ。君とは引退する時まで戦いあいたいからさ。
ま、欲を言えば”ゾディアック”全員がそうでありたいんだけどね」
そう都合よく行かないよねーと呟くロナウド。
「はっきり言うけど俺は天才だ。ブラジルでも俺とまともにやりあえる同年代の選手はいなかった。
南米でもミカエルとアルベルトだけだったし、あの二人ともブラジルにいる間は対戦したことはなかったしね。正直、退屈だったんだ。
世界に俺より上手くて強い選手は沢山いるけど、やっぱり同年代にライバルがいないのはつまらないし張り合いがないんだよ。
もしあのままブラジルにいたら早々に引退していたと思うなぁ」
当時のことを思い出したのか、少し眦を下げるロナウド。
しかしすぐに表情から憂いを消して、彼は満面の笑みを浮かべる。
「俺が欧州に行ったのはミカエルたちが欧州のクラブに移籍すると言う話を聞いたからだよ。でも結果的に大大大正解だった。
何せ俺と同格と称される同年代が13人──”ゾディアック”言う括りができるほどの実力者がいたんだからね。
初めて対戦した”ゾディアック”──ミカエルとの勝負は燃えたなぁ。同い年で俺ぐらいドリブルが上手い選手を目の当たりにしたのは初めてだったからね。こうやる気や負けん気が出まくったものだよ」
何かが吹き出すようなジェスチャーをするロナウド。
しかしそれよりも鷲介は一つ、気になったことを口にする。
「ミカエルは”ゾディアック”No1ドリブラーと評価されている。俺もそれに偽りはないと思うが」
「そうだね。でも俺はあいつのドリブルを凄いと思ったことは何度もあるけど、自分が負けていると思ったことは一度もないよ」
あっけらかんとしてロナウドは言う。
そこには自負、誇張と言ったものは全くない。当然のことを言っていると言うような口ぶりだ。
鷲介としてはどちらも──自分よりも──優れたドリブラーであることは認識している。だが両者を比べたら、ドリブラーとしての脅威はミカエルに軍配が上がると思っている。
ロナウドは鷲介と同じスピードに寄ったドリブラーであり、試合でもそれを生かしての突破が多い。技術もあるがそれを生かしてのドリブルは前者に比べて多くはない。
一方ミカエルはそれに加えて技術のみで相手DFと守備陣を翻弄、突破できる実力を持っている。アシオン・マドリーとの死闘は未だ記憶に新しい。先日出たサッカー雑誌ではテクニック系ドリブラーの中で世界トップ10に入ると評価されていたが、間違っていないとは思う。
「まぁ敵対したチームから見れば、ロナウドもミカエルも驚異的なドリブラーであることには変わりありませんよ。
もちろん柳君、君もです。一瞬の爆発力ならば彼らと遜色ないのはこれまでの結果で証明されていますしね」
パウロの言葉にロナウドも「確かにそうですね!」と明るく応じる。
「……要は自分のモチベーション維持のためにロベルトさんを紹介したわけか」
「そうだね!」
即答するロナウド。それを見て鷲介は眉根を潜め、困惑する。
モチベーションを保つためとはいえ、敵に塩を送るような真似ができるのかわからないからだ。
「さて、いつまでも話し込んで長々と時間を取るのも悪い。
私たちはそろそろこれで失礼させてもらいます」
「そうですね。──鷲介、次はピッチ上で会おう!」
そう言ってロナウドとパウロは部屋から出ていく。
二人を見送って来ると言ってロベルトも彼らに続く。
「……噂通りの性格だったな」
「パウロさんがですか?」
「いや違う。ロナウドの方だ」
三人が去って少しして、マルクスはそう答え、小さく息を吐く。
「天才と言われる人はどこか常人とは物の考えが違うというが、彼もそうだな。
自らを天才と言い切るのはまだしも、お前を助けることに何ら疑問を持っていない。──将来的に好敵手になることは望んでいる一方で、己を凌駕されることを全く考えてもいない。
”ゾディアック最強”と言われている己が揺らがないと、無意識のうちに確信しているのだろう。
お前たち”ゾディアック”の面々はどこか傲慢なところはあるが、彼は極めつけと言ってもいいかもしれない」
マルクスの言葉に鷲介は目を丸くし、しかしすぐに頷く。彼の言ったことがおそらく鷲介が感じていた疑問の答えだろう。
今まで彼と会った二回のうち、強い自負から発せられる言葉はあった。だがそれはあくまで実力がある選手のそれだった。
しかし今日の彼は今までと同じラテンの明るいノリと笑顔ながらも、発した言葉は明らかに違っていた。マルクスの言う通り相手を認めつつも己を超えることはないと確信すらしているような態度だった。
極めつけの、しかし無垢と言ってもいい純粋な傲慢。確かにそうかもしれない。ヴァレリーと態度こそ真逆だが彼に似た、または近い物言いだ。
「鷲介、わかっているとは思うがロナウドは、バルセロナRは強敵中の強敵だ。心して挑め」
「もちろんです」
要注意選手はロナウドだけではない。彼と共に欧州最強の攻撃陣と称される3トップの面々と彼らを支え、後押しする攻撃的な中盤、後方の面々。
そして何より、ロナウドと同じかそれ以上の脅威と目されているバルセロナRとアルゼンチン代表の10番、ディエゴ・セバスティアン・オルテガ。”アンタッチャブル”の異名を持つ男。
勝つにも負けるにしても、決して無傷では済まないと鷲介は確信していた。
◆◆◆◆◆
「代表戦二連勝おめでとう! とりあえず一安心だな」
「……。ありがとうございます」
フランツから送られた言葉に鷲介は微苦笑する。
今日の練習を終えた現在、”シュテルン ”のカウンターにて腰掛ける鷲介たち三人。中央にフランツ、左に鷲介、右にジークの順で腰を下ろしている。
「ん? 浮かない顔しているな。もしかして内容について叩かれたことを気にしているのか」
「いえ、そちらはあまり。むしろ叩かれて当然だと思っていますので」
勝利したとはいえ内容が内容だ。ゴールを決めた鷲介たちも褒められつつも度重なるパスミスについてネットのコメント欄では突っ込まれまくっている。
特にDF陣のそれは酷く、試合翌日の新聞を見た出場選手たちは誰もが不機嫌そうな顔になっていた。
「しかしヨアヒム監督も大胆だな。まさか最終予選、それも一度負ければゲームオーバーと言う状況でお前や小野に合わせたチーム作りに着手するとは」
「やっぱりそう思いますよね……」
はあっとため息をつく鷲介。
代表に呼ばれ、活躍や結果を残している鷲介たちだが、クラブでしているプレー速度は出していない。正確に言えば出せない。もし出せば鷲介たちがチームに溶け込めず孤立してしまうからだ。
日本代表の長年の欠点の一つとして挙げられる強豪国に比べて判断、プレースピードの遅さ。海外組が多くなった現代表では世界と戦えるようになったが、同等と言うレベルではない。
ヨアヒム監督はそれを同等にしようとしている。そしてそうするために今回の代表二連戦、試合時間の半分を使用して鷲介や小野にクラブと同じようにふるまうよう言い、皆に鷲介たちの速度に合わせるように指示を出した。しかし結果は知っての通りとなった。
「しかし日本代表の面々は素直だな。この状況でそんな指示に素直に従うとは!」
「いえ、さすがに何もなかったわけではないですよ。詳しい事情は話せませんけど」
関心と呆れ半分のフランツに鷲介は言う。
判断とプレースピード向上に対して当然ながらほとんどの選手から抗議の声は出た。しかしヨアヒムはあの巧みな話術に加え、皆を褒めたたてノせて大半を封殺。鷲介や小野の意見も受け入れつつも実行させるよう諭し、鷲介たちは上手く反論できず諭された。
岩永や高城を始めとする我の強い面々は最後まで監督に反論していたが、皆やスタッフからも説得されて不承不承従うこととなった。
(詐欺師と思うぐらい話し方が上手いんだよな……)
人生経験の差と痛感せざるを得ない。また相手は選手としても監督としても栄光を極めた人。
鷲介たちなど誇張抜きで小童にしか見えないのかもしれない。
「しかしヨアヒムさんは大丈夫なんだろうか」
「とりあえず結果は出していますし、さすがに数試合で解任されることはないと思います」
とはいえファンやメディアからの非難は相当なもので、ネットや新聞、雑誌の記事ではヨアヒムへの批判や手腕に対する疑惑や罵倒の声が溢れた。
名将も年齢には勝てないだの、最終予選を舐めすぎだの、本戦に出場できなかったらどう責任を取るのか等々。
更には嶋田に再復帰してもらう、即座に解任するなど過激なコメントを上げる関係者もいたぐらいだ。
(まぁヨアヒムさんが目指しているチームを作るためには、今回からでも時間的に間に合うかどうかわからないから、実戦で少しでも試しておきたいのはわかるけどな)
本戦出場を決めた後は親善試合が組まれるが、本戦に並ぶ、又は匹敵するぐらいの緊張感を味わえるのは最終予選ぐらいしかない。ヨアヒムができる限りチームを構築するために指示を出すのもわかろうというものだ。
とはいえハイリスクなことに変わりはない。一度でも負ければ本戦出場の可能性は限りなく低くなるし、ヨアヒムも即座に解任されてもおかしくはない。
ヨアヒムの目指すチームを作りつつ最終予選残り全試合勝利する。後者だけなら現メンバーが本来の力を出せば余裕だろうが、前者が組み合わさったことで最終予選の難易度が跳ね上がってしまっていた。
「ところで、ドイツも好調みたいですね。新しい選手を大量に呼んだにもかかわらず順当勝ちですか」
軽く鬱になった気分を紛らわそうと、鷲介はマンシャフトの話題を振る。
日本と同じくW杯欧州予選に挑んでいるドイツ。鷲介の言う通り新しい選手を多く招集しており、彼らとレギュラー組がうまく融合して見事連勝している。
そしてその新戦力の中には今季目覚ましい活躍をした選手が多く含まれており、あのヴォルフガングはA代表初招集にも関わらずゴールという結果を残していた。
「ヴォルフガングもそうだが初選出の選手たちは見事監督にアピールしたよな。俺たちもうかうかしてられん!」
「ああ。次節のハンブルク・フェアアインからも一人呼ばれていたな。カールのアシスト未遂が一つあった彼は──」
「ヴァレンティーンさんですね。今季は好調なチームを引っ張る主力の一人ですからね」
28節の相手であるハンブルク・フェアアイン。昨季は残留争いをしていたチームだが今季はチームが本来の実力を発揮し現在8位。
英彦はすっかりチームの中核となっており、また今回代表に初招集されたU-20ドイツ代表でもあるヴァレンティーンもまたクラブでは好調を維持している。
ちなみに彼はRドルトムントからもゴールを奪っており──試合には負けたが──昨年に比べてかなりレベルアップしている。要注意プレイヤーの一人だ。
鷲介たちの話題は次節のハンブルクFや残り試合で当たる強豪チームの話題となる。飲食をお替りしながら続けていると、出入口のベルが鳴り響く。
「おや、エリックじゃないか」
フランツの言う通り、来店したのはエリックだ。
正直珍しい。彼も幾度かこの店に来たことはあったが、それも移籍してすぐの頃でロビンと共にだ。一人で来たことはない。
「どうしたんでしょうかエリックさん。今日は病院に行くとかで練習場にも姿を見せませんでしたが」
「代表戦で軽い捻挫をしたという話だな。それで次節のハンブルクF戦はメンバー外になったとも」
「とはいえ普通通りに見えるな。怪我を気にしている様子には見えないし、本当に軽度なんだろう。
ま、次節メンバー外はバルセロナR戦に備えての監督の判断だろう。あいつの得点能力は相手を考えたら必須だしな」
エリックも代表戦二戦に出場しておりどちらの試合でも1ゴールを決めている。
アイルランドにセルビアと言う強豪国も一目置く難敵に対して彼も最近の好調さを見せていた。
以前のスランプから完全に脱した感があるエリック。フランツの言う通り本領を発揮したエリックがいれば、RバイエルンもバルセロナRのバカげた攻撃力に負けない破壊力を見せることができるだろう。
「お、柳じゃないか。それにジークフリートにフランツも」
こちらに気づいたエリックは余裕のある表情で歩いてくる。
「怪我の様子はどうなんですか。一人で出歩いて大丈夫なんですか」
「全然平気だ。試合にも出れるコンディションだ。医者からも太鼓判を押されたぜ。
もっともバルセロナRに備えて次の試合は出れないみたいだけどな」
肩をすくめるエリック。そうして彼は鷲介の隣に腰を下ろし、コーヒーや軽食を注文する。
スランプ気味の時の荒んだ様子とは違う、入団した時の余裕と自負に溢れたエリックの姿を見て鷲介は心中に抱いていた疑問を口にする。
「ちょうどいい機会なのでエリックさんに質問があります。
移籍の話、どこまでが本当なんですか」
視線を鋭くした鷲介の問い。エリックは目の前に置かれたコーヒーに伸ばした手を止め、こちらを見る。
「率直だな」
「話が沸き上がって数ヵ月。当事者であるあなたは肯定、否定、どちらのコメントもしていない。
いい加減はっきりしてほしいんですよ」
この件に関してチームや監督からは否定するコメントが出てはいるが、エリックからはそう言ったものは一切ない。
そしてそれはサポーターや関係者はもちろん、チームメンバーにもいい思いをさせていない。ブルーノ達、エリックとそりの合わない面々は特にそうだ。
鷲介もデリケートなこの問題に追及するような真似はしたくはなかったが、シーズンも終盤近いこの状況で主力選手であるエリックに対する批判や風当たりはチームが一つになる障害でしかない。
だから今、チームメイトとしてここで追及しておかなくてはならない。
「俺としては五分五分と言ったところだな。ロドルフを通じてきたチームのオファーの中には移籍を考えるような魅力のある条件を提示したチームはあった。
だがはっきりと移籍する、しないという答えまでは出ていない」
「それじゃあ移籍するとしても、シーズン中に公表することはないんですね?」
「多分な。ロドルフの奴がどうするかまではわからん。
俺としては俺が得をすればどちらでもいいから制止もしていないし」
エリックの言葉に鷲介は思わず眉根を潜める。なんだかRバイエルンを貶されたような気がしたからだ。
そんなこちらの心中を悟ったのか、エリックは困ったように笑う。
「怒るなよ。別にRバイエルンをないがしろにしているわけじゃない。
ただオファーを出したチームは俺をRバイエルンと同等か、それ以上に高く買ってくれていると思っている。だから移籍する、しないとはっきり公言できないだけだ」
「それはわかりますけど、あなたは今はまだRバイエルンの一員だ。クラブに対して通すべき筋があるんじゃないですか」
「それは価値観の違いだな」
そっけなく言うエリックに鷲介はますます眉間のしわを深くする。
エリックの言うことはわかる。長いサッカーの歴史では鷲介のような選手も、エリックのような選手も大勢いた。
とはいえそれで納得しろと言うのは、理屈ではわかっても一個人としてはなかなか難しい。
「ま、今言えることは俺の将来はこのシーズンの結果次第ってことだ」
「そんなあやふやな気持ちで全力でプレーできるんですか……!」
はぐらかすような言い方に思わず鷲介は声を大きくし、明かな責めるような物言いをしてしまったことに気づきはっとする。
だがエリックは気分を損ねた様子を一切見せず、言う。
「やるさ。お前や他の面々がどう思うかはわからねーが俺はいつでも全力だ。
手は抜かないとはっきり断言してやるぜ」
不敵な笑みを見せるエリック。
それを見て思わず鷲介の口から心中の言葉が零れ落ちる。
「……なんだか、落ち着いていますね」
「そうかあ?」
「ええ。ゴールを取れなかった12月末はずいぶん気が立っているように見えましたけど」
「よく見てるな。まぁ確かにあの時はいろいろあって落ち着かなかったが、俺もいろいろと見たり思ったり考えたりして、こうなったわけよ」
そう言ってエリックは右目の瞼を人差し指でつつき、その指を何故か鷲介とジークに向ける。
その不可解なジェスチャーに鷲介は眉を顰める。しかしそれに追及する前にエリックはコーヒーカップを掴み、
「ま、何はともあれ次節のハンブルクFは任せたぞ。
優勝争いも未だ混沌としているし負けは許さねぇ。きっちり勝ってバルセロナR戦に弾みをつけてくれよ」
挑発と期待が入り混じった声音でそう言って、コーヒーカップに口をつけるのだった。
リーグ戦 19試合 19ゴール6アシスト
カップ戦 2試合 1ゴール2アシスト
CL 6試合 9ゴール2アシスト
代表戦(二年目)7試合 13ゴール3アシスト




