疾風と黒鷲は空を駆ける2
「ふー、何はともあれリードして前半を終えましたね」
「ああ」
控室に戻るやスタッフから手渡された給水ボトルを一気飲みして、鷲介は隣に座ったジークへ言う。
さすが決勝トーナメントまで勝ち上がってくるチームなだけあってブルーライオンCFCは強い。要注意選手たちも躍動し、前半はほとんど互角の展開だった。
だが相手はゴールを決めれず、Rバイエルンは二点先行している。マルコもチャンスに絡んだものの、ゴールもアシストも決めていない。前半のペースを維持できればこの試合は勝てる──
「ずいぶん嬉しそうだね鷲介」
「全く、流石はゴールを決めたヒーローだ」
恨めしそうな声を聞いて鷲介はそちらを見る。ブルーノ、そしてフリオがジトっとした視線をこちらに向けていた。
「な、なんですか……?」
「別に。──もしかしてこのままの調子なら勝てるなんて安易な考えをしていないかなと思っただけだよ」
「あとマルコのガキが結果を残していないことを嬉しがっているのかともな」
「そ、そんなことはないですよ?」
「ハハハハハ、鷲介は嘘が下手だなぁ!」
豪快に笑うフランツ。そして彼は真剣な表情となって、窘めるように言う。
「だが油断は禁物だぞ鷲介。まだ前半が終わっただけ。あと45分も時間はある。
それに皆もだがお前さんもいつも以上に消耗しているからな」
「いえ、そんなことはないですけど……」
「鷲介、右、右」
首を傾げた鷲介にフリオが鷲介の右側を指差す。そちらに視線を向ければいつの間にか、空になった給水ボトルが三本あった。
いつもは一本、もしくは二本しかないそれがさらに一本増えている。そして今手にしているボトルも残りが半分しかない。
「い、いつの間に……」
またスタメンの皆を見渡せば、鷲介と同じく周囲に置かれた空の給水ボトルの数が多い。驚いたのはチーム随一のスタミナを持つロビンが四本を空にしているという事実だ。
「ロビン、大丈夫か。やっぱりディディエは、手強いか」
「……ああ。わかっていはいたがパワースピードともに凄まじい。アフリカ最高のMFとして評価されているだけのことはある。”レ・ゼレファンの王”の異名も過大評価ではないな」
フランツの言葉にロビンは頬に流れる汗をぬぐって言う。レ・ゼレファンとはディディエの故国、コートジボワール代表の愛称だ。
ロビンの言葉は鷲介にとって二重の驚きだ。知る限りでロビンがここまではっきりと弱音を吐いたことはないし、オランダ代表のダイナモともいわれる彼をここまで消耗させるとは──
「フリオさん、マルコはどうですか」
「厄介だね。ある意味鷲介よりも」
アレックスに応えるフリオの言葉に鷲介は驚く。ある意味とはどういうことなのだろう。
「鷲介ほどではないけど速いし、ドリブルも上手い。”ゾディアック”で例えるならミカエルに似たテクニック系だけど、鷲介のようにスピードに乗ったドリブルもできる。パスの精度も高い。
あとポジショニングが攻守ともに絶妙だね。攻撃の時はこっちが攻められたら嫌なところに常に来るし、守備の時は僕が上がろうとした場所を塞ぐような位置にいて邪魔でしょうがなかった。
おかげで前半、ほとんど攻撃参加ができなかったよ」
フリオが不機嫌そうに言い、鷲介もはっとなる。確かに彼の言う通り、フリオのオーバーラップは前半、ほとんど見られなかった。
「ゲルトの野郎も相変わらずのパスの精度だ。いや、さらに冴えわたっているんじゃねーかとさえ思う。クルトはどう感じた?」
「僕もブルーノさんと同じ感想です。特に前半のあのパスは予想もしなかったです」
「確かにな。ゴールラインを超えるか超えないかのギリギリ。マイケルが走りこむのがわかっていたとはいえ、ああも正確なボールを即座に出せるのは脅威だ。一本のパスで失点になりかねない。
それと、マイケルも鷲介に匹敵するぐらい速いがレイも以前に比べ強くなっている。ブルーライオンCFCに戻った後、改めて長所であるフィジカルを見直し、鍛えたのだろう。俺とほぼ互角にやりあえている」
フリオの言葉がきっかけなのか、アンドレアスとブルーノたち守備陣は敵チームの攻撃陣について言葉を交わしあう。そのどれもがブルーライオンCFCを強敵と認めるような発言ばかりだ。
「さんざん挑発されてるのはわかるが、冷静になれってことだな」
鷲介の頭にジークが手を置き、言う。
「それにゴールこそ決まったけど、それ以外ではこっちもあんまり崩せていないしね。キース・ハズラック、さすがジェフリーさんと一緒にイングランド代表のレギュラーなだけはある」
「トレヴァーさんも以前に比べ衰えたとはいえ、まだ一線級だ。ハミルトンは無駄がまだ多いが、その分粘りもあってしつこい。
ボランチ二人も他メンバーほど目立ってはないけど、堅実なプレーで邪魔をしてくる。正直、ウザったい」
前半、二人の的確のプレスとこちらの攻撃を邪魔されていたことと、決定機を防がれたことを思い出したのか、ジークの眉根に少ししわが寄った。
「……そうですね。少し慢心していました」
アレックスの言葉に鷲介はそう言い、両手で頬を叩く。驕りを無くし、気を引き締めるために。
そして控室に入ってきた監督が後半の指示を出す。リードしていることと積極的に相手が攻撃を仕掛けてきていることを考慮したのか、前半よりペースは落とし、カウンターを狙うようにと。
また控えのアレンやエリックはもちろん、他メンバーにもいつでも行けるようアップするよう命じる。後半、ブルーライオンCFCがより激しく攻勢に来ることを予想してのことだろう。
ハーフタイムも終わりピッチに戻る。するとブルーライオンCFCの選手が一人代わっていることに気づく。
「ヨン選手の姿がない……あの人は確か」
「ダミアン・ボナーだな。やっぱり投入してきたか!」
フランツが鋭い眼差しをダミアンに向ける。鋭い眼差しと顎全域を覆う髭が特徴の男性だ。
主審の笛が鳴り響き、Rバイエルンボールで後半が始まる。監督の予想通り、攻勢に出てくるブルーライオンCFCをRバイエルンはやや下がり気味で迎え撃ち、カウンターを狙う。
「うおっ!? ……危ねー」
ディディエのロングシュートがゴールポストに当たりラインを割ったのを見て、鷲介は安堵する。あっという間に後半10分が経過した現在、試合は互角、いや攻めているブル―ライオンCFCが優勢だ。
相手チームは2失点しているにもかかわらず失点を全く考えてないような果敢な攻めを見せており、後半開始5分、9分と立て続けにビッグチャンスが生まれた。まず後半5分、ディディエのキープから上がってきたラグナル、ゲルトとボールが繋がれRバイエルンゴール前にセンタリングが上がる。矢のように速く正確なボールをマイケルとポジションチェンジをしていたレイが頭で合わせる。アンドレアスが防ぐも弾いたボールはゴール右にこぼれ、ブルーノを振り切って飛び込んできたマイケルが押し込もうとするが、間一髪クルトが蹴りだし難を逃れた。
そして9分、ゲルトのサイドチェンジからのボールを収めたマルコが魅せた。前からフリオ、横からフランツの二人に囲まれながらもボールをキープ。フォローのため下がってきたディディエにパスを出す、と見せかけて──しっかりとディディエの名前を呼んで──一瞬、動きを止めた二人の間を突破、さらにアウトサイドに移動したディディエと入れ替わるようにセンターに突撃し、クルトのマークをスピードで振り切ったマイケルへ絶妙なラストパスを供給した。もっともギリギリそれを察していたアンドレアスが前に出たことでマイケルの放ったシュートはゴールネットを揺らすことはなかったが。
どちらも前半と同じく結果こそついてきてはいないが、ほんの少しでもずれれば1点もののシーンだ。そしてそんなチャンスを生んでいるブルーライオンCFCの守りは──
「鷲介!」
アントニオから送られてくるカウンターのロングボールをセンターサークルで収め、鷲介は前を向き、ぎょっとする。なんとダミアンがスライディングを放ってきていたからだ。
(うおおっ!?)
鷲介は心中で叫びながらも、ダミアンの伸ばした足をジャンプしてかわす。着地と同時、目の前にいるハミルトンを突破して一気にゴール前まで行こうと思ったその時だ、そのハミルトンが距離を詰めてきていた。
とっさに右に避ける鷲介だが、ハミルトンはすぐに方向転換して、激しいショルダーチャージを放ってくる。
「ぐっ!」
荒々しいそれを受けて鷲介は大きく体勢を崩す。もはやドリブルどころかキープすらもままならない状態になり、やむなく一番近くにいたフランツへパスを出すが、それをダミアンがステイディングでインターセプトしてしまう。
(また、嵌められたっ……!)
後半のブルーライオンCFCの守備は前半と大きな変化はない。だが嵌めて取られる回数は増えていた。そしてそれを指揮しているのが、後半から出場しているダミアン・ボナーだ。
(ダミアン・ボナー。元アイルランド代表であり、フランツさんと同じLV3のフィールド・アイ保持者……!)
昨季までブルーライオンCFCのスタメンでありキャプテンだった男だ。ポジションはCB、DMF。フィジカルを生かしたハードかつ正確なディフェンスで10年近く、チームに貢献していた。
しかし33と言う年齢による衰えと25歳のラグナルの若さと技量に押され今季はベンチスタートが多くなっていた。だが衰えたフィジカルと違い、視野という彼のもう一つの武器はいささかの衰えもないという。
そしてそれを鷲介は今、実感していた。彼が仲間に飛ばすコーチングはオフ・ザ・ボールを行う選手への対策を含んだものがしっかりとあった。またプレッシングや嵌めて取るのもより正確に、そして無駄がなくなっていた。
選手としての実力はそこまで脅威ではない。2度ほど一対一の場面があったが、鷲介はさして苦労することなく彼を抜いた。
だが1度目──敵陣のミドルサードでの突破後、いつのまにか近くにいたキースからチャージを受けて、ボールを奪われた。2度目、ペナルティエリア横でジークにはパスを出すも、ジークはキースとトレヴァーに挟まれてあっさりとボールロストした。
そのあまりにもあっさりと奪われた2つのロストを見て、すぐに嵌められたことに気が付いた。それを指揮しているのがダミアンであることも。
(こっちはまだリードしているし失点だってしていない。チャンスは作っている。
でもなんなんだ、この押されている感は……!)
後半も15分が経過した現在、ブルーライオンCFCのシュート数は後半だけで6本、うち枠内は4つだ。一方のRバイエルンは4本で枠内は2つ。
そして鷲介自身も調子は悪くない。つい先ほどのカウンターでもハミルトン、キースの二人を突破しシュートを放った。シュート直前でキースに詰め寄られたせいか、ボールはバーを叩きラインを割ったが。
だが空気を相手チームに支配されているのを感じる。弱火で焙られているような焦燥感が鷲介の心中にある。
相手の勢いを止めるためにも、前半のように点を取りに行ったほうがいいのではないか。そう鷲介が思っていると、ブルーライオンCFCの7本目のシュートが放たれる。
シュートを撃ったのはディディエからパスを受けたマルコだ。左サイドから斜めに走りこんだマルコは横パスをエリア外からダイレクトでシュートを放つ。もっとも勢いのあるシュートは左に曲がりポストをかすめてゴールラインを割ったが。
「……!」
思わず安堵する鷲介。一方、シュートを外したマルコは悔しそうにふるまっているが、心の底からと言う風には見えない。そして試合時間も残り4分の1になろうとしているのに、ブルーライオンCFCの面々には余裕がある。
その理由がわからず鷲介が苛ついた時だ、フランツがそばに寄ってきて、言う。
「だいぶ参っているみたいだな。だが無理に攻めに出るなよ」
「なんでマルコ達は、あんなに余裕があるんでしょうか」
内心を言い当てられ、鷲介は少し尖った声で言う。
何故か小さく笑い、フランツは言う。
「ま、あれだけせめてこちらを押していればああいう態度にもなる。それにホームでの第二戦を含めて最終的に勝つことができると思っているんだろうな」
「舐めているってことですか……!」
違う違うとフランツは首を横に振る。
「単に自信があるだけだろう。実際今季のブルーライオンCFCはリーグやカップ戦、CLでもホームで負けたのはたった一度だけだ。あのRドルトムントもやられたしな」
「だったらなおのこと、もう一点取っておいたほうがいいんじゃないでしょうか」
鷲介がそう言うと、フランツはこちらの胸中の熱を抑えるように肩に手を置く。
「慌てるなって。俺たちの攻撃が連中を圧倒できていればそれもありだが、そうじゃない今は監督の言う通り守りに徹しカウンターをしていればいい。
点が入らなくても、このまま試合が終わればディディエ達も少なからずショックを受ける。アウェーゴール一つも奪えないで負けるとなれば、ベスト8に進むためには最低三点を取り、なおかつこちらの攻撃を無失点で抑えなければいけないんだからな。
それにブルーライオンCFCのDFたちを──こっそりと、しかしよく見ろ」
言われるとおりにして気づく。前線のメンバーと同じく覇気に満ちている守備陣。しかしその顔には確かな疲労の色がある。
「ブルーライオンCFCがこうまで攻め続けているのは早く1点でも取りたいからだろう。ディディエ達が点を取るとDF陣も信じているからこそ前半同様の守りを強いてきている。仮に負けたとしてもアウェーゴールのありなしで大きく状況は変わるからな。
だがいくらイングランドリーグ随一の運動量と守備力を誇るチームでも、いつまでもこのペースが持つはずがない。そろそろ上げていたギアを落とすはずだ。──そこを狙い撃つ」
すっと視線を細くするフランツ。それは何時間も獲物を待って待機していた狩人のそれだ。
「あと10分もしないうちにそうなるはずだ。その時はめいいっぱい暴れろよ”黒鷲”」
そう言って離れていくフランツ。鷲介は大きく息と焦り、苛立ちを吐き出し、その時に備える。
後半20分を過ぎたあたり、フランツの言う通りブルーライオンCFCのペースが落ちる。そしてRバイエルンは速く、鋭いカウンターを放ち始める。後半23分、中盤でパスをカットしたアントニオからパスを受けたフランツがDFの頭を超えるロブパスを放ち、オフサイドにならない絶妙の飛び出しでそれを収めたアレックスがゴールまでGKと一対一となった。放ったシュートは相手GKの読み勝ちで防がれゴールにはならない。
続く後半29分、ロビンと交代したドミニクがディディエからボールを奪取、フランツ、アントニオ、オーバーラップしてきたブルーノとスムーズにボールが渡り一気に相手ゴールへ。最後はブルーライオンCFC陣内の左サイドでブルーノが切り返し上げた弾丸センタリングにジークが飛び込み強烈なヘディングを放つ。コリンの伸ばした手を交わしゴールに向かったジークのヘディングだが、ポストに当たり跳ね返ってゴールにはならなかった。
そして、後半33分、マイケルと交代した若きアメリカ代表のジャーメイン・カルダーのパスをドミニクがカット、パスを受け取ったフランツは鷲介の方へ振り向くや、ロングパスを送ってきた。こちらの飛び出すタイミングを知り尽くしたかのような絶妙なボールを見て、鷲介は小さく笑う。
(これがおそらくラストプレー……! 全力を振り絞る!)
青のラインからオフサイドにならないよう飛び出す鷲介。眼前にバウンドして転がっていくボールを全速力で追いかける。
先程ベンチの方を見たらアレンが準備をしているのが見えた。おそらく鷲介との交代だろう。正直なところ、後半25分あたりからガス欠状態になっている。
(いわれた通り、最後に暴れますよフランツさん!)
サムズアップするフランツの陽気な顔を思い浮かべながらボールに追いついた鷲介は右サイドから切り返してゴールへ向かう。そしてペナルティエリア直前で立ちはだかったハミルトンを見据える。
(20歳でナイジェリア代表のレギュラー、クラブでも主力扱いとは流石だけど──)
ゆっくりと近づく鷲介。一定の距離を保ちつつ下がるハミルトン。ぎらつく視線を向けてくるも不用意にこちらとの間合いを詰めない──冷静さを欠いていない眼前の選手を賞賛しつつも、鷲介は動く。
左へ切れ込んだ鷲介にハミルトンはしっかりと追尾しており、そしてボールを奪おうと足を伸ばしてくる。試合開始から80分近く経過しているというのに変わらぬ反応と運動量。スタミナだけならロビン以上かもしれない。
(でも現状、あんた一人じゃ俺を止めるのは厳しいよ)
鷲介はハミルトンの足が届こうとした瞬間、残りの力を振り絞って全力で加速する。二段加速による横移動にハミルトンはついてくることができず、そして鷲介は彼の横を通過してペナルティエリアに侵入する。
「おおおおっ!」
「!?」
シュート体勢に入った鷲介の元へコリンが体を広げて突っ込んできた。それを見て鷲介は驚き、また嵌められたのかと思うが、コリンの必死の形相を見て、それを即座に否定する。
(違う。この様子はただ単に選手としての本能によるものだ)
もう何十回、何百と見た、なんとしても点を入れさせまいとするGKの必死の形相。しかしそれを見ても鷲介はシュート態勢は変えない。
いや、変えられないといったほうが正しい。二段階加速に力を振り絞った今、距離を詰めてくるGKをかわすほどの余裕がないからだ。
「ちぃっ!」
舌打ちと同時、シュートを放つ。超至近距離のシュートをコリンは伸ばした手で止め、また振り切った鷲介のスパイクがコリンの手を上に跳ね上げる。
鷲介の振り上げた左足の下に寝転ぶように飛び込んできたコリン。鷲介は彼を踏みそうになり、それを避けようとするが、疲れのためバランスを崩し、倒れてしまう。
「ぐっ……!」
右頬に衝撃を芝生の感触を味わう。直後、周囲から爆発したような歓声が沸き上がる。
体を起こして見れば、コリンに弾かれたボールは、しっかりとゴールラインを割っていたからだ。
「三点目……!」
痛みも疲れも忘れて右腕を振り上げようとしたその時だ、審判が笛を鳴らし、試合を止める。
「なんだ?」
傍にいたアレックスが不思議そうに呟く。インカムでどこかと話していた主審はピッチ外に走っていく。どうやらVAR確認のようだ。そして少しして戻ってきた審判はノーゴールの判定を取る。
「なっ!?」
「どういうことだ!?」
鷲介はもちろんチームメイト、サポーターからも仰天の声が上がる。フランツと共に主審に詰め寄ると彼はスクリーンを指差す。
スタジアムのスクリーンに映像が映し出される。その映像は鷲介のシュートとコリンが接触するところだ。主審は一連のプレイを、コリンが先にボールを抑えようとしているのに強引に鷲介がシュートを撃って、コリンの手を蹴ってしまった。つまり、鷲介のファウルを取ったため、ノーゴールとしたと告げた。
「あれを俺のファウルにするのか……!」
その判定に鷲介はもちろん仲間たちも抗議する。逆にコリンのファウルなら納得もいくのだが。
しかし判定は覆らず、鷲介が歯ぎしりをしていると、フランツがピッチの外を指差す。その先にはアレンと、交代ボードを持ったスタッフの姿がある。
「お疲れ。色々煮え切らないだろうが、ひとまずゆっくり体を休めろ!」
怒りを抑えるような顔をしているフランツに言われては、鷲介もこれ以上何も言えない。
やりきれない思いを抱きながら、ピッチを後にするのだった。
◆◆◆◆◆
「危なかったぜ」
不満ありありの顔つきでピッチを去っていく柳を見送り、マルコは小さく息を吐く。疲れていると思わせないためにだ。
正直なところ、柳のシュートが入った時、マルコは「糞!」と叫びかけた。この時間帯で三点目が入ればこの試合、勝つ可能性は極めて小さくなり、そのダメージは間違いなく次戦にまで持ち越されるからだ。
またコリンの飛び出しも柳のファウルと判断されたのも、運がよかった。一歩間違えれば逆の判定となり、コリンにはカードが提示されていただろう。PKの可能性もあった。
(首の皮一枚つながったな……)
平静を装いながらマルコはそう思い、周囲を見渡す。仲間たちは顔に出すもの出さないもの様々だが、心中は自分と大差ないだろう。
そして相手チームの面々は驚愕、そして怒りが見える。まぁ当然だろう。自分だって逆の立場ならまだ抗議していたかもしれない。
(だが、チャンスだ)
かすかに唇を曲げるマルコ。こういう雰囲気のチームは必ず気持ちが揺れ、隙ができる。そこを突けばアウェーゴールを奪うことも、不可能ではない。
「チャンスだな」
自然を装い傍に寄ってきたディディエが──すぐ横を通り過ぎる──小さい声で呟く。それを聞きマルコは改めて仲間を見ると、そのほとんどがディディエと同じく、緊張感を解いた狩人の隙を見つけた獣のような顔をしている。
スタジアムにブーイングが響く中、セットされたボールにゆっくりとコリンが寄っていく。そしてボールを蹴る直前、彼もディディエと同じ顔になり、ボールを蹴る。
自陣から一気に敵陣中央まで来たボール。電撃的奇襲というべきそれに相手チームは驚き、対応できていない。
当然マルコ達はそれを予測しており、動いている。マイケルが下がったことでFWの位置まで上がっていたディディエが元のポジションに戻り、飛んできたボールを余裕を持って味方に落とす。
ディディエからのボールを抑えたラグナルは即座に右サイド深くにスルーパスを放ち、走っていたゲルトが右から左へ鋭く切り返し、センタリングを上げる。
ボールはレイ、ディディエに代わりFWの位置にいたジャーメインを超える。パスミスかと誰もが思うであろうそのボールに走りこんでいたのは、マルコだ。
「止める……!」
左ハーフレーンのペナルティエリア前でボールを収めたマルコへフリオが迫る。
マルコはそれを見て小さく息をつくと、加速。同時に彼の股にボールを通し、横を通り過ぎる。
「……!」
フリオの息を呑んだ声が通り過ぎるマルコの耳にかすかに聞こえ、マルコは心中で嘲笑する。
(柳のようなプレーをすることが、そんなに驚くことか?)
柳はスピードや加速、そして反射神経は現時点でも世界最高峰の一人と言ってもいい。マルコも及ばない。
しかしマルコも最高峰の頂のすぐそばにある、世界トップの領域の速度を持つ。柳に匹敵するスピードドリブルはできるし、そして技術では柳をも上回る──
「くそっ!」
ペナルティエリアに侵入したマルコに横からクルトが迫る。しかし映像で見た通り、彼の動きは若干遅れている。
理由はわからないが最近のクルトは一対一──それもバックアッパーがいない状態では相手への間合いの詰め方が甘くなる。
マルコは躊躇することなく右に切り返し、すぐに右足を振り上げる。強引な切り返しだがスピードを乗せたそれにクルトの反応は遅れた。
(何が理由か知らないけど、その遅さはCL決勝トーナメントにおいては致命的だったな)
そう心中で呟くと同時、マルコは右足を振り向く。右のインサイドキックから放たれたシュートはクルトの横を通過し、さらに右から左に弧を描く。
相手GKアンドレアスも反応していたが、クルトが前を塞いでいたため正確性を欠いていた。マルコのシュートは彼が伸ばした手の上を通過し、ゴール右に突き刺さった。
「──よし」
ホームサポーターから悲鳴が上がる中、マルコは天に向かって指を突き上げる。得点を決めた時のパフォーマンスだ。
だがゴールの余韻の浸ることはできなかった。枠内に転がっているボールをディディエが拾い、マルコや喜ぶ仲間たちを怒鳴りつけたからだ。
「まだ一点リードされているんだぞ! さっさと自陣に戻れ!」
そう言って走っていくディディエ。得点したのに怒鳴られてマルコは気分を害するが、彼の言うことはもっともなので、何も言わず自陣へ駆け足で戻る。
(第二戦、ホームでの試合があるとはいえ、負けるのは嫌だからな)
戻る最中、Rバイエルンベンチに視線を送る。すると歯ぎしりしていた柳と目が合う。
マルコがにこりと微笑むと、彼はさらに表情を歪める。それを見て、マルコは顔を背けて、さらに笑みを深める。前半やられた時のお返しだ。
「試合時間は残りあとわずかだ! 気合を入れてしのぎ切るぞ!」
相手チームのキャプテン、フランツも皆に檄を飛ばす。ショックを受けていた敵イレブンの表情に力が戻るが、マルコはそれを見ても笑みをやめない。
(ありがちな激だ。だが、それで本当に大丈夫かな)
キックオフと同時、マルコ達は一斉に前に出る。裏を取られれば大ピンチと言うぐらいに最終ラインを押し上げるが、1点返したという事実が切れかけていた皆の気持ちに火をつけ、後半終盤にもかかわらずプレーの精度を増す。
そしてその勢いにRバイエルンも正面から挑むが両チームの実力はほぼ互角。そして勢いがあるのはマルコ達だ。
「マルコ!」
交代して元気のあるアレンの追い回しを冷静にかわしたダミアンのボールがマルコに飛んでくる。すぐ相手ゴールに向くとフリオがいつになく真剣な、腰を低くして待ち構えている。
(俺のドリブル対策か。わかってないな。──俺はドリブルに特化した選手じゃない)
左右に体を揺らし距離を詰めるマルコ。下がりながら徐々にサイドに追い詰めようとするフリオに付き合うふりをする。
そしてフリオが作った左サイドのスペースにあえて飛び込み、しかしすぐに右に切り返す。突破してくると思っていたマルコはこちらの反転についてこれずマルコの右側──ゴール方向を開けてしまう。
(俺は、ウイングだ!)
ウイングと言うポジションは大きく二つの役目がある。サイドをドリブルで突破すること、サイドからクロスを上げて得点チャンスを生み出すことだ。
そして”ゾディアック”最強──鷲介が頭角を現すまではそう呼ばれていた──と言われるマルコのパス精度はショート、ロングどちらもワールドクラス。”ゾディアック”の中でも上位だ。
フリオが空けた方向にマルコはクロスを上げる。左サイドから一気に相手ゴール前まで飛ぶボール。相手DFを突き破るような速く、強烈なクロスにディディエが頭で合わせようとして、スルーする。
ディディエに気を取られて動きを止めていた敵DFたちの間をボールが抜ける。だがそれに唯一レイだけが反応していた。ゴールポスト右すぐ近くへ飛び出した彼はボールに右足のダイレクトボレーで合わせ、ボールを相手ゴールに突き刺した。
(同、点ーー!!)
心中で狂喜しながらもマルコは冷静な表情で天に人差し指を突き出す。今度はディディエも喜んでおり、チームメイトたちの喜びに水を差さない。
(さて、あと一点──)
とるかと思ったその時だ、主審が試合を止め、フィールドの外へ走っていく。まるで先程、柳のゴールを取り消した時のようだ。
マルコはまさかと思い、審判が戻ってくるのを待つ。そして戻ってきた審判はノーゴールの判定を下す。
「何故ノーゴールなんだ!!」
つかみかからんばかりの形相で審判に詰め寄るディディエをゲルトたちが必死に抑える。冷静さを失っている現キャプテンに代わりチーム最年長のダミアンが審判に問うと、マルコ選手の上げたクロスに反応したレイ選手の飛び出しがオフサイドだったと告げてくる。
マルコは眉根を顰め、スクリーンを見る。今画面上に映っているレイの飛び出しは確かにオフサイドのように見えるが、そうでないともいえる微妙なぐらいだ。同じくそれを見たダミアンたちが再度抗議するが、判定は覆らない。
(ふん、まぁいい。残り時間はまだある)
心中にある怒りを無理やり押し込め、マルコはプレーを再開する。
しかし今度は同点を判定に覆されたブルーライオンCFCの動きが鈍くなり、助けられたRバイエルンの動きが激しくなる。なんとしても守り抜くというドイツ王者の全員守備に、さすがのマルコたちも攻めあぐね、そして試合終了のホイッスルがピッチに響き渡った。
「……負けか」
喜ぶホームサポーターや安堵する様子のRバイエルンイレブンを見て、マルコは早々に応援に来てくれたチームのサポーターに挨拶をして、ピッチを去る。
そして誰よりも早く控室まで来ると、一気飲みして空になった給水ボトルを壁に投げつける。
「糞がっっ!!」
誰もいない控室で遠慮なく叫ぶ。
さんざん柳を挑発したが、マルコとて現実が見えていないわけではなかった。Rバイエルンが強いことも、対戦すれば接戦となることも予想してはいた。
しかし実際負けるとなると、いつもの負けよりもさらに苦い敗北感が胸中に満ちる。物に当たりたくなるのを必死に堪え、試合中、胸中に抑えていた悔しさ、苛立ち、それらを吐き出す。
そしてそれらが一通り終わったところで後ろのドアがノックされ、ゆっくりと開かれる。
「少しは落ち着いたか」
声を掛けられ振り向くと、そこには私服姿のチームメイトの姿があった。
2メートル近い長身の、頑強な巌のような彼はニコ・アサノヴィッチ。守備の要である彼が今日の試合ベンチにも入らなかったのは、前節のリーグ戦で負傷したためだ。
もっとも一週間か10日当たり出直る程度の軽度だそうだが後半戦のことも考慮し、今日の試合は出場を見合わせたのだ。
「ニコさん……」
「負けはしたが判定に助けられた試合だったな。お互いに」
その言葉にマルコはむっとするも反論しない。もしRバイエルンのVARによるノーゴールがなければ、はたして反撃の一点が生まれていたかどうかも怪しいからだ。
「シュウスケ・ヤナギ。お前とは違うタイプだが、脅威であることは改めてよく分かった」
「脅威とあっさり認めるなんて、らしくないですね。もしかして止められる自信がないんですか」
「馬鹿を言うな、あるに決まっているだろう。だが絶対はない。そして少なくとも、お前と同じ程度に厄介だ。あのスピードとそれを殺さないドリブル。あのようなスピード特化型ドリブラーはイングランドリーグにも五人といない」
心中でマルコは同意する。映像でさんざん見てはいたが、それでも想定の範囲を超えるスピードとドリブルだった。ハーフタイム中、弱音の一つも言わなかったキース達だが、柳をどう止めるか綿密に話し合っていた事実から、彼が相手チームの攻撃陣の中で最も要注意人物だったことは確実だ。
しかしそれでも──後半に1度だけとはいえ──キースとハミルトン二人まとめて突破されたことは驚愕した。マルコでさえそれは難しい。
”ソディアック”No1ウイングとしてはともかく、スピード系ドリブラーとしてはバルセロナ・リベルタのロナウドと並ぶかもしれない。
「だが、点は奪わせないさ。例え何十回突破されても、点に結び付かなければ意味はないのだからな」
「それを聞いて、安心しましたよ」
硬く、平静なニコの声。それを聞いてマルコは微笑む。
それは彼の実力、そして絶対の自信が発するもの。ユヴェントゥースTFCのバレージ、Rドルトムントのポウルセンと並び世界最高峰──DFの頂点の一人に数えられる男の嘘偽りない言葉。
「次戦、勝つぞ」
「もちろんです」
◆◆◆◆◆
(強かった……)
インタビューを終え、控室に通じる廊下で鷲介は思う。
さすがCL決勝トーナメントまで勝ち上がってきたチームだ。一試合の疲労度も半端ではない。CLグループリーグ最終節のAマドリー戦ぐらいの疲労度を感じさせる。
また終盤残り10分の追い上げはさすがに驚愕した。チームの雰囲気から最悪1失点は覚悟していたが、まさか──VAR判定でノーゴールになったとはいえ──二度ゴールネットを揺らされるとは思わなかった。
そしてそれに大きくマルコが絡み、見せたプレーも見事の一言。特に個人的に、ノーゴールとなったあのクロスボールは文句無しに凄かった。
「俺には蹴れないボールだ……」
CL決勝トーナメントに出場している選手と比較した場合、鷲介のパス精度は中の下~中の中程度だ。一方マルコがあの場面や試合中に見せたパスを鑑みると、おそらく中の上~上の下あたりだろう。
それは試合前にもわかってはいたことだが改めて見てマルコと言う選手の見事な、そして恐ろしい技量に感服せざるを得ない。個人としては認めたくはないが、サッカー選手として認めざるを得ない説得力が彼のプレーにはあった。
「勝ったとはいえ次は相手のホーム。Aマドリーと同じか、それ以上の死闘になりそうだな」
次戦は相手のホーム、しかも試合に出場していなかった守りの要──ニコ・アサノヴィッチも出場してくるだろう。
勝ったRバイエルンだが、試合内容を見ても手放しで喜べる状態ではない。薄氷の勝利と言うべきだ。
そして交代して、ピッチの外から試合を見てハッキリとわかったクルトの不調。あれはレヴィアー・ゲルセンキルヒェン戦後に見られた症状と同じだ。最近見ていないから治っていたと思っていたが。
マルコもあれに気づいていた。もし次戦まで治っていなければ、間違いなくそこを突いてくるだろう。
「何とかならないものだろうか……」
メンタルの問題解決が難しいのは昨季のレンタル先で身にしみてわかっている。それでもどうにかならないかと、鷲介はため息まじりに呟くのだった。
リーグ戦 16試合 15ゴール6アシスト
カップ戦 2試合 1ゴール2アシスト
CL 5試合 7ゴール1アシスト
代表戦(二年目)5試合 9ゴール2アシスト




