崖っぷちの最終予選1
「先輩、遅いです遅刻です! 試合開始十分前ですよ!」
「ごめんなさい。ちょっとレポートに手間取って」
実家で課題のレポートを一通りまとめ、訪れた祖父の家。
かすみが家の中に入ると既に先に到着していた後輩──裕子が玄関まで飛び出して来た。
「そんなん後回しです! 今日は我らが日本代表の命運が決まるかもしれない重要な日なんですよ!」
「その通りじゃ! 我が孫鷲介の大事な試合じゃぞ! しっかり応援せんとな!」
彼女に続き姿を見せる祖父、総一郎。
年甲斐もなく騒ぐ二人にかすみは半目を向けるが、二人の言っていることにも一理はあるので反論せず、テーブル前に腰を下ろす。
現在夜八時。しかし時差もありTVに表示されているイラクのスタジアムは昼間の明るさが見える。
今から行われる試合はW杯アジア最終予選第八節。イラク対日本の試合だ。
「こんばんはお祖母ちゃん。スタメンはもう発表された?」
「ええ。鷲介はスタメンよ」
微笑みながらお茶を注ぐ祖母。ちょうどその時、TV画面からWFUAの公式テーマソングが流れ、選手たちが入場してくる。
国歌斉唱、写真撮影を見ながらスマホで今日の試合のスターティングイレブンを確認する。
まず日本。システムは従来の4-3-3のワンボランチ。
GKは兵藤。いつもなら川上だが彼はポルトガルリーグ最終節にて対戦相手選手と接触し負傷交代。
怪我自体は軽い打ち身だったのだが監督とメディカルスタッフが万が一を考えて今回はベンチになったようだ。
4バックは田中、秋葉、井口のいつものメンバー。そして左SBは3月の試合で代表デビューを果たした中山ケイタ。
怪我で長期離脱している大文字ほどの安定感はないが、攻撃面では凌いでいるだろう。フランスリーグでも持ち前の身体能力と速さで幾度もサイドを突破し、ゴールにつながるセンタリングを上げている。
今日の試合は勝利必須。そのため他のメンバーではなくDFの中では随一の推進力とスピードがある彼を抜擢したというところだろうか。
ボランチは瀬川。サイドハーフは中神と南郷の2人だ。代表のエースたる小野も召集されているが川上と同じく最終節に軽傷を負ってしまっていた。
イラク代表へのプレッシャー、そして次戦、韓国戦に備えてのベンチ入りと言ったところだろうか。
そして3トップは右から鷲介、鹿島、九条だ。この三人がスタメンなのはリーグで安定した結果や活躍をしたからだろうか。
「それにしてもイラクはあの神童が戻ってきましたね。
まぁポルトガルリーグでの活躍を考えれば選ばれるのは当然ですけど、せめてあと半年遅かったらよかったのに……」
「所属クラブで途中出場や出番がなかったせいか、前回の対戦時は招集されなかったものね」
TVに映ったイラク代表のユニフォームを着た鷲介と同い年の青年を見て裕子がぼやく。
背番号7を背負う彼はモハナド・ヤシーン。鷲介と同じ18歳だがイラク代表不動のレギュラーだ。
そして今季から川上と同じポルティーモFCに所属。前半こそベンチやベンチ外、途中出場が多かったが後半は一気にブレイク。ポルティーモFCを終盤まで優勝戦線に踏みとどませた功労者の一人と言っていいだろう。
前回の対戦で日本からゴールを奪ったアリー、ドゥルガムもスタメン。イラク代表はまごうことなきベストメンバーだ。
(鷲介、頑張りなさいよ)
かすみが呟いたのと同時、TV画面から試合開始の笛の音が響く。
勝ちが必要な日本は試合開始直後から前に出る。一方イラクは当然のことながら下がり目だ。
前回の試合では4-4-2だった陣形が4-5-1に近いものとなっている。アリーが中盤近くまで下がっておりカウンターのため唯一ドゥルガムが前線に残っている。
「惜しい! また防がれた!」
「うぬぬ! 体に当たりさえしなければゴールに向かっていただろうに!」
前半十五分を過ぎた今、裕子と祖父がまたしても大声を上げて、天を仰ぐ。
攻める日本は圧倒的なボール保持率を保ち、イラクゴールに迫っている。ゴール前はもちろんエリア外からのロングシュートも相手ゴールに向かっている。
6本放たれているシュートのほとんどが枠内にむかっているがイラクイレブンの体を張った守りがそれを阻んでいる。
「イラクイレブンの動きは見事ね。5バック、いや6バックといってもいいような超守備的なのに選手同士が邪魔をしないしかち合わない」
「感心している場合ですか先輩ー!」
裕子の突っ込みにかすみは応じずTV画面に厳しい視線を向ける。
前回と同じ試合内容。だが違うのはイラクイレブンが見事な連動を見せた組織的な守備を行っているところだ。もちろん中神や鷲介はドリブルで崩そうとするがあと一歩のところで邪魔が入る。
(そういえばイラク代表はかなり早く選手を招集して合宿を張っていたって記事があったっけ……)
その合宿で日本を研究、その対策を行っていたということか。それがハマっているのか日本に対応するイラクイレブンの動きにはどこか余裕がある。
「あらあら。鷲介、また止められてしまったわ」
「何をしておるか鷲介。一対一で止められるなど―!
お主ならイラクの選手を2、3人抜くことなど簡単じゃろうにー」
おっとりとした祖母と興奮する祖父の声。
とはいえ二人が言うのもわかる。すでに前半25分近く試合を見ているが、今日の鷲介は明らかに動きが悪いしプレーに集中力を欠いている。
特にドリブルにキレがない。スピードに任せた強引かつ粗雑な動きだ。リーグ戦の疲れを考慮しても明らかにおかしい。
(集中しなさいよ鷲介……!)
鷲介がああなっている理由は察しが付く。ドイツリーグ終了直後に発表されたあのニュースが原因だろう。
とはいえそれは理由にはならない。そして彼が止められることは日本イレブンの士気にも関わってくる。早いところ持ち直さなければ。
そうかすみが思って数分の前半30分近く、鷲介のボールロストからイラクはパスを回しそれがモハナドに渡る。
すぐ瀬川がチェックに行くがモハナドはするりと彼をかわし、ロングパスを放つ。
精度の高いそれに飛び出すドゥルガム。一方の日本DFたちは攻撃に意識を向けすぎていたのか、一瞬だけだが反応が遅れた。
そしてそれはドゥルガムの飛び出しを許し、単独フリーで日本ゴールに迫るという大ピンチを招く。
「止めてー!」
ペナルティエリアギリギリ外まで飛び出す兵藤。しかしドゥルガムはそんな彼を嘲笑うかのようなループシュートを放ち、ボールは日本ゴールを優しく揺らした。
「なんということじゃー!」
祖父が絶叫すると同時、TV画面に表示されているホームチームのスコア数字が0から1に変わる。
TV画面の向こうで盛り上がりを見せる満員のイラクサポーター。それに背を押されているかのようにイラクイレブンはより前に出て攻勢を強める日本の攻撃をシャットダウンし続ける。
惜しいシーンはある。失点直後、ボールが回ってきた鷲介はセンターレーンにて二人を突破、ゴール右隅に強烈なミドルを放つもポストに弾かれる。
前半33分、中神のCKから秋葉が放つヘディング。弾かれるもこぼれ球を小清水が押し込む。だが主審が秋葉が守備をしていたイラクイレブンを押したためファウルの判定。ノーゴールとなる。
日本のチャンスは続く。前半39分、南郷の左サイドへのパスを受けた中山はスピード任せの強引な突破でサイドを駆け上がりセンタリング。
低空グラウンダーのそれをペナルティエリア内にいた鹿島がポストプレーで落とし中神がシュートを放つが、イラクGKが横に飛びパンチングで弾いてしまった。
チーム力は間違いなく上なのに。圧倒的に攻めているのに。相手ゴールを揺らせない。
そんな焦りやフラストレーション、そしてイラクの三十度以上の気温による熱が日本イレブンから体力と冷静さを奪っていく。
「なんかまずい雰囲気ですね……」
前半43分を過ぎたとき、裕子もTVに映る日本代表の異変を感じたのか眉根を潜める。
その直後だ、センターサークルにいた中神が後方にいた味方にパスを出す。
しかしそのボールの勢いは弱く、中途半端だ。そしてそれに反応するのはイラクの背番号7。
「ぬぅ、ボールを奪われたぞ!」
「高い位置で! やばいですよ!」
祖父と裕子の言う通り、中神の中途半端なパスをスライディングで奪うモハナド。
すぐ瀬川が距離を詰めるがイラクの神童はブラジル選手のようなテクニカルな挙動を見せてかわし、前に出る。
(上手い……!)
思わず目を見張るモハナドの動き。パワフルなアリー、スピードのドゥルガムとは違う、技術に優れた選手のそれだ。
秋葉達DFラインが守備を固めようとする。しかしドゥルガムとアリーの2人が共にサイドに展開、ボールを要求する。
それに気を取られ分散せざるを得なくなる日本DF陣。モハナドは左サイドに走るドゥルガムにパス。しかし彼はサイドを切りこむふりをしてセンターレーンに上がってきたモハナドへボールを返す。
日本ゴールから約25メートル離れたところでリターンを受けたモハナドへ秋葉が距離を詰める。
それを見てモハナドは前に出て勝負を仕掛ける。左右に体を揺らし右に切れ込む。その動きに秋葉はついていっている。
しかしモハナドの方が上手だった。彼は右に切れ込むと同時、ダブルタッチを見せて左へ移動。秋葉をかわし前に出ると、大きく利き足の左足を振りかぶり、ボールを蹴った。
日本ゴールに向かうモハナドのグラウンダーシュートに兵藤は反応している。しかしボールは芝の影響なのかゴールに向かう途中さらに加速。
兵藤のグローブにボールは当たるもコースは変わることなく、日本ゴールの左横に突き刺さった。
「……!」
まさかの2点目に裕子も祖父も声もなく固まっている。かすみも頬を引くつかせる。
モハナドの武器にミドルシュートがあるのは知っていた。しかしそれがよりにもよってこんな場面で炸裂するとは。
(痛すぎる失点だわ)
時間のこともあるが失点の切っ掛けが明らかなミスによるものだ。
そのミスを犯してしまった中神は鹿島や鷲介と何かを話し、すぐに離れる。
(ん?)
かすみは眉を顰める。今TVに映った鷲介の顔が少しさっぱりしたものとなっていたからだ。
ロスタイムに入ると同時、鳴り響く試合再開の笛の音。2点ビハインドを負った日本はロスタイム3分でさらなる失点を重ねたくないのか、ボールをキープしながらも先程のように前に出ない。
一方のイラクは2点先取した勢いに乗って前に出てくる──ことはない。今までと同じ自陣に7割近いイラクイレブンの姿がある。
そんなイラクに対し日本は有効な攻撃を展開できずチャンスも作れない。時間は過ぎていきロスタイム3分になろうとした時だ、左ハーフレーンにいた中神から右ハーフレーンにいる鷲介にパスが通る。
前を向く彼。しかしその前方にはイラクイレブンの姿が多くあり、ドリブルコースはあるが狭すぎる。
近くの味方にパスを出す。そうかすみが思った時、なんということか、鷲介はドリブルを始めてしまった。
「ちょ!?」
「鷲介!?」
素っ頓狂な声を上げる裕子とかすみ。
あっさり一人かわす鷲介だがすぐに別の選手が距離を詰めてくる。また突破された時に備えてか他のイラクイレブンも寄ってくる。
緩急のついた動きで二人目を突破する鷲介。だがそこまでだった。集まってきたイラクイレブンにより元々狭かったドリブルコースは完全に防がれてしまった。
このままボールを奪われて前半終了──。そうかすみが思ったのと同時、ゴールから二十数メートルの距離から鷲介はミドルシュートを放った。
「え?」
従弟の蹴ったボールはイラクDFたちの間を、GKの伸ばした手を通り抜けてイラクゴールに突き刺さった。
あまりにも一瞬のことに唖然とするかすみ。そしてTVの向こうでは主審による前半終了の笛の音が響いている。
「おおおお! よくやったぞ鷲介ー!!」
「あらあら」
喜びに絶叫する祖父とのんびりとしながらも驚く祖母を横目で見ながらかすみは裕子に問う。
「今のゴール、どう思う?」
「単に柳君の個の力だけかと。失点したとはいえイラクイレブンにはあまりダメージはないと思います」
彼女の言う通りだ。引き上げるモハナドたちはほとんどが落ち着いた様子だ。
そして日本イレブンは一点差に迫ったが思ったほど元気がない。唯一明るく見えるのは鷲介の傍に来た中神と鹿島だけだ。
(後半、どうなるかしら)
全く先が見えないこの試合。かすみはそう思うのだった。
リーグ戦 24試合 25ゴール11アシスト
カップ戦 3試合 1ゴール2アシスト
CL 10試合 14ゴール4アシスト
代表戦(二年目)7試合 13ゴール3アシスト




