安寧を裂く
「なんで、こんな所に、どうして」
「……珍しい恰好をした小さな子が、廃ビルに入った……そんな話を聞いたんだ。病院からいなくなった子と特徴が合ってたから、もしかしたら、と思ってね」
呆然とした呟きに応えたアキトが、少女に歩み寄る。
「自己紹介が遅れたけど、オレはアキト。さっきも言ったけど、君を探すように頼まれた人の手伝いをしてて、ようやく辿り着いたんだ。……何か、訳アリな様子だけど」
「っ……」
『脇目もふらず、必死に走っていたようじゃからのぅ』
アキトの横を浮遊しているリクがもたらす、監視カメラの情報と人の噂話。絞り込んでいった地点を巡る内に、到達した摩天楼の上で会えたのだ。
気まずそうに顔を背ける少女の前で膝を着き、アキトは問いかける。
「病院を抜け出した理由とか。初めて会ったはずなのに、オレを知っていたような言い方だったのか。聞いてもいいか?」
「……すぐに、連絡しないの?」
「治療用の注射器まで抱えて、何か事情があるんだろ。怒られないように言い訳を考えるくらいならオレにも出来るよ」
「違うっ!」
治療用とはかけ離れた代物だと、直感的に認識する少女は強く否定した。
怯えと恐怖を吐き出すような、余りの勢いに目を見開くものの、アキトは至極冷静な姿勢を崩さない。
「違うって、何が?」
「こんなの、絶対に違う! “せんせぇ”が、いつもの“せんせぇ”みたいじゃなくて! わたしの為だなんて言ったけど、治す為のモノなんかじゃない!」
「どうしてそう思うんだ?」
「生物の先とか、進化の果てとか! わけわかんない事ばっかり言われて、わたし、怖くなって、逃げたの……!」
『なんじゃあ? カルト宗教の常套句みたいな言い分じゃのぅ。もしや“せんせぇ”とやらは問題児なのではないか?』
茶化すようで、小さな子を怯えさせた、医師であろう人物を批判しながら、リクは気に入らないとばかりに口を尖らせる。
苛立ちを隠さない彼女とは裏腹に、アキトは少女が発した言葉の中に引っ掛かりを覚え、不気味なアンプルに目を向ける。
「生物、進化、カルト宗教…………ネビュラスの目的は、人類をインベーダー化させる事だったな」
『んあ? アキト、お主なにを言って──あいや、待て』
唐突な呟きに反応したリクがアキトの視線に気づき、アンプルを覗き込む。
『っ!? おい、そこな少女が持つアンプルの中身! インベーダーの細胞が凄まじい程に凝縮されておるぞ! それでは、まるで……!』
「怪人化薬、だな」
分析したリクへ答え合わせをするように、出した結論。
面識がないはずなのに、アキトを知る少女の反応。
患者がいなくなったという割に、警察が動いていなかった事。
不明な点と違和感が道筋を描き、様々な推測へ枝分かれする。けれど、情報が足りない。もう少し、探らなくてはならない。
刺激しないように、触らぬように。アキトはじっと、少女が口を開くのを待った。
やがて、嗚咽混じりに、悔いるような小さい声がこぼれた。
「なんでか知らないけど、貴方の前で、注射を打つように言われて……でも、そんなこと出来なくて……なのに、ずっと見守っているなんて」
『仮に“せんせぇ”とやらがネビュラスの一員だったとして、何故にアキトへ目を付けた? しかも、こんな子どもに怪人化薬を渡してまで……』
「──罠かもな」
一つだけ、思い至った推測を端的に表す。
『罠? どういうことじゃ?』
「“せんせぇ”とやらはこの子とオレが接触するのを期待していた。けれど、顔を合わせる事なく立ち去り、計画が崩れた。でも本来の形とは別にこうして出会った」
『まあ、結果としてはそうじゃが』
「考えたくないけど“せんせぇ”はオレの正体を知ってる。なら、目を付けた理由にもなるんじゃないか」
『……夜叉として悟られた可能性があるとでも? ならば、確実にアキトと夜叉を結び付けるために、こやつは利用された……?』
そうでもなければ、これほどまで複雑で意味不明な事態にはならない。
小声で話し合う二人は、自然と周辺への警戒を強めた。
『見守っている、と言っていたな。今も遠くから見張られている恐れがある。周囲に怪しい影が無いか探知しておく』
「頼んだ」
人工知能としての権限をフルに活用し、サーチモードに入ったリクを横目に。
アキトは泣き腫らした目を擦る少女の隣へ腰を下ろす。
「もう、何がしたいのか、分からない。わたし、どうしたらいいの……誰にも、頼れないのに……」
悲痛な独り言は、アキトにとって彼女の境遇を暗示させるようだった。
「なら、オレが味方になるよ」
「──え?」
少女の過去を知らない。状況も分からない。
けれども、自分の考えに従って、怪人化という最悪の事態を免れようとした精神は、尊重されるべきだ。
少なくとも抗う意志や戦う姿勢を見せた事が、アキトの印象に根付いた。
「そんな薬を渡して、ふざけた物言いをする大人のことなんか信じなくていい。オレ、こう見えてアストライアの知り合いがいるから、その人に相談するってのも出来る。何も諦めなくていい。ここまで頑張ってきたんだから、きっと受け入れてくれる」
「……」
「それにアストライアの人なら、子どもの人生を笑って踏みつぶすような奴を許さない。きっと君を守って、正しい道を示してくれる。その為なら、喜んで協力してくれるはずだ」
「…………でも、わたし」
「不安なら勇気を持てるように、最後までしっかり付き合うよ」
そう言って立ち上がり、手を差し伸べる。
少女の目に映るのは、小さな手にも関わらず大きく見える姿。
迷わず言い切り、少女の罅割れた隙間を縫うような申し出は、疑心と不安で揺れ動いていた精神を安定させた。
おずおずと、伸ばされた手を掴めば、引っ張り上げられる
「頼りにして、いいの?」
「任せろ。必ず、君に怖い思いをさせた事、後悔させてやる」
ネビュラス関連の手がかりを得られるかもしれない。個人としても気になる部分に近づける、そんな思いもわずかにあった。
だがアキトは何よりも、子どもをダシに使う卑劣な行為に憤っていた。
故に、感覚が鋭敏になっていたのであろう。
「……ありが」
『アキトッ!』
『緊急警報、緊急警報! 総合病院付近にてインベーダー出現!』
『近隣住民はただちに近くのシェルターへ避難してください! 施設は早急に結界を展開してください!』
感謝を遮り、響いたサイレンに鼓膜を揺さぶられながらも。
首筋を走った悪寒と確かな直感。上空から呼び掛けたリクの声に従い、少女を抱き寄せ、マギアブルによるシールドを展開。
直後、半透明の障壁に凄まじい衝撃が生じ、廃ビルの屋上が崩落した。
◆◇◆◇◆
「い、インベーダーが、なぜ病院に……!」
総合病院上空を浮遊する特位インベーダー“ガルグイユ”。
無気味な細身の体躯と、離れていても聞こえる翼の音。不安を煽る、生きた破滅の象徴に混乱と悲鳴が生まれる。
結界の範囲内である病棟に逃げようとする患者や付き添いの看護師、利用者に次いで、カツヤもまた、たたらを踏み慄く。
反してマヨイはゲート反応・魔核の反応無しに姿を見せたガルグイユに対し、ネビュラスの怪人化薬によって発生した存在だと悟った。
すぐにフレスベルグの念話機能で他のニューエイジ、本郷博士へ連絡を取る。
『緊急事態です、総合病院敷地内にてインベーダー発生。積極的に行動を起こさないので、恐らくはネビュラスの怪人かと思われます』
『こちらも把握した。つい先ほど、ロゴスを経由してアストライア上層部にニューエイジの緊急出撃を要請している。すぐに許可が下りるはずだ』
『むき~っ! 休日は嬉しいけど、そのせいで手間が掛かるのヤだなぁ!』
『仕方あるまい、我らは公僕に奉する者。手続きには時間が掛かる。今、最も距離が近いのは……』
『私ですね。許可が出るまで付近の避難誘導に徹します』
『分かった、私達も急いで現場へ急行する! 決して無理はしないように!』
『了解!』
手早く会話を済ませ、まずは近くにいるカツヤの眼前で手を叩く。
乾いた音に遅れて、カツヤはハッと声を上げ、再び現実を直視する。
「目は覚めましたか? なら、急いで避難しますよ。ここからシェルターに移動するよりも病棟の方が安全ですから」
「い、言われずとも分かっている!」
有無を言わせないマヨイの様子に気圧されるが、腐っても医師で大人。
移動する傍ら、マヨイと協力して“ガルグイユ”に腰を抜かす利用者や患者に率先して声を掛けていく。
正気を取り戻した病院関係者も加わり、迅速に避難は進む。──その姿をガルグイユと化した怪人が黙って見ているはずもなかった。
『きひひひぁ!』
耳障りな嘲笑を撒き散らし、ガルグイユは高速で飛行。
地表を舐めるように生け垣を破壊し、木々の枝葉を折り、防風を起こしながら、生きた台風は避難者を襲撃しようとする。
凶刃となった翼、爪を用いて狩りを始めんとするガルグイユに対し、マヨイはマギアブルを構えた。
「攻性防壁、視線遠隔、二重発動!」
アストライアで開発された簡易魔法による防御壁が、ガルグイユを弾き返す。
その隙に避難を終え、安堵するものの、魔法を行使したマヨイに狙いを定め、ガルグイユは空中で軌道を変える。
変則的な、雷を思わせる飛行は常人では目で追えず。
マヨイは襲来したガルグイユに、自動発動した障壁ごと掴まれ、急上昇。
「ぐっ……!」
「マヨイ!?」
遅れて気づいたカツヤが声を荒げるも、上昇負荷によって重圧の掛かったマヨイは反応できない。
『アストライアの狗! 手駒! ネビュラスの邪魔者!』
「やはりネビュラスの、こちらの正体を知って……ッ!?」
そして数十メートルはある高度から、地面へ向けて振り投げられる。
凄まじい速度で迫る彼我の距離。緩やかに認識するカツヤの顔。マギアブルに登録された魔法では、落下速度を緩めるようなモノはない。
自身の失態に舌を打ち、あわや万事休す──そんな考えがよぎった時。
『上層部の許可、下りました! ニューエイジの戦闘を許可します!』
響き渡るロゴスの声に応じて、身に着けていたアストライアの腕輪型ガジェットが光を帯びた。
即座に、マヨイはガジェットに指を添え、流す。
指紋、脈拍認証の後に“START”のホログラムが浮かび、変身者の意志を求める音声が鳴った。
『Powered suit“フレスベルグ《ラケシス》”Standby ready?』
「──装身ッ!」
その一言で、マヨイの体が光に包まれた。
内部で瞬時に展開されるフレスベルグのアンダースーツ、各種装甲ユニット、武装が吸い付くように装着される。
各部位から蒸気を噴き上げ、正常作動を知らせるように、魔力エネルギーを循環させるケーブルラインが脈動。
頭部を覆う鋭角なヘルメットにバイザーが降り、覆っていた光が霧散。
そこにいたのは、新時代の守護者たる覚悟を背負う、一人の戦士だった。




