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不意の遭遇

 白髪の少女がビル街を歩く。

 長く続いた入院生活によって消耗した身体を引きずって、当てもなく。

 汗が頬を伝い、息は荒れ、おぼつかない足取りのまま無意識の内に──ポラリスから逃げるように、少女は去った。


「……なに、やってんだろ」


 すれ違う人々から向けられる視線を気に掛ける余裕などない。

 それよりも脳裏をよぎるのは、盗み見ていたポラリスの光景。

 不思議な繋がりで構成された賑やかな空間。漂ってくる刺激的な香りは食欲をそそり、痩せた体に飢えを抱かせた。

 久しく感じる事の無かった感覚の連続は、何もかもを失った自分への意趣返しのように思えて。


 何が正しくて、何が間違っているのか。

 言われた通りのままでいいのか、されるがままに流されていいのか。、

 そんな自分が、幸福に包まれた他者を羨み、(おとしい)れるなんて……出来る訳がなかった。

 少女は純然たる凡庸な、けれども確かに持ち合わせた危機感が促す警鐘に(さいな)まれていたのだ。


「……っ」


 両手で握り締めた、液体の入ったアンプル。

 “せんせぇ”から託された、自身の状態を改善させられるという薬。


『この薬を打てば、君の体はたちまち元気になる。以前と同じ、いやそれ以上に動けるようになるし、新しい道を切り開く事だってできるだろう』


 何故か病室で打たず、手渡された自己注射用の物。

 少女の判断に任せたと言えば、聞こえは良い。しかし医師としての判断で考えれば、ありえないと言わざるを得ない。

 されど自身を取り巻く環境を変えられるのなら、受け入れたいと考えた。


『生物としての先を行き、進化の果てへと到達する……祝福の最先端を享受できるんだ。我らが辿り着くべき答えを、是非とも君が証明してくれッ!』


 その直後、背筋に怖気が走る不穏を目の当たりにして。

 次いで透明な容器に揺蕩(たゆた)う薬剤が影を纏っているように見えたのだ。

 到底、体を治すような代物に見えない。少なくとも予後不良で悩む少女へ、そんな都合の良い夢の薬を与えるなど、考えられない。


 疑念と執念の入り混じった両者の感情を裂くように、声が響いた。

 休憩スペースで騒ぎ立てる医師と女性へ目が移る。次いで、その後ろで様子を眺めている数人の内、少女と背の変わらない少年に“せんせぇ”は指を差した。


『彼もまた、君と同じくして道を断たれた者なんだ。得るべきだった恩寵を受けられず、哀れにも俗世に(まみ)れてしまった……救わねばならない。他の誰でもない、君自身の手で示してほしいんだ』


 押し付けられた要求。

 高揚感を与えるようで。

 無気味で、無機質な言い分。

 真実でもなければ嘘でもない。しかし医師らしい対応を見せていた頃とはまるで違う、今の“せんせぇ”の言葉だけは、信じてはいけない、と。

 時間を掛けてゆっくり、じっくり染み込んできた毒に侵される前に。

 出遅れたと理解していながら、少女の取った行動は逃走であった。


『逃げても構わないよ。どうせ、君は進化の力に魅入られる。その過程を我々は遥か空から見守っているよ……』


 未来が確定したような言い方で、去り際に投げかけられる。

 どこからともなく降りかかってくる重圧と得体の知れない恐怖に負われながら、少女は走った。

 自分はまだいい。しかし“せんせぇ”が目を付けた少年が、タダで済むとは思えなかったのだ。


 “せんせぇ”に詰められている間、僅かばかりに聞こえた情報を頼りに。

 どこに行ったのかも定かでなくとも、少女はとにかく走り続ける。

 目を引く容姿に患者衣を着ている事もあってか、周りからは無遠慮な視線と嘲笑混じりの小声を向けられた。

 それでも正義感か良心か、あるいは恐怖心か。

 体を()き動かす衝動に押されて、駆けていく。


 そして、ようやくたどり着いた先で、アキト達のやり取りを見た。

 ネイバーの人間、エルフ族、牛族と歓談する姿は、彼女の内に残っていた、かつての温かな情景を思い起こす。

 家族との団欒、友との語らい。和やかで、穏やかで、守るべきモノ。

 自分にはもうない、様々な要素を持つアキトを見て──どこが自分と同じ、道を断たれた者だというのだ、と。

 一瞬に湧き上がり消え去ったのは、憎悪や憤怒にも近しい、激しい感情。


「……っ」


 冷静になって思い返し、逃げ去ったのは悪手であったかと自省する。

 一人で彷徨って、どうしろというんだ? “せんせぇ”が見守ると言っていた……つまりは今も、誰かに監視されている?

 抱えたアンプルが何かも分からず、誰にも頼れず、行き先も無いままに。

 人目に付かないよう少女は疲弊した脚で、解体予定の立て看板が掛けられた廃ビルに入り込み、その屋上へ向かっていった。


「……」


 屋上の扉は開け放ち、少女を出迎えたのは遥かな青。

 どこまでも澄んでいる、瑞々(みずみず)しい色。どこまでも広く、どこまでも大きく、どこまでも繋がっている。

 なのに、少女には誰との繋がりも無い。肉親も、友人も、故郷も、黒く濃い深淵の門に阻まれ、どこにも行けやしない。

 孤独の心に透いた風が沁みて、前触れも無く涙が溢れた。


「わ、たし、は……何を、どうしたら……!」


 天災に巻き込まれて。

 独りで見知らぬ土地に放られて。

 挙句の果てに、君の悪い医師に目を付けられた。

 少女を取り巻く複雑な包囲網は、着実に精神を削っていく。


「……誰も、見てくれない。誰も、聞いてくれない。誰も、助けてくれない」


 肉体と精神。

 両方を消耗し、投げやりになった少女の視界にアンプルが入る。

 楽になりたい。何も成し得ない自分を変えられるのなら、受け入れるべきだ。

 その一心で、少女はおもむろに自身の腕へ針を刺そうとする。紆余曲折はあれど“せんせぇ”の思惑通りに動いている事に、少女は気づけない。

 鼓動が早まる。滲んだ視界に針の先が映る。あと数ミリの間合いが迫る。

 ──そんな時、足音がした。少女が出てきた、屋上の扉からだ。


「白髪で、オレと同じ体格、患者衣を着た女の子……見つけた。あー、特徴だけで名前聞くの忘れてたな……」


 振り向いた先に、いるはずのない少年、アキトの姿があった。


 ◆◇◆◇◆


 時は変わり、総合病院付近で。

 ニューエイジの一人、マヨイもまた白髪の少女を捜索していた。


『総合病院から半径五キロメートルに渡って、現在起動している監視カメラの映像を精査しました。ですが、範囲内に身体的特徴に合致した人物は発見されず……今はカメラの死角となった地点を絞り込んでいます。完了次第、マップデータを共有しますね』

『ありがとう、ロゴス。しかしここまで難航するとはな……』

『子どもで入院患者の脱走となれば、行動範囲は広くないと思っていたが』

『意外と動き回るもんだね~。もっと詳細を聞いておけばよかったなぁ』

『仕方ありませんよ。先方も必死になって捜索しているせいか、連絡が付きませんからね。直接顔を合わせて、聞き出そうとも考えましたが……』


 フレスベルグの念話機能を用いて話しながら、マヨイは顔を上げる。

 総合病院の近くに潜伏している可能性を考慮して、改めて敷地内外を含めて探しているものの、カリヤと捜索隊に出会わなかった。

 それどころか午前に来院した時と変わらず、病院が慌てているように見えない。患者が一人だけ脱走したとはいえ、捜索要請を出したなら警察だって出動するはずだ。


『……何か、変ですね。こうも静かなものでしょうか?』

『違和感を抱いているのか? だが、追及するよりも先に発見せねばなるまい。こうしている間にも、患者は消耗して行き倒れている可能性すらある』

『うーん、もどかしいなぁ! 博士~、フレスベルグで上空から探すのはダメなのぉ?』

『そうしたいのは山々だが、ゲートやインベーダーの発生に関わらない装着は許可できん。ましてや緊急時でない私用の目的に使うのはな……』

『上層部に睨まれちゃいますからね。意味があるようで全くない長ーいお叱りと始末書に忙殺されちゃいますよ』


 アストライアの統括人工知能であるロゴスの言い分に苦笑し、再び探し出そうと踵を返した時。


「──マヨイ!」


 場所が近い為、もしかしたら、とは考えていた。

 けれども実現するとは思わなかった、聞きたくもない父親の声。

 駆けてきたのだろう。肩で息をする如月カツヤの呼びかけに、マヨイは立ち止まり、視線のみを向けた。


「さっきぶりですね。何か用ですか?」

「病棟を出たら見覚えのある姿が目に映ったのでな。こんな所で何をしているのか気になっただけだ」


 相も変わらず犬猿の仲な会話。

 フレスベルグの機能を切った身内のやり取りは、静まった空間に響く。


「人探しに協力しているんですよ。やましい理由があって戻ってきた訳じゃないです。では……いや、そうだ。お聞きしたい事があります」


 早々に話を切り上げ、去ろうとしたマヨイが問う。


「病院から脱走した患者について、情報を持っていませんか? 私はとある筋から、その子を探してほしいと言われて手伝っているのですが」

「……なんだ、それは。患者が病院を抜け出したなど、聞いていないぞ」

「……貴方に興味が無いだけでしたか。切羽詰まっている様子でしたので、只事ではないなと思っていたのですが」

「ええい、ふざけた言い回しで見くびるな、これでも医師としてのプライドがある! そもそも患者がいなくなったなどの話が出て来れば、施設職員全員にすぐさま周知される! 出向で来た身とはいえ、私にもだ! だが、()()()()()()()()()()()()!」

「…………なんですって?」


 身内としては恥以外の何物でもない男だが、医師としての実力と誇りは確実に持ち合わせているのが如月カツヤだ。

 そう認識している男が知らないのなら、本郷博士に伝えられた内容は嘘だった……? だとしたら、何故そんな事を……?

 一連の騒動に首を突っ込んだマヨイが抱く違和感。

 根幹に位置する暗躍の影に迫ろうとした瞬間。


 ──ドガンッ!


 強烈な破砕音が鳴り響き、大地を揺らす。

 突然の衝撃に困惑し、狼狽するカツヤとは真逆にマヨイの目は鋭く、音の鳴る方へ向けられていた。

 総合病院の上空。

 異形の姿を見せつけるように、四枚二対の翼で浮遊する華奢な肉体。

 特位としての特徴を有するインベーダー“ガルグイユ”がいた。


『緊急警報、緊急警報! 総合病院付近にてインベーダー出現!』

『近隣住民はただちに近くのシェルターへ避難してください! 施設は早急に結界を展開してください!』


 聞き慣れた、非日常を告げる警告。

 マヨイの意識が人類の守護者、ニューエイジの者へと変わる。

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