恐れるべき時間
「──という訳で、調理実習の時間だ。普段と違う空気感だからといって、あまりはしゃぐなよ。特にリフェンス」
「俺ぇ? 名指しでぇ?」
パフア校の家庭科室。
数々の調理器具が収納され、水場も併設されている調理台が九つ。
それぞれに振り分けられた班員で囲んでおり、全員の注目を集めるように。
担任教師であるイリーナは黒板を背に立ち、いつものように軽口を開く。もはやルーティンじみた光景に、わざわざ反応する者はいない。
「この場の誰よりも年長者だろう、甘んじて自重しろ。……今朝も言ったが、授業補佐のマヨイ先生は体調不良で休みだ。その代わりとしてリン先生に来てもらっている。迷惑をかけるなよ」
「は~い。みんな、よろしくねっ!」
イリーナの紹介を受けたリンが可愛げのある仕草で応えた。
マヨイとは違う活発な印象に生徒達、特に男子から黄色い歓声が上がり、女子は冷めた目で見ている。
教育実習生として初等部・中等部を担当しているマヨイ、エイシャでなく、高等部のリンが何故この場にいるのか。
アストライアでの作業後にニューエイジの三人は無事に帰宅。
心身ともに休息を取ったが、結局マヨイは度重なる業務の負荷によって緊張の糸が切れたのか、熱を出してダウン。
自身の弱さを恨みながら、喉に炎症が生じたせいで食事が出来ない。
そんな事実に絶望しながら、空腹と疲労と眠気に迫られ身体を休めていた。
エイシャは破棄された【超人計画】の詳細が、アストライアのライブラリ深層にすら無いことから、データとして漏れていた訳ではないと判断。
ならば【超人計画】はアナログな手法で外部へ、それも直接の関係者──計画を提唱した科学者が主犯であると仮定。
アストライア上層部の指示によってサーバーから抹消されていた科学者の身元を割る為に、本郷博士と共に行動。
博士の記憶を頼りに計画に参入していた職員への訪問と聞き込みを実施。
表向きはマヨイと同じく病欠扱いで行動していた。
リンもそれらに参加しようとしたものの、さすがに教育実習生が揃いも揃ってパフアからいなくなれば怪しまれる、と。
マヨイとエイシャ、両名の頼みでパフア校に残り、授業補佐を務めていた。
──あの二人に比べたら、アタシは普通だからねぇ。
同僚二人の優秀さを脳裏に思い浮かべながら、差異を感じて表情を暗くする。
もっとも彼女自身、アストライアの指示の下とはいえ夜叉の装着者か、その関係者がパフアに居る可能性は高いと睨んでいた。
荒唐無稽でありえない。そう切り捨てる者もいた。
しかしこれまでのプロファイリングがもたらした結果は、信頼に値する。調査する価値はあった。
彼女達が知る由ではないものの、実際に夜叉はアキトでパフア校の初等部高学年に在籍している。ニアミスのすれ違いによって気づけていないだけだ。
加えてネビュラスの怪人化薬による副作用について、リンは目をつけていた。
ネビュラスの行為は苛烈だ。子どもだろうと大人だろうとお構いなく、容易く他者を実験体として扱い、薬を投与し計画を遂行せんとしている。
その過程で知った五感の異常。特に味覚の変質という副作用は老若男女を問わず現れる。
確固たる分析を頼りに、まさか無いとは思うが……パフア校にネビュラスの魔の手が迫っていれば、今回の授業で判別できるかも? と。
そして目下ニューエイジの目的とされている夜叉が、【超人計画】によって生み出された存在であるならば……そんな推測がリンの思考にあった。
故に、今回の調理実習は授業形態を利用した先行調査の目論みも兼ねていたのだ。
「それじゃ、早速それぞれの班で始めよっか。今から作るのはお味噌汁、豚肉と野菜の炒め物の二つ! これは今日の君達のお昼ご飯でもあるから、張り切って作ろう!」
「私とリン先生は見回る為、何か困った事があれば聞くように。いいな?」
『おーっ!』
「おー……」
音頭を取るリン、イリーナの声に生徒達が応える中。
唯一顔色が良くないアキトは元気なく、手を挙げた。
かくして調理実習は始まり、地球人とネイバー、各々の身体的特徴による差を補い合いながら。
時にバカ騒ぎしながら、それを諫めるイリーナの声を響かせて、調理実習は危なげなく順調に進んでいた。
「ねえねえ、アキトめっちゃ手際よくない!?」
「食材切るのはっや。なんでそんなに上手いの?」
「まあ、家で姉さんの手伝いしてると慣れるから……」
アキト達の班もまた、何事もなく準備を終えて。
協力して調理していき、そして味付けの段階に入った。
「よーしっ。じゃあ僕たちは先に出来るとこの片付けをやっておくから、アキトは最後までよろしく!」
「美味しいの頼んだよ!」
「えっ」
「……?」
期待を込めた班員の言葉にアキトは呆け、その様子をリンは見ていた。
その最中にもアキトの眼下では沸々と煮立ち、音を鳴らして焼かれる食材たちがある。彼はそれをゆっくりと見下ろし、傍に置いてあった調味料に手を伸ばす。
リフェンスから忠告は受けたものの、彼だって十二歳の少年。
少しは意地を張って、日頃の成果を見せつけたいお年頃なのだ。
「や、やるかぁ」
味噌や塩コショウ、風味付けにチューブ容器に入ったショウガ、と。
それらを握り締め、鍋とフライパンに軽量スプーンなどで計り、投入していく。そこまではなんてことの無い風景であった。
──しかし。
「……何も味がしないな」
「え……?」
味見をして呟いたアキトに、リンは困惑する。
彼女は間違いなく目撃していた。レシピ通りに調味料を入れて、香ってくる匂いは確かに食欲をそそる代物へと変化している。
だが、アキトは味がしないと言った。
何度も首を傾げて。
悩みに悩んで。
「もう少し足してみるか。レッツチャレンジ」
「バカたれがよぉ!」
ついには調味料を追加しようとした彼を、背後から伸びた手が止める。
リフェンスだ。別の班にいたはずの彼は焦った様子で計量器を取り上げ、アキトを火元から離す。
そして味見をおこない、特に問題が無いと判断。
「お前なぁ……挑戦するのはまだいいとして、分からねぇなら班員に味見させろって言っただろうが! 腹ぁ空かせた奴に劇物を食わすなんざ俺が許さんからな!」
「はい、すみませんでした……」
自身の班で作っていた分を終えて、アキトの応援にやってきたのだろう。
リフェンスは文句を言いながら、コンロの火を止めて茶碗や皿に盛りつけるように指示を出した。
突然の登場に呆然とするが、とりあえず完成したならいいか、と。
軽く考えた班員たちによって、味噌汁と豚肉野菜炒めが調理台に並ぶ。
学生特有の緩い空気のおかげで、そこまで問題になっている訳ではない。
だが、リンは違った。明らかな異常を目の当たりにして、彼女の心境は穏やかでなかったのだ。
──天宮司君は味覚がおかしいの?
そんな情報は、イリーナから聞いたことがない。
ちらり、と別の班を観察しているイリーナを見るに、リンは彼女すら把握していない状態だと察する。
リフェンスの様子から彼は事前に知っていたようだが……と。ぐるぐる回る思考の中で、不穏が湧きだしてきた。
「……思い違いなら、それでいい。でも」
もし、天宮司アキトがネビュラスの関係者であるなら、調べなくては。
リンはコンプレックスこそあれど心根は間違いなくアストライア、ニューエイジという人類守護の立場にある。
自分よりも年若い子を疑う、なんとも言いがたい気持ちを抑えつけて。
悟られないように、少し早めの昼食を頂くのだった。




