57:系譜の理由
「サイオンの力を放棄することは、私の、いや、おそらく歴代の皇帝の夢のようなものだ。おまえがクラウディアの粛清で絶望し、第零都の真実を見て嫌悪したように、私もサイオンの力を恐れている。それは世界が安定するほど、歴代の皇帝の中で燻りはじめ、抱え続けた感情だろう」
皇帝であるユリウスの複雑な思い。ルカははじめて知った。
打ち明けられたことに、不思議と驚きはない。皇帝の葛藤はするりと心に馴染む。
「だから、見ていればわかる。おまえは外交を重んじる。それは私の目指す方向性でもあるが、帝国が軍事力で一強となることがないように、軍事以外の分野に視野を向けて国力を高めようとしている。第三都ガルバのルクスに肩入れするのもそうだ。第二都の工業でも、ある研究に力を入れていることがわかる」
「――陛下」
「クラウディアがサイオンの力を放棄して一番に問題になるのは兵力ではなく、無尽蔵に供給される動力だ。サイオンを放棄すれば、クラウディアは帝国を支える動力源を失う。帝国内の五割以上を賄うサイオンの動力。それに変わる新しい動力源の確保が不可欠だ」
「陛下が第零都で新たな動力の研究を推進していることは知っています」
クラウディアを遡れば、サイオンの動力が八割以上を賄っていた時代もある。帝国の豊かさはサイオンの技術とは切り離せない。
決別するためには、動力源の自立が必要だった。
「おまえも違う方向性から同じことを考えている」
「――はい」
「だから、私にはわかった」
ユリウスの言葉を疑う余地はない。
クラウディアとサイオンの関係を白紙に戻す。それが示す本当の意味は、途方もなく険しい。
「ルカ。おまえはサイオンの王女を愛しいと言ったね」
「はい」
「新たな天女を得る時期に、サイオンを放棄する野望を持つおまえが、その王女を愛した」
「申し訳ありません」
「謝る必要はない。私はすこし因果のようなものを感じた。大きな意味を持つかもしれないと、そんな期待を抱きたくなる」
因果。自分がスーと出会い、愛したことには意味があった。いつか、そんな風に言える時が訪れれば良い。ルカの胸の底にも堆積して、くすぶり始めた夢。
何も憚ることなく、想いを伝えて寄り添う未来。
自分の隣で、変わることなく朗らかに、スーの笑顔が輝いている光景。
途方もない、甘美な夢だった。
「陛下、ありがとうございます」
ユリウスに見抜かれていることが、今は素直に心地よい。
手元のグラスに口をつけると、苦いだけだったワインが仄かに甘い。
ルカは皇帝の労りに心を委ねて、思い切って問いかける。
「陛下は、なぜ私にルクスの話をされたのでしょうか。何かサイオンに関わることが?」
「ルクスの機動力が、おまえの力になるのではないかと思ったのだ」
「本当にそれだけの意味ですか」
「それだけとは?」
ルカは自分の胸に浮かぶ不穏な予感を打ち明けた。
「王女を幾度となく迎えながら、クラウディアにはサイオンの血が入っておりません。王女を妃に迎えても、私には後継の問題が残るのかと、少し邪推したくなります」
ユリウスが何と答えるべきなのか、言葉を選んでいるのがわかってしまう。
ルカは追い討ちをかけるように、さらに明確に問う。
「サイオンの王女は子を成すことができないのではないですか?」
「それは違う」
ユリウスがはっきりと答えた。
「では、系譜にサイオンの血が混ざっていないのは、ただの偶然なのですか?」
「――偶然、ではない」
皇帝が何かを言い淀んでいるのは珍しい。ルカは再びワインに含まれた仄かな果実の甘さを見失う。口に含んだのは、苦いだけの赤。
「陛下、どうか私に全てお話しください」
「……サイオンの技術の真の恐ろしさは、そういうところにある」
「サイオンの技術?」
「サイオンの王女が子を産むと、新たな天女となる条件を失う可能性がある」
ユリウスの説明は、これ以上はないくらい端的で明快だった。
ルカの脳裏で全てがつながる。
王女の役割を思えば、それは帝国にとって恐れるべき事実だった。
クラウディアがサイオンの全てを放棄することができない限り、王女との子は望めない。
「……よく、わかりました」
ようやく声を絞り出したルカに、ユリウスは無言でワインを振る舞う。
「飲みなさい」
グラスを満たす、深い色。ルカは一息にあおった。
この先、これ以上に苦く感じるワインを飲むことがあるだろうか。
「陛下」
卓の上にグラスを戻し、ルカは告げた。
「一大商家ルクスのご息女との話を、前向きに検討いたします」
「……ルカ」
今はまだ自分の野望を成し遂げられる保証も、夢を叶える自信もない。
この先に何が起きようとも、ルカには帝国の未来を担う責務があるのだ。




