20.雨が降る日には君の傘になる side佑真
雨上がりの構内を歩いていたら、彼女がぽつりと紡いだ言葉に、心臓が射抜かれる。
「なんだか雨が降ると思い出しちゃうんですよね……」
何がと聞き返した俺に彼女は他愛もないことのように「振られた日のことです」と言ったが、そう言って彼女が無理して笑っているのが分かった。
「これからも、雨が降るたびに思い出すのかな……」
とても小さな声で漏らされた言葉に、喉の奥がチクチクと痛んだ。
彼女は何かをこらえるように強く唇を噛みしめる。泣きそうに歪められた表情は、見ているこっちのほうが切なくなる。
彼女のこんな苦しそうな表情は見るのは何度目になるのだろうか。
彼女にこんな悲しい顔をさせるやつが許せなくて、腸が煮えくり返りそうになる。それと同時に、何もできない俺自身にも。
そんな表情をしてほしくなくて、俺は無意識に伸ばした手の甲で彼女の涙をそっとぬぐった。
もう見ているだけなのは耐えられない。何もできない自分ではいたくない。
そう思ったら、彼女の二の腕を引き寄せて、強く抱きしてめいた。
抱きしめた彼女の体は細く、ほんのちょっと力を入れたら折れてしまいそうで。そのくせ、やわらかくて温かくて。守ってあげたいと思った。
彼女が涙を流しているのならふいてあげるし、雨が降る日には彼女の傘になるし、疲れている時は安らげる場所になりたい。
「君がそんなふうに泣くのをもう見たくない――」
やるせない気持ちが言葉になったようなかすれた声に、自分で驚いて、喘ぐように息をつく。
思い出すのはあの日のこと――
居酒屋で酔いつぶれて、一人、声を押し殺して泣いている姿に惹かれた。
「あの日も君はそうやって声を押し殺して一人で泣いていた。その時、俺は何もできなくて、今だって涙をぬぐうことしかできない。涙の原因を取り除いてあげることは出来ない自分が恨めしいよ。こんなに君のことが好きなのに……」
好きで好きでたまらない。
腕の中にすっぽりおさまった優さんを見下ろすと、彼女はもともと大きな瞳をさらに見開いて瞠目していた。
「えっと……、えぇっ……!?」
驚きのあまり裏返った声をあげた優さんに、俺は溢れ出しそうなほどの熱がすぅーっと体の奥に引いていくのがわかった。
戸惑い、おろおろしているの優さんの姿が可愛すぎて、思わずくすっと笑ってしまった。
「えっ……? あっ、今のって冗談とか……?」
半信半疑というような口調で尋ねられて、俺はとびっきりの笑みを浮かべる。
「まさか、冗談でそんなこと言わないよ。俺は優さんが好きだ。付き合ってほしい」
すらっと出てきた軟派なセリフに、内心、驚きながらも甘い笑みを浮かべれば、街灯だけで照らされた薄闇の中でも優さんの頬が一気に赤くなっていくのが分かった。
絶対告られ慣れているだろうと思ったのに、優さんの予想外に純粋な照れた反応に、たまらなく惹かれる。
頬を真っ赤にして俯く優さんの後頭部を見下ろして、この反応なら上手くいくかなと思い、でもやっぱりダメなんだろうなと諦めの気持ちが湧き上がる。
結構、俺的には積極的にアプローチしていたつもりなんだけど、告白を冗談にとられるってことは全然伝わってなかったってことだろう。
まあ、それは想定内っていうか。伝わってなかったなら、もっと直接的なアプローチをするまでだからいいけど。
「カラオケに行った時、酔いつぶれた話してくれたよね? 俺、その時その場にいたんだ」
「えっ!?」
驚いてぱっと顔を上げて、視線が合った瞬間、恥ずかしそうに視線をそらされて、ふっと微笑む。
「ちょうど優さんが酔いつぶれて廊下で倒れた時に居合わせたのが俺」
「そうだったんですか、ぜんぜん気づかなくてすみません。あの時は、倒れた時にコンタクトを落としてしまったみたいでぜんぜん周りが見えてなくて」
「そうだったんだ」
「ほんとすみません、山科先輩だって気づいてませんでした。うわぁー、恥ずかしい」
「いいよ、俺もすぐには優さんだって気づかなかったし。あの日を境にガラッと印象変わったから、優さんが酔いつぶれた話してくれなければ気づかなかったと思う」
「あはは……」
苦笑して、「ダサいですよね」と小声で言った優さんに、俺は甘やかな眼差しを向ける。
「別に、今の格好も悪くないよ。前の格好も似合ってると思うけど、今みたいな格好もふわふわの綿菓子みたいで可愛い」
思っていることを言っただけなのに、またしても彼女を照れさせてしまったらしい。
「優さんの友達の斉藤さんから事情は少し聞いているけど、もしかして元彼が原因でそういう格好をしてるの……?」
尋ねた俺に、優さんはぎゅっと唇を噛みしめて、服の裾を握りしめて俯いた。
聞いてはいけない質問だったのかもしれないが、その沈黙が肯定していた。
「それだけじゃないです……」
ぽそりと小さな声で言われて、俺は続きを促すように優さんを見つめた。
「酔っぱらって倒れた時に唇をぶつけて」
そう言って、優さんは唇の左上を指で触る。
「内出血してかなり腫れちゃってたからマスクして隠して、コンタクトもちょうど買い置きがなくて切れてしまったから普段家で使ってる眼鏡にしてて……」
自分で言ってて、だんだんそれが言い訳っぽいと自分で思ったのかもしれない。
優さんは唇を噛みしめて言葉を飲み込んでしまった。
「そうだったんだ。それで?」
優さんは「えっ?」と首を傾げて俺を仰ぎ見た。
「告白の返事はもらえるのかな?」
「えっ、あっ……」
すっかり忘れていましたっていうような焦った反応に、内心、がくりと肩を落とす。
「あのっ……、山科先輩はとてもかっこいいと思います! 見た目ももちろんですけどそれだけじゃなくて、紳士的というか女子に優しいし会話もスマートだし、歌声は甘い美声だし」
熱のこもったべた褒めに内心照れてしまうが、次の言葉に固まる。
「私なんかより山科先輩にお似合いの人がいますよ。山科先輩の隣に私は分不相応です」
なんだよそれ――
がつんと殴られたような衝撃に、イラっとしてしまう。
「そんなこと関係ないよ。俺が聞いてるのは、君の気持ちなんだけど」
やや強い口調で尋ねた俺に、優さんは唇を閉ざした。
「元彼のことがまだ忘れられない?」
見下ろすと、彼女はまっすぐに俺の瞳を見上げてきっぱりとした口調で答えた。
「もう上代のことはなんとも思ってません。まあ、多少は未練があるかもしれませんけど、それは、上代をまだ好きだからじゃなくて、あんな別れ方をしたから上手く気持ちの整理がついていないっていうか」
「じゃあ、俺のことは?」
優さんの語尾に被るように、間髪入れず質問をぶつけると、優さんの澄んだ漆黒の瞳がわずかに揺れた。
「嫌い?」
優さんは首を勢いよく横に振り、髪の毛が肩の上で跳ねる。
「じゃあ、好き?」
「…………」
こんな聞き方はずるいって分かっているけど、いまの中途半端な状態から脱けだしたくて焦っていた。
優さんはなにか言おうと口を開くけど、言葉は声にならなくて、泣きそうに瞳を震わせた。
俺は内心、大きなため息をつく。
焦ってもどうしようもないか……
「わかった、急がせないからゆっくり考えて。俺のことをそういう対象として見ていないなら、今からそういう対象に見て」
「そんな、ダメです……」
間髪入れずに否定の言葉を口にする彼女にムッとする。
意外と強情なんだな。
「私は山科先輩に相応しくないです。私は私が好きじゃないんです。自分に自信がない……、こんな私を好きになってもらう資格はないんです」
言うと同時に、ぺこっと頭を下げて優さんは走っていってしまった。
言い逃げかよ……
一瞬、遅い時間だから追いかけて駅まで送った方がいいかとも思ったが、大学は駅のすぐ目の前。駅前のビルの電光掲示板や街灯で駅までのも道は昼のように明るく照らされているから大丈夫かとおもいなおす。二~三分の距離だしな。
それに、いま追いかけたら余計に逃げられそうな気がする。
嫌われてはいない自信はあった。好かれている自信も多少はあった。まあ、それは恋愛対処としてではないとわかってたけど。
告白してこんなフラれ方をしたのは初めてかもしれない。
お似合いの人がいるってなんだよ。相応しくないってなんだよ。
彼女の気持ちは聞かせてもらえなくて、もやもやしたものが胸に降り積もる。
こんなんで、諦められるかよ。
すっかり乾いた前髪をかきあげて、俺はここ最近で一番大きなため息をついた。
昨日更新するつもりが遅くなってしまいました。
こちらもしとしと雨が降ってきました~
タイムリーですね(笑)




