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「あそこに見えるのが例の坑道です」
修道女——シスターが指差す方向には、大きな坑道の入り口が見える。
普通に歩けば半刻ほどの距離じゃな。
シスターの名はルシェル。
組合長の紹介で同行してくれた、お目付け役という訳じゃ。
スノーレギンスの4人は年頃の娘なので、男の組合長と宿泊させるわけにはいかんからな。
やがて坑道近くの建物に到着すると、シスターが息を整えた。
「ふぅ……ここが作業員宿舎です。
坑道が封鎖されてから誰も使っていませんので、何日でも自由にご使用ください」
ほう。
これが、今夜シスターとヴィオラ達が泊まる建物じゃな。
なかなか趣があって良いではないか。
ところ狭しと張っておる蜘蛛の巣が、いい味を出しておる。
「そろそろ日が落ちるし、食事の準備じゃな」
昼飯の半分以上を子供達に与えたので、腹が減っておる。
まずは飯じゃ。
「それと寝床の掃除ね。一年も使われなかった割には綺麗だけど……」
「じゃあ手分けするし」
「わ、わたしは掃除をしてきます」
「それじゃわたくしは食事の準備をいたしますわ。――レイヴァリアさん、わたくし達の荷物を出してくださいます?」
「そうか。頑張るのじゃぞ?」
「あんた達も手伝いなさいよ」
「嫌じゃが?——ほれ、ささっと動かんと日が落ちてしまうぞ?」
「くっ……」
テコでも動かないワシとアビーに、根負けしたヴィオラがぶつくさ言いながら建物に入っていった。
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なかなか広い食堂で、ワシ等は遅めの夕食となった。
「……具材の大きさがバラバラで火の通りも甘い。
なんじゃ、この芋は?芯が残っておるではないか。
それに塩を入れすぎじゃ。しょっぱ過ぎて敵わんわ。
出汁を取っておらんから味に深みがないし、面白みもない。
まったく、年頃の娘がこんなことでどうする?
――なぁ、アビー、そうは思わんか? ブツブツ」
「にゃにゃにゃん!」
「あんたらなにもしてないくせに、ブツブツうるさいわね。いいから黙って食べなさいよ」
「超ディスッてる割にめっちゃ食うじゃん。マジウケる」
「わ、わたしは美味しいと思うよ?そ、そんなに落ち込まないでリリエットちゃん」
「……別に落ち込んでませんわ。わたくしだって、ちゃんとした調味料があればそれなりの料理ができますのよ」
ワシとアビーはブツブツ文句を言い続けながら、娘たちの微妙な手料理を腹一杯平らげると、立ちあがった。
「味はいまいちどころか、最悪に近いものじゃったが、馳走になった。
明日の朝飯はこの失敗をバネに頑張るのじゃぞ?――ではの」
「は?——ちょっと待ちなさいよ」
ワシが立ち去ろうとすると、服を掴まれた。
「なんじゃ?今日はこれ以上やることがないぞ?」
「いや、どこ行くのよ?あんたの寝床も用意してあるんだけど?」
「む?それは申し訳ないことをした。じゃがワシは朝まで別行動じゃ」
「は?こんな山奥の、どこに泊まるってんのよ?」
「秘密じゃ。まだ夜は冷えるでな。風邪をひくでないぞ?」
「ちょっと!」
ワシはそのまま宿舎を出た。
馬サイズになったアビーに乗ると、ワシは風と共に立ち去った。
後ろからヴィオラ達の声が聞こえておるが、まぁ無視でよかろう。
走ること数キロメル。
「……そろそろ大丈夫そうじゃな」
「にゃ」
ワシはアビーから降りると《無限収納》から、とっておきの品を取り出した。
なにもなかった地面に突如として猫耳のついた白い扉が現れる。
真ん中には大きな黒猫の絵。
女神殿からの贈り物の一つ――『ニャンニャン亜空間ハウス』じゃ。
いかがわしい名前の、この品を見つけたのは、2週間ほど前じゃった。
『無限収納』には、女神殿から数えきれないほどの品が収納されてあって、今でも全ては把握できておらん。
合間を見て一つ一つ確認をしておるのじゃが、そんな時に見つけたのが、この『ニャンニャン亜空間ハウス』じゃった。
ドアノブを引き、扉を開ける。
そこには10メル幅の居住空間が広がっておった。
シンプルかつ機能的な長椅子。過不足なく装飾が施されたテーブル。控え目なのに高級感溢れる調度品の数々。
さすが女神殿じゃ。
昼に見た村長の成金趣味丸出しで吐き気を催す部屋とはまったく違う。
センス抜群じゃ。
それに――
ワシは奥へ進むと、行き止まりにある扉を開けた。
ムワッと、香の混じった湯気が全身を包み込む。
一瞬で服を脱ぎ、さらに奥にある扉を開く。
そこにはワシが10人は余裕で入れる湯船があった。
常に適温のお湯が張ってある魔法の風呂じゃ。
つまりワシは、いつでもどこでも好きなだけ風呂に入れるのじゃ。
初めてこれを発見した時の感動は、言葉では言い表せまい。
ザパーン。
湯船に浸かり、ホッと息を吐く。
まさに天国。
いや、実際に天国を訪れた身からすれば、天国以上じゃ。
「ニャハァァァン」
特性タライ風呂に浸かり、アビーが蕩けておる。
惜しむらくは、『ニャンニャンハウス』のことを女将様やトワ殿に言えないことじゃ。
流石にこの奇跡の所業を教えるわけにはいかん。
ワシが半神で、女神殿の使徒であることは、宿屋の人たちには知られたくなかった。
『身寄りのない子供を世話してくれる心優しい人たち』に甘える普通の子供でいることが、とてつもなく心地よいのじゃ。
もちろんワシの受けた恩は、それ以上に返そうと思っておる。
じゃが、今は普通の子供として甘えたいのじゃ。
風呂から上がったワシは、無限収納から『トワ殿のお下がり寝巻き』を取り出し、袖を通した。
「さて、少し早いが眠るとするか」
ワシは二階にある寝室の一つに入ると、すぐにベッドへ潜り込んだ。
とりあえず、五刻ほど眠るとしよう。
真夜中には、やらねばならんことがあるからの。




