18 普通の風呂
18話
カポーン。
湯気の中、気持ちの良い音が響く。
「レイヴァリア、初めての風呂はどうだい?」
女将様がワシの隣に入ってきた。
「あーっ、最高じゃ。しかし、まさか体を清めるためだけに、これだけ湯を沸かすとはのう」
女将さんのど迫力ボディーを見ながら、ワシは全身で湯を堪能した。
ピリピリと肌を刺す心地よい刺激がたまらんのじゃ。
先程までワンワン泣いていたのは死ぬほど恥ずかしいが、過ぎたことを悔いても仕方あるまい。
「あはは、言われてみれば確かにそうだわ。でも、贅沢ってわかってても、やめられないわよね」
ワシは声の主をチラリと見る。
「な、なによ、レイヴァリアちゃん、あたしの体をジッと見て……」
「——いや別に、じゃな」
フイッと目をそらす。
トワ殿は母親とは違い、健康的かつ控えめなボディーじゃった。
「それにしても、まさか——」
ワシは首を後ろに向け、浴槽の近くの見る。
「にゃんにゃんにゃん♪」
タライ製の即席小型風呂を、アビーが堪能しておる。
ちなみにここは女湯で、男は入れぬのじゃ。
つまり——
「まさかアビーがメスじゃったとはのう」
「にゃ? マスター、メスって言い方は差別的っす。レディーって言って欲しいっす」
にゃんにゃんと、不満の鳴き声を上げる。
アビーも風呂が気に入ったようじゃな。
女将様が言うには、風呂は週に一度の贅沢らしいが、アビーのタライ風呂ならば毎日でもよかろう。
毎日風呂か。
羨ましい限りじゃな。
ワシは再び前を向き、熱い湯を堪能——
「にゃーっ!」
なんじゃ?
突然の叫びに、ワシは反射的に振り返った。
「猫ちゃん!」
ワシより少し小さい女児が、バタバタと暴れるアビーを抱きかかえておった。
「こ、こら、なにしてるの! 猫さんを放しなさい!」
「やーっ!」「にゃーっ!」
これが焼き菓子屋の女店長クマノ殿と、娘のモモ殿との出会いじゃった。
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「クマノさん、紹介するね。この子は家の宿の居候っていうか、住み込み店員っていうか、客っていうか微妙立場のレイヴァリアちゃんと、ペットのアビーちゃんよ」
「にゃ!?(ペット!?)」
トワ殿の紹介に、アビーが不満の声を上げた。
「これ、アビー。黙っておれ。——はじめまして、クマノ殿、ワシはレイヴァリアと申す。故あって『猫の尻尾亭』で世話になっておる」
「は、はぁ、ご丁寧にどうも……」
クマノ殿の顔はこわばっておった。
そこですかさず女将様のフォローが入る。
「あー大丈夫だよ、クマノさん。この子はお貴族様じゃないから、安心おし」
女将様の言葉に、クマノ殿は目を細めた。
「だ、だって、この見た目で、あの喋り方は……」
「あはは、初めてだとそう思うわよね。でもレイヴァリアちゃんが貴族じゃないのは間違いないわよ。なんてたって、ご飯を手づかみで食べ——痛い!」
トワ殿が女将様にゲンコツを食らった。
「そうじゃぞ、クマノ殿。確かにワシは最高に高貴で最強にかわゆいが、ただの普通の旅人じゃ。じゃからもっと普通に接してほしいのじゃ」
そこまでいうと、クマノ殿は、ふぅっと小さく息を吐き、肩の力を抜いた。
「ふぅ、ごめんなさいね。お貴族様にはいい思い出がなくて……」
「そうなんだよね。ウチみたいな普通の宿屋と違って、クマノさんの店は、お貴族様もご贔屓にする有名焼き菓子店だもんね」
「む?焼き菓子とはなんじゃ?」
「ふふーん♫ よくぞ聞いてくれました! 焼き菓子っていうのは甘くて柔らかくて、ひとくち食べただけで、女神アウレリア様のもとに召されるような気持ちになれる素敵な食べ物なのよ! あぁ、『ハチミツたっぷりハニースコーン』……表面はカリッとしていて、中はしっとり甘いあの味を思い出したら、食べたくなっちゃったわ!」
なに?
甘い食べ物じゃと?
普段から美味しいものを食べているトワ殿を、こんなにも狂わすとは。
『ハチミツたっぷりハニースコーン』か。
表面はカリッとしていて、中はしっとり甘いらしいのう。
カカカ。
いつか食べに行く故、待っておるがよい。
「ただしちょっとお高いから、めったに食べられないんだよね」
トワ殿の言葉に嫌味な響きはない。
じゃが、クマノ殿は申し訳無さそうな顔になった。
「……ごめんなさい。本当は値段を下げたいんだけど、そうするとお貴族様が買い占めちゃって」
「かといって、お貴族様にだけ高い値段をつけるわけにはいかないからねぇ」
そうか。
高いのか。
文無しのワシが食べる日は来るのじゃろうか?
「そうだ、クマノさん。前に人手が足りないって言ってなかった?」
トワ殿の言葉に、クマノ殿が戸惑いの表情を浮かべる。
「たしかに言ったけど……」
「レイヴァリアちゃんを雇ってみない?——レイヴァリアちゃんもどう?」
なんじゃと?
たしかにワシは無職一文無しの居候じゃが、勝手に話を——
「働いたらお菓子をもらえるかもよ?」
「ぜひ働かせてもらおう」
ワシの判断は早かった。
この地に降りて一日目——なんとワシの就職が決まったのじゃった。
カカカ。
順調すぎて怖いほどじゃ。




