14:勝利の女神の祝福
刺すように凍てついた空気を纏い、ハリアンさんがじっとこちらを見据えてくる。
今までの試合で戦ってきた男達のような露骨な敵意ではなく、音もなく静かに広がり、気付けば体中を絡め取るような敵意。ゆっくりと時間を掛けて広がり、そして逃げ場一つなく押し潰されていくような感覚だ。
これほどの敵意を内に秘め、それでも気取られることなく今の今までやり過ごしていたというのだから見事だ。
きな臭い企みも無く、隠蔽を目当てにした殺意も無い。ただ純粋に腕試しとして命を懸けた試合を好む、強さを求めた男が至る領域というものか。重ね重ね見事だ。
そんなハリアンさんの敵意に、俺は一歩も動かず対峙し続けていた。
動けばその瞬間に何か仕掛けてくるだろう。それも、殴り掛かるだの切り掛かるだのといった単純なものではないはずだ。
「どうした、仕掛けてこないのか? じっとしてるなんてお前らしくない」
「俺だってたまには大人しくしますよ。よく同僚から『お前は一言も喋らず大人しくしていれば良い男だ』と言われていましたからね」
挑発に対して冗談で返せば、さすがにこれには乗ってこないと予想していたかハリアンさんが小さく笑った。
冷ややかで鋭い敵意を纏いつつ、それでいて彼はとても楽しそうだ。
根っから戦うことが好きなのだろう。普通であれば腹立たしく思われそうな俺の態度も、彼からしてみれば『強者の余裕』であり『それほど強い相手と戦う』と喜びに変わるのだ。
「難儀な生き方ですねぇ。そんなに戦うのがお好きなら、ギルドで高難易度の依頼を受ければ良いじゃないですか。凶暴な動物や賊と戦って、そのうえお金を貰えるんですよ」
「誰かに指示されて戦うなんて面白くねぇ。俺は好きな時にたいした理由もなく強い奴と戦いたいんだ」
「俺が言うのもあれですが、分かりやすくひねくれてますね」
「自覚はしてる。だがこういう性分だからな。せいぜい楽しませてくれよ」
ニヤリとハリアンさんが口角を上げる。
その笑みはまるで開戦を知らせるかのようで、俺はゾワリと背筋に冷たいものが伝うのを感じた瞬間、腰に携えていたペンライトを引き抜いた。瞬時に灯らせ、横一線に振り抜く。
甲高い音が周囲に響き、ペンライトの跡を追うように現れた氷塊がハリアンさんへと向かっていく。即死とまではいかずとも、少なくとも当たれば動きに制限は掛けられるだろう。
だがハリアンさんは落ち着いた素振りで氷塊を一つまた一つと避けてしまった。そのうえ、腰から下げていた短刀で一つを打ち砕く。
ならばと次いで赤く点らせて炎の渦をハリアンさんへとぶつける。これまた即死とはいわずとも、掠っただけで火傷をするだろう。
その渦を追うようにして一気に距離を詰め、ハリアンさんが炎の渦を避けた瞬間を狙ってオレンジ色に灯したペンライトで殴りつけ……。
ガキンッと響いた音と共に、俺の手に痺れが伝わった。
ペンライトの一撃を、ハリアンさんが短刀の柄で叩き落としたのだ。
追撃をよけられないと即座に判断し、正面から受け止めるよりも柄で叩き落とす術を選ぶ。咄嗟の判断力とそれをこなす実力は、さすが過去に優勝しただけある。
もっとも、俺の一撃は全力かつオレンジ色に灯したうえでのものだ。直接的な接触を避けて短刀の柄で叩き落としたとはいえ、彼の腕にも相当な衝撃が走っただろう。
ばっと飛び退いて距離を開けると、まるで俺を責めるようにこれ見よがしに片手を降り出した。
「いってぇ……。叩き落としただけでこの痛みって、前々から思ってたんだが、その変な色の変わる棒はなんだ?」
「これですか? これはペンライトです。本来なら光らせて他人を応援するんですが、俺のは特別仕様なんです」
「特別仕様?」
「えぇ、これは……。俺の下半身に貯まりドロドロに煮詰まったお嬢様への欲望を力に還元する特別仕様です。ち○こ能力と言います」
「気持ち悪さしかないな」
ハリアンさんがひきつった表情で俺を見てくる。随分と冷ややかな視線だ。
もっとも、気持ち悪さを感じるのも当然だろう。久々に他人に説明したが、俺だってだいぶいかれた能力だと思っている。
だが便利なことに違いはない。チラとお嬢様を見れば真剣な表情で俺を見つめており、そんなお嬢様を見れば一瞬にして愛と欲望が高まるのだ。
つまりお嬢様がいる限り、俺は無限に力を使える。俺の底なしの欲望万歳。
ちなみにお嬢様は、さすがに決勝だからか、もしくは大役を任されているからか、いまは応援グッズを横に置いてじっと俺の戦いを見守ってくれている。
合図はまだ出しそうにない。
「あぁ、キリリとした表情のお嬢様はなんて麗しい!輝いて見える!! ……ふぅ。さてそろそろ再開しましょうか」
「分かりやすく高ぶって補充すんじゃねぇ。それに、再開と言われてももう決着はついたも同然だがな」
「どういうことで……っ!」
どういう事かと尋ねかけ、途中で言葉を飲み込んだ。
体が動かない。一瞬にして固められたかのようで、辛うじて指先や首を少し動かせるがそれも微々たるものだ。
だが俺を固めるものは影も形も見えず、試しにと腕に力を入れてもビクともしない。きっと傍目には俺がじっとしているだけのように映るだろう。
「何か使った、と考えるべきでしょうか。ですが怪しい素振りなんて一つもしていなかったはず……」
「特殊な戦法を使えるのはお前だけじゃないってことだ」
ハリアンさんが余裕の表情で告げ、片手を軽く上げた。
何もないはずの空間。そこに一瞬にして光が灯った。
光の玉がふわりと揺れて、彼の体の周りをひゅんと駆けるように回ると、その手にゆっくりと止まる。
たとえるならば鷹匠に近いだろう。だが彼の手に留まっているのは雄々しい鷹ではなく、光の玉……。
「でかい蛍……いえ、精霊ですか」
「あぁ、縁があって一緒に行動してる。お前を拘束したのも精霊の力の一種だ。無理に解こうとしても体を痛めるだけだからやめておけ」
抵抗は無駄だと言われて、かといって「はいそうですか」とはいかない。
だが相手が精霊ならばと辛うじて動かせる指でペンライトの光を赤に切り替えるも、拘束が解かれる気配も無ければ、ハリアンさんの手元で光る精霊が動揺する様子もない。
どうやら精霊がみんなコラットさんのように炎を怖がるわけではないらしい。当てが外れたと、思わず小さく舌打ちをする。
「戦うのが好きだとあれだけ言っていたわりに、精霊に助力してもらうんですか。正々堂々と自分の力だけで勝負しようとか思わないんですか?」
「そう煽るな。これも含めて俺の戦法だ。それに、今回は何もかもきな臭いからな、早めに勝負をつけて終わりにしたい」
なにかしら不穏な空気を感じ取っているのか、怪訝な表情でハリアンさんが話す。
その表情はどこか不満げで、果てには「本当ならもっと楽しめたのに」と文句を言ってきた。
次いで俺へと歩み寄ってくるのは、終わらせると決めた以上はさっさと片を付ける気なのだろう。その手にはいまだ短刀が握られている。
鋭利な刃だ。
だが恐れを抱くべきは短刀にではない。
それを持つハリアンさんだ。
「大人しくしてろよ。まぁ動きたくても動けねぇだろうけど」
そう冗談めかしながら一歩また一歩とこちらに近付いてくる。
飄々とした態度。きっと俺が冗談を言えば苦笑し呆れるかするだろう。もしかしたら冗談にのってくるかもしれない。そこには殺意はなく、ただ楽しんでいると分かる。
そして楽しんでいると分かると同時に、彼に一切の隙がないのも分かる。
笑っていても俺の発言に呆れていても、その態度や口調こそ軽いが一瞬たりとて隙を見せないのだ。
俺を倒す。そこに過剰な殺意も無ければ裏も無い。ただ彼の何よりの娯楽というだけだ。
対して俺はといえば、いまだ腕すら動かせずにいる。
どうやら足もがっちりと固定されてしまったようで、足を上げることはおろかずらすことすら出来ない。靴を脱げばと思ったが、靴の中までガッチリ固められている。
これは困った……と小さく呟いた瞬間、
「勝利の女神の祝福を受け取って!」
と、高らかなお嬢様の声が聞こえてきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話は、そまりが自身を拘束された事に気付いた時に遡る。
「そまりが何だかおかしいわ……」
そう弱々しく呟いた詩音に、隣に座っていた杏里が「詩音ちゃん?」と彼女の顔を覗き込んだ。
いつも溌剌とした愛らしさを見せる詩音が、今は眉尻を下げて泣きそうな表情をしている。
「おかしい? でも、さっきの試合でもそまりさんはフラフラしてたよ」
違いが分からない、と杏里が詩音とそまりを交互に見た。
一つ前の試合ではそまりは毒を盛られていたらしく、次第に足取りが覚束なくなっていた。そのうえ視界も侵されたのか手当たり次第に殴り始めたのだ。
異変、それこそじっと動かない今よりも明らかな異変だ。
だがそれを見る詩音は相変わらずで、そまりに対してうちわを振っていた。大丈夫かと尋ねても「そまりなら大丈夫よ」と言い切ってしまう。
だというのに、今だけはそわそわと落ち着きがない。
「詩音ちゃん、どうしたの?」
「そまりが本当に大変な時、胸の内がきゅうってするのよ……」
不安そうな詩音の話に、杏里が以前に彼女から聞いた話を思い出した。
そまりは昔から異国に放り出されているようで、そこで危機に陥ったり負傷すると日本にいる詩音も同箇所に違和感を覚えるという。
双子が離れていても通じ合うようなものなのだろう。その話を聞き、二人の絆はそれほどなのかといたく感心したのだ。――それと同時に、やれワニに襲われたりやれ炎の上を走ったりというそまりの奇想天外な人生に驚きもしたが――
その違和感を今覚えているのだろう。
「そういえば、さっきからそまりさん動かないね」
「なんだかおかしいわ……。ベイガルさん、合図はまだなんですか?」
戦うそまりをじっと見つめながら、早くと詩音が急かす。
それに対して、真剣な面持ちで対峙するそまりとハリアンを見ていたベイガルが「もう少し待ってくれ」と告げた。
まだその時ではないのだ。詩音から焦燥感が伝わり、杏里が焦れるような気持ちでベイガルに視線をやる。
だが次の瞬間、ひゅんっと軽い音が響き渡った。
それと同時にベイガルが夜空を仰ぐ。つられて杏里も頭上を見上げれば、薄暗い闇夜の中、小さな光が跳ねるように空へと飛び上がるのが見えた。
「あれは……」
「よし! お嬢さん、合図を!」
ベイガルが支持を出す。
それを聞き、詩音が「はい!」と威勢よく返すと、「勝利の女神の祝福を受け取って!」と今日一番大きな声をあげた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
腕も足も動かない状態でも、辛うじて首をよそに向けることは出来る。
勝利の女神と名乗りをあげたお嬢様を見れば、彼女はその白く細い手で唇を押さえ……。
ぱっ、と手を放した。
いな、ちゅっ、と投げキッスを放った。というべきだ。
そう、投げキッスだ。
お嬢様の愛らしい唇から、決戦のステージに向けて投げキッスが放たれたのだ!
なんて愛おしく気高いのだろう。まさにお嬢様は勝利の女神だ。彼女からの愛を受けて戦士は傷を癒す。美しい詩で綴られる女神と戦士の物語のようではないか。お嬢様が輝いて見える。
と、そこまで考え、ふと胸に湧いた違和感に俺の眉間に皺が寄った。
お嬢様は先程、俺の名前を呼んだか?
いや、呼んでいない。高らかに勝利の女神と名乗っただけだ。
そしてこちらに向けて祝福という名の投げキッスを贈った。
俺と、ハリアンさんが立つステージに向けて……。
……それはつまり。
ゆっくりとギチギチと音がしそうな動きでハリアンさんへと向き直れば、彼は怪訝な表情でお嬢様を見ているではないか。
「あの嬢ちゃんは何やってんだ?」
「お嬢様の……を……のは、俺一人……」
「おい、どうせ何か企んでるんだろうが、いったいさっきのは何だ?」
「お嬢様からの祝福を受け取るのは俺一人!!」
俺以外の者がお嬢様からの投げキッスを受け取るなど言語道断。
お嬢様が勝利の女神だというのなら、彼女の祝福を受け取る戦士は俺以外存在してはならない!
一瞬にして嫉妬と怒りが沸き上がり、カッと体の内が燃え上がる。
それと同時に大きく腕を振れば、先程までの拘束が音を経てて崩れるかのように消え去った。腕も足も動く。
「げっ! 精霊の拘束を解きやがった!」
信じられないと言いたげにハリアンさんが声を上げる。
彼の手元で輝いていた精霊がふっと消え、次いで風を切るような高い音が聞こえてきた。己の拘束が破られたのを見て、再び俺を捕獲せんと姿を消して襲ってきたのだ。
それを、俺は右手で鷲掴みにした。
俺の手の中で捕まった精霊が蠢く。
徐々に拳を握れば、悲鳴と共に逃げ場を探すように暴れだした。もちろんがっちりと握り込んで逃がさない。
ついにはこれ以上握られれば潰されると考えたのか、俺の右手が一瞬にして固められた。手首から先が、指先一つすらも動かない。
よっぽど鷲掴みにされて握りしめられたのが怖かったのだろう、随分と強固に固めてくれた。
「ばか、なにやってんだ逃げろ!」
ハリアンさんが声を上げ、次の瞬間に短刀を構えた。
だが遅い。俺が精霊の拘束を解いたこと、そのうえ精霊を鷲掴みにしたこと、それらに対する驚愕が彼の判断を鈍らせた。
ほんの僅かな隙。
だがその隙は、距離を詰め、そして精霊の拘束で固められた拳を腹に叩き込んでやるには充分だった。




