08:不幸を呼ぶ感謝と訪問者
俺の感謝の言葉を切っ掛けに、ギルド内が騒然とする。
恐怖におののく者もいれば、警戒をしだす者、中には俺が偽物ではないかと疑う者さえおり、長閑な田舎村のギルドとは思えない空気が漂っている。
「なんですか失礼ですね。俺だって数年に一度ぐらいは純粋な気持ちで他人に感謝ぐらいしますよ」
これは侮辱だと訴えれば、ベイガルさんがひきつった表情ながらに謝罪をしてきた。さすがにこの反応は失礼だと思ったのだろう。
もっとも、謝罪をしつつも言い分はあるようで「だってなぁ」という声には怪訝な色がこれでもかと残っている。この声がすでに失礼だ。
「お前が俺に感謝するなんて、不幸の前触れとしか思えないだろ」
「なにが不幸の前触れですか、人聞きの悪い。俺が感謝したって誰も不幸になんて…………。ところで、さっきの話なんですけど」
「お前が感謝を示すと相手が不幸になるんだな」
やっぱり前触れじゃないかと問いつめてくるベイガルさんに、俺はよそを向いて誤魔化すことにした。
動揺するオシー達を宥めるお嬢様はなんて愛らしく優しいのだろうか。オシーの膨らんだ尻尾を撫でてやり、ついでに動揺する西部さんも宥めている。
ちなみに俺がお嬢様を見つめている最中もベイガルさんが言及してくる。どうやら俺に感謝されたことがよっぽど気がかりで、自分にどんな不幸が降りかかるか案じているのだろう。
「大丈夫ですよ。俺が感謝を示した翌日に株で大損したり、婚約者が寝取られたり、骨折するぐらいですから。今まで誰も死んでません」
「死ななきゃ良しみたいな感覚で言ってくれるな。というか、そもそもなんで俺に感謝なんかしたんだ。さっきから鳥肌がたって仕方ない」
「本当に失礼ですね。というか、感謝をしたのはベイガルさんにというより、ベイガルさんの言動が比較対象になって……」
言い掛け、ふと言葉を止めてギルドの入り口へと視線をやった。
妙なざわつきが聞こえてきたからだ。長閑な村らしからぬ、歓声とさえ言える沸き立つような声。それと規律の取れた少数の足音も聞こえてくる。
その音がギルドの前で止まれば、さすがに異変を感じ取ったのかベイガルさんもギルドの扉へと視線を向ける。ギルド内に居合わせた者達も同様に、いったい誰が来るのかと雑談を止めた。
だが待てども扉の向こうにいる者達は入ってこない。
普通の冒険者ならばすぐさま扉を開けて入ってくるはずだ。
音を立てず入ってくる者もいれば、雑な動作で扉を豪快に開けてくる者、集団でぞろぞろと入ってくる者もいる。ーーちなみにお嬢様はゆっくりと扉を開けて華麗にお辞儀をするのだが、その姿はまさにパーフェクトレディ。たまにコラットさんに襲われながら駆け込んでくるのもやんちゃで良いーー
だがいまギルドの外にいる者達は待てども入ってくる気配はなく、それが妙な違和感をこちらに与えていた。
「誰だ?」
「俺に聞かれても、扉の向こうの人物なんて言い当てられませんよ。でも敵意は無さそうですね」
「……なんだか鳥肌に寒気まで加わってきたんだが。あ、なんか腹が痛い」
おかしい……とベイガルさんが腹部を押さえる。
というか、押さえているのは腹部というより胃のあたりではなかろうか。見れば怪訝な表情をしており、冷や汗を掻いてもおかしくない。
あまりの変わりようにどうしたのかと問おうとするも、それとほぼ同時にギルドの扉が開いた。どうやら扉の向こうにいた集団がようやく入ってくる気になったようだ。
問おうとしていた俺も言葉を止めてそちらを観る。自然とギルド内が静まり、居合わせた者達の視線が一点に集中する。
入ってきたのは、赤褐色の髪の青年と、彼の背後に控える数人の男。
青年は一目で上質と分かる正装を纏い、対して背後の男達はみな揃えた制服を纏って腰から件を下げている。
その姿はまるで王子と護衛。……というより。
「あれは……」
「まぁ、シアム王子! どうなさったんですか!」
シンと静まるギルド内に、お嬢様の声が響く。
次いでパタパタと駆け寄ると、スカートの裾を摘んで挨拶をした。なんという気品溢れる態度だろうか。
そんなお嬢様のおかげでギルド内に居た者達も我に返ったようだが、静まりかえっていたギルド内に今度はざわつきが満ちる。
そりゃ一国の王子が弱小ギルドに訪問となれば混乱もするというもの。冒険者達はいったい何事かと顔を見合わせ、受付嬢達はどう対応すべきかと動揺する。
そしてギルド長はと言えば……、
「そまりに感謝されたせいで!!」
と、悲鳴のような声をあげ、胃のあたりを押さえて執務室へと逃げていった。
あの素早さ、書類仕事専門にするには惜しい早さである。
「逃げたな……」
「ドラゴンハンターそまり、久しぶりだな。ところでギルド長はどこに?」
「その名前恥ずかしいのでやめてください。ギルド長はさきほど執務室に逃げ込みました」
あっちです、と執務室の方を指さす。
それに対してシアム王子が参ったと言いたげに深く息を吐いた。護衛はギルドの外に控えさせ、受付嬢達に一声かけて執務室へと向かっていく。
俺も興味があってついて行けば、お嬢様もちょこちょこと後を追い、西部さんが「王子様? 王子様なの?」とお嬢様の腕を引っ張りながらもそれに続く。
周囲もさすがに追いかけはしないが興味はあるようで、シンと静まりかえって耳を澄ましている。
「ベイガル、申し訳ないが出てきてくれないだろうか」
シアム王子が扉をノックし、籠城するベイガルさんに声を掛ける。
だが返ってきたのは「お断りします」という唸るような声だ。随分と低く、扉越しでさえ鋭い棘を感じかねない。
「ベイガルさん、仮にも王子相手に失礼はいけませんよ。出てきて話ぐらい良いじゃないですか」
「そまりの言うとおりです。私おいしい紅茶をお淹れしますから、お茶を飲みつつ王子のお話を聞きましょう」
「そ、そうです。王子様をお待たせしちゃダメですよ」
俺の説得に、お嬢様と西部さんが続く。
だがベイガルさんは頑なに「お断りだ」という返事かしない。この拒否ぶりは相当なものだ。
どうしたものかと俺達が顔を見合わせているとーーちなみに俺の「扉を壊しましょう」という提案はお嬢様によって止められたーーシアム王子が仕方ないと溜息を吐いた。
「きっと父上を連れてこなかったから拗ねているんだな」
「この状況下でよくその判断を下せますね」
「仕方ない。後日父上をお連れしてまた来よう。ベイガル、次は父上と一緒に来るからその時はちゃんと出てきて話をしてくれ」
扉の向こうへと優しく声を掛け、王子が扉に背を向ける。
だが彼が歩き出す直前、ガチャリと音がして扉がゆっくりと開いた。僅かな隙間から、随分と険しい表情のベイガルさんが顔を顔を覗かせている。
普段の彼らしからぬ、それどころか別人かと思えそうなほどに嫌悪を露骨にし、地を這うような低い声で「用件は」と尋ねてきた。
どうやら話を聞く気になったようだ。というより、今ここで折れないと悪化すると腹をくくったと言うべきか。
「どうぞ用件を仰ってください、王子」
「聞いてくれるのか、ベイガル!」
「シアム王子、用件を」
「そんな畏まった口調はやめてくれ。ほら、昔のように呼んでくれ」
「用件を、早く、手短に、仰ってください。王子」
頑なに態度を崩さぬベイガルさんに、それでも王子は「昔のように」と譲らない。それどころか睨まれているというのに、顔が見れたと嬉しそうだ。
両者の温度差といったらない。片や早く帰れオーラを出し、片や再会を喜ぶ陽気なオーラ。
そんな温度差に痺れを切らしたのか、ベイガルさんの声に次第に苛立ちが混じり始めた。「用件を仰ってください!」という怒声にはこれでもかと棘を感じられる。
だがそれを聞いても王子の態度は変わらず、それどころか「昔のように呼んでくれたら話す」とまで言い出すではないか。この王子、爽やかな見目に反して相当神経が図太そうだ。
「だから、そんなことより用件を」
「昔のように呼んでくれないなら、今日は話さずに帰る。また後日、父上をお連れしてくるよ」
これが最終通告とでも言いたげに王子が告げる。
その言葉に押さえていたものが限界を迎えたのか、ベイガルさんが勢いよく扉を開け……、
「呼ぶからさっさと話してすぐに帰ってくれ! シアムにいさん!!」
と、ギルド中に響く声で怒鳴りつけた。
……シアムにいさん、と。
その瞬間のギルド内の凍てついた静けさといったらない。
お嬢様が目を白黒とさせている。きょとんとするお嬢様の可愛らしさといったらない。鳩が豆鉄砲を食ったようなとはまさにこのこと、むしろお嬢様ならば孔雀が豆鉄砲を食ったようなとでも言うべきか。
その隣では西部さんが唖然としていたが、何かに気づいたのかはっと息を呑んだ後、
「……乳酸!?」
と呟いた。
どうやらかなり混乱しているようだ。
そんな中、シアム王子が嬉しそうに「弟よ!」とベイガルさんを呼び、対してベイガルさんが「腹が痛い」と呻く。
彼等を眺め、俺は自分の予想が当たっていたことを確信して一人頷いた。
やはり、ベイガルさんはこの国の『消えた第二王子』だった。
……あと、やっぱり彼が訴えているのは腹痛ではなく胃痛である。
「ベイガルさん、一番最悪なパターンで打ち明けたと思うんですが、観念してシアム王子の話を聞きましょう」
「……そうだな。そまり、途中で俺が気を失ったら後は頼む」
ふらふらと覚束ない足取りでベイガルさんが部屋から出ていく。
瞳にはいっさいの光が無く、暗く濁りきっている。今のベイガルさんの瞳に比べたら、死んだ魚だってまだ瞳に輝きを見いだせるだろう。泥沼のような濁り具合だ。
胃を押さえながら向かうのは客室だろうか。途中で二度ほど壁にぶつかっているあたり、本当に途中で気を失いかねない。
シアム王子が彼の後を追う。やたらとベイガルさんの名前を呼び、それどころかもっと兄と呼んでくれと求めているが、自身が胃痛の原因になっているとは露ほども思っていないのだろう。やめてあげてほしい。
俺も二人を追おうとし、ふと立ち止まって振り返った。お嬢様と西部さんがいまだに唖然としている。
「にいさん……お兄様……シアム王子が……ベイガルさんのお兄様……?」
「お嬢様、驚くのは仕方ありません。落ち着けるよう温かな紅茶を用意しますね」
「乳酸……。王子様は乳酸……どういうことなの!?」
「それは俺も分かりませんね。というか西部さんはもう少し人並みの混乱の仕方をしてください」
とりあえず宥めれば、二人がふらふらと歩き出した。
どうやらお嬢様も西部さんも王子の話を聞こうと考えているようだ。
きっとお嬢様は一日ギルド長代理をした身として、そしてこのギルドにおいて数少ない王子との顔見知りとして同席しようと考えているのだろう。なんという責任感の持ち主、すばらしい。
俺としては面倒なことに巻き込まれそうなので無関係を装いたいのだが……。
「胃痛を訴えるベイガルさんが、爺に振り回される自分と重なる……」
これはまさに同類への哀れみ。
そう悔しげに呟き、様子を伺いにきた受付嬢に人数分の紅茶を頼んで客室へと向かった。
あの濁りきった瞳は、身内に人生を破綻させられた人間の目だ。
なぜ分かるのかと言えば、鏡を覗けばいつでも見られるからである。




