01:オムオム
「お前に頼みたい事がある」
というベイガルさんの言葉に対し、俺は間髪入れず、
「嫌です」
はっきりと返した。
「ここから少し離れた町に、変わった料理を出すレストランがあるんだ。異国のものとも違う、誰も聞いたことがない料理らしい」
「当然のように話を進めてますが、断りましたよね」
「特に問題は起こっていないんだが、もしお前と同じニホンジンなら把握しておいた方が良いだろ。西部も同郷が増えれば喜ぶだろうし」
「断りましたよね。……あれ、本当に俺断りましたよね……?」
「俺が西部を連れて行ってやれば話は早いんだが、ちょっと面倒な案件が来ててな。ギルドを離れられないんだ」
「断った……よな? 断ったはず……。不安になってきた」
あまりに平然とベイガルさんが話を進めるので、逆に俺が不安を覚えてしまう。
確かにはっきりと「嫌です」と断ったはずだ。……多分。確か。そのはずだけど。
そんな己の記憶を疑い出す俺に対して、ベイガルさんは堂々とした態度と口調で話を続けている。それどころか俺をチラと一瞥し「大丈夫だ」と声を掛けてきた。
「安心しろ、お前はちゃんと断ってた」
「じゃぁなんで話を進めたんですか」
「どうせお前に押し付けるつもりだから、先に説明しようと思った」
「このオッサンモドキが……!」
恨めしいと睨み付けるも、ベイガルさんはまったく気に掛ける様子はない。
それどころかカフェで働いて居たお嬢様を呼び寄せると、俺の隣に座らせた。ちょこんと椅子にいるお嬢様はなんて愛らしいのか、大きく澄んだ瞳で俺とベイガルさんを交互に見つめ、鈴の音のような声で「どうなさいました?」と尋ねてくる。
その姿、まさに天使。
そしてそんな天使を見つめるベイガルさんの笑みのなんと悪どいことか。これは勝ちを確信した顔……!
「はいはい、またこのパターンですね分かりましたよ!」
「そう躍起になるなよ」
「お嬢様が愛らしく純粋である限り、俺はオッサンモドキの掌で転がされ続けるのか……。お嬢様が純粋で人を疑うことの知らない、汚れなき天使なばっかりに!」
お嬢様のピュアさを嘆けば、俺の隣でお嬢様が「そまりになら汚されても良いのよ」と煽ってくる。
天使であり小悪魔! ……というのはさておき。
「それで、そのレストランに小津戸高校の生徒が居るかもしれないって事ですか?」
「そういうことだ。俺も聞いたことのない料理で……なんて言ったか、オ、オム……」
「オムライスですか?」
「そう、それだ! オムライス!」
ベイガルさんが俺の言葉を聞いてパッと顔を上げる。
その瞬間、俺の隣から「オムッ!」と声があがった。
お嬢様だ。俺とベイガルさんが揃えて視線をやれば、はたと我に返ったお嬢様が咄嗟に声を出してしまったことを恥じらいだした。
赤くなった頬を押さえる可愛さといったらない。奥ゆかしい、異世界に舞い降りた大和撫子。
「お嬢様、オムライス食べたいんですか?」
「……オムオムよ」
「別に食べたいのなら行くのは構いませんよ。こっちの世界には米は無いから、代用品があるなら俺も知りたいし」
「オム……。オムオムじゃない?」
「お嬢様が望むなら何でも叶えて差し上げます。今から発てば昼食には間に合いますよ」
「オム……!」
お嬢様の瞳が輝きだす。
「オム!」と感極まって俺に抱き着いてくるこの愛らしさ。オムみがやばい。オムオムしい。
ちなみに、そんな抱擁を交わす俺達を他所にベイガルさんはさっさと立ち上がり、西部さんのもとへと向かっていった。
多分一連の事を話し、出発の準備をするように促しているのだろう。「オム!?」「……お前もなのか」という会話が聞こえた後、西部さんがパタパタと駆け寄ってきた。
「オム……そまりさん、私も連れて行ってもらって良いんですか?」
「えぇ、俺とお嬢様だけでは小津戸高校の生徒かどうか分かりませんし」
「それなら秋菜ちゃんも良いですか? 秋菜ちゃん、買いたいものがあるらしくて……!」
「そこまでお付き合いする義理はありません」
きっぱりと断れば、西部さんがしょんぼりと俯き……。
横からひょいと顔を覗かせたベイガルさんが、
「お嬢さん、西部が皆で買い物したいんだと」
「オムオムー!」
と、あっさりと決着をつけた。
「……最早ベイガルさんへの恨みより、己のチョロさへの絶望しか湧きません」
「そまりさん、すみません。私急いで秋菜ちゃんを呼んできます!」
「いえ、今から犬童さんのところに行くと時間が掛かりますので、コラットさんに頼みましょう」
そう俺が話せば、ギルドの奥からヒュンと軽やかな動きで光の玉が飛んできた。
コラットさんである。彼女の登場と同時に、お嬢様がどこからともなく虫取り網を取り出して構えた。
「コラットさん、ちょっと犬童さんのところまでブーンと飛んで行ってくれませんか」
「擬音が虫なんだけど」
「気のせいですよ。お礼は何が良いですか、樹液?」
「虫扱いしないで!」
コラットさんが声を荒らげ、ニジニジと迫っていたお嬢様の鼻先を勢いよく突っつくと窓から飛んでいった。
怒りはするが、犬童さんのところには行ってくれるらしい。いい蛍……もとい、いい精霊だ。
そうして出掛ける準備をしつつ待つこと少し。
犬童さんがギルドへとやってきた。お嬢様が「秋菜ちゃん!」と嬉しそうに駆け寄っていく……と見せかけて、「隙あり!」と犬童さんの隣で浮かんでいたコラットさんへ虫取り網を振り下ろした。巧みなフェイントである。
だがコラットさんはスルリと網を擦り抜け、お嬢様の鼻先を連打しだした。なんて熱い戦いだろうか。もはや見慣れ過ぎてギルドの誰一人として気にもかけていない。
そんなお嬢様とコラットさんを他所に犬童さんに話を聞けば、どうやらデッサン人形を探しているらしい。
絵を描く際にポーズをつけて参考にする人形だ。元いた世界では見た事があるが、こちらの世界に来てからは見た記憶はない。
「探そうにも地名も何も分からないし、お金の相場も分からないので諦めてたんです。迂闊に人と話すと怪しまれそうだし」
「なるほど。今は生活に余裕もあるし、探しに行くにはちょうどいいかもしれませんね」
「というか今描いてるページに濃厚な絡みがあるんです」
「聞きたくありません」
「やっぱり濡れ場で人体がおかしいのは不味いじゃないですか。BLはファンタジーと言ってもそこのリアリティは失いたくないし」
「なんで皆俺の意見を無視して話すんですか?」
俺の返答を無視して話を続けるのが最近の流行りなのだろうか。
そんな疑心暗鬼に陥る俺をしれっと無視し、犬童さんが「そういう事なんでよろしくお願いします」と話を終いにしてしまった。
「……なんか日に日に俺の扱いが悪くなっていく」
ぼやきつつも、俺も鞄を持ち……ヒュンと横を通り抜けようとした光の玉、もといコラットさんを掴んだ。
甲高い悲鳴が俺の手の中からあがる。暴れているのだろう、ちょっとくすぐったい。
ちなみに、最初こそ「精霊を掴んだ」と驚いていたギルドの面々も、今では「さすが精霊掴みのそまり」とはやしたててくるだけだ。
「コラットさん、ちょっと頼み事があるんですが」
「人のものを頼む態度じゃないわ!」
「そう仰らずに聞いてください。同行したい人がいるんで、ちょっとブーンと飛んで呼んできてください」
「だから擬音が虫!」
俺の手の中でコラットさんが暴れ回る。かなりお怒りのようだ。
指の隙間をあければ、そこからコラットさんが跳ねあがるように飛びだし、俺の目の前で止まった。目の前で光の玉がふわふわと揺らいでいる。いつもより光が強いのは怒っているからか。
「それで、誰を連れてくればいいの? カブトムシなんていったら、精霊が出せる最大の速度で右脛にぶつかるわよ」
「ひえ、こわっ……。という冗談はさておき、連れてきてほしいのは」
その人物の名を口にすれば、コラットさんがヒュンと飛び上がってお嬢様の鼻先を一度突くと窓から出て行った。
「オムオムかしら?」
「そうですね。あと少しで着きますよ」
「オムームだわ。でもオムオムかしら?」オムオムよね?」
「きっと何か米の代わりになる代用品があるんでしょう。それが分かれば、お嬢様の食事もレパートリーが増えますね」
「オムライス!」
「もちろん作れますよ」
俺が微笑んで答えれば、お嬢様が嬉しそうに笑った。なんて愛らしい食いしん坊なのだろうか。
この際、俺達の後ろを歩きながら「なんであれで通じるのかな?」「オムオムだね」と話している犬童さんと西部さんは放っておく。
そんな一時も、ガタンと音をたてて馬車が停まることで中断となった。
その衝撃のせいか、もしくは到着を察してか、お嬢様のお腹に住む小鳥がクルルと鳴いた。馬車という公共の場での空腹音に、お嬢様がポッと頬を赤くさせてお腹を押さえた。
「さすがにお腹の小鳥はオムオムとは鳴かないんですね」
「もう、そまりってば。そこは聞こえてなかったふりをして!」
「おやお嬢様、オム語はもう良いんですか?」
「はじめて訪れる町よ。それに杏里ちゃん達のお友達がいるかもしれないんだもの、オムオム言ってられないわ」
お嬢様がキリリと表情を引き締める。
新しい出会いを前に期待を抱き、そして諾ノ森家の者として礼節を欠くまいとしているのだ。なんて立派なのだろう。
クルルと聞こえてくる腹の音にさえ威厳を感じさせる。お嬢様のお腹の中には可愛らしい小鳥がいるのだと常々思っていたが、もしかしたら威厳溢れるフェニックスがいるかもしれない。
そう俺が感動していると、「そまりさん」と声を掛けられた。振り返ればマイクス君の姿、隣にはふよふよとコラットさんが浮かんでいる。
「マイクス君、お久しぶりです。急に呼び出して申し訳ありません」
「いえ、ちょうど僕も近くに居ましたし。誘って貰えて嬉しいです」
爽やかにマイクス君が微笑む。相変わらず好青年だ。
聞けば先日まで遠方に出ており、今日ようやく近くの町で一息吐いたのだという。
やはり働き者だ。だがそれを褒めるも、楽しいから続けているだけだと照れ臭そうに笑った。働き者で謙虚。
「どうやらこの町に珍しい料理を出すお店があるらしいんです、ご存知ですか?」
「珍しい料理ですか?」
マイクス君が不思議そうな表情を浮かべる。どうやら食べたことはおろか聞いたこともないようだ。
いくら情報屋と言えども物事全てに通じているわけではなく、どうやら料理やデザートに関しては些か不得手らしい。
「食べられれば何でも美味しいというか、たくさん食べられれば良いみたいな考えなんですよね。特にお肉料理はそれだけで美味しいというか……」
「なるほど、肉イズジャスティス派ですか。まさに成長期の少年ですね」
「お恥ずかし話ですが……。でも、珍しい食べ物なら情報屋としては食べておかないわけにはいきませんね」
「それはお誘いしてよかった。マイクス君とは一度落ち着いて話をしたかったんです」
そう俺が笑って告げれば、マイクス君が僅かに目を丸くさせた後、照れくさそうに笑った。
西部さんがお店はこっちだと先導するように歩き、その隣を犬童さんが並ぶ。コラットさんはこの町が珍しいのか、ヒュンヒュンと周囲を窺うように飛び回っている。
そんな中、お嬢様だけは不思議そうに足を止め、
「……そまり?」
と、俺を見つめてきた。
大きな瞳が様子を窺うように俺を見つめる。
その視線に、俺は小さく笑って返すと、行きましょうと促して歩き始めた。




