15:任命式と甘いキス
王都に向かう馬車の中、お嬢様が嬉しそうに王宮からの召集場を見つめている。
「そまり、知ってる? この国には二人の王子様がいるのよ」
「二人ですか? 俺が調べたところ王子は一人のはずですが」
「それがね、実は第二王子がいたらしいの。でも十三歳の誕生日に姿を消してしまったんですって」
マチカさんから教えてもらったらしく「消えた第二王子なんてミステリアスだわ!」と興奮気味にお嬢様が話す。
曰く、件の第二王子は十三歳の誕生日に自室から忽然と姿を消し、それ以降一度も王宮に戻っていない。十年も前の話で、今では第二王子の事を口に出す者はいないのだという。
話では第二王子は後妻である王妃の連れ子、正式な手続きをし第二王子の地位にはついたものの、王の血は継いでいないらしい。
それゆえに王都を離れたのではないか、第一王子との確執があったのではないか、もしかしたら素性を暴かれるのを恐れたのでは……と、一時は根拠のないゴシップ混じりの推測が蔓延ったとか。
ミステリアス……なのだろうか。どちらかと言えばドロドロしたものを感じるが、これは単に俺が血縁関係にあまり良い思い出がないからか。
「まぁなんにせよ、姿を消した王子とはお会いすることは無いでしょう」
「そうね。……それに、お姫様もいないのよね」
お嬢様がしょんぼりと俯く。
どうやらお嬢様は『王子様』よりも『お姫様』に憧れが強いらしく、男児しかいない王族に残念そうに溜息を吐いた。エルフや獣人のいるこの世界、もしかしたらと期待を抱いていたのだという。
なんという夢見る乙女だろうか。お嬢様の世界はいつだってキラキラ輝いているのだ。
「お嬢様、そんなに肩を落とさないでください。それにお姫様ならいるじゃないですか」
「まぁ、どこに?」
「ここですよ。お嬢様こそ俺の唯一のお姫様。マイスイートプリンセス」
「そまり……いえ、私の王子様!!」
お嬢様がぎゅっと俺に抱き着いてくる。なんて愛らしい!
……のだが、そのタイミングでガタンと馬車が揺れ、馭者が乗り換えを告げてきた。
長閑な町しか知らなかったお嬢様は王都の街並みに瞳を輝かせ、まずは王宮に向かわなければと分かってもあちこちと目移りしている。可愛い雑貨屋、華やかな服屋、美味しそうな香りを漂わせる飲食店……。ふらりと吸い込まれかけ、はたと我に返り慌てて進路を正す、その可愛さと言ったら無い。
俺としては寄り道しても良いし、なんだったら王宮には顔出しだけで済ませて後は買い物でもいいのだけど。
だがお嬢様はそれを聞くと「そんなの駄目よ!」と俺を咎めてきた。
「そまりは名誉あるニャニャニャンニャニャンニャーになるのよ! そのための任命式、これを蔑ろになんて出来ないわ!」
「ですがお嬢様、俺は自分のニャニャニャンニャニャンニャー任命より、お嬢様の買い物の方が重要です」
「そまり、そんなに私の事を……。でも私、お買い物よりもニャニャニャンニャニャンニャーに任命されるそまりを見たいの。きっと世界一素敵だわ……。今も世界一だけどね」
うっとりとした表情でお嬢様が俺に寄り添ってくる。
どうやらお嬢様の意識は一足先に任命式に向かってしまったようで、ほんのりと頬を赤く染め「そまり……素敵……」と呟いている。
なんて愛らしいのだろうか。この期待に応えなくては!
「参りましょう、お嬢様! 必ずやお嬢様の期待するニャニャニャンニャニャンニャーになってみせます!」
「そまり! 私のニャニャニャンニャニャンニャー!」
二人して意気込み、王宮への道を普段より少し早めに歩く。
お嬢様の足取りは軽く、スキップでもしかねないほどだ。大きく一歩踏み出すたびに艶のある黒髪が揺れ、ワンピースの裾がふわふわと揺れる。その姿はまさに麗しのプリンセス、隣を歩く俺も自然と足取りが軽くなる。
そうして王宮につき、召集場を見せれば周囲がざわつきだした。
中に入ればメイドが恭しく頭を下げ、こちらへと王宮の奥へと促してくる。去り際にも背中に視線がささるのはなんとも居心地悪い。ひそひそと囁かれる「あれが」だの「ドラゴンを……」だのと言った声を聞くに、どうやら噂になっているらしい。
ところで、ひそひそと聞こえてくる声の合間に「よだれ」だの「お嬢様バカ」だのと聞こえてくるのはどういう事だろうか。
横目で見れば、ギルドでよく見かける冒険者の姿があった。きっと王都のギルドで仕事をこなし、その関係で王宮に報告に来たのだろう。
どうやら奴らは俺の強さを周囲に伝えると共に、要らぬことも言いふらしているようだ。睨み付ければ爽やかな笑顔で返してくる。
「くそ……あのギルドは敵だらけだ。俺がお嬢様しか見てなくてお嬢様の事しか考えてなくて、お嬢様だけを想って生きている事が周囲に知られてしまう……。いや、知られても良いな、むしろ余計な手間が省けていいかも。いっそ世界中に告知したい!」
「もう、そまりってば。世界中に私達が愛し合っている事を知られるなんて……恥ずかしいっ!」
きゃっとお嬢様が小さく声をあげる。困るわと訴えつつもその声色は満更でもなさそうで、その愛らしさに早速よだれが出そうになる。
……のだが、流石に王宮でよだれは不味いと己に言い聞かせてなんとか留まった。
そうしてしばらく歩き、厳重な扉の一室に辿り着いた。
ゆっくりと扉が押し開けられる。それと同時に広がる光景はまさに絢爛豪華の一言に尽きる。さすがは王宮、それも謁見の間である。
「凄いわ、まるでおとぎ話みたい……!」
「金が掛かってそうですねぇ」
室内の眩さに当てられ、お嬢様が歓喜の声を上げる。対して俺はこれと言って歓喜こそしていないが、それでも豪華だと周囲を見回した。
豪華な謁見の間には、いかにもお偉いさんといった風貌の男達が数人。中でも目につくのは豪華な椅子に腰かけている二人の男、彼等はこちらに気付くと穏やかに笑って軽く手を上げた。
同じ赤褐色の髪と黒い瞳、纏う雰囲気は似通っており、一目で親子と分かる。二人共品の良い正装を纏っており、この威厳溢れる謁見の間に臆する様子はない。むしろここに居て当然といった余裕の立ち振る舞いだ。
「そまり、きっと王様と王子様よ……!」
「そうですねぇ」
「こっちに来るわ。そまり、きちんとしたご挨拶をしなきゃ!」
お嬢様が慌ててワンピースの裾を手で払って汚れを気にし、頭上の髪飾りがずれていないかと直す。
そうして王と王子がこちらにくると、スカートの裾を摘まんで上品に腰を落とした。
「わ、私ギルド長代理の諾ノ森詩音と申します。お会いできて光栄です」
お嬢様の挨拶の麗しさと言ったら無い。気品に満ち溢れている。
エクセレント、なんていう世界一のプリンセス。
そんなお嬢様の挨拶に王子が軽く手をあげて応える。だがその表情は事態を理解しきれないと言いたげで、不思議そうに俺へと視線を向けてきた。
「……彼女がギルド長代理ということは、ベイガルは?」
「申しわけありません、ギルド長は体調不良でして……。『あー、腹が痛いなー腹が痛いなぁー』ってぼやきながら朝食を食べつつ俺達を見送ってくれました」
俺がしれっとベイガルさんの仮病を告げると、理解したのだろう王子が小さく溜息を吐いた。二人が顔を見合わせる。
その表情は分かるほどに落胆しており、「そうか……」「今回も……」と呟く声はなんとも切なげだ。
それほどまでにベイガルさんを呼びたかったのだろうか。お嬢様が残念がる王子を気遣い「私、出来る限りの事は致します!」と声をあげた。
それでも彼等の気は晴れないようで、お嬢様に気を遣わせたことを詫びつつも落胆の色を隠しきれずにいる。
彼等の反応を見るに、お嬢様よりベイガルさんが良いというのだろうか。
それはつまりお嬢様がギルド長では不十分だという事か? こんなに愛らしくて聡明で慈愛に溢れているお嬢様が、あのオッサンモドキに劣ると?
これはたとえ国のトップだとしても頂けない。
国を滅ぼされても仕方ない無礼だ。そう考えて腰にさげていたペンライトに手を添える。
「お嬢様、安心してください。今この無礼な方々を俺に惚れさせフレッシュな苗床にして燃やして水浸しにして凍らせたうえで割砕きますので」
「もう、そまりってば、フルコールは駄目よ。国家反逆罪よ!」
「たとえ世界中を敵に回しても俺はお嬢様を肯定します」
「そまりの場合は積極的に世界を敵に回しすぎよ! きっとお二人共、ベイガルさんの事を信頼しているのよ。だからお会いしたかったんだわ」
慈愛に満ち溢れたお嬢様がフォローを入れれば、さすがに自分達の無礼に気付いたのか王子達が改めて謝罪してきた。
そうして始まった任命式とやらはつつがなく終わった。……というか、至極あっさりとしたものだった。
なんだか長ったらしい説明のあとに長ったらしい文章を読まれ、それに同意したら王から勲章を貰って終わり。俺がやる事はさほどなく、ギルド長代理であるお嬢様に至っては用意された椅子にちょこんと座って見守るだけだ。
確かに『お嬢様が見守っている』という事は素晴らしい。椅子に座りそわそわと周囲を見回し、式が始まるとキリリとした表情で見守るお嬢様は世界一尊い。
ぶっちゃけお嬢様が居なければ、俺は話半分に切り上げて帰っていたかもしれない。
お嬢様がそこに居る、それこそが俺がこの場に留まる理由である。
「……という俺のお嬢様賛歌はさておき、ギルド長が呼ばれる理由がさっぱり分からない式典でしたね」
「そうねぇ、でも素敵だったじゃない」
「ベイガルさんに渡してくれってやたらと分厚い手紙を預かったんですが……。なんだろうこれ、持ってるだけで嫌な気分になる。封を開けてもないのに鬱陶しい」
任命式が終わり、帰り支度の最中にお嬢様と式典の事を話す。
俺の手元にはやたらと分厚い封筒。便箋を数十枚ぎっちぎちに詰め込み封蝋で無理に止めたそれは、手にしているだけで暑苦しい。手に伝わる重さは物理的な重量ではないだろう。
今すぐに燃やしたい。焼き芋の火種にしたい。
だがこれは王族から手渡しで託されたものだ。「絶対にこれをベイガルに渡してくれ」とかなり真剣みを帯びた表情で王と王子から手渡された。
あの時の彼等の真剣さは任命式以上のものがあった。そのうえベイガルさん宛にやたらと荷物も渡された。見たところ王都の名物のようだ。
「どう考えても、今回の任命式はベイガルさんを呼び出すためのもの。餌にされたのか……?」
「王宮も素敵だったし、王子様達にご挨拶出来て良かったじゃない。ねぇそまり……あら?」
恨みがましく呟く俺を宥めようとしていたお嬢様が、ふと顔をあげて他所を向いた。
お嬢様の視線の先にはこちらに駆け寄ってくる一人のメイド。どうやら帰る前に改めて王子達が挨拶をしたいのだという。それと任命式には不在だった王妃も。
これにはお嬢様がパッと瞳を輝かせた。どうやらお姫様と同じくらい王妃というものにも憧れているらしい。「ぜひ!」とあげる声は普段よりも弾んでいる。
そうしてしばらく待つと、別のメイドが王達の入室を告げてくる。
お嬢様が瞳を輝かせ、緊張を露わにピンと背筋を正す。「きっと素敵な方よ……!」と小さく呟く声は期待に溢れ、興奮しているのが分かる。
そんなお嬢様の期待が最高潮に達するのとほぼ同時に現れた王妃は、威厳ある王達に負けず劣らず気品に溢れていた。
銀の髪がふわりと揺れ、緑色の瞳が穏やかにこちらを見つめてくる。
銀の髪と、緑色の瞳が……。
その色合いはとある人物を彷彿とさせる。
瞳を輝かせるお嬢様とは裏腹に、俺は事態を理解し、そして腹が痛いと訴えつつ朝食をおかわりする誰かさんの姿を思い出していた。
王宮を出て、宿へと向かう。
立派な宿だ。聞けば王都で一番良い宿らしく、中でも一番いい部屋を取ってもらった。
つまり最上級。それも二部屋。――内心で「ダブルベッドなんだから一部屋で良いのに」と呟いたのは内緒だ。……いや、お嬢様がポッと頬を赤くさせて「まだ早いのよ」と俺を突っついてきたあたり、口にしてたかもしれない。多分してたな。叫んでないからセーフとしよう――
ちなみにこの部屋は王宮関係者御用達で、通常ならば他国の著名人や高位の者達が泊まるものらしい。一般人では滅多な事では泊まれなく、金と運が必要、もしくはツテか。
「まぁでも、そういう事なら取れるんでしょうね。……しかし考えれば考えるほどあの手紙が重たいな。鬱陶しい。俺も腹が痛くなりそう」
そんなことを呟きつつ、やたら豪華な部屋のソファーで一息吐く。
さすがと言える夕食を食べ、豪華な浴室で入浴し、そうして就寝前の一時だ。今はお嬢様が入浴をしており、ご機嫌な鼻歌が聞こえてくる。
普段と違う環境だからだろうか、妙に落ち着かない。
らしくなく立ち上がって夜景を眺めたりなんかしてしまう。その間もお嬢様の鼻歌は続いており、つい耳を澄ましてしまう。緊張する。
ちなみに、俺がこうも緊張している理由はテーブルに置かれた小さな箱にある。
そう、ドラゴンの鱗と髭を使ったネックレスだ。
仕上がった代物は、さすが王宮専属のデザイナーだけあり華やかでいて華美過ぎない品のあるデザインだった。シンプルで普段使いも出来、それでいて角度によって色合いを変えるドラゴンの鱗特有の輝きは一張羅に併せても引けを取らない。
アクセサリーに疎く、「パンツ以外の物を身に纏う必要性が感じられない。……いや、パンツさえも」と言いかけて同僚達に取り押さえられた俺でさえ感心してしまう程だった。ーー念の為説明しておくが、別に露出狂なわけじゃない。裸族の村に放り込まれて一週間かけて帰ってきた直後だったのだから仕方ないーー
ちなみに、お嬢様は「着ける時に見せて」と愛らしいことを言って目を瞑っていた。
なんて愛らしいのだろうか。
その際に細い指で己の唇に触れるのは、ネックレスと同時に別のものを強請っているからだ。
……別の……。
「やばい、滾ってきた。キスだけで留まれるのか、俺……。ええいくそ、煽るな俺の中の天使と悪魔とニャルラトホテプ……それにロマンスの神様まで!?お久しぶりです!」
「そまり、あがったのよー」
「お、お嬢様!」
ご機嫌な声に慌てて振り返れば、そこにはホカホカと湯気を纏うお嬢様。
ワンピースタイプのパジャマは涼し気だが、それでも熱いのかはたはたと己を扇いでいる。長風呂のせいかほんのりと頬が赤くそまっており、濡れた黒髪と合わさってなんとも言えない色気だ。
見ているだけでくらくらしてしまう。
だというのにお嬢様は無邪気に笑い、俺の横にちょこんと座った。
「……ねぇ、そまり」
「え、えぇ、今ご用意いたします」
お嬢様に促され、テーブルの上にあった箱を取る。
丁寧に梱包されているのがもどかしく、半ば雑にリボンを解き、蓋を開ける。その瞬間にお嬢様が歓喜の声をあげたのは、中にしまわれているネックレスを見たからだ。
どうやらお嬢様のお気に召すものに仕上がったらしい。良かった、と安堵する。
「お嬢様、これを」
「なんて素敵なの……。そまり、着けて」
お嬢様が俺に向き直る。
胸元を手で押さえているのは期待か緊張か。僅かに顔を上げて俺を見つめると、誘うようにゆっくりと瞳を閉じた。
……いや、誘うようにではない。誘っているのだ。
その魅力に中てられつつ、俺はネックレスの細い鎖をゆっくりと彼女の細い首に掛けた。
お嬢様の白い首筋に俺の指が触れる。
風呂上りだからかほんのりと温かく、しっとりとしている。目を瞑っており俺の動きが分からないからか、お嬢様の肩がピクリと震えた。だが瞳はいまだ閉じられたままだ。
そっとお嬢様の項へと金具を持っていく。
指先だけで金具をいじるのは難しいが、瞳を閉じてキスを待つお嬢様からは目がそらせない。指先に伝わる感触で金具を緩め、タイミングを伺うようにお嬢様へと顔を寄せる。
視界いっぱいにお嬢様の愛らしい顔が映り、それを堪能しつつ俺も瞳を閉じる。
そうして金具がカチと小さな音をたててはまった瞬間、お嬢様の唇にそっと自分の唇を重ねた。
小さく、柔らかな唇。
触れるだけで壊してしまいそうで、それでいてもっと深く堪能したいと欲が湧く。
そんな欲望をなんとか押さえ、名残惜しさを感じつつもお嬢様の唇から離れる。
お嬢様の唇から小さな吐息が漏れ、胸元を掴んでいた彼女の指がネックレスのペンダントトップに触れる。
お嬢様がゆっくりと瞳を開け、俺を見つめると嬉しそうに笑った。
その頬は先程よりも赤く染まっているが、きっと俺の頬も負けず劣らず赤いのだろう。己の頬に熱を感じる。
「そまり、愛してるわ」
吐息交じりに囁かれるお嬢様の言葉に、俺は頷いて返すと共に彼女の肩にそっと手を置いた。
「俺も愛しています。俺の詩音」
今だけはお嬢様の事を名前で呼んで、もう一度キスをした。




