11:二代目紅茶リーダーと急転する事態
翌朝、お嬢様達が目を覚ますより先に起き、朝食の準備に取り掛かる。
といってもダンジョンの中で作れるものなど限られている。……が、だからといってお嬢様に妥協した朝食を出せるわけがなく、今朝もまた洒落た喫茶店顔負けのモーニングプレートを完成させた。スープと紅茶を添えて完成、インスタ映えしそうな出来だ。
そんな朝食の香りに誘われたのか、テントの中からもぞもぞと動く気配がしだした。
「おはよう、そまり……」
「おはようございます、お嬢様」
「そまりさん、おはようございます」
「おはようございます、現役女子高生さん」
「昨夜のことは忘れてくださぁい……!」
西部さんが情けない悲鳴をあげる。
どうやら一晩たって己の言動を省みる余裕が出来たようだ。一体何の話かと不思議そうにするお嬢様に見つめられ、顔を赤くさせながら朝食を口に運んでいる。
そうして朝食を終え手早くテントを片せば、朝食で鋭気を漲らせたお嬢様が「れいちゃんを救うのよ!」と拳を高らかに上げた。
なんて愛らしく逞しい鼓舞だろうか。ぴょんと跳ねる姿は子兎のようで、俺の鋭気も漲っていく。鋭気以外のもの――欲望とか――も漲るが、まぁいつものことである。
そんなお嬢様の掛け声と共に出発しようとし……、
「……っ!」
ぞわりとした視線を感じ、それを追うように背後を振り返った。
……だが振り返った先には何もなく、殺風景な壁面だけが続いている。よく見れば小指の爪程度の虫が這っているが、それ以外には何もない。
「そまりさん、どうしました?」
「今なにか視線が……。西部さん、向こうのグループに、監視とか千里眼といった能力の持ち主は居ますか?」
「榎本君は操った動物の視界を見れるって言ってました」
「それは虫もですか?」
「そこまでは……。榎本君は前は一緒にここで生活してたんです。でも菅谷君達が来てから、彼等と一緒に酷いことをするようになって」
西部さんが俯きつつ話す。――そんな彼女の手を握ってあげるお嬢様まじ天使――
曰く、榎本という少年は元々は西部さん達と共にこのダンジョンの中で生活しており、その際は動物を操って警備や監視を担っていたという。確かに適した能力だ。巨大な動物を操れば森の中を歩く際に他の動物への威嚇になるし、同様に動物を追い出す事も出来る。
だが菅谷一派が幅を利かせるようになると、彼は迎合し下っ端ポジションに着き、そして己の能力で他者をいたぶる楽しさを覚えた……。重ね重ねいけ好かない性格である。
「しかし虫まで操れるとなると厄介だな……」
そう呟きつつ、岩肌を横断しようとしていた虫を指で弾き落として靴底で踏み潰した。
そうして改めて歩きだすのだが、やはり妙な視線を感じる。
だがいちいち壁に張り付いて虫を探すわけにはいかず、狭いダンジョン内では隠れようもない。幸いお嬢様と西部さんは視線に気付いていないようだが、俺はピリピリと肌に刺さるような視線に不快感すら覚えていた。
きっと今この瞬間も、榎本という少年は俺達を見ているのだ。
俺達を……つまりお嬢様を盗み見ている。お嬢様を、無断で、西部さんの手を繋いで歩くこの可愛らしい天使を。
「よし、目玉をくり抜きましょう」
「突然なにを!?」
「いえ、冗談です。そうですよね、くり抜いたところで要らないので潰すべきですよね」
「恐ろしい同意を求めないでくださぁい……!」
西部さんが悲鳴交じりに訴えてくる。
ちなみに、お嬢様は予め俺が耳を塞いでいたので物騒な発言は聞いていない。不思議そうに俺を見上げるだけだ。愛らしい。
こんな愛らしいお嬢様に、目玉をくり抜くだの潰すだのと言った血生臭い話は聞かせられない。……もちろん、こんな愛らしいお嬢様を盗み見るなんて許されない。
「まぁ榎本とやらの眼球をどう処分するかはさておき、能力を持った集団というのは厄介ですね。西部さん、他にどんな能力を持った人がいるんですか?」
「は、はい。私は物捜しで、れいちゃんは鑑定が出来ます。榎本君は動物を操って、菅谷君は物を固くさせる事が出来るって言ってました。あとは暗視っていうのが出来る子と……」
西部さんが思い出しながら能力をあげていく。
といってもダンジョン内に残っているのは、囚われている満田さんを抜かして六人。元々ダンジョン内にいて菅谷一派に迎合した榎本と、そしてダンジョンを操るという一人。それに菅谷を始めとする『怖い』生徒四人だ。
代表格の菅谷は対象物の硬化、他には暗視能力が一人と他者の力量を可視化させる能力が一人。残りの一人に関しては、西部さんは把握していないらしい。
「ダンジョン内を操作されたり監視されるのは面倒ですが、菅谷達の能力は別段厄介そうでもないですね。むしろ地味だ」
「……でも、菅谷君達は元々が怖くて」
逆らえなかったのだと西部さんが弱々しく答える。
お嬢様が腕を擦って慰めるが、それに対して返す笑みは痛々しいほどに作り笑いだと分かる。
どうやら菅谷達に対する恐怖が奥底まで根付いているようだ。これは外観が怖いだけの相手に抱く恐怖ではない、不良同士で対立するような縁のない物への恐怖でもない。
……例えるならば、かつて実害を目の当たりにし、己にまでその害が及びかけていたかのような恐怖。
なるほど、だから一年の時か。
そう小さく呟く。
「ところで西部さん、遠藤と鈴原という二人はご存知ですか?」
「二人共知ってます! そまりさん、彼等を知ってるんですか!?」
「知ってるといえば知ってますね。彼等も小津戸高校の生徒で、以前に同じクラスだった……合ってますか?」
確認するように問えば、西部さんがコクリと一度頷いた。小さく呟かれた「一年生の時に……」という声は、とうてい級友との思い出を語る声色とは思えない。
聞けば彼等は、むしろ今回のダンジョンの一件に関わる全ての者までが、西部さん達が一年生の時に同じクラスだったという。
森の中で、委員長めいた風貌の少女が言いかけていた事はこれだろう。あの時同様、それを語る西部さんの顔色は悪い。
「遠藤君達は、滅多に学校に来なかったんです。来ても空き教室で遊んでたり……。だから私一度も話したことが無いんです」
「疎遠だったわけですね」
「あの、彼等は今どこに? そまりさん達と一緒にギルドに居るんですか?」
「大丈夫ですよ。ちょっと問題がありましたが、俺と23才オッサンモドキギルド長でちゃんと片付けておきましたから」
そうニッコリと笑って告げれば、西部さんがあっさりと納得してくれた。
仮にここにベイガルさんやコラットさんあたりがいれば、俺の笑顔に対して「なんて悪どい笑み」とでも言ってきただろう。自覚はある。
だが幸い西部さんは俺の笑みを純粋なものと取り、遠藤達がどうなったかまでは知らされていないお嬢様もまた「あんな二人、怒られて当然よ!」とプンスコ怒っている。
「彼等の事は置いておいて、今は満田さんの救出を考えましょう」
「は、はい! よろしくお願いします!」
満田さんの名前を出せば、西部さんが表情に期待の色を浮かべて頭を下げた。
彼女の思考は俺の誘導通り、『疎遠だった級友』から『大事な友人』に綺麗さっぱり切り替わってくれた。
なんて単純で分かりやすい。その単純さは危なっかしくもあるが、純粋で清らかなお嬢様の友人には相応しい。
「西部さん、合格です」
「ひえっ、何に!?」
「お気になさらず。ところでお嬢様、荷物が重くなったら言ってくださいね。お疲れなら俺が抱っこしてさしあげますよ」
「大丈夫よ! れいちゃんを救うため元気いっぱいよ!」
「なんというパーフェクトレディ。やっぱり榎本の眼球は……何でもありません」
「わ、私も何か持ちます!」
自分一人だけ手ぶら――護身用なのだろう木の棒はいまだ持っているが――な事に気付き、西部さんが訴えてくる。
そんな彼女をお嬢様が見つめ……リュックから水筒を取り出すと、そっと彼女の肩に掛けた。西部さんを見つめるお嬢様の瞳には強い意志と期待が込められている。
そうして最後に西部さんの肩をぽんと叩いた。
紅茶リーダーの襲名だ。
思わず俺も拍手を贈ってしまう。
そして俺とお嬢様と、二代目紅茶リーダーこと西部さんの三人でダンジョン内を進む。
時折は怪鳥やら巨大な獣やらが出てくるが、俺の敵ではない。……俺の下半身の欲望の敵ではない。
「ダンジョン内を操る能力っていうのは、道を変えたりも出来るんですか?」
「はい。だから辿り着けなくて……」
「なるほど。先方が会う気にならない限り、こちらから行くのは難しそうですね」
西部さんの物捜しの能力のおかげで方角こそ見失わずにいるが、その道中は相手の思うままに変えられている。一本道ならば尚更、菅谷達を中央にひたすら周回させられる可能性だってある。
延々と歩かされ、時に獣に襲われ、そうして一人また一人と心折れていく様を、きっと安全な場所で見ていたに違いない。
随分と良い趣味をしてる。もちろん、褒め言葉ではなく。
「しかしこっちも延々と歩いてるわけにはいかないし、何かしら策を練らないと……」
「はい! 早くれいちゃんを助けないと!」
「早くしないとシフォンケーキの賞味期限が切れてしまいますからね」
「……そうですね」
しょんぼりと西部さんが俯く。この期に及んで、彼女は俺に何を期待してるのだろうか。
そんな西部さんを励ますためだろうか、お嬢様が紅茶を飲もうと声をかけた。西部さんが力なくも笑い、肩から下げた水筒を開ける。
そうしてコップをお嬢様に渡し、水筒の蓋を開け……。
「くぴくぴ」
「もう飲んで……そ、そまりさぁん……!」
「ちょうど良いですね、策を練るついでに謎を解明しましょう。お嬢様、お嬢様はいつも何を……」
何を飲んでいるんですか?
そう尋ねかけ、言葉もろとも息を呑む。
お嬢様の背後、なにもない壁面から突如二本の腕が伸びてきたからだ。見覚えのある袖に包まれた腕と、節の太い若い男の手。
それは壁など無いと言いたげにスルリと伸び、驚いて目を丸くさせるお嬢様を絡め取るとそのまま壁に引き寄せ……。
トプン、
と、まるで水面に落とすかのように壁の中へと連れて行った。
咄嗟に伸ばした俺の手が空を掻き、爪が壁を掻く。爪の先がガリと音を立てて割れ、壁の欠片が地面に落ちる。手を突けばゴツゴツとした固さしかなく、押しても殴ってもビクともしない。
お嬢様が消えていった先は、まるで俺が追うのを拒むように何の変哲もない壁に戻っていた。




