07:獣の倒し方
再び上がった獣の咆哮に、お嬢様が肩を震わせ、西部さんが小さな悲鳴を上げる。
「そ、そまり、今のは……」
「虎の鳴き声に似てましたね」
「……に、逃げなきゃ………。また追いかけてくる……!」
「西部さん?」
西部さんが譫言のように呟きながら後ずさる。顔色は真っ青で、見て分かるほどに震えている。
「詩音ちゃん、そまりさん、逃げましょう……! 早く!」
「西部さん、落ち着いてください。何が来るんですか?」
「と、虎です。大きな、虎が……。榎本君が操ってて……」
「榎本?」
西部さんの口から聞いたことのない名前が出てくる。
落ち着きを失った彼女から詳細は聞けそうにないが、小津戸高校の生徒で間違いないだろう。操る、というのは能力の事か。
動物を操る……。なるほど、有り得ない能力ではない。
少なくとも、下半身の欲望をペンライトに宿らせる俺よりはマシだ。
……というか、なんで俺だけち〇こ能力なんていうファンキーな能力を授かったんだろうか。
いや、万能だから良いんだけどさ。
「という俺の能力はさておき。巨大な虎とは厄介ですね。でも西部さんは逃げ切れてるんですよね、案外に足が遅いとか?」
「いえ、榎本君達は遊んでるだけです。ギルドの人達を追い払ったり、私が逃げるのを楽しんでるんです……」
震える声で西部さんが訴える。
確かに、ただの高校生でしかない彼女に虎の相手は無理だ。逃げに徹したところで、一瞬で追いつかれる。細腕にはいまだ木の棒が握られているが、素人が棒切れ一本で反撃など出来るわけがない。
それでも今の今まで西部さんが生きていられたのは『生かされている』という事だ。たった一人で友人を助けようと彷徨う少女に虎をけしかけていたぶる、これは随分と趣味が悪い。
そんな事を考えていると、グルル……と唸り声が聞こえてきた。先程よりも随分と近く、曲がり角の先まで来ているのが分かる。
その声と共に現れたのは、一匹の虎。獰猛に唸り、歯をむき出しにし、こちらを睨みつつ一歩一歩と近付いてくる。
身の丈は四足時で2メートルを優に越え、下手すれば3メートルに達しているかもしれない。二足で立ち上がれば天井につっかえそうで、あまりの大きさに天井が低く見えてくる。
さすが異世界、謎の怪鳥に続いて今度は巨大な虎と、俺の遠近感を全力で攻撃してくる。
「ヘラジカばりに大きいですね。懐かしい、あれも見てると遠近感がおかしくなるんですよ」
「そまり、思い出に耽ってる場合じゃないのよ、大きい虎よぉ……」
お嬢様がふるふると震えながら俺を呼んでくる。
「大丈夫ですよ。俺は虎の仕留め方も嗜んでいますからね」
「懐かしい。私のために節分を盛り上げようと、野性の虎を狩って虎のパンツを仕立てて、鬼役に配った時ね」
「えぇ、あの時です。結果的に『お前の精神がなによりの鬼』という理不尽な結論を出され、鬼役にさえ豆を投げつけられた時です」
あれは未だに納得がいっていない、そう俺が不満を訴えれば、お嬢様が俺の腕をさすってきた。
次いでお嬢様は西部さんに向き直り「そまりが居るから大丈夫」と怯える彼女を宥め始めた。その声色にも表情にも既に恐怖の色はなく、俺に全幅の信頼を寄せてくれている事が分かる。
「で、でも……」
「そまりは虎も仕留められるの。だから大丈夫よ! ね、そまり!」
「えぇ、虎が相手ならご安心ください。もしも虎じゃなくて虎柄のヘラジカだったとしても、俺はヘラジカの仕留め方も嗜んでいるので」
ご安心を、とお嬢様の言葉を肯定する。西部さんはいま一つ信じられないのかきょとんとしているが、お嬢様に腕を引かれるままゆっくりと後ずさった。
俺達が逃げるとでも考えたのか、虎が再び唸り声をあげてくる。鋭い眼光が俺達をじっと見つめている。獲物との距離を測る獰猛な瞳、低い唸り声と合わされば迫力は一入。
「ではここでワンポイントアドバイスです。凶暴な動物と退治した時は、背中を見せて逃げてはいけません。追われるだけですよ」
「そ、そうなんですか。私恐くて逃げちゃった……。でもどうすれば良いんですか?」
「負けじと目を見つめ返すんです。そうして見つめたまま……」
「ゆっくりと後ろ歩きで逃げるんですね」
「いえ、目を見つめたままこっちから駆け寄って殺すんです。やまない雨は無い、明けない夜は無い、殺せない生き物はいない!!」
そう告げると共に腰に差したペンライトを引き抜き巨大虎へと駆け出せば、相手も俺の殺気を察して咆哮をあげた。
巨大な虎が真っ直ぐに向かってくる。牙を剥き出しにして唸り、射程内に入るや前足の一撃を繰り出してくる。太く鋭利な爪は、掠っただけで骨ごと持って行かれるだろう。
それを寸でのところで避け、赤く灯らせたペンライトを肩口に押しつける。俺の意図を察して最大火力を出していたのか、ペンライトが振れた瞬間に動物の皮が焼ける臭いが漂いだす。
そのまま虎の体を押しのければ、甲高い鳴き声と共に虎が数歩下がった。
「やっぱりオレンジじゃないと吹っ飛ばせないか。でもせっかくの虎皮だから傷つけたくない、虎の開きにしてベイガルさんの執務室に敷きたい……」
嫌がりそうだけど。
でもほら、虎の開きが敷いてある部屋ってなんか威厳あるし、金持ってそうに見えるし。ギルド長の貫禄とか出るかもしれない。
俺の部屋にはけして欲しくないが。
そんなことをぶつぶつと呟いていると、再び虎が唸りをあげて駆け寄ってきた。どうやら一撃では心折れなかったようだ。さすが巨大虎、闘争心はいまだ燃え滾っているのだろう。瞳は鋭く、炎のような獰猛な敵意が見える。
そんな虎の闘争心に敬意を表し、俺はペンライトをオレンジに切り替え……。
「せめてパンツを仕立てる分は残りますように!」
噛みつこうと眼前に迫ってくる虎の頭部を、真横から叩きつけた。
ゴギュ……
と、何かをひしゃげさせたような手応えが腕に伝ってくる。それと同時に虎の首が真横を向く。いや、真横を越えて後方に。首だけが、生き物としては有り得ない角度で伸びる。
次いで胴体をペンライトで殴りつけ、吹っ飛ぶのを追いかけて青に切り替えたペンライトで首元を一気に凍らせる。ヒヤリとした空気が漂うが、腕を擦っている暇はない。
首一周が完璧に凍り付いたのを確認し、再びオレンジ色に切り替えてそれを叩き割った。
高い音をあげ、氷が割れていく。
そして……巨大虎の頭部と銅が分かれた。氷着けの断面は見ていて気分の良いものじゃない。血が噴き出ないから汚れずに済むが、どちらが良いかと問われれば返答に困る。
「しまった、顔を叩かずに最初から首を切断して、頭部だけ剥製にしてベイガルさんの執務室に飾れば良かった」
多分これも嫌がるだろうけど。
そんなことを惜しんでいれば、終わったと察したのかお嬢様が俺を呼びつつこちらに歩いてきた。手を引かれて歩く西部さんは目を白黒とさせているが、唖然としつつも足は動いているから問題無いだろう。
もちろん虎の亡骸は通路の端に寄せる。虎の断面図なんて繊細なお嬢様には見せられない。
「そまり、大丈夫?」
「えぇ、問題ありません。虎はここに置いておいて、先に進みましょう」
今日の夕飯は先程の鶏肉で十分。
この虎は放置して、帰りがけに回収しよう。剥製にしてベイガルさんの執務室に飾るも良し、傷ついていない部分の虎皮で何か作るもよし、もしかしたらギルドで換金出来るかもしれない。
使い道は色々とある。使い道が無くても肉は食える。
そう二人に説明して歩き出せば、お嬢様もまた西部さんの手を引きながら歩き出した。




