05:働くお嬢様
「お嬢さんがこの仕事を?」
「えぇ、八百屋に行ってメモに書かれている野菜を買って、先程のご婦人の家にお届けすればいいんですよね?」
「あ、あぁ、そうだが……」
「私、元いた世界では諾ノ森の一人娘として何不自由なく暮らしてきました。バランスボールに乗ってひっくり返ってもお小遣いを貰える生活……。ですがここでは諾ノ森の後ろ盾は無い、ならば私もこの世界で生きる者として、役割を負わねばなりません!」
そうお嬢様が断言する。なんという素晴らしさだろうか!
「仕事といっても報酬は小遣い程度だぞ?」
「お嬢様、素晴らしい! 愛らしさと気品、そのうえ働く女性の逞しさまで備えてしまうなんて! 完璧の更に上を行く!」
「あぁ、また始まった……。まぁ別にお嬢さんとそまりが良いならこっちも有難いんだけど。それじゃお嬢さんは試験はパスで、マチカ専属でやってくれ」
「おまかせ下さい。自分の食い扶持……とはいかなくても、自分のおやつ扶持は自分で稼ぎます!」
「お嬢様なんという崇高なお考え! 将来はお嬢様には是非とも家に入って家で俺の帰りを待っていてもらおうと思っていましたが、働くお嬢様が素敵すぎて夫婦二馬力で生活し、仕事後二人で家に帰る選択肢も捨てがたくなってしまう!」
「そまり、いざとなったらそまりの事も養ってあげる!」
「お嬢様……!」
自ら働く事を選ぶ、社会に進出するお嬢様……!
愛らしく可愛い子猫のようだと思っていたのに、いつのまにこんな立派になられていたのか!
お嬢様の素晴らしさに俺が言葉を失い拍手を送っていると、ベイガルさんが受付嬢から書類を貰い、手早くお嬢様の名前を書き込むと自らの承認サインを書き、ギルドカード発行に移ってしまった。
相変わらずの書類詐称だ。
そうして俺は狩猟や採取、お嬢様はマチカさんのおつかい……と、さながら共働き夫婦のような生活を送ることになった。
野菜を買い、マチカさんの家まで届けるお嬢様のなんと凛々しく気高いことか。色艶を見て野菜を選び、金を払い、運ぶ、その高度な仕事をこなし、そのうえ時にマチカさんのお茶の相手までしてあげるという優しさ。
ただ任された仕事を終えるだけの俺とは大違い、仕事をこなす正確さの中に人情を感じさせる。完了のサインを貰い去っていく姿はもうベテランの冒険者と言えるだろう。
「あぁ、仕事を終えてギルドに戻るお嬢様のなんと勇ましいことか……。輝いて見える!」
「輝いてるのはコラットがうろちょろしてるからだろ。ところでそまり、森の中で違和感とか感じなかったか?」
「そういえば何となく薄気味悪さはありましたね。あぁ、お嬢様のあの迷いの無い歩み、可憐でいて気高く、お嬢様が歩いた道には七色の花が芽吹く! ……芽吹かなかったら俺が芽吹かせる!」
「補整した道を芽吹かせるんじゃない。でもやっぱりお前も感じたか。変な報告が続くなぁ……」
ベイガルさんが書類を眺めながらガシガシと頭を掻く。
どうやらここ最近森の中で異変が起こっているらしく、ギルドの冒険者かは報告が相次いでいるらしい。先日の狂暴化したゴブリンも同様、どうにも森の中は荒れているようだ。
ちなみに今俺達がいるのはギルドの一角にあるテーブル。
お嬢様のお仕事――尊い――より俺が早く戻ってきた時は、こうやってベイガルさんと話をしている事が多い。まぁ、俺はお嬢様を褒め称え、ベイガルさんは仕事の事とか呟いているので、顔を突き合わせこそしているが会話の成立は3割程度なのだが。
「面倒になる前に調べておきたいんだが、王都には行きたくないし……。コラットに調べてもらうか、いや、そろそろあいつが帰ってくるか」
「あ、お嬢様がこっちに気付いた。お嬢様ぁー、今日もお仕事お疲れさまでーす!」
「そまりー!」
俺に気付いたお嬢様が嬉しそうに駆け寄ってくる。
仕事を終えた凛々しい顔つきが一瞬にして愛らしい子猫に変わり、スカートを翻してパタパタと走る姿は愛らしさ無限大。ふかふかの子猫だって白旗を上げる。
そのうえ俺の元まで来ると、その勢いのままギュッと抱き着いて眩しい笑顔で「そまりもお疲れ様!」と労ってくれるのだ。なんと眩い笑顔だろうか。
「お嬢様、そんなに走ったら危ないですよ。俺に抱き着いて倒れたらどうするんですか。初めては俺に押し倒させてください」
「もう、そまりってば……。星の輝く夜、シーツの海に押し倒して」
「なんたる詩人」
シーツの海だろうが何だろうが、その日になればお望みのままに押し倒します。そして何度か押し倒した後には、お嬢様から……。
と、俺が願望を口にすれば、腕の中のお嬢様がポッと頬を染め、そして俺の上着で顔を隠した。恥じらう姿はいじらしく、それでいて「その時は覚悟してね」と甘く囁いてくる小悪魔ぶり。
やばい、たまらない、今すぐに押し倒したい。
「お嬢様、俺が今日も仕事を終えられたのはお嬢様が居てくださるからです。お嬢様が俺のそばにいて、その愛らしい瞳で見つめ、俺の名前を呼んでくださるからです」
「……そまり」
「そのたびに俺の欲望が高まり、発散処をもとめて下半身に集まり不思議な能力でペンライトのパワーに変換されるんです」
「もう、そこは愛って言って!」
可愛らしくお嬢様が訴え、俺の胸板をツンツンと突っついて咎めてくる。
その最中に「きゃっ」と声をあげて再び俺の上着で顔を隠すのは、きっと俺の力の源に視線をやったからだろう。
どこか? そりゃもちろんちn
「ハレンチなのは駄目なのよ!」
「おっと失礼しました。さすがお嬢様、俺の考えはお見通しですね」
「もちろんよ。だから……待っててね」
腕の中でお嬢様がパチンとウインクしてくる。
なんて愛らしいのだろうか。堪らずギュッと抱き締め……そしてそっと彼女の肩を押して遠ざけた。お嬢様が一瞬瞳を丸くさせた後、俺の言わんとしていることを察して自らも身を引いた。
「これ以上は獣になってしまうのね」
「申し訳ありません。待ちたい気持ちは山々ですが、俺の中の天使と悪魔とニャルラトホテプが常々『据膳食わぬは』と訴えてくるんです」
なんとかお嬢様と距離をとって己を律する。なんたる苦行。
それでも己の中の欲望を落ち着かせ、一部始終を眺めるどころか書類から視線一つ寄越してこないベイガルさんに向き直った。
「それじゃベイガルさん、また明日。……もしかしたら明日は昼、いや夕方くらい……でも俺の体力だと丸一日は余裕……。しかしお嬢様の体を考えるとやっぱり一晩で留めたほうが……」
「理性が崩壊すること前提で明日の話をするな。朝一に来い」
「畏まりました。ではお嬢様、帰りましょう」
「ベイガルさん、コラットさん、ご機嫌よう」
スカートの裾を摘まんでお嬢様が別れの挨拶を告げる。エレガント!
その晩、俺とお嬢様が食事をしているとカランと室内に吊るしておいた鐘が鳴った。
玄関脇に仕掛けておいた罠だ。
町の外れだけあり家の周囲は野生動物が頻繁に姿を現す。害のないものなら良いが、狂暴な動物や先日のゴブリンだのといった厄介なものが出ては問題と罠を仕掛けておいたのだ。
何かがその上を踏めば足首をロープが掬い、高い木から吊り下げられるようになっている。それと同時に繋げた紐が揺れ、屋内の鐘を鳴らして知らせてくれる。
シンプルな罠だ。だがシンプルだからこそ必要最低限のもので仕掛けられ、今まであちこちの国でお世話になってきた。
「何かが掛かったみたいですね。行ってみましょう」
食事の途中とはいえ捕縛は早い方が良い。
そう考えて俺が立ち上がれば、お嬢様もハンカチで口元を優雅に拭うと立ち上がった。
「そまり、無害な子は放してあげてね」
「えぇ、もちろんです。優しいお嬢様に世界中の無害な生き物は感謝すべきですね」
「無害で、ニャーって鳴く子は飼っても良い?」
「そうですね、懐いたら良いですよ。でも害があるのは今後のためにも……」
話をしながら玄関を出て罠の場所へと向かう。
そうして辿り着いた場所にいたのは……、
「よぉ、お二人さん。こんばんは」
と、片足を取られて木から逆さづりになっているベイガルさんだった。
お嬢様が俺の服の裾を引っ張ってくる。
「ねぇそまり。ニャーって鳴くかしら?」
……まさか、飼うつもりですか?




