第6話 航行中の絆
セリナは、自室のベッドに横たわっていた。
同じ部屋のもう一つのベッドでは、ソフィが静かに寝息を立てている。
(……あれから、もう三日も経ったのね)
宮廷での糾弾。
極刑の宣告。
そして突然の婚約破棄。
――そのすべてから救い出してくれた、ユーリの手。
まだ夢の中にいるようで、現実感が追いつかない。
それでも、船の振動と、窓の外に広がる無限の宇宙が否応なく“現実”を示していた。
セリナはそっと身を起こし、星の海を見つめる。
(父上……私は今、逃亡者です。
でも――諦めません。
必ず、あなたの遺志を継いでみせます)
その決意を胸に刻んだ瞬間、ドアが軽くノックされた。
「セリナ様、起きていらっしゃいますか?」
レオンの落ち着いた声。
「はい。起きています」
ドアが開き、穏やかな表情のレオンが顔をのぞかせた。
「食事の時間です。食堂へどうぞ」
「分かりました」
セリナが立ち上がると、隣でソフィも小さく伸びをして目を覚ます。
「お嬢様……?」
「ソフィ、朝食よ。一緒に行きましょう」
二人は身支度を整え、並んで食堂へ向かった。
食堂では、すでにユーリとカイルが席についていた。
テーブルには温かい湯気が漂い、簡素ながら心がほぐれるような食事が並んでいる。
「おはよう、お嬢さんがた!」
カイルが元気よく手を振った。
「この生活には、少し慣れたかい?」
「はい……おかげさまで」
セリナが席につき、ソフィが静かに隣へ座る。
レオンも入室して扉を閉めた。
「では、揃ったな」
ユーリが全員を見回す。その声は低く静かだが、不思議な安心感がある。
「食べながらで構わない。今後の予定を話す」
五人はそれぞれ食事を口に運び始める。
カイルがまず口を開いた。
「ニャルディアまで、あと少しだな。
このままなら、特に問題なく着けそうだ」
「追手はどうだ?」
ユーリの問いかけに、カイルは肩をすくめる。
「今のところは何も映ってねぇ。
たぶん完全に見失ったんじゃねぇか?」
ユーリはほんのわずかに息をつく。
「そうか。……だが油断はするな。リュシアンは必ず追ってくる」
その言葉に、セリナは胸がきゅっと縮まった。
自然と目は、ユーリの横顔を追ってしまう。
「ニャルディアでは……何をするのですか?」
「船を乗り換える」
「乗り……換え?」
「この近衛艦隊の軍艦は目立つからな。
民間船に変え、身分も偽装する」
「偽装……」
「簡単なものだ。
お前たちは『商人の娘と侍女』。
俺たちは護衛の傭兵だ」
カイルが快活に笑った。
「へぇ、俺が傭兵か。悪くないじゃん!」
「お前は演技が下手だ。黙っていろ」
「ひでぇ!!」
大げさに肩を落とすカイルに、セリナは――
ふっと、自然に笑ってしまった。
ソフィもつられて微笑む。
そんな二人を見て、レオンがやわらかく言った。
「セリナ様……笑顔が戻られましたね」
「え……」
「三日前は、とても辛そうで……目を開けているのもやっとという感じでした。
でも今は、少しだけ……元気になられた」
セリナは胸が温かくなるのを感じた。
「……ありがとうございます。皆さんがいてくださるおかげです」
カイルが胸を張る。
「だろ?俺たち意外と頼りになるだろ?」
「特にカイルは頼りになる。操縦“だけ”はな」
ユーリがさらりと言い放つ。
「ちょ、ちょっと待て!操縦以外もその……色々……!」
「例えば?」
「……操縦!」
「それしかないのか」
全員が笑い声を上げた。
カイルも頬を赤くしながら笑っている。
「まぁいいさ。俺は操縦のプロだからな。
それで十分だろ?」
「ああ。お前の操縦技術は帝国一だ」
その一言で、カイルの顔がぱっと明るくなる。
「へへ、褒められると嬉しいな!」
この調子でカイルが場を盛り上げ、楽しい時間を過ごした。
食事を終え、セリナは再び窓辺へ足を運んだ。
流れる星々が、不思議と心を落ち着かせてくれる。
「セリナ」
背後から聞こえたのは、ユーリの声だった。
「少し話がある」
彼はセリナの隣に立つと、小さなメモリーを取り出した。
「これが……お前の父君が残した証拠だ」
セリナは息をのむ。
「これに……全部が?」
「ああ。リュシアンの横領、賄賂、不正取引……
すべての記録が入っている」
胸が震える。
指先まで、熱くなる。
(父上……)
だが、ユーリは続けた。
「ただし問題がある。このデータは暗号化されている。
開くために必要なのは、二つのパスワードだ」
「前に仰っていたことですね?
私とグレイヴ公爵が知るという……」
「ああ、そうだ。父君は必ず、お前に“何か”を残している。
言葉かもしれない。物かもしれない」
セリナは必死に思い返そうとした。
けれど――胸の奥は霧がかかったように、思い出が掴めない。
「……分かりません。何も……思い出せなくて」
「焦るな」
ユーリの声は驚くほど優しかった。
「グレイヴ公爵に会えば、お前にも分かるはずだ」
「……はい」
セリナが頷くと、ユーリがふっと口元を緩めた。
「やはりお前は強いな。
三日前、死を覚悟していたお前が……今は前を向いている。
父君の言葉どおりだ」
胸の奥が緩み、涙が滲む。
「……ありがとうございます」
「礼は要らない。俺は約束を果たしているだけだ」
その横顔は、鋼のように静かで、それなのに不思議と温かかった。
その夜。
訓練室では、レオンが静かに素振りをしていた。
無駄のない動き。
風を切るたび、鋭さの中にどこか品のある軌跡が生まれる。
ソフィはその美しさに、思わず息をのんだ。
(……まるで舞っているみたい)
レオンが気配に気づいて振り向く。
「ソフィか」
「あ、あのっ……すみません! 邪魔するつもりじゃ……」
「気にするな」
レオンは剣を収め、穏やかな表情で近づいてくる。
「見ていたのか?」
「……はい。とても……綺麗で」
「綺麗、か。そんなふうに言われたのは初めてだな」
レオンは照れたように小さく笑った。
「剣は本来、命を奪うためのものだ。
だが……お前がそう感じてくれたなら、それも悪くない」
その声の優しさに、ソフィの胸がふっと熱くなる。
「レオンさん……」
「ソフィ。お前も護身術を学べ」
「わ、私がですか?」
「ああ。自分の身は、自分で守れるようになれ」
ソフィはまっすぐ頷いた。
「はい……! 教えてください!」
「……いい返事だ」
レオンが少しだけ柔らかく微笑んだ。
・ ・ ・
翌日。
操縦席ではカイルが星図を立ち上げ、セリナに説明していた。
「ここがニャルディアだ」
ホログラムに映る巨大惑星。
浮かび上がる青い光の輪郭は、まるで宝石のようだった。
「本当に……大きい星なんですね」
「ああ。商人がうじゃうじゃいる繁忙惑星だ。
――だからこそ、隠れるには最適」
セリナは不安げに眉を寄せる。
「本当に……気づかれないでしょうか」
「大丈夫! 俺たちがついてる!」
カイルは豪快な笑顔でセリナの肩を軽く叩く。
「カイルさん……」
「さん付けなんていらねぇよ。仲間なんだからさ」
セリナは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「……うん。カイル」
「よし!それそれ!」
その様子を、少し離れた場所でユーリが静かに見ていた。
(……利用しているだけだ。
だが、それで構わない。俺には為すべきことがある)
笑顔を取り戻したセリナを見つめながら――
胸の奥が、ひどくチクリと痛んだ。
・ ・ ・
夕食後。
五人が食堂に集まっていたとき、カイルが唐突に手を挙げた。
「なぁ、せっかくだし自己紹介でもしねぇ?」
「自己紹介?」
「お前たちのことは知ってるけどさ、
俺らのことはまだちゃんと話してねぇだろ?」
カイルは勢いよく立ち上がった。
「まずは俺!
カイル。孤児院育ちで、操縦に命かけてて――
ユーリに拾われて、今ここにいる!」
ユーリに向き直り、にっと笑う。
「ホント、ユーリがいなかったら俺は道端で死んでたわ」
「お前に才能があっただけだ」
「だろ?なんたって天才だからな!
俺、あれだから、小型艇から戦艦級まで全部操れるんだぜ!」
ユーリが冷静に突っ込む。
「戦艦級は操縦したことないだろ」
「……そんなツッコミは不要だってば!
できる事にしといてくれよ」
セリナとソフィが笑いをこらえる。
そしてレオンが続いて立ち上がった。
「レオンだ。俺も孤児院育ちだ。
ユーリが……俺の人生を変えてくれた」
静かだが熱のこもった声。
ユーリが言葉を返そうとすると、レオンは首を振った。
「本当だよ。あなたは俺に、生きる意味を与えてくれた」
ユーリは黙ったまま、少しだけ目を伏せた。
そして最後に、ユーリが立つ。
「……俺はユーリ。特務官で、こいつらの上司だ。
俺には何もない。家も地位も。
だが――こいつらがいる。
そして今、お前たちもいる。
俺たちは仲間だ」
その言葉に、セリナの胸が熱くなる。
セリナも立ち上がった。
「私はセリナ・フォンテーヌ。
父を奪われ、すべてを失いました。
でも……皆さんがいてくれるから、私は前に進めます」
ソフィも続く。
「私はソフィ。お嬢様の侍女です。
お嬢様のためなら、どんな危険も恐れません」
五人は互いに視線を交わし――
「乾杯!」
カイルの声とともに、グラスが重なった。
「新しい仲間に!」
笑い声が、食堂にふわりと広がった。
・ ・ ・
ニャルディアまで、あと三日。
セリナは星のきらめく窓辺に立ち、静かに誓う。
(父上……私は仲間を得ました。
この人たちと共に、必ず真実を明らかにします)
そこへユーリが近づいてきた。
「セリナ。やはり……その……。
言いにくいんだが、ニャルディアに着いたら変装が必要だ」
「はい。覚悟はできています」
ユーリはセリナの桃色の髪を見つめ、わずかに迷う。
「……無理は言いたくないが――」
セリナは迷わずレーザーナイフを取り出した。
「おい待っ……!」
一閃。
桃色の長い髪が肩で切り落とされ、宙にふわりと舞った。
焦げた匂いがかすかに漂う。
ユーリは目を見開いた。
「な、何を――!」
「この髪は、私の誇りです。染めません。
でも――髪型なら変えられます。
もう手配書とは別人です」
迷いのないその瞳。
髪は女性にとってかけがえのないものだ。
これが持つ意味は彼女の“覚悟”そのものだった。
ユーリはセリナの凛とした姿に息を呑む。
(……綺麗だ)
自分でも気づかぬほど長く見惚れてしまい、
慌てて視線をそらす。
「そんなので切るな。後でソフィに整えてもらえ」
けれど、その声はどこか優しかった。
「だが……お前の覚悟は分かった。
染める必要はない。
その覚悟には、俺の全力で応える。
必ず、お前を守る」
そして――
彼の猫耳が、ほんの少し照れたように揺れた。
「……短い髪も、似合ってる」
「え……」
顔が一瞬赤くなり、すぐ視線をそらして去っていくユーリ。
セリナはその背中を目で追いながら、小さく息をついた。
(ユーリって……そんな顔もするんだ)
胸が、ほんの少しだけ速く脈打つ。
まだ気づかない。
その感情が確かに芽生え始めていることに。
外の宇宙では、星々が静かに流れ続ける。
ニャルディアまで――あと三日。
新たな物語が、静かにその幕を開けようとしていた。
イケメン3人と美女2人。ちょうどいい感じですね!
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