第5話 最後の夜
回想 ― 極刑宣告の前夜
セリナは、自室の窓辺に腰を下ろしていた。
満ちかけの月が、桃色の髪を静かに照らしている。
明日、宮廷からの呼び出しがある。
侍従たちの報告によれば――それはリュシアン主導の“公開裁判”。
どの罪状にも覚えはない。
けれど、結末だけは分かっている。
裁判という名の、処刑。
そして下されるのは――極刑。
ヴィオラの艶めいた笑みが脳裏をかすめる。
(明日で……全部終わるのね)
窓の向こうには、いつも見慣れた帝都の夜景。
生まれ育った街が、こんなにも遠く感じるのは初めてだった。
「お嬢様……」
そっと入ってきたソフィが、紅茶の湯気を揺らす。
「ありがとう、ソフィ」
セリナは受け取ったカップを両手で包み込み、静かに息を吐く。
「お嬢様……わたし……っ」
ソフィの瞳が揺れ、涙がこぼれそうになる。
「大丈夫よ、ソフィ」
セリナは微笑んだ。かすかに震えながらも、確かな覚悟を宿した笑みだった。
「私は……もう覚悟しているわ」
「でも……!」
「ソフィだけでも、逃げて。お願い」
ソフィは強く首を振る。
「絶対に嫌です! お嬢様を一人でなんて……!」
セリナはそっと彼女の両手を包んだ。
「あなたは、私にとって大切な友人。
妹のような存在なの。
だから、生きてほしい」
「……お嬢様」
堪えきれなくなった涙が、ぽたりと落ちた。
「私は……お嬢様と一緒にいたいんです。
最後まで」
「ソフィ……」
二人は静かに抱き合った。
温もりだけが、月光の部屋に残る。
ソフィが部屋を出ていったあと、静寂が戻った。
(父上……ごめんなさい。
私は……あなたの遺志を継げませんでした)
涙がひとすじ、頬を伝う。
――その時。
窓が音もなく、すっと開いた。
「……っ!?」
振り返れば、夜の闇に溶け込むような青年が立っていた。
濃紺の髪が月光を受けて揺れる。
警戒と恐怖の中、辛うじて声が出る。
「だ、誰……!?」
「静かに。俺は敵じゃない」
低く落ち着いた声が返ってくる。
「あなたは……?」
「皇帝直属特務官、ユーリだ」
「特務官……?」
(聞いたことがある。確か陛下直属のエリート近衛兵……。
でも、実際は何をしているかはわからない。
……敵じゃない?そんなの信じられる?)
「警戒しているようだな。
俺はお前の父君――アルフレド公爵の依頼で来た」
「父上の……?」
ユーリは軽く顎をしゃくり、彼女を椅子に促した。
・ ・ ・
「明日、お前は極刑を宣告される」
「……はい」
「だが――俺が助ける」
「え……?」
あまりに突然で、言葉が胸に落ちてこない。
「なぜ……どうして私を?」
ユーリは真っ直ぐに彼女を見た。
その視線には、一切の迷いがない。
「父君が、お前を守るようにと俺に託した」
胸が強く締めつけられる。
「……父上……」
「俺たちは辺境フィンニャルド星系に向かい、グレイヴ公爵と合流する」
「父上の……親友の……」
「そうだ。二人は密かに、リュシアンを倒す準備を進めていた。
お前を生かすことは、その計画の要になる」
ユーリは立ち上がり、窓辺へ歩いた。
「明日、宮廷で裁判が始まる。
その時、俺が迎えに行く」
「で、でも……どうやって……」
ユーリは小さな銀の指輪を差し出した。
「これを持っていろ」
「これは……?」
「お前との連絡手段だ。
これが震えたら――迷わず頭を抱えてしゃがめ。
いいな。命に関わる」
「そ、そんな……」
「言ったはずだ。お前を助ける、と」
セリナは強くうなずいた。
「……わかりました」
ユーリが窓へ向き直る。
「ま、待って……」
振り返った彼に、セリナは震える声で問う。
「どうして……そこまで……?」
夜風が二人の間を通り抜ける。
ユーリは短く息をつき、静かに答えた。
「アルフレド公爵が、お前を信じていたからだ」
「……!」
「『セリナは強い子だ。必ず遺志を継いでくれる』
父君はそう言っていた」
胸の奥に、熱いものがあふれ出す。
「父上……」
「泣くな。
お前はアルフレド公爵の娘だ。
強く、生きろ」
それだけ残して、ユーリは夜へと溶けていった。
セリナは指輪を胸に抱きしめる。
小さな銀の光――父が最後に託した希望。
「父上……ありがとう……」
右手の薬指にそっとはめる。
(私は……諦めない。
絶対に、父上の遺志を継ぐ)
月光が部屋を照らす。
運命を変える朝が、すぐそこまで迫っていた。
・ ・ ・
同じ頃 ― 使用人部屋
(お嬢様を死なせはしない。
例え帝国中を敵に回しても私がお嬢様を救い出す……)
二人分の逃亡用の荷物をまとめていたソフィの背後に、黒い影が落ちた。
「だ、誰!?」
「静かに。俺は味方だ」
振り返れば、濃紺の髪――ユーリ。
「皇帝直属特務官、ユーリだ」
「と、特務官……?」
セリナと同様、強い警戒をもってユーリを睨む。
「セリナの侍女だな?」
「は、はい……」
「明日、セリナを救出する。」
その一言でソフィの警戒が緩む。
(味方!?本当に?本当にお嬢様を助けてくれるの?)
「だが――お前も危険だ。
彼女に関わる者は全員、処分対象とみなされる」
「わ、私まで……?」
「命を賭ける覚悟があるなら、連れていく」
ソフィは迷わなかった。
「行きます。
お嬢様のためなら、どこへでも」
ユーリはわずかに笑った。
「いい目だ。……お前なら、セリナを支えられる」
「ありがとうございます……!」
「明日、必ず迎えに来る。
その時まで、無事でいろ」
「……はい!」
「必ずお前のお嬢様と一緒に迎えに来る。約束する」
ユーリは窓から消えた。
ソフィはその背中を、強く握った手で見送る。
(お嬢様……神様は私達を見捨ててはおられないようです。
明日は……必ず……)
・ ・ ・
同じ夜 ― 皇太子の私室
リュシアンがワインを傾け、満足げに笑う。
隣では、ヴィオラが妖艶に微笑んでいた。
「明日で、全てが終わるのよ」
「アルフレドの娘も消える。証拠も残らん」
「そしてようやく……私は皇太子妃に」
互いの手を絡め、未来を確信する二人。
けれど――
窓から差し込む月光だけは、冷たかった。
まるで、静かに裁きを告げる光のように。
そして1話につながると・・・。回想と同時にヴィオラへの憎たらしさの充電タイムでした。
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