第4話 陰謀の影
翌日。
セリナは、ユーリから受け取った資料を端末で開き、
画面に食い入るように目を落とした。
そこには、父が命を賭して残した証拠がずらりと並んでいる。
リュシアンの横領、賄賂、不正取引の記録——。
「……これが、父上の遺したもの……」
隣で資料を覗き込んでいたソフィが、息をのむ。
「お嬢様、これ……とんでもない量の不正です」
「ええ。どれも、リュシアン殿下の罪を裏付けるものよ」
セリナは画面をスライドし、一枚の書類で指を止めた。
「公費三十億ニャーラの横領。
その多くが、皇太子宮とヴィオラの一族に流れている」
「ヴィオラ様……」
ソフィの眉がきゅっと寄る。
「彼女が、リュシアン殿下を——操っているの」
ソフィは怒りを押し殺すように拳を握った。
「ヴィオラは財務を握る公爵家の令嬢。父親は財務大臣。
資金の後ろ盾と引き換えに、皇太子妃の座を狙っているんですね」
「でも、お嬢様の方が正式な婚約者だったのに……」
「だからこそ、私が邪魔だったのよ」
その時、背後から低い声がした。
「——だが、この証拠だけでは奴らを追い詰められない」
ユーリだった。セリナとソフィが振り返る。
「ヴィオラはずる賢い。これだけではまだ不足だ。
だが、これを凌駕する“決定的な証拠”が存在する。
外に出せば皇太子が一発で失脚するほどの、完全な証拠だ。
それこそが、お前の父君の“奥の手”だった」
「そんなものが……!」
セリナとソフィが息を呑む。
「今見ているデータは氷山の一角にすぎない。
ヴィオラの一派なら、反証を捏造して押し切るくらい平気でやる。
……お前に罪を押し付けた時のようにな」
セリナは唇をぎゅっと噛んだ。
「……じゃあ、その本命の証拠はどこに?」
ユーリは、親指ほどのメモリー装置を示す。
「ここにある。だが暗号化されていて俺では開けない。
下手に解除しようとするとデータごと吹き飛ぶ」
「えっ……」
「復号パスワードは二つ。
片方をお前が、もう片方をグレイヴ公が握っている。
何か心当たりは?」
セリナはゆっくり首を横に振る。
「……ありません。全く覚えがなくて」
「そうだろうと思った。なら、グレイヴ公のもとへ行くしかない」
ユーリの声は、いつになく重かった。
・ ・ ・
回想——婚約式の一週間後
アルフレドは執務室で書類を整理していた。
扉がノックされる。
「入れ」
扉が開き、リュシアンが現れた。
「こ、これはリュシアン殿下……失礼いたしました」
アルフレドは慌てて立ち上がる。
「公爵、話がある」
リュシアンはずかずかと入ってきて椅子に腰を下ろした。
「何でございましょう」
「単刀直入に聞く。——余の財政に口を出すつもりか?」
アルフレドの表情が険しくなる。
「……殿下、何のことでしょう?」
「とぼけるな」
リュシアンが机を叩いた。
「お前が余の支出を調べているのは知っている」
「……」
「公爵。お前は優秀だ。
だが忠告しておく。——余計なことはするな」
吐き捨てるように言い残し、リュシアンは部屋を出ていく。
アルフレドは深いため息をつく。
「……気づかれたか」
窓の外に目をやり、
(セリナ……すまない。
父は、お前を守れないかもしれない)
と、小さくつぶやいた。
その夜。
ユーリが再びアルフレドの執務室を訪れた。
「公爵、リュシアンが動き始めた」
「ああ……今日、忠告を受けた」
アルフレドは小さなメモリー装置と数枚の書類を机上へ置く。
「これを預かってほしい。その中身の一部は、この書類だ」
ユーリが書類を手に取り、目を見張った。
「これは……皇太子の不正記録……!」
アルフレドは、手にした書類の束を暖炉へ投げ入れた。
パチ、パチ……炎が紙を呑み込んでいく。
「そうだ。今燃やしたのは、この中のごく一部だ。
すべての証拠は、このメモリーにまとめてある」
アルフレドはメモリーを手渡した。
ユーリは慎重に受け取り、その目が鋭く輝く。
「これがあれば——皇太子を追い落とせる」
「だが、焦るな。機会は一度きりだ。
それに、メモリは暗号化されていて、絶対に開けない」
ユーリの眉が動く。
「復号には二つのパスワードが必要だ。
片方は娘セリナ、そしてもう片方は……私の親友、グレイヴ公が握っている」
「グレイヴ公を巻き込むのか?」
「巻き込むというより、彼がいなければ成立しない反撃だ。
証拠の中身と、グレイヴ公の軍事力——その両方が必要になる」
アルフレドは真剣なまなざしでユーリを見つめる。
「セリナを無事にグレイヴ公のもとへ連れていってくれ。
セリナ自身、パスワードを覚えていない可能性が高い。
だが、グレイヴ公なら思い出させてくれる」
ふと、アルフレドの表情が父親のものへ戻った。
「すまんな。私も……一人の父親なのだ。
君のことを信用していないわけではないんだ。
だが確実に……セリナをグレイヴ公の元へ……。
安全な場所へ逃がしてほしい。
その保険がセリナのパスワードだ」
彼の声が少しだけ震えた。
「政治ばかり見て、家族を顧みなかった。
そのせいで、妻を失い……セリナに寂しい思いばかりさせてきた。
あの子は、私の全てなんだ」
アルフレドは、そっとユーリの手を包み込む。
「頼む。セリナを……守ってくれ」
沈黙。
やがらユーリは、静かに頷いた。
「……分かった。必ず守る。
セリナを、グレイヴ公のもとへ届けると約束する」
・ ・ ・
回想——婚約式の二週間後
宮廷の長い廊下で、セリナはヴィオラと鉢合わせた。
「あら、セリナ様」
妖艶な笑み。
セリナの背筋が一瞬にして強張る。
「ヴィオラ様……」
「ご婚約、おめでとうございます」
「……ありがとうございます」
「でも、可哀想に」
ヴィオラが一歩近づく。
香水の匂いが、不快なほど甘い。
「リュシアン様は、あなたのこと——
全然、愛していないのね」
セリナの表情が凍りつく。
「……何を、仰って……」
「あら、知らなかった? 殿下が愛しているのは私よ」
耳元で囁く声。
胸の奥が、ざくりと痛む。
「……」
「あなたは“飾り”。
いずれ邪魔になるわ。
いっそのこと辞退なさったら?」
ヴィオラは薄く笑い、優雅に踵を返した。
「さようなら、セリナ様。
あなたの時代は——もう終わり」
セリナはその場に立ち尽くす。
(……私は、邪魔者……?)
冷えた廊下の空気が、肌に刺さるほど痛かった。
・ ・ ・
回想――婚約式の三週間後
アルフレドは、いつものように静かに夕食を取ろうとしていた。
「公爵様、お食事を」
使用人が運んできた皿から、ひと口。
そして――次の瞬間。
「……っ」
アルフレドの顔色が、見る間に青ざめていく。
「公爵様!? 誰か! 医者を!」
叫びが響くより早く、アルフレドの体が崩れ落ちた。
「う……ぐ……ここまで、露骨に……」
・ ・ ・
――その夜
セリナは父の寝室へ駆け込んだ。
「父上!!」
ベッドに横たわるアルフレドは、もう息が細かった。
「セリナ……」
「父上、いったい何が……!」
「……毒だ。まさか……家人にまで手が回っているとは……」
「そんな……! 父上、しっかりしてください!
父上は、こんなことで倒れる方ではありません!」
震える手で、彼は娘の手をつかんだ。
「……リュシアン……だろう……」
「父上……」
「セリナ……聞きなさい……」
「……はい」
「お前は……強く……生きろ……」
「父上……」
「希望を……捨てるな……お前なら……できる……」
その言葉とともに、力がふっと抜ける。
「待ってください……父上……父上!!」
呼びかけは虚しく、もう返事は来なかった。
・ ・ ・
現在――軍艦内
「……これが、俺の知るすべてだ」
静かなユーリの声が、重く落ちた。
セリナの頬を、涙が止まらず伝う。
「父上……そんな……」
「俺は約束を守りたかった。だが――リュシアンの動きが早かった。
お前への婚約破棄。それから罪を着せる計画。
……全部、ヴィオラが仕組んだ」
セリナの胸に、きゅっと熱いものが込み上げる。
「ヴィオラ……」
「ああ。黒幕は彼女だ」
「許せない……」
セリナは立ち上がった。足は震えているのに、視線だけはまっすぐだった。
「私は――父上の遺志を継ぎます。必ず……真実を明らかにする」
ユーリが、わずかに微笑む。
「その目だ。お前ならできる」
ソフィがそっとセリナの手を握る。
「お嬢様。私も、お供します」
「ソフィ……」
「お嬢様のため。そして、公爵様のために」
二人の顔を見て、セリナの中で覚悟が固まっていく。
(父上……どうか見ていてください。
私は必ず、あなたの遺志を継ぎます。
そして――リュシアンとヴィオラを、裁く)
窓の向こう、星々が静かに流れていく。
ニャルディアまで、あと五日。
そこからが、本当の戦いだった。
父親まで奪われるとは……憎しみの蓄積回です。ヴィオラはざまぁされるべきなのです。
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