第3話 二ヶ月前—華やかな婚約
「……事の始まりは、二ヶ月前に遡る」
ユーリの低い声が、静まり返った船内に落ちた。
一週間の航行で、三人の距離もだいぶ近くなった頃だった。
今はセリナとソフィが、向かい合うように座っている。
「ユーリ、あなたは……父と、どんな関係だったんですか?」
セリナの問いに、ユーリは短く息をつき答える。
「俺とお前の父君は……同じ目的を持っていた」
「同じ目的?」
「ああ——リュシアン皇太子を、玉座から引きずり降ろすことだ」
セリナとソフィが同時に息を呑む。
「父が……そんなことを……」
「驚くか?」
ユーリは真っ直ぐセリナを見る。
「だが、父君は気づいていた。
リュシアンがこの国を滅ぼす、と」
「……」
「話そう。お前が知るべきことを」
ソフィが淹れたコーヒーを手に、ユーリは窓の外へ視線を流した。
「二ヶ月前——お前の婚約発表の日からだ」
・ ・ ・
二ヶ月前 — ニャニャーン神聖帝国 皇宮
壮麗な大広間。
天井の巨大なシャンデリアが金色の光を放ち、貴族・文官・軍人たちが整然と並ぶ。
玉座から、皇帝カイゼルが立ち上がった。
「本日、朕は、皇太子リュシアンと
フォンテーヌ公爵家令嬢、セリナ・フォンテーヌの
婚約をここに宣言する」
盛大な拍手。
金髪の皇太子リュシアンが進み出る。その華やかさは、誰の目も奪った。
隣にセリナが歩み出る。
桃色の髪を優雅にまとめ、白いドレスを纏った姿は——まるで咲き始めた花のようだった。
「セリナ・フォンテーヌ。
お前を、余の皇太子妃として迎える」
リュシアンの声に、セリナは深く頭を下げる。
「畏れ多きお言葉……痛み入ります。
殿下をお支えできるよう、精進いたします」
拍手は続く。
だがセリナの表情は、どこか強ばっていた。
(これが私の運命……
国のため。父のため。
私は、この人の妻になるんだ……)
式典が終わると、セリナはそっとバルコニーに出た。
夜風が髪を揺らす。星空は美しいのに、胸が痛む。
「……セリナ」
背後から優しい声。
振り返れば、父アルフレド公爵が立っていた。
「父上……」
「辛いだろう」
隣に立つ父の横顔は、いつも通り穏やかだった。
「いえ……」
「無理をするな。
お前はいつも強がる。母に似ているな」
その言葉だけで、涙が滲む。
「父上……本当に、これでよかったのでしょうか……」
アルフレドはしばし黙し、娘をそっと抱き寄せた。
「セリナ。伝えておきたいことがある」
「……はい」
「もし——私に何かあったら」
「え……?」
「お前は強く生きろ。
希望を、決して捨てるな」
「父上……?」
「いいか。
お前は、私が思うよりずっと強い」
その瞳は揺らがない。
「どんな困難も乗り越えられる。父はそう信じている」
「……父上……」
「約束してくれ。希望を捨てないと」
涙をこらえながら、セリナは頷いた。
「……はい」
「いい子だ」
頭を撫で、父は静かに歩み去っていった。
(父上……何か隠している……)
翌日。
セリナはリュシアンとの初めての食事に招かれた。
豪奢な皇太子私室。なのに、彼の態度は冷たい。
「セリナ・フォンテーヌ」
「はい、殿下」
「言っておくが、この婚約は父上の命令だ。
余の意思ではない」
胸が痛む。
「……承知しております」
「優秀だそうだな。政務に長けていると聞く」
「恐れ入ります」
「だが——」
リュシアンの目が、冷たく光る。
「余の邪魔をするな」
「……」
「お前は余の“飾り”だ。それ以上でも以下でもない」
(私は……飾り……?)
「理解したなら下がれ」
涙をこらえ、セリナは部屋を出た。
廊下で待っていたソフィが駆け寄る。
「お嬢様……!」
「大丈夫……大丈夫よ、ソフィ」
ソフィはそっと手を握る。
「いつでも傍にいます」
「……ありがとう、ソフィ」
その夜。
アルフレドの書斎に、一人の男が訪れた。
濃紺の髪、鋭い瞳——ユーリだ。
「公爵」
「来てくれたか、ユーリ殿」
アルフレドの声が低くなる。
「話は手短に。リュシアンが動き始めた」
「……やはりか」
「公費横領、賄賂、不正取引。証拠はある。だが——
公表する力が足りない」
フォンテーヌ公爵家は文官。
正規軍との繋がりも薄く、私設軍も強くない。
「そうだな」
「リュシアンにはヴィオラがついている。
財務を牛耳る強大な一族の娘だ。
彼女がリュシアンを操っている」
「……」
「ユーリ殿、頼みがある」
アルフレドの声がわずかに震える。
「もし私に何かあったら……セリナを頼む」
「公爵……」
「私は命を狙われている。
彼の不正に気づいたからだ」
「なぜ逃げない」
「逃げれば、セリナが標的になる」
沈黙ののち、父は静かに続けた。
「だから、頼む。
もし私が死んだら——セリナを守ってくれ」
そして、微笑む。
「彼女は強い子だ。私に何かあっても、必ず遺志を継ぐ。
私は娘を信じている」
ユーリは静かに頷いた。
「……分かった。約束しよう」
・ ・ ・
現在 ―― 軍艦内
「……それが、お前の父君と俺の約束だった」
回想が終わると同時に、セリナの頬に涙が流れ落ちる。
「父上……そんなことを……」
「ああ。父君は、お前を守るために命を賭けた」
「……」
「そして五日後——」
ユーリの声が低く落ちる。
「父君は倒れた。毒だ」
「っ……!」
ソフィがセリナの手を強く握る。
「お嬢様……」
「父上……父上……」
セリナは声を上げて泣き、ユーリは黙って見守った。
「泣け。今は、それでいい」
しばらくして、セリナは涙を拭き、顔を上げた。
「……教えてくれて、ありがとう、ユーリ。
父は……私のために……」
拳を握る。
「私は絶対に……父の遺志を継ぐ」
「ああ。その目だ」
ユーリが力強く頷く。
「それが、父君が愛した強い娘の目だ」
セリナは窓の外の宇宙を見つめた。
(父上。見ていてください。
私は、あなたの遺志を継ぎます。必ず——)
悪役令嬢のヴィオラと小心者の皇太子リュシアン、憎ったらしいですね!
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