6. カオ・マン・ガイか、コンフィ・デ・カナード
■ 17.6.1
ジレイブゼッティクは、下町のかなりくたびれたビルの一階の角に店子として入り込んだ、地元住民をターゲットにしていると思われるレストラン、というよりも食堂と言った方がしっくりくるようなざっくばらんで賑わっている店だった。
店の入ったビルが通りの交差点に面しており、その交差点に面している角の部分を占拠しているため店内は二方向に開放されており、さらには路上にも幾つものテーブルがはみ出して置かれていた。
俺達が店に着いたのは昼時も少し過ぎており、客の入りのピークは過ぎているようだったが、それでもまだ二十近くあるテーブルの半分以上が地元客と思しきラフな恰好をした客で埋まっていた。
店の奥のカウンターの上には様々な料理が入ったバットやボールが並んでおり、どうやら定食のようなセットを頼むことも出来れば、カウンターの上の料理をビュッフェ形式で好きなように取っていくことも出来る、いかにも下町の食堂と云った雰囲気の店だった。
料理を置いたカウンターの向こうでは数人の店員が忙しそうに動き回っており、そのキビキビした動きからも普段から客の入る人気店なのだろうと云う事が見て取れた。
店の外からざっと見回したところでは赤いキャップを被った客はおらず、黒いレザー調の上着に長い髪の少女という特徴に該当する客もいない様だった。
地元の大手マフィアから追われている十七歳の少女が追っ手の目を盗んで運び屋と接触する為に指定する店としては少々賑やか過ぎて奇異な感じを受けたが、地元民で賑わう大衆食堂というのは人の出入りも多く、また常に沢山の堅気客の眼がある店内というのはマフィアと云えども動きづらいだろう事から、案外こういった店の方が俺達運び屋に接触するには向いているのかも知れない、と依頼人の選択に少し感心した。
しかししばらく店の外で待っていても、沢山の客が店に出入りはするものの赤いキャップの少女は現れなかった。
雰囲気としては追っ手にかなり追い詰められており、余り余裕がない状態だという印象を受けていたため、依頼人が姿を見せないことに段々と焦れてきた。
「メイエラ、掲示板に新たな書き込みはあったか? 或いはこの周辺で依頼人の姿を見かけていないか?」
もしくはメイエラが絞り込んで特定したという少女の外見も、実は偶々条件に当て嵌まってしまった別人ではないか、という疑いさえ持ち始めていた。
「無いわ。さっきも言ったでしょ。その周辺はカメラの台数だけは普通にあるんだけど、どれもこれも動作不良だったり、長年メンテナンスして無くてレンズが汚れて全然画像が撮れなかったり、死角が多いのよ。加えて依頼人はどうやら別ルートでそれなりに腕の良いハッカーのバックアップを受けてるっぽい。掲示板にアクセスするときは必ずカメラの死角からログインするくらい良く知ってるって事は、その辺の穴だらけの監視カメラじゃ良い様にカメラの死角を伝って全然姿を曝さずに移動されるわ。言ったでしょ。『見つけたら教える』って。見つけられたらかなりラッキーなのよ。」
と、半ばキレ気味にメイエラが応えた。
依頼人がここを指定しているので、この場所を動くわけにもいかない。
しかし依頼人の姿が見えないまま時間は過ぎていき、実はすでに追っ手に捕まってしまったのではないかと気持ちだけが焦る。
ふと思いつき、俺は店内を見張っていた場所を離れて、ジレイブゼッティクの店内に入った。
所狭しと並べられたテーブルと椅子を掻き分けるようにして店内を進み、店の奥で店員が忙しく働くカウンターに近付く。
「済まない、人を探している。赤いキャップを被った女が来なかったか? エリエットという名前なんだが。この店で待ち合わせしているんだが、いつまで待ってても来ないんだ。」
カウンターの向こう側で俺の前を通り過ぎようとした小太りの中年の男に、カウンター越しに声を掛けた。
店を観察していれば、奥のカウンターで動いている店員の姿も眼に入る。
これまでの動きから、この男がこの店の店主か、或いは少なくとも他の店員に指示を出す役であることは分かっていた。
「あ? 何だこのクソ忙しいときに。何だって?」
忙しさのせいからかかなり殺気立った雰囲気でこちらを振り返った男に、俺はもう一度同じ質問を繰り返した。
「・・・アンタ、名前は?」
男はたっぷり五秒ほど探るような疑うような眼で俺を上から下まで眺め回した後に言った。
「マサシと言う。」
「何の仕事してるんだ?」
「船乗りだ。」
男は再び探るような眼で俺を上から下まで見たあとで、おもむろにポケットから紙切れを取り出した。
「ウチはメシ屋だ。何か訊きたければ何か注文しやがれ。カオ・マン・ガイか、コンフィ・デ・カナードどっちにする?」
と、紙切れを見ながら男が言った。
どうやら当たりだったようだ。
こんなことをいきなり訊かれても、地球人か或いは余程の地球通でなければ答えられないだろう。
カオ・マン・ガイはいわゆる海南チキンライスの様なもので、タイの庶民料理だ。正にこの店のような、街角の食堂で安価に食べるものだ。
コンフィ・デ・カナードは高級なフランス料理に分類される、鴨肉を低温の油で長時間煮込んだ料理だ。そんなものをこんな通りの角にある大衆食堂のような店で頼むのは違和感がある。
少なくとも、こんな雰囲気の店で頼むなら間違いなくカオ・マン・ガイの方だろう。
ちなみにカオ・マン・ガイは偶にルナが船内で出してくるが、鶏ガラスープで炊いたジャスミンライスと蒸し鶏の組み合わせは俺のお気に入りだ。
「カオ・マン・ガイにしよう。」
俺の答えを聞いて男はフンと鼻で息をして笑い、無言で右手の人差し指を動かして俺に近寄るように手招いた。
カウンターの上に身を乗り出すようにして男に顔を近づける。
「ここのすぐ裏手のゼリスンラーイてぇ店だ。」
それだけ言うと男は一瞬俺の眼を見て、そして踵を返して仕事に戻っていった。
俺はその背中を一瞬見送った後、向きを変えて店を出てルナの蕎麦に戻った。
「『ゼリスンラーイ』はジレイブゼッティクと同じブロックにあります。丁度反対側です。ただ、店の業種がちょっと問題ですが。」
「問題? 何だ?」
「昼間も営業しているようですが、主に夜から深夜帯を中心に営業する店で、所謂風俗店一歩手前の店です。具体的には、店で客待ちをしている女性に、店を訪れた男性が声を掛けてその日の夜のパートナーを探すことが目的の場所です。」
まあ下町だからな。大衆食堂と風俗店が隣り合って営業していても何ら不思議ではないのだが。
それよりも、幾ら追っ手のマフィアに見つからないためとは言え、十七歳の少女が待ち合わせに指定する場所としてどうなんだ。
ブルキャルは本拠地が八十五区にあるという事だったが、詰まりはここ二十八区はブルキャルのシマの外、他の組織が縄張りとしている場所なのだろう。
その手の風俗店にマフィアが噛んでいない筈は無く、つまり他の組織の息の掛かった店であれば、ブルキャルの人間も入りにくく動きにくいといいう判断なのだろうと想像する。
しかしそれにしてもな。
「上手く見つけたわね。」
「何がだ?」
食堂のオヤジに教わった風俗店に向けて移動を開始するとすぐにメイエラが言った。
「ジレイブゼッティクの店員が情報を持ってた事よ。アンタにしてはなかなかの推理だったんじゃない?」
「あんな街角の目立つ所に、追っ手が掛かってる人間が待ち合わせで長時間座っていたいと思うはずが無いだろう。そうなればこっちがツナギを取れる方法は限られる。」
「成る程ね。で、あたしは料理のことは詳しくないんだけど、アレは何だったの?」
「タイの大衆料理と、フランスの高級料理。あの店に似合うのはどっちだ?」
「よく調べてるわね。でも、当てずっぽうでも1/2の確率で当たるじゃない。」
「店のオヤジが俺の見てくれと合わせて判断したんじゃないのか。地球人で、黒髪黒眼、ルナを連れている。バックアップが居るなら、向こうもこっちのカメラ画像を確認してるだろうしな。それに、聞いた事も無い料理を二つ並べられたら、後で名前が出た方を選びやすいだろう。知らないのを誤魔化すために『それで良い』なんて言えば、確実に後者を選ぶことになる。」
「なるほど確かにねえ。正解は1/2よりは低い確率になる訳ね。本物を見分けられる可能性は案外高いわけね。
とっさに考えついたのか、或いは前から仕込んであったのか。
いずれにしても俺達の依頼人か、或いはそのバックアップをやっているハッカーは、思いの外機転が利く奴らしいという事は分かった。
そうこうしているうちに俺達はブロックを回り込み、ゼリスンラーイがあるというあたりに到達した。
辺りを見回してそれらしい表示を探すと、白地にマジッド語の黒い文字でゼリスンラーイと書いてある置き看板を見つけた。
店はこの手の店にありがちな、またぞろ地下一階にあるようだった。
そういう店に女連れで入っていくのもどうかと思うが、ルナを連れて看板脇の下り階段を降り、その先にある黒いドアを開けた。
薄暗い店内には幾つものソファとテーブルが意外に整然と置かれて、天井からはピンク色を中心にトーンを落とした様々な色の照明が光を落として、かなりうるさく感じるボリュームでビートの効いた音楽が流れていた。
この手の店が赤やピンクの照明を使い、大きめの音量でアップテンポの音楽を流すのは、どうやら銀河共通の様だった。
入口のドアを閉め、一歩踏み込んだところで店内を見回す。
ざっと見たところで三十ほどあるテーブルの三割ほどに少々露出が多めの服装の女が座っており、女達の半分くらいは隣に座った男と会話をして上手く「商談」を纏めるのに勤しんでいる様だった。
こんな真っ昼間からお盛んなことだ。
尤も女の方は、商売が出来て金が稼げるなら、昼も夜も関係無いのだろうが。
女達の中に赤いキャップを被っている者は居なかった。
暗がりで今ひとつはっきりと見分けられないが、先ほどメイエラから見せられた依頼人の映像と同じ顔の女は居ないようだった。
それを確認すると俺は整然と並んだテーブルの間に造られた通路を歩いて、店の奥にあるバーカウンターに近付いていった。
「ピレックをくれ。」
「メルペスリをください。」
カウンターに近付いた俺達二人に、男女二人で入店してきた俺達に訝しげな視線を投げかけながら目線だけでオーダーを訊いてきた男の店員に注文を出し、そのままカウンターのスツールに座った。
ちなみにピレックとは、10度程度の比較的アルコール度数の低めな蒸留酒で、ハバ・ダマナン全域で広く呑まれている酒だ。
つい先ほどジンを飲んだばかりなので、酔わないためにも強い酒を避けた。
ルナが頼んだメルペスリは俺も知っている。
透明な青色のアルコールの入っていない飲料で、その辺りのどこの店でも手に入るし、大概の飲み屋に置いてある。
色が綺麗なので、アルコールに強くない女達に人気の飲み物だ。
どちらもポピュラーな飲み物なので、オーダーはすぐに出てきた。
「ちょっといいか? 人を探してる。エリエットという名の若い女だ。髪が長くて、ダークブラウン。赤いキャップを被っているかも知れない。来てないか?」
グラスを置いて立ち去ろうとした男を呼び止めた。
男は胡散臭そうな眼で俺達二人を交互に眺めて口を開いた。
「警察か?」
「違う。その女を俺の船で運ぶ依頼を本人から受けている。この店で落ち合う約束だ。」
「・・・運び屋か。」
「そんなところだ。」
「さあな。髪の長い女? そんなのは幾らでも居るからな。悪いな。他を当たってくれや。」
俺の質問を聞いて皮肉な笑みを薄らと口の端に浮かべていた男は、そう言って背中を見せて歩き去った。
「店内に特徴の一致する女はいないようです。」
俺よりもはるかに目が良くて、ついでに夜目も利くルナが隣で言った。
「メシ屋のオヤジが言ったのはここだ。他に手がかりも無い。もう少し待ってみるか。追っ手を捲くのに時間がかかっているのかも知れん。
「メイエラ。掲示板の追加情報は無いか? 依頼人はマフィアにとっ捕まったりしてないか?」
「掲示板に新しい書き込みは無し。依頼者と思しきIDからのアクセスも無いわ。捕まった、って訳でも無いみたいね。ブルキャルに目立った動きは見られない。捕まったのならそれなりの通信が飛び交うでしょ。」
ということは、依頼人の少女はまだ元気にマフィアの追っ手から逃げ回っているという事か。
しかしメイエラが依頼人の外見だと言って見せてきた画像も、通信があった場所の周辺で条件を絞り込んで見つけたものでしかない。
あの画像の少女が実際に掲示板に書き込んだ本人だという確かな情報は無いのだ。
グロードレリギルドに本人が姿を見せたわけでも無かった。
エリエットという偽名の少女は本当に居るのだろうか。
まさか、俺達を嵌めようとしている誰かの罠という事はないだろうな?
と、存在そのものを疑ってしまうほどに少女の足取りは掴めなかった。
いつも拙作にお付き合い戴きありがとうございます。
♪デデッデッデッデデ
「アンタ、あの娘のなんなのさ?」
・・・これがやりたかっただけです、ハイ。
ちなみに。
日本のタイ料理屋で食べると1000円、下手な高級店だと2000円もぼったくられるカオ・マン・ガイですが、現地では街角のメシ屋や屋台で日本円にして200~300円でとびきり美味いのが出てきます。
超有名店は正にそんな街角食堂だったりして、地元民で満員の庶民的な店の前にはベンツやBMWが横付けで路駐してたりします。
マジで美味いので、大金持ちになっても昔食べた味が忘れられなくて、運転手付きの黒ベンツで横付けしてまで食いに来るらしいです。
当然、日本の「高級」タイ料理店で出てくるのよりも遙かに美味いです。




