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夜空に瞬く星に向かって 第二部  作者: 松由実行
第十七章 ダウンタウン・ガール
77/82

5. バー「オリーデン・ボットギウ」


 

 

■ 17.5.1

 

 

 バー「オリーデン・ボットギウ」は随分古びて年季の入った薄汚れたビルの地下一階にあった。

 ビルのすぐ前でビークルを降りたルナと俺は、これもまた年季が入って日焼けした表示の脇にある階段へと真っ直ぐに進んで、躊躇うこと無く地下一階に降りた。

 地下一階のバーには自分の脚で降りていく階段以外には、リフトのようなものは設置されていなかった。

 ビル正面に向かって設置してある階段を降りた方が、入り組んだところに設置してあるリフトを使うよりも余程早いだろうし、通りに面して出入口がある方が目立って客の入りも良いだろう。

 掲示板代わりに使われたらしい階段の壁には、新しいものから半ば千切れた古いものまで、バーのメニューや臨時休業の告知、果てはとっくに終わっている道路工事の告知まで、様々な紙切れやプラスチックのチラシやポスターが重なり合うように張られており、剥がれかけたチラシが風に揺れていた。

 

 材質の分からない何の愛想も無い古びたダークグレイの扉を引くと、想像通り店内は薄暗く、料理と酒とその他色々なものの匂いが混ざり合った店内の空気が開いた扉から流れ出てきた。

 俺は店内に足を踏み入れ、ルナがそれに続く。

 

「掲示板の書き込みでは、黒いジャケットにダークブラウンの髪、赤色の帽子を被っているのが目印だけど。」

 

 薄暗い店内に置かれた椅子とテーブルをかき分けるようにして進み、俺達は一番奥の壁のこちら側に横たわるバーカウンターへと辿り着いた。

 入口からここに来るまでに見回した限りでは、赤い帽子を被ったハイティーンの少女を見つけることは出来なかった。

 まだ到着していないのか、或いはトイレにでも行ったか。

 追っ手に捕まってすでに連れ去られたあと、というのは余り想像したくなかった。

 俺とルナはスツールを引き出してカウンターに二人並んで座った。

 

「注文は?」

 

 座ると同時にバーカウンターの中で、目つきと同じくらい接客態度も悪い男が近付いてきて俺達に声を掛けてきた。

 

「ボンベイ・サファイア。無ければビーフイーターでもいい。」

 

 最近ダマナンカスではジンベースのカクテルが流行りだとアレマドが言っていたのを思い出した。

 頼めばギムレットも出てくるかも知れなかった。

 

「そっちのネーちゃんは?」

 

「デルロパルトレリ。」

 

 男は頷くと踵を返して遠ざかっていった。

 

「デルロ・・・何だって?」

 

 ルナが口にした聞き慣れない名前の飲み物の名前を尋ねた。

 

「デルロパルトレリです。最近ダマナンカスを中心に流行っている様です。ハバ・ダマナン赤道地方で採れる柑橘系に近い果物の果汁を、これもハバ・ダマナンに自生するパルトレリという植物の樹液で割ったものです。パルトレリの樹液は甘みが強く、花の香りのような良い匂いがします。」

 

 ・・・イメージ的には、レモン果汁をメープルシロップで割ったような感じか?

 それにしてもそんなローカルな飲み物を良く知っていたものだ。

 

「マサシがハバ・ダマナンの文化について知らな過ぎるのです。地球文化に比べると少々色褪せる感は否めませんが、自由貿易港らしく雑多で独特の文化がここにはあります。一部は逆に地球に持ち込まれ、飲食物や音楽などは地球でも見かけることが出来ます。」

 

 まるで俺の考えを読んだかのようにルナが続けた。

 ・・・そうなのか。

 確かに地球から外に発信される文化ばかり気にしていたが、当然のことながらその逆もあるわけだ。

 むしろ、銀河種族に比べて新しい刺激を受け入れる事に慣れている地球にこそ、逆に外からの文化が入り込み易いだろう。

 ハバ・ダマナンを中心として仕事をすることが多いので、ソル太陽系に滞在する時間よりもパダリナン星系に滞在している時間の方が遙かに長い。

 次に地球に寄ることがあったら、地球外から持ち込まれた様々なものを探してみるのも面白いかも知れない、と思った。

 もっとも、地球では次から次に新しい奇妙な物が産み出されており、地球で産み出された新しいものか、地球の外から持ち込まれた新しいものかを区別するのは難しいかも知れないが。

 

 というようなことを考えていると、ゴトリと音がして目の前に透明な液体の入ったグラスが置かれた。

 

「ボンベイ・サファイアだ。」

 

 八角形のゴブレットに半分ほど注がれたジンが、カウンター上の明かりを反射して揺れている。

 どうやらこの店は、頼みもしない氷を勝手に酒の中に放り込むような余計なサービスは行っていないようだった。

 素っ気ないながらも、客のオーダーに忠実なところは気に入った。

 ただ気が利かないだけなのかも知れないが、それでも無駄に余計なサービスばかり付いてくるお高い店よりもこういうところの方が俺は好きだ。

 

 同じくグラスが置かれる音がして、ルナの前にロンググラスに入った赤みがかったオレンジ色の飲み物が置かれた。

 AARの支払い画面が開き、値段を見て納得して承認する。

 ジンは東京辺りのショットバーで頼むよりも、倍近い値段がする。仕方の無いことだが。

 

 俺達の前に無愛想にグラスを置いていった男が遠ざかる後ろ姿を眺め、そのままの自然な動作で店内に眼を走らせる。

 黒い上着を着ている男が数人居るが、ダークブラウンの髪に赤い帽子を被った女は見当たらなかった。

 

「メイエラ?」

 

「IDの特定はまだ。その店周辺も併せて、監視カメラ映像の解析をしてるとこ。」

 

「レジーナ?」

 

「半径500m以内に異常な動きは認められません。ヒットマンやアサシンの類いは、直前まで異常行動を検知できず接近を許す可能性がありますので、警戒は怠らないでください。」

 

「ここで待ち合わせしていることが、依頼人を追っている連中に知られているってことか?」

 

「可能性は否定しない。」

 

 市政府が開設している公共の掲示板だ。

 当然パスワードなどの設置はしてあるだろうが、ハッカー連中にとってそんなものに意味は無い。

 ブラソン達を見ていれば分かる。

 覗き見て、それを悟られないように綺麗に痕跡を消す程度朝飯前だろう。

 まあ、メイエラ達が監視している中でどこまで気付かれずにそんな事が出来るか、というのはあるだろうが。

 

 そのまま前に置かれたグラスのジンを舐めながら、依頼人が何らかの接触をしてくるのを待つ。

 レジーナ達とは時々状況の確認をしながら、そしてルナと会話するのも全てネット越しで言葉を発することは無い。

 そうやってゴブレットの中のジンが無くなりかけ、三本目の煙草がもうすぐ終わるところで不意にメイエラから声が掛かる。

 

「掲示板に書き込みがあったわ。『変更。ジレイブゼッティク』。ジレイブゼッティクはそこから四ブロックほど北の個人経営のレストランね。」

 

「メイエラ、俺の名前で諒解したと書き込んでくれ。今からそっちに向かう、と。」

 

 煙草を灰皿に押しつけた俺はルナの方を向いて、彼女と眼が合うと頷き席を立った。

 同時にルナもスツールから降りる。

 

「あんた自身のIDで書き込んだ方が良いんじゃないの? 依頼人が疑心暗鬼になるわよ?」

 

「じゃあ俺のIDで書き込んでくれ。出来るだろ。こっちが動いていることを追っ手に知られるかも知れないが、それよりも依頼人に知らせたい。依頼人と追っ手の特定はまだか?」

 

「依頼した人間が特定できて無いのよ? 特定できてないものを追っかけてる何かを特定できるワケないでしょうが。」

 

「今の書き込みから辿れないのか?」

 

「相変わらず接続を切ってる。掲示板を読み書きするときだけ、必ず前回とは違うノードから接続してる。接続してる場所は毎回監視カメラの視野の外。何モンなのこいつ。多分自分のIDとは別に携帯端末持ってて、他からのバックアップを受けてる。じゃないとここまで綺麗に躱せない。普通は接続切っててもIDの位置特定くらいは出来るんだけど、何か位置特定をブロックする手段を持ってる。やり方が完全にプロよ、これ。」

 

 面倒なお嬢さんが依頼人になっちまったもんだな。

 メイエラと会話をしているうちに俺達は店を出て階段を上り、表通りに出てきていた。

 薄暗がりの店内にしばらくいた眼に、建物の間から差し込んでくる日光が眩しい。

 視野にマップを開き、新しい指定場所であるジレイブゼッティクの位置を表示する。

 それとは別に、レジーナが表示したのだろう、目的地までの経路を示す黄色い線がAAR表示で視野の中を真っ直ぐに伸びている。

 

 四ブロック先のレストランまで大体1500mほどあるようだった。

 ビークルに乗るか、歩いて行くか迷う微妙な距離だ。

 結局俺達は、未だ特定できていない依頼人を追う追っ手に気取られないよう、目立たないように歩いて行くこととした。

 

「新しい合流地点付近に依頼人の姿は?」

 

「無いわ。ただ一流のハッカーのバックアップなら、カメラ画像に偽AAR情報を被せたりどうとでも画像処理するでしょうから、監視カメラ画像は余り当てにはならない。物理的に視認して確保するのが一番。」

 

 つまり結局現実世界の存在は現実世界で片を付けるのがベストと言う事か。

 それは分かってはいるが、しかし現実世界だと実際に1500mを移動しなければならない。

 

「掲示板に書き込み。『承知』ひと言のみ。ああクソ、また逃がした。ホントなんなのコイツ。」

 

 メイエラが頭の中で毒づくのを聞きながら俺達は少し早い歩調で歩き始めた。

 駆け出したいところだが、こんなダウンタウンで二人の人間が走れば余りに目立つ。

 未だ姿の見えていない追っ手に余計な情報を与えることは避けたかった。

 前方に見えていたビルが俺達の歩く速度で近付いてきて、ゆっくりと後ろに消えていく。

 車道と歩道が明確に区切られていないダウンタウンの路上には、路上駐車した個人所有のビークルや、付近の商店などに荷物を搬入するために駐まっている大型ビークル、積み上げられたよく分からない何かの荷物や、個人が地上を移動するためのスクーターに似た三輪車など、様々なものが存在して、それらを避けながら歩かねばならないので移動速度が上がらない。

 店を出たところでビークルを捕まえなかったことを後悔し始めていた。

 

「マサシ、ブルキャルが妙な動きをしている。もしかしたら連中が追っ手かも。」

 

 ジレイブゼッティクまでの道のりを半分ほど進んだところでメイエラが言った。

 

「ブルキャル?」

 

「マフィアよ。ダマナンカスの裏社会を取り仕切っている十三組織のうちの一つ。八十五区に本拠があって、武闘派で知られてる。裏社会では四番目に大きな組織になるわ。そのブルキャルが、掲示板に書き込みがあったタイミングで構成員同士や事務所との間で突発的に通信量が増えてる。もう一・二回様子を見るけど、この反応は多分間違いないと思う。」

 

 またマフィアか。

 つい最近、東京の下町でやくざの抗争に乗じてドンパチやったばかりなんだが。

 運び屋という家業をしていれば否が応でも少なからず接点が出来たりもするし、ここダマナンカスにあるあちこちの運送業組合に「荒事専門」なんて登録をされてしまっている現状、どうしてもある程度は避けられないのだが。

 十七歳の少女を運ぶだけの筈だった今回の依頼でもそういうことになるとは。

 実に面倒だ。

 早いところなんとかして運送業組合の評価を変えて貰わねば。

 

 だが、それ以前に。

 大手マフィアに追われる十七歳の少女の依頼人ってのは・・・一体何をやらかしたんだ。

 

「拙いな。武闘派だって? 俺もルナもAEXSSを着て出てきていないぞ。携帯しているのもナイフと火薬式のハンドガンだけだ。」

 

 もともとボスロスローテに納品のついでにちょっと顔を出してアレマドに土産を渡し、ハファルレアとエイフェの顔を見たら引き上げて、ダマナンカスでルナと買い物をするだけのつもりだったのだ。

 その程度の外出でAEXSSなど着て出るわけがない。

 

「船に戻ってる暇は無いわよ。依頼人が追っ手に捕らえられたら、安全確保出来なかったってことで契約不履行で依頼失敗になるわよ。」

 

「小火器であれば十分ほど停止して時間を戴ければ合成できます。AEXSSについてはライブラリにデータはありますが、構成分子構造が複雑でさらにスーツ自体の構造も複雑なので、船外で合成するならば充分な素材があっても数時間はかかります。」

 

 と、後ろを歩いているルナがネット越しに言った。

 数時間もかかるなら船に戻った方が早い。

 だがその選択肢は無い。

 

「クソ。依頼人が追っ手に捕まる前に保護するぞ。」

 

 そう言って歩く速度をさらに上げる。

 あと数分で合流場所に到着する。

 ゴチャゴチャとした下町の道路を人や物を避けながら歩くのがもどかしい。

 

「マサシ、依頼人の外見を特定したわ。これまでの書き込みの通信が行われたノード周辺のカメラ映像から、いずれの場合にも通信前後で周辺のカメラに写り込んだ人物の中から条件に合うものを絞り込んだ。通信するのにカメラの無いところを選ぶってことは、カメラ映像へのマスキングはしていないと思ったのよね。絶対じゃ無いけど、これでまず間違いない。」

 

 一つ面倒事をクリアしたメイエラの喜んだ声が頭の中に響くと同時に、視野に画像が表示された。

 そこには少し細身の、ストレートなダークブラウンの髪を背中まで伸ばし、少し暗めの赤色のキャップを被って黒いレザーっぽい素材の上着を引っかけた少女が表示されていた。

 上着の下は白いシャツで、これも黒い細身でタイトなパンツを履いている。

 少し彫りが深めの、髪の毛と同じ色のぱっちりとした眼を持った顔は、ヒルデル人にしては少々目鼻立ちがはっきりとし過ぎているような気がするが、名前が偽名なのだ、ヒルデル人というのも多分嘘だろう。

 

「よくやった、メイエラ。これで依頼人が追っ手に捕まる前に接触できる可能性がかなり上がった。今現在依頼人がどこに居るか特定できるか?」

 

「今ジレイブゼッティク周辺のカメラを確認してる・・・んだけど、ダウンタウンの街中のカメラは動作不良起こしてるのが多くて穴だらけでカバーし切れない。見つけたら言う。あと、分かる限りで周辺に居るブルキャルの人間も特定しとく。」

 

「オーケイ、助かる。頼む。」

 

 そう言って俺とルナは地上車型の小型貨物車や、付近住人が乗ったスクータなどを避けながら早足で歩き続ける。

 視野に開いているマップ上では、ジレイブゼッティクまであと100mほどだった。

 今度こそ依頼人を保護できると良いのだが。

 

 

 

 

 

 

 


 いつも拙作お読み戴きありがとございます。


 ダマナンカスの下町の風景を書いてみたくて始めたこの話ですが、なんかまだ風景が巧く書けてませんね。

 それどころか、錦糸町で大暴れした話と微妙に被ってる感じが。

 大丈夫。未だ始まったばかり。話の色が出てくるのはここから。

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