4. 依頼受諾
■ 17.4.1
かなりの労力を費やして、キャプテン・バシースなどという恥ずかしい名前を口にしたことで再びダメ女モードになってしまったペグネレイスアをデキル女モードに戻し、俺は依頼内容の説明を継続させることに成功した。
「依頼人の名前はエリエット・ソルマトア。ヒルデル人、女性、十七歳です。ここハバ・ダマナンからエワソッド星系第三惑星ヒルデル本星までの移動と、その間の安全の確保を希望しています。出発は本日から三日以内、どこにも寄港することなく最短時間で現地に到着することが要求です。」
デキル女に戻ったペグネレイスアが、自分の前と俺の前に同じ内容のホロスクリーンを開いて依頼内容の詳細を説明する。
ルナはホロスクリーンを使わず、自分の視野上で俺の眼が見ている視野のモニタと、ダウンロードしたデータを同時に開いてデータの整合性をチェックしている。
「レジーナ。ハバ・ダマナンからヒルデルまで、通常のジャンプ航法で何日かかる?」
「ハバ・ダマナンを出発し、パダリナン星系ジャンプポイントまでがハバ・ダマナン標準時で五日、エワソッド星系に到着した後星系内に進入して惑星ヒルデルに到着するために同六日、計十一日必要です。公共のジャンプポイントを利用した場合、パダリナン星系側で七日、エワソッド星系側でやはり七日必要となり、計十四日です。」
ジャンプ航法を使用する限りは、この銀河系の中の移動であれば目的地との間の距離は殆ど問題とはならない。
目的地までの移動時間は、出発する星系の主星の重力圏を脱出してジャンプ可能領域に到達するまでの時間と、目的の星系に到着した後、ジャンプアウトした星系外縁から目的地に到達するまでの、通常空間での移動時間がほとんどを占めることとなる。
長距離のジャンプはそれなりの時間を必要とするが、それでも何日もかかる通常空間での移動に比べれば無視して良いほどに短い。
勿論、レジーナがホールドライヴを使用した場合にはこのルールは全く適用されない。
その気になれば、主星の重力圏など全く気にせず出発地と目的地の間を一瞬でジャンプすることが可能だ。
今更、という感じがするところはあるが、人目があるところで恒星重力圏内でのホールジャンプは極力控えるようにしているので、この場合の必要時間は先ほどレジーナが言った最短十一日という数字をペグネレイスアに答えるのが正解だ。
まあこれまで何度もやらかしているので、レジーナが地球軍の艦船同様のホールドライヴを持っていることは、グロードレリギルドにすでにバレているかも知れないが。
「最短で十一日だな。余裕を見て十二日貰おうか。ハバ・ダマナン標準時で、だ。」
「はい。最短移動時間として妥当なものかと思われます。依頼人と合流後、彼女にお伝え願います。」
「目的地までの安全の確保という付帯条件が付いているのが気になるな。俺達からしてみれば当然の要求だが、船乗りでもない人間がこの条件を当然の如く付けてきたことに引っかかる。安全上の問題が発生する懸念があるのか?」
海賊による襲撃やデブリとの衝突、他国の戦いに巻き込まれたり果ては最近であればシードとの衝突など、宇宙は危険で一杯だ。
だが、それは船乗りが知っていることであって、例え少々旅慣れていたとしても、パトロールの行き届いている民間の定期航路を旅する普通の旅客がそのような危険を意識することはない。
だが依頼人は目的地までの安全の確保という条件を付けてきた。
それは、安全が脅かされる事態が発生する可能性があることを依頼人が想定しているという事だった。
「申し訳ありません。弊社の掴んでいる情報では危険度は普通となっています。依頼人個人に何らかのバックグラウンドがある可能性がありますが、弊社では調査を行っていません。」
「依頼人に対する調査を行っていない?」
分かっていて聞いている。
ただ、グロードレリギルドの人間にはっきりと肯定してほしいだけだ。
「大手の運送会社や旅客船組合であれば、トラブル回避のためにこういった個人的な依頼を出す依頼人のバックグラウンド情報を調査します。そのため、少々後ろ暗い過去を持つ者や脛に傷を持つ者は大手の船を個人的に雇うことが難しくなります。そうすると彼等は我々のような中小の運送業者を頼ることとなります。我々の方も依頼人の経歴を全て調査してふるいにかけていたのでは仕事を失ってしまいます。犯罪者であると明確に断定できる場合などを除き、依頼人のバックグラウンドにはある程度目を瞑るというのが中小の運送会社での一般的なやり方となっているのが現実です。全ての依頼人のバックグラウンドを調査するには人手が足りないという現実的な理由もあります。」
「・・・だろうな。諒解した。まあ、知っているだろうが、多少の面倒事ならなんとか出来る自信はある。大丈夫だ。」
「さすがです。キャプテン・バシースの名は伊達じゃないという事ですね。」
「で、依頼人とはどうやってツナギを付ければ良い? IDは分かっているか? ここで待っていれば良いのか?」
ペグネレイスアが再びあっちの世界に旅立ちそうになったので、慌てて仕事の話を振る。
「ダマナンカス市政府が運営している公共の掲示板を連絡先として指定されています。依頼が受諾されたことを弊社から書き込むと、そのままその掲示板を通して合流等の条件を擦り合わせることになっています。」
つまり依頼人の少女はできるだけ身元を隠しておきたいということなのだろう。
ますますもって怪しい話だ。
これが例えばレジーナを拿捕するために仕組まれた謀略の一環としての架空の依頼であったとしても不思議では無い様な話だ。
「メイエラ。そろそろ調査結果が出てる頃か? 依頼人エリエット・ソルマトアの情報は得られたか?」
特に頼んでもいないが、依頼人の名前が明らかになったところで、メイエラなら絶対にハバ・ダマナン上のネットワーク全体を対象にして依頼人に関する情報を収集に入っているはずだ。
彼女の能力であれば、軍事機密などで無い限りは数分もあれば個人の情報を相当なレベルまで手に入れることが出来るだろう。
そして十七歳の少女のプロフィールが軍事機密に指定されているとは思えなかった。
「完全な偽名ね。どうやったか知らないけれど、その名前で確保した公共掲示板のユーザ登録くらいしか出てこないわ。この依頼の為だけに考えた、ワンタイムの偽名じゃないかしらね。」
「問題は、なんで一発で偽名とバレるような偽名を使わなければならなかったか、というところだが。」
「短期間でも良いからとにかく身バレしたくないんでしょうね。つまり、誰かから追われているんじゃないの? ストーカー化した元恋人から追われてるとか、何かヤバいことをしでかして追っ手が掛かってるとか。」
おいおい、怖い事言うなよ。
ストーカーの男から逃げるくらいなら可愛いものだが、例えば妙な商売に手を出して裏社会の人間や、最悪軍や警察から追われているとかだとシャレにならない事になるんだが。
その依頼人の身の安全を確保することも依頼事項の中に入っているのだ。
グロードレリが簡単に調査したところでは犯罪歴は無いとのことだったので、追っ手が国や警察じゃ無い事を祈るばかりだ。
「その掲示板にはもうメッセージは載せたのか?」
ウチの船のクルー達とネット越しに会話をしながら、現実世界ではペグネレイスアと会話を続けている。
「はい。先ほどバシースから依頼承諾のお答えを戴いた時に、依頼人と取り決めてあった定型文を掲載しました・・・今、既読が付きました。」
「早いな。頻繁にチェックしているという事か。」
ツナギを頻繁にチェックしているというのは、逃げ出すのを焦っているという印象を受ける。
メイエラが指摘した、面倒な奴から逃げているという予想が現実味を帯びてくる。
「メイエラ。掲示板のアクセスから依頼人を特定してくれ。」
「もうやってる。」
バイオチップに割り振られているIDは当然国の機関の管理下にあるので、偽名でIDを取得するのは難しい。
勿論ブラソンクラスのハッカーに頼めば鼻歌交じりでやってのけるのだろうが、一発でバレる偽名で掲示板を開くようなガキに、そこまでの伝手があるとは思えなかった。
「その様です。今、待ち合わせ場所が書き込まれました。ご覧になっていますか?」
と、ペグネレイスアがホロ画面の外の中空を見ながら言う。
今彼女の視野には多分、AARで掲示板サービスのテキストが表示されており、それを眼で追っているのだろう。
「いや、すまん、掲示板は見ていなかった。待ち合わせ場所はどこを指定している? ここか? それともウチの船に直接やって来るか?」
「いえ、そのどちらでもありません。市内にあるバーを指定しています。第二十八区にあるバー『オリーデン・ボットギウ』を待ち合わせ場所として指定しています。センターダウンタウンの外れで、ここからでも然程遠くない場所です。ビークルで十分も掛からずに着けます。」
「依頼人は急いでいる風か? つまり、一秒でも早くこの惑星から離れたがっているのか、という意味で、だ。」
「はい。特にその様な条件指定はありませんでしたが、これまでのやりとりから、早めに出発したがっているという印象は受けています。」
「ふむ。では早めに合流した方が良いだろうな。今からすぐに合流場所に向かうことにする。依頼の詳細情報は現地に向かいながらルナから聞くことにするが、今の時点で何か特に注意せねばならないことはあるか?」
「いえ、特にありません。依頼に関する事項で弊社にコンタクトなさりたいときは、ポータルのメッセージに載っているIDに対してご連絡願います。もし私個人に絞って連絡を取りたい場合は、先ほどお送りした個人IDにご連絡願います。」
そう言ってペグネレイスアは僅かに笑みを浮かべた。
個人IDの話が出たところでまたポンコツ化するかと思っていたら、しなかった。
この件の担当エージェントとして直接連絡を取りたいときには彼女の個人IDを利用しても良い、という意味のようだった。
ポンコツ化したときに送られてきた個人IDだったが、怪我の功名となったようだ。
「諒解した。では合流場所に向かう。世話になったが、引き続き宜しく頼む。」
そう言って俺は席を立った。
同時にルナも立ち上がる。
同じく立ち上がったペグネレイスアが先回りして会議室の入口に向かい、ドアを開けて横に立った。
俺とルナは彼女の横を抜けて廊下に出る。
後に続いて部屋を出てきたペグネレイスアを振り返った。
「言い忘れていた。美味いコーヒーをありがとう。あのコーヒーの味だけでもこのギルドの実力の一端が窺い知れる。これからもよろしく頼む。」
ダマナンカスのダウンタウンで、しかも中小ギルドが来客に出す飲み物でまともなコーヒーが出てくるなど思いも寄らない事だった。
本当に俺の名が少しは売れているというのならそれなりに気合いの入った応対だったのだろうが、それにしてもまともに入れたコーヒーが頼んですぐに出てくるというのは、このギルドが普段からそれを用意しているという事だった。
ちなみにコーヒーはその味の苦みと、本当に美味く入れるのが難しいことからまだ余り愛好家の数は増えておらず、他の地球産の酒や紅茶などの嗜好品に較べて比較的マイナーな存在だ。
なので地球以外で栽培している所は無く、地球以外で鮮度の良い良質なコーヒーが飲めるのは相当に珍しいことなのだ。
ちなみにレジーナの船内では、焙煎仕立てのコーヒー豆を無限コピーするという身も蓋もない理由で、いつでも良質なコーヒーを飲むことができるが。
「ご評価戴きありがとうございます。こちらこそ末永いお付き合いを宜しくお願い申し上げます。」
そう言ってペグネレイスアは明らかな笑みを浮かべて会議室の入口の脇に立って俺達を見送った。
ルナを伴い俺は真っ直ぐエントランスを突っ切って入口に向かう。
「メイエラ。依頼人のIDのアクセス場所は特定できているか? 偽名以外のプロファイルは洗い出せたか?」
歩きながらネット越しにメイエラに尋ねる。
「ダメ。それなりの知識を持った人間がかなり慎重に動いているみたいね。ネットとの接続を切って必要以上にアクセスしないようにしているみたい。掲示板へのアクセスでも尻尾を掴ませないし、偽名から辿り着いた新たな情報も無いわ。今のところ何も分かってない。下手なダイバーよりも巧く立ち回ってるわね。」
「諒解。引き続き依頼人の特定を続けてくれ。依頼人が何者に追われているのかが分からん。取るに足らない情報でも依頼人の安全を左右する決め手になるかも知れん。」
「おっけ。任せなさい。その内丸裸にしてみせるから。」
「頼もしい限りだ。頼んだ。それと近くにビークルは居るか?」
「ギルドの玄関を出て、向かい側にビークル溜まりがあるわ。三台駐まってる。」
「よし。そこでビークルを拾って、二十八区に向かう。レジーナ、まだ大丈夫だと思うが周辺の索敵は頼んだ。」
「承知しました。現在周辺に脅威無し。」
「アデールはどうしてる?」
「まだ連絡ありません。IDは七十九区あたりのブライト地区に入ったままです。」
何かあってもアデールを頼ることは出来ないかもしれない。
確か、明日の昼まで手が空かないようなことを言っていた。
「諒解だ。連絡あったらこっちの状況を説明しておいてくれるか。」
「承知しました。」
そうこうしているうちにグロードレリ運送業ギルドの建物を出て道を渡り、三台のビークルが止まっているところまでやってきた。
センターダウンタウン辺りは治安も良く人通りも多いため、こう言ったビークル溜まりがあちこちに有るのでビークルを簡単に捕まえることが出来る。
その内の一台の車体に触れるとドアが開き、俺とルナはビークルに乗り込んだ。
「二十八区の『オリーデン・ボットギウ』までやってくれ。」
行き先を告げると車内の空中にホロ画面が開き、センターダウンタウンの地図が表示される。
地図が二十八区にズームインして、目的のバーの所在地と思われる場所に赤い丸が点滅する。
「ああ、そこで良い。頼む。」
ホロ画面の地図表示がルートに切り替わり、俺の視野にAARの料金支払い画面が開いた。
支払を承認したところでドアが閉まり、ビークルが空中に浮き上がる。
「現在、オリーデン・ボットギウ店内には十二人分のIDが確認出来ます。内四人がIDマスキングされ詳細不明。十二人中三人は店員のものと思われます。」
「依頼人と思しきIDは?」
「不明です。」
そこにもう居るかも知れないし、居ないかも知れないということか。
メイエラが評した様に、依頼人はそれなりのネット知識を持った相当慎重な性格の様だった。
アレマドの顔を潰さないようにと気を遣って受けた依頼だったが、既に面倒なことになりそうな香りが漂いはじめていた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
紅茶やコーヒー、酒や煙草などの嗜好品というのは、その存在そのものが文化であるので、地球産の文化が銀河種族を侵食していく中で比較的早期に地球外に飛び出していった物です。
勿論、各種族それぞれ酒や茶、或いはそれ以外の嗜好品も存在するのですが、いずれも単一の種族がこれほど多種多様な酒や茶を日常的に楽しんでいる例は他になく(いつもの、永い戦争による文化の衰退)、また多くの銀河種族それぞれの好みに合う酒や茶が地球には存在し、極めて強い浸透力をもって銀河種族の間に広がって行きました。
という設定です。w




