3. 絶好の機会
■ 16.3.1
サイドテーブルの上に置かれたショットグラスを細い指で摘まみ上げると、ルナは迷い無くグラスを唇に当てて、中身を一気に煽った。
口の中に含んだ強いアルコールを数回に分けて嚥下するごとに、細く滑らかな喉が動く。
随分粋な呑み方をするじゃないか。
というか、ウィスキーをストレートで飲み慣れた人間がする一杯目の呑み方だ。
実はこいつとんでもない酒豪だったりしないだろうな。
硬く軽い音を立ててサイドテーブルに再び置かれたグラスに、俺はもう一度同じだけの酒を注いだ。
「俺から勧めておいて何だが、大丈夫か? いい飲みっぷりだが、酔っ払うなよ?」
そう言って俺はボトルを置き、自分のグラスを持ち上げて残り1/4程になっていた酒を全て腹に流し込む。
再びボトルを取り、今度は自分のグラスに酒を注ぐ。
「大丈夫です。化学物質分解能を強化してありますので、時間当たり300g程度のエチルアルコールを分解可能です。」
身も蓋もないな。
今呑んでいるのは86プルーフのジャック・ダニエルなので、つまりこいつはざっくり一時間で一本を一人で空けても平気な顔をしている、ということになる。
とんでもない大酒豪だった。
まあいい。
ぐでんぐでんになったり、変に性格が変わって始末に負えない酔い方をされるよりは余程マシだ。
「それよりもこんなことをしてマサシは大丈夫ですか?」
「ん? どういう意味だ?」
ルナの唐突な質問に、突いていた生ハムを口に放り込んで答えた。
「今のマサシは端から見ると、年端もいかない少女を自室に連れ込んで酒に酔わせた挙げ句よからぬ事をしようと企んでいる碌でもない男に見えると思われます.」
思わずハムを噴き出しそうになって慌てる。
一杯目を一気飲みしておいて「見えると思われます」じゃねえよ。
そもそも誰が端から見るってんだ。
レジーナか。
どうせ他の奴等も便乗して覗いていたりするのだろう。
メイエラとニュクスが笑い転げている声が聞こえるような気がした。
「知ったことか。航行中の船内だぞ。誰が端から見るんだ。せいぜいニュクスとメイエラが覗き見しているくらいだ。」
「酔わせた挙げ句よからぬ事をしようと企んでいるところは否定しないのですか?」
あのな。
「そこも否定しなきゃいかんのか。しねえよ。お前さっき自分で酔わないつったばっかだろうが。」
「よからぬ事はしないのですか。」
して欲しいのかよ。なんなんだよ。
「そんな油断した恰好してるといつかホントにやられちまうぞ。」
背もたれに身体を預けたまま頭だけでルナの方を見ると、オーバーサイズのタンクトップの横から脇の下から脇腹辺りまでが丸見えだった。
着ているものがオーバーサイズな上にルナの身体は相当にスリムなので、隙間が大きく空いて余計に色々見えてしまうのだ。
「マサシなら構いませんが。いつか、でなくてなんなら今でも。」
別にそっち方面に持ち込むつもりは無いが、それにしても情緒の無い奴だな。
仕方ないか。ルナだし。
船外でクルー以外の人間と話をするときにはごく普通の会話が出来ているところからすると、この微妙に噛み合わない話し方もわざとやっているというか、あるいは家の中で完全に気を許した話し方なのかも知れないが。
「あのな。俺だけじゃなく、この船にはブラソンも居るだろ。」
「大丈夫です。私の容姿はブラソンの好みから決定的に外れていますし、そもそもブラソンは基本二次元にしか興味がありません。ノバグに生義体を与えていないのはそれも理由です。ホロ画像とネット空間だけで楽しめる2.5次元が良いのだそうです。」
俺には分からない世界だ。
つか、なんでそんな事まで把握してるんだお前。
つまり今着てるような、文字通り妙に脇の甘い服はわざとか。
メイエラが言っていたのは本当か。
そうだろうな。機械知性体同士なら話をする時間はたっぷりあるのだろうし。
折角の機会だ。色々と突っ込んだ話をしてみるか。
俺の方も少し酔いが回って、素面だととても聞けないような事も今なら聞ける。
「お前、俺のこと好きか?」
「はい。好きです。」
単刀直入に聞いたら、それに見合った実にシンプルな答えが返ってきた。
まあ、嫌われているわけじゃ無いのは知っているが。
小っ恥ずかしい十代のガキの様な台詞を酔いに任せて吐いた俺も俺なら、いつも通りの無表情で感情の乗っていない口調で真っ正面から愛の告白のような台詞をぶつけてきたルナもルナだった。
「それは家族としてか。或いは自分を造った保護者としてか。それとも男としてか。」
地球では、機械知性体の基本的人権が認められている。
もちろん、生物としての形態がまるで異なるので、ヒトに対するそれとは少々異なる条件ではあるが、所謂生存権や自由や幸せになる権利などと云った基本的な部分は共通している。
機械知性体を実際に「製造」するのはメーカーだが、金を払いオーダーするのは「所有者」だ。
だが、この機械知性体をオーダーした所有者と、造られ納品された機械知性体との間の関係性が問題となった。
地球連邦政府が忌み嫌う、奴隷とその主人との関係性とほぼ同じだからだ。
なので、機械知性体に対する基本的人権の条項にはその辺りのことが事細かく決められ、そして「所有者」ではなく「保護者」という言葉が用いられることとなった。
尤もそれは呼び名を変えただけの話であって、未だに機械知性体を自分の所有物と勘違いしている奴は居るし、逆に自分がオーダーして造った機械知性体をちゃんと一人の人間として扱う奴もいる。
だがそれはヒト同士の場合でも同じだ。
自分の子供を自分の所有物と勘違いしている親も居れば、ちゃんと一人の人間として扱う親も居る。
つまりは、そういうことだった。
同列に比べることが出来るという事は、相変わらずヒトのエゴは残ってはいるものの、つまりは基本的には機械知性体もそれなりに地球人として認められ扱われている、ということだと俺は理解している。
「つまらない答えになりますが、全て、です。法律上の家族としてのマサシ、私を造ったマサシ、この船の船長として或いはリーダーとしてのマサシ、或いはただ単に一人のヒトとしてのマサシ、男の人としてのマサシ。様々な面があり、そしてあなたが見せるそれら様々な姿のいずれにも好意を抱いています。端的に言って、好き、ということです。」
余り深く考えずに単刀直入な質問をしたつもりが、随分意味の深い答えが返ってきてしまったものだ。
俺の意図していたところとは少し違うが、それでも彼女の言いたい事は分かった。
とは言え、メイエラに言った様に、俺はルナをそういう対象として見てはいないのだ。
「マサシが私のことを家族として見ていることは知っています。女として、或いは性欲の対象として見ていないという事も。」
と、まるで俺の思考を読んだかのようなルナの台詞が続いた。
「問題ありません。そもそも私達機械知性体には、ヒトと同じ様な性欲はありません。あったとしても純粋に興味の対象として、情報としては知っているものの自分自身は実際に経験したことの無い性行為というものがどういうものなのか興味があるといった程度のものです。それよりも重要なことは、どういう形であれマサシが私のことを好きでいてくれるという事と、私がマサシのことを好きだという主観的な感情です。」
さすが機械知性体というか、流石の論理回路というか。
好きという感情を表すのに、これだけ理屈をこねまわす奴を初めて見た。
・・・もしかして、酔っ払ってやたらと理屈っぽくなってるんじゃあるまいな。
などと思いながら、いつの間にか空になっていたルナのグラスに再び酒を注ぐ。
一時間でウィスキーをボトル一本いけると豪語したのだ。問題はあるまい。
「ま、そう言ってもやろうったって出来ないけどな。お前にその機能は付けてない。」
自分の船をコントロールする管理管制AIの生義体端末と性行為に及ぶなど考えられなかったので、ルナにはそのためのオプションが装備されていないのだ。
船を造って財布がスッカラカンになって、生義体にオプションを付ける金が無かった、という現実的な問題もあったがな。
「いえ。アップグレードして装備しました。可能ですよ。」
ちょっとまてい。
何か今、聞き捨てならないことを言ったぞこいつ。
なんだその不穏な言葉は。
「アップグレードとかした覚えはないぞ。いつの間にやったんだ。」
「ニュクスに手伝って貰って格闘戦に対応するために骨格材質を改良した際に、いつマサシからそのような要求があっても対応可能なようについでに行っておきました。問題ありません。クリムゾン・サイバネティック社製ロクセラーナタイプ生義体のオプションパーツについては、ニュクス達がほぼ完璧なデザインライブラリを保有していましたので、純正パーツと同等のものを装備しました。」
いや「ついでに装備しました」とか。
「純正パーツ同等」とか。
俺達生身のヒトと根本的に異なっているというのは、頭では理解していても実際彼女の口から聞かされると違和感が半端ない。
その内ある朝突然に「アップグレードしました」とか言って、首から上のパーツがすげ替わっていたり、一夜にして十歳も成長した大人の女になったルナが現れそうで・・・いや、ホントにやりそうだなこいつ。
「という訳で今夜は、一緒に呑んでいた法律上の妹に酔った勢いに任せて襲いかかり朝までノンストップフルコースに絶好の機会なのですが、いかがでしょう? ここはやはり、十代半ばの幼さに見える合法的かつ血のつながりの無い妹の生義体というかなりニッチなジャンルで攻めてみるのがマサシの心の琴線に触れるのではなかろうかと推測していたのですが。」
いかがでしょう、じゃねえ。何が心の琴線だ。
なんかこいつの恋愛観、根本的なところから歪んでないか?
ブラソンか。ブラソンだな。
ブラソンのエロサーバに格納されている大量の特殊なジャンルのビデオやエロゲを見て育ったからなのか。
ブラソンのせいだ。そうに違いない。次部屋から出てきたらシバく。
というか、もともと時々とんでもないことを言い出すきらいはあったが、今夜は特に暴走気味じゃないかこいつ。
「ルナ。お前、酔っ払ってるだろう?」
「大丈夫です。酔っていません。」
それは、酔っ払った奴が必ず言う台詞だよな。
「対薬物用に処理能力を強化した肝臓がインストールされていますので、300グラム毎時のエチルアルコール処理能力があります。この程度の量で酔う筈が無いのです・・・あ。」
「どうした。」
「胃で吸収したアルコールを肝臓で処理する際に、一部アルコールを含んだままの血液が頭部に循環する可能性がありましゅ。」
「だからつまり、酔っ払ってるんだろ。」
なんか語尾が怪しいぞ。
「大丈夫でしゅ。酔っていましぇん。」
言ってる端から喋っている言葉の語尾がどんどん怪しくなってきて、さらには心なしか上半身が揺れているように見える。
そりゃストレートのウィスキーをあの勢いで飲んでいれば、普通は酔う。
ルナが酔っ払っている姿を見るのは珍しいなと、見ているうちにぐにゃりと身体がソファの背もたれにしなだれかかる。
相当酔っているな、これは。
「レジーナ。ルナの血中アルコール濃度をモニタしてくれ。かなりのペースで呑ませてしまった。危ないようだったら部屋に連れて行って調整漕に放り込む。」
「問題ありません。彼女の身体が高いアルコール分解能を持っているのは事実です。酩酊状態は一時的なものです。胃から肝臓へのバイパスがあるわけではないですからね。そのまましばらく放置すれば、比較的短時間でアルコールは浄化されて元に戻ります。」
レジーナはそのまま放置しろと言うが、ソファの上で軟体動物と化しているのをこのまま放置するわけにもいくまい。
仕方が無い。
俺はソファから立ち上がり、ルナが正体を無くしているソファに近寄った。
ぐにゃぐにゃになってしまっている彼女を、いわゆるお姫様抱っこで抱き上げると、両腕が首に回ってきて抱き付かれる。
そのまま歩いてベッドに向かい、ルナの身体をベッドの上に降ろすが、抱き付いているルナがなかなか離れない。
乱暴にならないように首に巻き付いている両腕をほどき、身体をベッドの上で真っ直ぐにしてやる。
「酔った妹に襲いかかる絶好の機会でしゅよ。お風呂にしましゅか、しょれともワタシ?」
ベッドの上に寝てなお訳の分からんことを言い続けるルナの頭を一発はたくと、黙った。
アピールと称して極端な薄着をしている彼女が身体を冷やさないように、布団を掛けてやる。
寝かせ終わり、軽く溜息を吐いてルナの顔を見ると、完全無欠の無表情の筈の彼女が心なしか少し笑いながら幸せそうに寝息を立てている様に見えた。
「マサシ・・・好きです。」
意識があるのか、寝言なのか。
或いはさっきまでクダを巻いていた意味不明の説明文の続きなのか。
寝息に混ざって小さな声でルナが呟いたのが聞こえた。
「ああ。知ってる。俺もお前が好きだ。安心して寝ろ。」
そう言って、サラサラとした彼女の銀色の髪の上に軽く手をやると、明らかな笑顔へと変わった。
さて。
なんかグダグダなことになってしまったが、気を取り直してもう少し呑むか。
ルナが盛ってきてくれたツマミも、酒もまだ残っている。
話し相手なら、彼女の片割れであるレジーナが丁度良い相手になってくれるだろう。
レジーナが酒に酔うことはないだろうし、な。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
「お風呂にしますか? ご飯にしますか? それともワ・タ・シ?」
というのをルナは一度やってみたかったものと思われ。
いつも同じ船内に居るとそんな事が出来るチャンスなんて無いですからね。
ちなみにですが、生義体端末にルナという人格を簡単に構築出来た事からもお判りのように、ハードウェア(生義体/義体)にはスタンダード規格があり、それに対してインストールするソフトウェア(人格フレーム)にもスタンダード規格があります。
要は、PC規格とウィンドウズOSやUNIX系OSみたいなものですね。
オプションパーツを増設したときには当然ドライバインストールが必要で、希に他のデバイスとコンフリクトした時にはデータI/Fポートと割り込みポートのアライメント、コンフィグ内のデバイスドライバのロード順などの調整が・・・げふん。
・・・まあそういう事です。




