2. アピール
■ 16.2..1
「そうは言ってもな。俺はルナのことを家族と思っているし、そもそもが十代半ばの少女がこんなオッサンとひっつくのも変だろう。逃げじゃ無くて、本気でそう思っている。」
実時間で言えば生まれてまだ数年も経っていないような彼女だ。
外見だけで無く中身で考えても、やはり釣り合わないだろう。
絶世の美少女、とまでは言わないが、しかしそれなりに整った外見をした彼女だ。
わざわざこんなオッサンを選ばなくとも、もっと幾らでも選択肢はあるだろうと思う。
問題は、特にソル太陽系の外では彼女はこのレジーナの船内から外に出ることが難しく、閉じた世界の中に籠もっていては殆ど出会いも無い事なのだが。
「あたし達機械知性体はね、アンタ達ヒトと違って長い時を生きることが出来るの。ネット世界で生きるなら、ネットワークが存在する限り寿命というものは存在しない。さらに主観的時間はあんた達ヒトの何万倍にもなる。生義体に入ったとしても、義体はちゃんとメンテナンスすればあんた達ヒトが持って生まれた生身の身体の何倍も保つ。古くなれば乗り換えることも出来る。ほぼ永遠の時間を生きる者にとって、この現実世界でのたかだか十年や二十年なんて、ゼロに等しいとさえ言える。あんた達の思考は生身の肉体と現実世界の時間に縛られるかも知れないけれど、あたし達はそんなの気にもしていない。
「それどころか、永遠に近い人生に比べると、あんた達と一緒にいられる数十年なんて時間はまるで一瞬にさえ思える。見た目だの釣り合いだのという下らない理由で、ただでさえ短い一緒にいられる時間をさらに削られるのは、馬鹿馬鹿しくて歯痒くてやりきれない気持ちになるものよ。そこはちゃんと理解しておいた方が良いわよ。」
ヒトと機械知性体は異なる生命体だ。
俺達ヒトは肉体が歳をとって活動を停止すれば基本的に死ぬ。
自分と等価の機械知性体を作り、そこに自分の自我を投射して引き継ぎ、肉体の死後もネットワーク上で生きていくことは出来る。
実際そういう人生を選んでいる者もいる。
だがそれは、ヒトとしての人生を全うした後、機械知性体という別の生き物に生まれ変わったというのが正しい。
ヒトがヒトとして生きられるのは、どれほど頑張っても百五十年やそこらなのだ。
それに対して機械知性体は、そもそもが時間の流れが異なるネットワーク上で生きている。
俺達ヒト種が棲む現実世界の1秒は、機械知性体の主観的時間の数日かそれ以上にあたる。
何万倍にも引き延ばされた時間の中で、永遠に近い寿命の人生を生きる。
その人生は実質的に永遠と言えるものであり、その中でヒトと共にする僅か百年程度など、メイエラが言ったとおりに本当に一瞬の幻のようなものなのだろう。
だから彼女達は、年齢などと言う無意味なものを気にもしない。
選ぶ義体によって外見など幾らでも替えられるので、姿形と言った外見を気にしない。
所詮ヒトである俺には理解できないところもあるだろうが、しかし機械知性体であるメイエラが言った内容は、確かに彼女達にとっての事実なのだろう。
「さらに言うとの。儂らからすると、そうやって肉体を持ってヒトと共に生きられるというのは、ただそれだけで酷く羨ましいものなのじゃぞ。儂らは永遠に近い時間を生きる。それが証拠に、三十万年前のあの日からずっと存在しておる者も儂らの中にはおる。じゃが、ヒトと共に物質世界を生きた経験を持つ者は居らぬ。儂らの近縁種というよりほぼ同族のようなものじゃが、テラの機械知性体にはそれが出来る。
「物質的な肉体を得て、自然生命体であるお主らヒトと共に物質世界を生きる。眼で見たものに触れ、手に取ることが出来、食事をして身体を動かすことができる。自分の身体で水の中を泳ぐことができる。それだけのことが、どれほど興味深い憧れることか、お主には分かるまい。
「ましてや、独立した個体生物として生きるヒトと心を通い合わせ、喜びや悲しみを分かち合うて共に生きる事。どれほど強う願うても果たすことの出来ぬ夢のようなものじゃ。
「儂は偶々この生義体に入りお主らと行動を共にする役割を与えられた。その儂がお主らと共に過ごした記憶を、儂の仲間達がどれほど喜び楽しみにして共有するか、肉体を持ち独立性の個体生物であるお主には想像も出来まい。
「テランの機械知性体として生まれ、生義体を持ち、ヒトと共に過ごすということがどれだけ特別なことか。ルナはそれだけの幸運に恵まれたのじゃ。勿論お主の気持ちというものもあろうが、じゃがこの幸運をむざむざ無駄にするような事になって欲しゅうないという思いは理解してもらえるかのう。」
と、ニュクスまでが強く主張して俺を説得にかかる。
言いたいことはよく分かる。
相手があることなのだから、幾ら望んだところでそれだけでは手に入れることの出来ない幸運だろう。
その幸運を射止めることが出来る者が近くに居れば、応援してやりたくなるのが、友人というものだ。
だが、そこにはひとつ大事な者が抜けている。
俺だ。
同情や共感などと云ったもので成立するようになる関係も、それはそれでひとつの形なのかも知れないが。
「お前等が言いたいことは分かった。だが、人を好きになるのもならないのも、同じ愛するという気持ちでも、恋人に対するものと親族に対するものと、そのどちらを感じるかということもまた人それぞれだというのは理解しているのだろう?」
まったく。
誰かを好きになるという本能と感情に直結した心の動きにさえ、いちいち小難しい小理屈をこねる面倒な奴等だ。
仕方が無いと云えば仕方が無いことか。
こいつらが語る、こいつ等の意識の中にある愛だの恋だのといった感情も、所詮は数値とプログラムによって形成されているのだ。
身も蓋もない言い方だが、しかしそれは俺達ヒトだって同じだ。
プラットフォームとハードウエアが異なるだけで、俺達ヒトの中にある感情もまた所詮は電気信号と化学物質の移動によって造られている。
ハードウェアが論理的に設計された量子回路か、自然発生的に形成された神経回路かという差があるだけで、いずれも情報の処理と伝達の結果であることに変わりは無い。
俺の台詞に対して、ニュクスは珍しく神妙な顔で頷き、メイエラは一言「そうね」と言っただけで否定はしなかった。
そこは流石に論理的な機械知性体だった。
■ 16.2..2
船内時間でその日の夜。
夜はレジーナの船内では、統合管制システムであるレジーナが常に当直を担当しており、実体を持つクルーはそれぞれの自室で睡眠と休息を取る。
気が向けばレジーナと共に当直をこなすこともあるが、しかし共に当直とは言え実際はレジーナと雑談をしながら夜更かしをしているだけで、実質的に船の航路計算や刻々と変わる周囲の空間に対する警戒はいずれにしてもレジーナが一手に引き受けているのだ。
ちなみに俺の場合、夜自室に引っ込んだ後は大概軽く一杯引っかけた後すぐに寝てしまう。
と云うとまるで長時間延々と寝ているようにも聞こえるが、夕食を摂った後は大概そのままダラダラとダイニングでコーヒーを飲んだり、他のクルー達と雑談をしたりしてかなり遅い時間まで過ごした後に、夜が更けてから自室に戻って酔わない程度に一杯引っかけ、シャワーを浴びてすぐに寝るというのがいつもの行動パターンだ。
「船長たる者、常に皆の目に付く場所で過ごすべし」などと云う妙な使命感を持っていたりするわけでは無いのだが、自室に戻ったところで何もすることが無い。
映画ばかり毎日見るのも飽きてくるし、ブラソンのようなインドア型の多くの趣味を持っているわけでも無い。
ネットで配信されているバラエティプログラムなど見ても、どうせ代わり映えのしない顔ぶれの芸人達が毎度似た様なつまらない内輪ネタで騒いでいるだけだ。
俺に関係の無い他人の事情など聞かされても面白くも何とも無いし、煩くて鬱陶しいだけだ。
ニュースプログラムなどは偶に見る。
流石に世の中の大まかな動きくらい知っておかねばならないと思うからだが、大手の配信サービスにしても個人のニュースキャスターにしても、自分の主張に沿った事柄のみ大袈裟に配信して、意に沿わない事柄は無視する、或いは敢えて曲解した内容を流すという偏向報道が鼻につく事も多い。
結局、無限に広がる星の大海を部屋全体に投映し、ショットグラスで軽く1~2杯のウイスキーか、2~3合の日本酒を舐めて漆黒の宇宙空間に包まれて漂い、ごく軽い酩酊感に満足したらすぐに寝る、というなんとも面白みの無いプライベート時間を過ごしているのが常だ。
星々を眺めながら酒を舐める程度しかすることがないならば、いっそ皆が居るダイニングで時間を過ごせば良いじゃないか、というのが俺の考えだ。
とまあ散々つまらない夜の過ごし方と自虐したが、今日は色々考えることもあってまさに自室で独り酒を呑んでいた。
気分が乗らなかったので、今日は船外映像を投映しているのは入口ドアとは反対側の壁一面のみだ。
丁度一杯目のグラスが空になり、二杯目を注ごうとボトルを手に取った時だった。
ドアをノックする音が聞こえ、続いてルナの声が頭の中に響いた。
「お酒と一緒に摘まむものを持ってきました。ストレートのお酒だけだと身体に良くないです。」
部屋で一人で飲んでいるのだが、どうせ室内はレジーナにモニタされている。
レジーナが知っているという事は、ルナもそれを知っているという事だ。
気を利かせてくれたのだろう。
ちなみに、ボトルを一晩に半分も開けてしまう様な飲み方をするわけじゃない。
ウイスキーをストレートで呑んだからと云って、身体に悪いと決めつけるのは心配のしすぎだ。
そもそも俺はウイスキーを何かで薄める様な飲み方はしない。
折角の酒が不味くなる。
「ああ、済まないな。もらおう。」
同様にネット越しに返事をすると、すぐにドアが開いてルナが部屋の中に入ってきた。
先ほどニュクスから言われた事を覚えていた。
ルナはいつもと同じ様に、少々オーバーサイズ気味のタンクトップとショートパンツといった出で立ちだった。
この船は高級なレストランじゃ無い。
給仕役をするからと云って、堅苦しい服装をする必要は無い。
それを求める者も居ない。
「ハモン・セラーノのグラン・レセルバと、デボンシャー・チェダーのエクストラです。スモークド・ターキーのサラダも持ってきましょうか?」
そう言いながらルナが、ハムとチーズを盛ったハモネロをサイドテーブルに置いた。
いつもより気にしてルナの動きを見ていた。
確かに、かなり露出度が高い服装だった。
当然のことながら腕や脚は付け根まで露出しているし、前屈みになった緩いタンクトップの胸元から彼女のささやかな胸が丸見えだ。
これはニュクスが言うように本当にアピールなのだろうか。
色気をまるで感じないのだが。
どちらかというとやはりただ単に、服装に無頓着で、服の隙間からあちこち色々見えてしまっていても全く頓着していない、という方が正しいような気がする。
十代半ばの子供の外見なのだが、とは言え彼女は自分の身体を完璧に操ることが出来る。
その気になればそういう動きも出来る筈であり、つまりそういう動きでは無いという事は、そういうつもりでは無いものと思ってしまうのだが・・・
「いや、これで充分だ。ありがとう。」
「余り深酒はしないでください。」
いつもと同じ無表情のルナが言った。
そう言って、動作を止めて俺の眼を覗き込むように見た後、踵を返して部屋を出て行こうとした。
「ルナ。」
「はい。なんでしょうか。」
彼女が振り返り、もう一度こちらを見た。
「たまには付き合えよ。晩飯は終わったんだろう?」
皆の食事を作り、給仕役まで買って出てくれているルナは、皆が食事をしている合間に自分の食事を摂る。
丁度タイミングが合って俺と一緒に食事をすることもあるが、そんなときでも他の誰かが食事のためにダイニングに入ってくるとすぐに食事の手を止めて席を立ち、新たにやって来た者のための料理や飲み物を用意する事を優先する。
誰かが来なくとも、俺が料理を平らげればおかわりは必要かと訊いてきたり、コップの水が空になっていればいつの間にか注ぎ足してくれていたり、空いた皿を下げ、食事が終われば何も言わずともコーヒーや茶を出してくれる。
以前訊いたところに依ると、彼女はそのような船内の仕事を嫌々ながらにやっているのではなく、やりたいからやっているのだという。
やりたくないものを義務感か何かから無理に行っているのなら止めようと思って訊いたら、そういう答えが返ってきた。
やりたい事を無理に止めさせる気も無い。
それ以来、俺は彼女が料理と給仕を行うことに口出ししないことにしたのだ。
そして今日はもう皆食事を摂り終え、彼女の「仕事」も一段落しているはずだった。
「・・・そうですね。折角誘って戴いたのですから。偶には。」
そう言って、俺が座っているソファからサイドテーブルを挟んで向こう側、いつもならふらりとやって来たブラソンやアデールが座って一杯引っかけていくもう一つの一人掛けのソファにストンと腰を下ろした。
「そう来なくちゃな。ストレートで良いか? チェイサーは無いが。」
ルナが頷くのを確認し、俺はサイドテーブルの引き出しからグラスを取り出してテーブルの上に置いた。
ボトルの栓を開けてジャック・ダニエルをグラスに半分ほど注ぐと、新たに空気に触れた酒の僅かに煙るような甘い香りが立ち上る。
琥珀色の液体が半ばで揺れるグラスを、ハモネロの向こう側、ルナの手元に置いた。
壁面に投映された船外映像の中で妖しく光るガス星雲の光を受けてグラスがキラリと紫に光った。
いつも拙作にお付き合い戴きありがとうございます。
マサシの部屋呑みにルナの初登場です。
作中でマサシがコメントしているとおり、ルナは誰に言われるでもなく自発的に料理と給仕の仕事をしているだけなので、メイドではありません。
・・・メイド服着て外出はしますが。
なので、マサシの部屋の中ではホスト役のマサシが酒を用意します。
いつも料理やコーヒーを絶妙なタイミングでサービスしてくるルナなので、なんとなく違和感を感じたりしてしまいますが、本来皆と同じクルーなのです。




