21. 密林の隠遁
■ 15.21.1
目の前に奇妙にねじ曲がった樹木の太い幹があり、都合良く身を隠す遮蔽物になっていた。
直線を遮られ相手からこちらが見えないという事は、当然こちらからも相手を直接光学観察できないという事だが、辺り一面に濃密に漂っているナノボットからの空間情報がニュクスを経由して提供されていることで、自身の眼球を通して得る光学情報よりも正確にルナは目標の位置と状態を把握していた。
惑星ベルヤンキス宙域全体の索敵を行っているレジーナに対して、現在戦場となっている局所的な全体の把握と指揮を行うニュクスから目標として指示された敵個体CH03は、苛烈な攻撃に曝されている前線から最も離れた場所に占位する敵本陣と思しき集団の、さらに最後方に配置されているため、いつ自分達に襲いかかるか分からない砲撃に怯えつつも、最も安全な位置に居ることで油断しきっている様子だった。
特に厳しい警戒を行うわけでもなく、一応は周りを気にしつつもほぼ突っ立っているだけのHASにゆっくりと静かに近付く。
無理に遮蔽物を伝うことを優先せず、最短且つ無理の無い探知されにくい移動に務めているため、移動するルナの身体に接触する枝葉は殆ど無く、光学迷彩による画像のズレも最小限に抑えられ、唯一踏みしめる地面に残る足跡が探知対象の痕跡となるが、木々や下生えに遮られて殆ど探知することは不可能だ。
自分が踏みしめた地面が、周りの下生えに遮られて目標個体の視線から隠されているという、空間の位置関係までをも全て把握した上でルナは行動している。
目標まで残り30m。
まだ遠い。
柔らかな腐葉土のような森の地面では、敵に気取られず静かにこれだけの距離を一瞬で跳躍する力を受け止めきれない。
また別の木の幹に姿を隠し、一瞬だけ立ち止まって周囲の空間把握を行い、接近ルートを再確認する。
遮蔽物から外れ、ゆっくりと進み始める。
ゆっくりとは言え、普通に人が歩く程度の速度は出ている。
30mの距離を詰め、跳躍の範囲内に敵個体を捕らえるなどすぐだ。
4m先に、丁度良い角度で横たわるほどよい太さと強度を持った樹木の根が存在する。
回りの葉を揺らさないように僅かにジグザグに動きながら、その4mの距離を詰める。
右足が根に掛かった。
左足の荷重が抜け、右脚の前に出る。
左足が着地し、再び荷重が掛かり、重心が左足のすぐ後ろに移動した。
次の瞬間、まだ荷重の残る右脚で強く根を蹴り、直線的に空中を移動する。
自分の眼で見る光学情報の中、目標個体の姿が急激に近付く。
ヘルメットを撫でる風が風切り音を立てて後ろに流れていく。
周りの枝葉と接触しないよう、後ろ手に回して背中に沿わせていた二振の愛刀を持つ腕を前に伸ばす。
目標はこちらに気付いていない。
光学迷彩に包まれた透明な腕から伸びる二本の黒い刃が、鋏のように目標HASの頭部の付け根を左右から挟み、超高速震動する硬質単分子刃が一瞬で装甲を切り裂き中身ごと頭部を切り落とした。
返す刀でHASのバックパックを真っ二つに切り裂いてリアクタとジェネレータを機能停止させる。
左手の刀でそのバックパックを根こそぎ切り落とし、万が一にも緊急信号を発することが出来ない状態にする。
頭部を失った目標のHASがバランスを崩し、ゆっくりと傾き始めるのを確認して地面を蹴る。
AEXSSのアシストもあり、ルナの身体は目標としたHASから10mほど離れた場所に生えている巨木の、地面から15mほどの高さで横向きに広がる太い枝に着地した。
程なく撃破したHASが地面に倒れ込む音を聞き、空間情報でそれを確認した。
周囲の敵個体が今の行動に反応する動きを見せていないことを確認する。
まずは一機。
「次はすぐ隣のCH11じゃ。方位16から接近。方位03、180mの位置におるCH13に発見されぬ様注意せよ。CH13は小隊長クラスの指揮個体じゃ。」
目標を撃破した情報はレジーナを通して瞬時にニュクスに届く。
ニュクスはその瞬間のエリア情報を再評価し、瞬時に次の目標を定めてルナに伝える。
返答を返すでも無く、無言でルナは次の目標に向かって移動を始めた。
指示への返答や復唱など必要なかった。
周囲の空間全てを把握しているニュクスは、ルナの動きを見て返答の代わりとする。
ニュクスから指示されたCH11まで僅か220m。
高度50mまでの周囲の空間情報から、手頃な移動先を発見した。
地上を移動するよりも有利と判断する。
ルナは枝を蹴り、空中に身を躍らせる。
周囲の敵個体からの直線は通っておらず、発生した空気密度の差を探知される恐れはない。
枝を揺らさないように着地したルナは、再びすぐに枝を蹴って5mほど頭上の枝に移動した。
三歩枝沿いに進んで再び空中に身を躍らせる。
生い茂る葉の隙間の空間を抜けたルナの身体は、20mほど離れた別の木の枝にふわりと降り立つ。
二歩進み、別の木が遮蔽物となったところで再び枝を蹴る。
それを繰り返して、CH11から距離35m、高さ22mの位置に到達した。
足元の枝は充分に太く強度がある。
重心を前にずらしたルナの身体が傾き、枝から落下し始める。
身体の軸線が56度傾いたところで枝を蹴って飛ぶ。
空中で身体の向きを変え、迫ってくる巨木の幹を蹴って軌道を修正。
重力に引かれてそのままの軌道で落下する。
途中、避けられず茂る葉に僅かに接触するが、こちらを向いている敵個体は無い。
水平に飛んだ速度と、重力に引かれ加速する垂直速度の合成速度の落下地点は、目標CH11のほぼ頭上。
CH11のHASから僅か45cm外れた場所に落下しつつ、その勢いで刀を振った。
左手の刀はバックパックをスライスするように断ち割り機能を停止させる。
右手の刀は、HASの上半身を浅い角度の袈裟斬りにし、邪魔なショルダランチャと共に頭部を切り落とした。
着地し、一瞬の溜め。
CH11の身体がゆっくりと傾き始めるのを確認して、地面を蹴る。
ルナの身体は再び地上8mの太い枝の上に乗る。
再び周囲の敵個体の動きを確認する。
ニュクスが指揮個体と言ったCH13が、明らかに異常な動きをしている。
部下のHASの反応が消え、通信が返ってこない事に気付いたのだろう。
「完璧じゃの。次は突然部下が消えて大混乱しておる小隊長に消えてもらおうかの。CH13じゃ。方位09の巨木の陰から近付くのが良かろう。気をつけよ。部下が突然消えたことで、CH13の警戒レベルはかなり上がっておるぞ。気取られぬようにせよ。」
ニュクスが指定するCH13から姿を隠してくれる巨木の陰に入るには、少し移動してから接近する必要があった。
ルナは再び、ニュクスに何の返信も返すこと無く枝を蹴って空中を移動する。
少し大きく回り込んでも僅か200m程度の距離を音も無く空中を移動したルナは、ニュクスの指定した巨木の地上15m程のところにあるCH13とは逆向きに伸びている太い枝の上に降り立った。
案外に柔らかい木らしく、ルナの着地と同時に僅かに枝全体が揺れたが、20kmほど先に立て続けに弾着する物理弾体が生じる衝撃波と爆発音でその揺れが目立つことは無いだろう。
ルナは宙に身体を躍らせ、途中枝や幹を軽く蹴ることで勢いを殺しながら音も無く地上に降り立つ。
背中を幹に当てたままニュクスが中継するナノボットが拾う空間情報に意識を凝らす。
CH13まで28m。
その間に身を隠せるほどの太い幹を持つ木は無く、逆に中途半端に生えた細い木々と密集した下生えが、短く発見されにくい移動ルートの設定を妨げている。
通常HASは複数の光学センサによって全周の視野を持つ。
ただ、ヒトの脳は全周視野を常に均一に警戒出来る様には出来ていないため、集中して警戒する方向には必ず偏りができる。
とは言え、HASの中身のヒトがどの方向に注意を向けているかなど、外からどれ程詳細に観察したとて分かりはしない。
それでも確率的に偏りが出来やすく、外観から分かり易い瞬間、即ちCH13が本陣の周囲を警戒するために歩いて移動する瞬間を狙って、ルナは大木の陰を飛び出した。
移動時には、注意が前方に偏っている可能性が高い。
勿論、絶対では無い。
後ろを警戒しながら前に向かって進んでいるかもしれない。
あくまで可能性と確率の話だ。
ルナは巨木の幹の陰から躍り出ると、極力音を立てないように柔らかくしかし力強く、今まで隠れていた幹を蹴って、弾かれたように空中を飛ぶ。
両腕と逆手に持った二本の刀を、空気抵抗を抑えるために身体に沿わせる。
それでも僅かに飛距離が足りない。
22.5m地点で一度右足を着いて再度ジャンプする。
脚を着いた場所の下生えがなぎ倒される。
下生えを踏みつける音がする。
CH13がこちらを振り向く。
ルナの刀が振り向く途中の頭とショルダキャノンを横薙ぎに切り落とす。
着地しながら身体の向きを変える
柔らかな地面に力を削がれながらも地を蹴り、CH13に向かってもう一度跳ぶ。
身体の向きを変えながら、こちらに背中を向けたCH13のバックパックを切り落とす。
頭と動力を失ったCH13はまるで旋回舞踊を踊るかのように、身体を回転させながら地面に倒れ込んだ。
「上出来じゃ。方位14に離脱。急げよ。500m。その場を一時離れるぞえ。」
視覚情報をモニタしていたのであろう、戦術指揮を行っているニュクスから間髪入れずに指示が入った。
すぐ近くに敵がいないことを確認したルナは、多少の音を立てるのも構わず地を蹴り、木々を踏み台にして宙を飛んでその場から消えた。
その頃になると敵陸戦隊の指揮官も、移動砲台から狙い撃ちされておらず、着弾も無かった筈の場所の兵士が、見えない敵からの攻撃を突然受けて行動不能に陥っている様だという奇妙な事実に気付く。
悲鳴や救援要求などは聞こえていないが、居たはずの部下からの信号が途絶え、部下のHASの存在を示すマーカが消えている。
つい先ほどまで隣にいたはずの同僚を探す兵士達の声が聞こえる。
自分の周りを囲む第三中隊だけでは無く、前線の第一、第二中隊の両翼でも起こっているようだ。
HASの装甲を狙撃手が持つ様な小口径の銃で遠距離から抜くのは非常に難しい。
何機ものHASを失敗無く全て一撃で仕留めるのは、現実的に出来ることではない。
可能性として考えられるのは、味方のHASよりも俊敏性に勝り対探知能力に優れた小数の地上を移動する敵性の部隊が、移動砲台とは別に自分達に対して見えない攻撃を加えているのだろうということだ。
まるで暗闇の中混乱する相手を一人ずつ始末して部隊全体を物理的にも精神的にもじわじわと追い詰めていくかのように。
そしてまさに、事態に気付いた指揮官とその周辺は得体の知れない敵に徐々に追い詰められている焦燥と恐怖を感じていた。
だが、それが分かったとて対処できない。
背後からの見えない突然の攻撃に備えるように兵士達にそれを伝えれば、例え戦闘薬を使用して恐怖が鈍り士気が高揚している兵士達とは言えども、恐慌状態に陥りまではせずとも大混乱を発生することは免れ得ない。
戦闘薬で攻撃的になっている兵士が見えない敵に過敏になりすぎ、同士討ちを起こす可能性すらある。
かと言って伝えなければ、自分の部下達は何に攻撃されたかも気付かず次々と確実に仕留められていくだけだった。
「気をつけろ。地上に敵特殊部隊が居る。第三中隊各班ともチームごとにスリーマンセル。互いの背後を警戒せよ。中央周辺に寄れ。」
前線を形成し、敵の砲撃の矢面に立って今やボロボロの状態の第一、第二中隊は今更だと思った。
そもそも複数が集まれば、格好の的にされる。
ジェネレータを切って地上に降りた今、敵がどうやってこちらの正確な位置情報を掴んでいるのかまだ判明していないが、いずれにしても固まるのは良くない。
自分を守る第三中隊にも同じ事は言えるのだが、どうやら敵はこの特殊地上部隊を動かすために第三中隊の周囲には砲撃を加えていないようだ。
兵士達を自分の周りに寄せて、壁にするべきだ。
「えっ、こい・・・」
第三中隊A小隊長の声が不自然に途切れた。
A小隊長直下のチームの兵士二人の反応も消えている。
どうやら敵は、こちらに気付かれた事に気付いてより積極的な攻撃に切り替えたらしい。
「支援はまだか!? こちらは予想外の猛反撃に遭っている! 部隊は既に半数以上がやられている。見殺しにする気か!?」
何度目かの緊急支援要請を母艦のオペレータに向けて怒鳴る。
上からの光学観察でもこちらが窮地に陥っているのは分かっている筈だった。
「もっ、申し訳ありません。もう少し保だけ保たせてください。現在カリューデンス隊、ビリンデンドリ隊の二百七十六機が出撃準備中で・・・」
下級貴族家の出身と聞いているオペレータが怒鳴り声に怯えた声で返答する。
それを遮りさらに続ける。
「それはさっきも聞いた! それで敵砲台の特定は出来ているのか!? 早く砲台を何とかしろ! 砲弾の嵐に曝されているこっちの身にもなってみろ!」
使えん奴の子供はやはり使えん奴だ。
どうせこんなところでオペレータなんぞやっている奴は、相続順位も低く家から出て軍隊に入るしか無かったような能無しだ。
「と、特定は出来ていますっ! しかし、民間の居住惑星である本惑星への直接の砲撃は艦隊司令官から止められており・・・」
「味方が全滅するかも知れんのだぞ! 何をやっておるのだ! 何が居住惑星だ!」
「もっ、申し訳ありません。上申はしておりますが、小官には如何ともし難く・・・」
「ちっ。もう良いわ。増援を急がせろ!」
そう言ってオペレータとのチャンネルを切る。
あのクソボンボンが。
能力も経験も無い若造が、親の依怙贔屓だけで司令官を任されるとこういうことになる。
いっそ後継者争いの中で長子と武力衝突して死んでくれれば良かったものを。
下手に他人に取り入るのだけは上手い三男坊が、家督を相続する長子に気に入られるとこういうことになる。
そのしわ寄せで割を食わされる現場指揮官の身にもなってみろ。クソが。
今のところは前面に押し出した平民出の兵士達がやられているだけだが、いつその砲撃がこちらに向いてこないとも限らないのだ。
予想外に高い練度と技術を示し続けている敵特殊部隊の攻撃から身を守るために、自分の周りに一般兵士達を配置して防壁とはしたものの、超高速で飛来する質量弾は部下のHASを前面に置いたとて防げるものではなかった。
増援が来れば、敵の砲台からの攻撃がそれだけ分散され、自分が的にされる確率も下がる。
能無しのボンボンが大部隊を投入し、その大部隊を磨り潰されるのを恐れて早めに陸戦隊を引き上げるときに、生きて同時に帰還できる可能性も高まる。
「えっ、こnギャ・・・」
奇妙な断末魔の声を発して、後方の盾としていた兵士がまた一人敵に消された。
拙い。
増援が降りてくるよりも、敵特殊部隊が自分に到達する方が早いかもしれぬ。
焦りと恐怖で、汗が一筋ヘルメットの中を額から流れ落ちた。
いつも拙作お読み戴き有り難うございます。
これまでルナやニュクスが暗闇に隠れて暗殺する描写を何度かしてきましたが、ルナ視点で実際にどの様な動きをしているか、というのを書いたことは無かったと思います。
緊迫感が上手く表現できていると良いのですが。




