8. フェンディーン#52星系d惑星ベルヤンキス
■ 15.8.1
レジーナは地球時間で八日程かけてオフォードスグスワー星系外縁に到達すると、短距離のジャンプ航法で星系を離れた。
十光年ほどの短距離ジャンプで星系を離れ、他に人の眼が無い場所でWZDを使用し、これまた目的のフェンディーン#52星系から約十光年ほど離れたところに一瞬でホールアウトする。
WZDを使って一瞬で到着してしまったので、通常空間でしばらく時間を潰して調整した後、そこからまた十光年ほどの短距離ジャンプを行って、フェンディーン#52星系外縁へと到達した。
ホールジャンプにしろ従来の一般的なジャンプにしろ、ジャンプ中やジャンプイン/アウト時に船内に何か特殊な現象が発生するわけでは無い。
正確には、通常のジャンプ航法は通常空間からジャンプ空間へ船を含めた全ての物質の遷移を伴っているのだが、人がそれを知覚することは出来ない。
だからどちらの航法を利用しようと、船内の乗客にその差を気付かれることは無い。
ジャンプ中に何も見えない船外の景色を見ようと船外画像を呼び出す様な物好きな客などいるわけも無いし、例え万が一乗客がそのような操作をしてしまったとしても、乗客には適当に真っ暗な動画を配信していればそれで済む。
また、わざわざ小ジャンプとホールジャンプを切り替えている理由は、ジャンプが長距離になるほどホールジャンプの方が事故の確率が低く安全であり、さらにはジャンプに必要なエネルギーが少なくて済むという理由と、WZDを使用すれば長距離ジャンプも一瞬で終えることが出来るので、乗客がいないならば目的地にそれだけ早く到着することが出来るし、乗客が居る場合には余った時間で様々な事を片付けることが出来るという幾つもの利点があるためだ。
今回は船内に三人の乗客が居る。
帝国の貴族であるディングはレジーナがホールドライヴを搭載しているという情報を掴んでいるかもしれないが、それを敢えて目の前で分かるように使ってやる必要も無い。
狩猟旅行の旅程は通常のジャンプ船を利用することを前提に組んであるのだ。
ならばその旅程に沿って行動すれば良い。
乗客から文句が出ることもない。
「ジャンプアウト。フェンディーン#52星系外縁に到達しました。お疲れ様でした。第四惑星ベルヤンキスまで約三十九時間の通常空間航行を予定しています。」
レジーナが小ジャンプのジャンプアウトを宣言する。
この星系の名称に#52などという耳慣れない番号が付いているのは、ここがフェンディーン恒星群と呼ばれる百を超える星系が僅か数百光年の空間に密集し、それら星系が互いに干渉し合ってお互いの周りを公転し続けるという複雑奇っ怪な公転軌道を持つ星団になっているからだ。
そのお陰で、他星系からの干渉があってジャンプ航法ではどうやっても近づけない星系があるかと思えば、まるでラグランジュポイントのように互いの引力が打ち消し合って特異点的に平滑な空間構造を形成している場所もある。
そのお陰で、通常のジャンプ航法でも主星フェンディーン#52から僅か80億km、目的地であるベルヤンキスまでたった四十時間ほどの通常空間航行で済む様な位置まで接近してジャンプアウトできるのだ。
もちろんそのようなスポット的なジャンプエリアは、他の恒星との位置関係で刻々と場所を変え出現消滅を繰り返す。
しかしその位置関係を計算することで動きを予想することが可能であり、そのためのデータは商船組合など様々な組織から提供されている。
「ルナ、星系内に面倒な船はいないか?」
想像以上にざっくばらんな性格だったとは言え、しかし今回の乗客はお貴族サマだ。
安全にはいつも以上に気を遣う必要がある。
下手に危険な目に遭わせてしまえば、ディング本人は笑って許してくれても、侯爵家に仕える面々が絶対に許さないだろう。
「フェンディーン#52星系内には、探知できるだけで二百四十二隻の船舶が存在します。貨物輸送船百四十二、旅客船二十九、船籍不明四十六、その他二十五隻。
「四十六隻の船籍不明船は船団を組んでいます。3000m級大型船舶二隻を含みます。状況から見て、作戦行動中の軍艦隊であると思われます。」
「随分賑わっているな。軍用船はどこかの国の軍隊が演習に来てるのか。」
俺達の目的地である第四惑星ベルヤンキスは、二つの理由で少々名の売れた惑星だった。
一つは、今回ディングがここを選んだ目的である、狩猟を楽しむための星。
様々な種類の原生生物が棲息しているが、総じていずれもライフサイクルが早く繁殖力の強い種類が多い。
つまり、少々乱獲したところですぐに数が増えて元通りになる。
さらに言うと、生態系下位の被捕食生物の繁殖力が凄まじく、それを捕食する生態系上位の生物の数がとんでもないことになっても充分にそれを支えるだけの力を持っている。
またその分だけ生態系ピラミッドの層が厚くなり、最上位辺りに分類される肉食生物は、下位の肉食生物を捕食するだけの強さと獰猛さを兼ね備えている。
それらの理由が、このベルヤンキスが狩猟星として人気である最大の理由だ。
そしてもう一つベルヤンキスが有名である理由は、その爆発的繁殖力を持つ生物群を利用した天然の化学工場としてだ。
ベルヤンキス原生生物を捕らえてその体組織を分解することで、様々な有機化合物を得ることが出来る。
どれだけ乱獲してもすぐに増える原生生物は、炭素を有用な有機化合物に転換する「工場」と捉えることが出来る。
幾つかの企業がこの星に進出し、地上で捕獲、或いは養殖した原生生物を原料として軌道上に設置されたステーションで医薬品原料や工業用原料の有機化合物を合成し、星系外へと輸出している。
炭素を筆頭に大量の元素を惑星外に持ち出すことで徐々に減少していく惑星上の様々な物質は、代わりに大量のゴミを惑星に持ち込んで分解処分して大気中や海洋に放出することでバランスを取っている。
生きている原生生物を工業用原料として利用し、さらには惑星をゴミ処理場としていることに嫌悪感を抱くか?
だがそれは、生物の大きさと体組織の複雑さが異なるだけで、例えばミドリムシなどの微生物や、酵母菌などの菌類を医薬品や食品の原料としていることとやっていることに変わりは無い。
実際ベルヤンキスには知的生命体と呼べるだけの原生生物は棲息していない。
その辺り、銀河種族の倫理観は地球人のそれよりも遙かにシビアで傲慢であり、そして冷徹だ。
利己的な倫理観と言っても良い。
が、動物愛護を唱って、殺される動物の運命を嘆き悲しみ切々と世に訴える一方で、同じ生命体である植物を無慈悲に刈り取って食材とし、害があるからと身の回りの様々な菌類を殺菌消毒するという矛盾した行動よりは、理屈として一本筋が通っていると俺は思う。
倫理観など、背景とする文化や環境で様々に形を変えるものだ。
実際、ファラゾアが地球人類を従族として連中の戦闘用機械の資材の一部として調達しようとしたことや、地球人が食肉用として屠殺される家畜を大量に囲い込んで育てていることと、ベルヤンキスで行われている事の間にたいした差があるとは俺には思えない。
まあ、狩られる側のベルヤンキスの原生生物たちにしてみれば堪ったものではないだろうが。
話が逸れた。
星系内に居るどこかの軍の艦隊だ。
狩猟星として名高いこのベルヤンキスで、植民星開拓時に発生するであろう原生生物の「駆除」作戦の演習を行うために、正規軍の陸戦隊が派遣されることもあると聞いている。
先ほどルナが報告した軍の艦隊は、そのような理由で派遣されたどこかの国の軍隊だろうと推測する。
IFF情報開示無しとは言っても、俺達民間の船舶には所属を明らかにしていないと言うだけで、この星系内の交通整理をしているベルヤンキス軌道上のステーションには多分、演習を行うに必要な最低限の情報は通達されているのだろう。
銀河系内の船舶の航行については、地球上の海洋船舶の航行のような統一された法や規則があるわけでは無い。
銀河は汎銀河戦争の真っ最中で、偶々一時的に利害関係が一致しただけの、頻繁に集合離散を繰り返す緩い同盟があるだけの状態で、そのような国際法が制定できるはずも無い。
そもそもその手のルールやマナーを歯牙にもかけず全無視する事も多い列強種族達が幅をきかせている。
周辺国との関係を慮って軍艦隊の移動をいちいち公式に通達する几帳面な国もあれば、自国軍のあらゆる活動は軍事機密であると一切を秘匿する国もある。
どこかの国の軍の艦隊が居たとて、俺達たかが民間の船舶がその帰属や詳細を知りたいと思うのが所詮無理な話なのだった。
「ベルヤンキスステーションから星系内進入許可を得ました。続いて惑星への降下進入許可および自由狩猟活動の申請中。承認されました。ポート04、離着床332とポート04に隣接する狩猟区468が割り当てられました。惑星上での活動に関する諸条件と規約を受信しました。」
レジーナの声が響くと同時にブリッジ中央にベルヤンキスの画像が浮かび、指定された港の位置が黄色で表示された。
指定された港は、惑星の南半球に存在する大陸にあるようだった。
縮尺が大きいからか、指定された狩猟区は表示されていないが、隣接するというのだから港のすぐ近くなのだろう。
「着床と狩猟を開始するに当たって手続き上の問題は無いか?」
行きと帰りの脚だけでなく、狩りを楽しんでいる最中の侯爵サマのお世話もパッケージされて今回の仕事だ。
侯爵家の家令から指示されたとおりに、滞りなく侯爵サマに狩りを存分に楽しんでいただけるようにお膳立てするのも仕事の内だ。
「ありません。事前申請してありますので、特に問題無く承認されています。針路ベルヤンキスへ直進にて維持します。」
「オーケイ。宜候。ディングは今どこに居る? 自室か?」
「三人ともダイニングルームです。軽食を摂っておられます。」
三人集まっているのか。ちょうど良い。
そう言えば、小腹が減ったな。俺も何か摘まむか。
「分かった。俺もそこに合流する。ルナ・・・そうだな、クロックムッシュとコーヒーを頼む。ああ、セルフサービスで良いぞ。」
「諒解。クロックムッシュとコーヒーをセルフサービス。2分15秒後に出来上がります。」
「サンキュ。レジーナ、後は頼む。何かあったら呼んでくれ。俺は乗客に状況の説明に行く。」
「諒解しました。」
そう言い残して俺は船橋を出た。
乗務員区画の通路を歩き、今は乗客が居るので常時閉となっている一般乗客エリアとの隔壁を抜けて更に歩く。
やがてダイニングルームに到達するが、まず反対側のキッチンに入る。
少し待つとオーブンが軽い電子音を立てて、緑色の小さなランプが明滅し始めた。
ブリッジに居るルナが遠隔でクロックムッシュとコーヒーを合成してくれたのが出来上がったのだ。
初めて挑戦する料理や、複雑な手順が必要なもの、或いは気合いを入れた食事などは、ルナは自分の手で料理を作りたがる。
だが、今俺が頼んだクロックムッシュのような単純なスナック類や、ハンバーガーやフレンチフライ、その他ジャンクフードに分類されるようなものであれば、流石に面倒なのか、或いはやる気と調理欲を刺激されないのか、ルナもナノマシンを使った合成を利用することも多い。
今回は乗客に話をしに行くに際して、貴族サマであらせられる乗客にサービスを提供せずルナがブリッジに詰めているのに、俺がルナからのサービスを受けるわけには行かないのであらかじめセルフサービスを指定した、というのもある。
湯気を立てるクロックムッシュの皿と、コーヒーの入ったマグカップをオーブン兼用の合成チャンバから取り出し、両手に持ってキッチンを出て通路を横切りダイニングルームに入る。
三人はともにダイニングテーブルに座り、ベルセンテルークの料理か或いは侯爵領の郷土料理らしい、野菜の具の入ったポタージュスープのようなものと、ピザとお好み焼きの中間のような軽食を摂っていた。
「ご一緒しても?」
近付く俺の足音に気付いて顔を上げたディングに尋ねた。
「もちろんだ。船の方は良いのか?」
「ああ。レジーナに任せてある。雑破な質の俺よりも余程繊細で確実な操船をする。彼女に任せておけば安心だ。」
ディングの問いに答えながら、皿とカップをテーブルに置いた俺はディングの向かいの席を引き出して座った。
座るが早いか、すぐにクロックムッシュにかぶりつく。
美味い。
少し大きめのパンで作ってあるのだが、見た目には分からないが実は1/4に切ってあって食べやすくしてある。
流石のルナの気配りだ。
「フェンディーン#52星系に進入した。ベルセンテルーク時で、あと五十二時間ほどでベルヤンキスに到着する。南半球にあるポート04、狩猟区468を割り当てられた。知ってるか?」
熱く蕩けたチーズを存分に楽しんだ後に嚥下し、口の中が空いたところで現状を伝える。
俺が口を開くと同時に、レジーナの気配りか、テーブル上空にベルヤンキスのホロ画像が出現し、南半球のポート04にズームして第468狩猟区と思しきエリアを黄色く点滅させる。
「おう。南半球か。最高だ。確か南半球はリプシェンドやファルカッツァとか、肉食獣が北半球に較べて獰猛だと聞いている。腕が鳴るな。」
「ルナ?」
「リプシェンドは甲殻類に分類される肉食獣です。先端の鋭い十本脚を持ち、地形に影響されること無く高速で静かに移動し獲物に襲いかかります。甲殻は金属並みの硬度と対靱性を持ちます。ファルカッツァとは六本脚の半水棲肉食獣で、獲物を水中に引きずり込んで捕食しますが、とにかく力が強く、陸上でも油断ならない脅威となります。いずれも極めて攻撃性が高く、特にリプシェンドは大きな群を作ることがあるためベルヤンキス原生動物の生態系食物連鎖のトップに位置する生物です。ファルカッツァは基本的に番で行動しますが、繁殖のタイミングによってはほぼ成獣に成長した個体十体近くによる群になることもあります。こちらも極めて危険度が高い肉食獣です。」
ネットワーク越しに訊いた問いに、ルナが即座に答えを返してくる。
素晴らしいサポートだ。
は、良いのだが。
原生肉食獣の生態を聞いただけでウンザリしてくる。
何を好き好んでそんなヤバイ生物がひしめき合っているところに行きたがるのか。
仕方ない。これも仕事の内だ。
「ご期待に添える狩場が割り当てられたようで何よりだ。ベルヤンキスの管理局から滞在中の注意事項あれこれが送信されて来ている。後でダウンロードして到着前に目を通しておいてくれ。当然到着後も俺達がサポートするが、いちいち俺達に尋ねるよりも自分で知っておいた方が早いからな。」
当然のことだが、ディング達三人にはレジーナ船内ネットワークへのゲストログイン権限を渡してある。
直接接続の量子データ通信についても侯爵邸の外部接続回線を教えてもらっているので、ディング達は自宅に居るときと同じ条件で帝国のネットワークを使用することが出来る。
そして俺は別のピースを持ち上げて、熱々のパンに再びかぶりつく。
取り上げた一切れを食い終わり、チーズの油分とソースで汚れた指を舐めたところで、ディングとレイシャがこちらをじっと見ていることに気付いた。
いつも拙作お読み戴き有り難うございます。
ちょっと私事にてゴタゴタしてしまい、更新が遅れました。申し訳ない。
その私事でゴタゴタしている隙間時間に、なんとなくCRISISを読み返していたのですが。
・・・重い。文章が重い。
なるほどこれが人気がない原因のひとつか、と思ってしまいました。
まあ、CRISISの方はミリタリー色入ってますし、そもそもがテーマが重いのであんな文章でも言い訳が出来るのですが、個人の船乗りのオモシロおかしく爽快なアクションである筈の本作が同じ重さじゃいかんだろ、と。
という訳で、今後もう少し軽妙な雰囲気になるよう心がけます。
軽妙な雰囲気とは・・・?
パーリーピーポー? (それ軽過ぎ)




