5. ベルセンテルーク帝国第四位家エシオンフダイージオ
■ 15.5.1
案の定というか、納得できると言うべきか、侯爵邸は予想通りの馬鹿デカさだった。
侯爵邸の私設離着床に向かって高度を下げていっているときにすでにその大きさは数字として分かってはいたのだが、迎えのビークルがレジーナの脇に駐まり、その絢爛豪華な装飾の施された大型のビークルに乗って侯爵邸に近付くにつれて、実感として馬鹿デカさを理解したと言うか、半ば呆れた。
地球のパリ郊外にあるヴェルサイユ宮殿が、幅700m弱、高さ120m強の建造物で、見る者を圧倒する大きさと豪奢さで有名だが、今ビークルを降り立った俺の目の前にあるエシオンフダイージオ侯爵家の宮殿は、横幅3200m、屋根の最も高いところで580mあると、降下中にレジーナが教えてくれた。
つまりざっくり言って、ヴェルサイユ宮殿八十個分の大きさの容積を持つ建造物と言えば良いだろうか。
ここまで来ると何を基準にして比較しようともその数字に実感など湧かず、建物の前に立ってただただ圧倒され、魂を抜かれたかの様に口を開けて間抜け面で巨大な建造物を見上げるだけとなる。
もっとも、その巨大な建造物を肉眼で見上げた俺の最初の感想は、「この建物、内部を移動するのにビークル要るんじゃねえの?」だったのだが。
これだけの大きさとなるとすでに建造物と言うよりも構造体と呼びたくなる圧倒的存在感だが、もしこの建造物の設計者の意図が、屋敷を訪れた者の度肝を抜く事になるとするならば、俺に限って言えば設計者は正にその思惑を完全に達成したと言って良いだろう。
正面玄関の前に立って間抜け面で建物を見上げる俺を呼ぶ声がした。
「キリタニ船長。ようこそ当家にお越しくださいました。ご案内せよと承っております。こちらへどうぞ。」
大型のビークルでも楽にそのまま通過できそうな、高さ20m、幅も似た様な大きさの巨大な両開きの正面ドアの脇、人間が使用するものと思しきサイズの───それでもまだ馬鹿でかい大きさの───ドアが開き、中から老年に差し掛かっていると思われる外見の男が姿を現して俺に声を掛けてきた。
要するに、巨大なドアはそれなりの身分の相手を迎えたり、公式なセレモニーの様な場合に使う正面玄関で、普段は家人来客共にこちらの勝手口を使うというところか。
或いは、貴族でもない平民の来客はショボい勝手口で充分、という意味なのかも知れないが。
とは言え別に巨大な格納庫の入り口のようなドアが使いたいわけじゃ無い。
呼ばれるままに俺は、それでもまだなおデカい勝手口のドアを通り抜けた。
そして随分豪奢で巨大な勝手口のドアをくぐり抜けたところで、家の中の様子にまたビビる。
中は高さ100m、奥行きも100mを余裕で超えそうな巨大なホールとなっており、床には精緻な絵柄が描かれたタイルが敷き詰められ、すでにそれ自体が彫刻の作品と呼んで良いような無数の装飾が埋めている。
こう言うと金ピカ装飾と派手な飾り付けに埋め尽くされたド派手でオカネモチなほぼ悪趣味と言って良い成金趣味の部屋を想像するかも知れないが、実は装飾それぞれは落ち着いた色合いと重厚な雰囲気を纏っており、そのような下品な派手さは一切感じないのだが、いかんせんその数が凄まじい。
高さ100m奥行き100mの壁面が、いずれも美術館に飾られそうな絵画と彫刻に埋め尽くされていれば、どれほど落ち着いた雰囲気で質の高い飾りばかりが並んでいようと、その物量に圧倒され言葉を失ってしまうというのを理解してもらえるだろうか。
実はこういった芸術的な装飾を地球以外で見かけることは殆ど無い。
例えば以前訪れたハフォンで、一般的に食事と言えばブロック糧食か流動食しか選択肢が無く、王宮と言えどもあまり装飾の施されていないただデカいだけの建造物だったのが良い例で、ほとんどの銀河種族は百万年も続く汎銀河戦争をどうにか生き残るために国力のほとんどを吸い取られ、文化や芸術と云ったものは遙か昔に失われてしまっているというのが現状だ。
数多くの植民星を保有し強大な国力を有する列強種族は別格として、それら列強種族と同じ土俵で大量生産大量破壊が延々と続く汎銀河戦争を生き延びていくためには、弱小種族はその国力のほとんどを軍事に注ぎ込まねば生き延びることが出来ず、文化や芸術などといったものを保護し育んでいく余裕など無いのだ。
だから猥雑と言って良いほどの雑多で勢いのある地球の文化が物珍しがられ、徐々に他種族に浸透し始めているのだが、封建制度という金を含めた何もかもが地方領主に集中する社会では、その地方領主たる貴族達がこのように芸術や文化といったものを今でも維持しているのだという事を、今身を以て知った。
そう言えば今回の依頼も、侯爵家当主が余暇を使って趣味の狩猟に出かけたいという内容だったことを思い出す。
地球でもそうだったが、良い意味でも悪い意味でも金を持っている貴族というのは、文化の保護者であり継承者なのだという実例を見た気がした。
地球以外の場所でこれほどの芸術性に溢れるものを見るとは思ってもおらず、壁を埋め尽くす装飾に度肝を抜かれて呆けている俺を尻目に、俺を迎えに出た男は、ホール中央に何台か駐めてあるオープンタイプの小型ビークルのドアを開いた。
「こちらへどうぞ。ご案内申し上げます。」
やはりこの馬鹿でかい宮殿内を移動するにはビークルが必要なのだと納得しつつ、開けられたドアからカブリオレに乗り込むと、ドアを閉めた男はビークルを回り込んで反対側のドアから乗り込んできた。
ビークルはすぐに浮き上がり、音も無く滑るように動き始める。
色々と度肝を抜かれ続けている俺を乗せたビークルはホールを奥へ向かって進み、床にマーキングが印してある場所で一旦停止すると、今度はその場に止まったまま上昇し始めた。
30mほど上昇した空中で上昇を止めたビークルは再び水平に進み始め、玄関ホールに面してぽっかりと口を開けたような三階の通路に滑り込んだ。
三階の屋内の通路と言っても幅が20m近くあり、ここもまた大型のビークルが楽にすれ違えるだけの幅がある。
俺の乗った小さな屋内用カブリオレが常に通路の中央より左側を進んでいるという事は、この宮殿の中は左側通行なのだろう。
もしかしたらここの宮殿の住人達は、ビークルに乗って帰宅したら、ビークルに乗ったまま屋敷の中に入り、そのまま自室の前にビークルを横付けしているのではないかと本気で疑ってしまう。
・・・いや、あながち的外れでは無いかも知れないぞ。
やがてカブリオレは目的の部屋の前に到着したらしく、減速するとくるりと向きを変えて常識的な大きさのドアの前に駐まった。
ビークルが止まりきらないうちから案内人の男がドアを開けて床に降り立ち、後ろを回ってこちら側にやって来てドアを開けた。
開けられたドアから床に降りると、目の前のドアが部屋の内側に向かって開いた。
「こちらでございます。」
と先導して部屋に入っていく男の後について、俺も部屋に入る。
案の定というか、当然というか、そこもまた部屋と言うよりも広間かホールと言った方が良いだけの広さがある部屋だった。
幅30m、奥行き50m、天井まで15mはあろうかという部屋には、応接のためのソファと思しきものが四つほど置いてあり、その向こうには巨大なダイニングテーブルのようなものまで存在する。ダイニングテーブルの脇にはバーカウンター、或いはサービス用のカウンターと思しき少し高めのカウンターがあって、カウンターの奥には隣室と繋がっているのか、両開きの扉が設えてあった。
部屋の最奥は高い天井までのほぼ壁全面が一枚のガラスで出来た窓になっており、少し遮光性を持たせているのだろう柔らかでありながら充分な明るさの陽光が室内に差し込んでいる。
窓の外にはこれまた広々としたバルコニーが見え、茶会でも楽しむためか、いかにも優雅なデザインの白いテーブルセットが置かれていた。
そしてまたこの部屋の壁も様々な絵画や彫刻で飾られているが、ここが応接室だというならば、ある意味当然のことだろうか。
「こちらにおかけになってお待ちください。」
俺を先導して案内してきた男が、ソファのひとつを指し示す。
俺は礼を言って遠慮無くソファに座らせてもらった。
相手は銀河種族の貴族家の人間だ。時間間隔が地球人の一般庶民とは異なる可能性がある。
何時間待たされるやら分かったものではない。その間中ずっと立って待つ気にはなれなかった。
ベルセンテルーク帝国のマナーに照らし合わせても、勧められた椅子に座って貴族である屋敷の主人が訪れるのを待つのは間違っていない。
深く沈み込む柔らかなスウェードの様な肌触りのソファに、微妙に尻の据わりの悪さを感じていると、目立たないように控えていたメイドと思しき女が近付いてきて、目の前のローテーブルに縦長で深めのコーヒーカップの様な容器と、こちらも深めの皿に盛られた茶菓子のような物を置いて離れていった。
縦長コーヒーカップの下にはソーサーが敷かれており、地球の文化と似通っていることに少々驚かされるが、汚れることもあるカップの底を直接テーブルに接触させない、或いは零れてしまう飲みものを手に持ったソーサーで受けて衣服を汚さない様にするためだろうという目的を考えると、どこの文化でも似た形に落ち着くのは当然なのかも知れなかった。
要は、生物的には全く異なる分類の筈のサメとシャチの形状が似ているのと同じ事だ。
主人が現れるのを待つ間に出された飲みものと軽食に手を着けるのも、特にマナーに反していない。
ので遠慮無く俺は縦長でちょっと変わったデザインのコーヒーカップに手を伸ばした。
これもまた貴族家らしく、カップは内側も外側にも装飾が施されている。
ちょうどイスラム寺院を飾るタイルのような、どことなく植物的な印象を受ける模様が落ち着いた鮮やかな色合いで描かれている。
カップの中を満たす飲み物から立ち上る香りに、もしやと思い口をつけると、なんとそれは少し深煎りのコーヒーの味がした。
給仕してくれたメイドの方を思わず見ると、目線が合ったメイドは口元だけで僅かに微笑んだ。
どうやら案外に歓迎されているらしいという事は分かった。
数ある銀河種族の中でも、ほぼ一番の新参者である地球人のことを、粗野で礼儀知らずの乱暴者であるとか、類人猿か穴居人に毛が生えた(抜けた?)程度の未開の土人か田舎者として見下してくる者も多い。
実際、彼等が宇宙船を駆り超光速星間航行を日常的に使用して銀河中を飛び回り、何百万隻という軍艦を建造して星間戦争を続けていたほんの数十万年前、俺達地球人は岩山の洞窟に身を寄せ合いやっと初歩的な言語と火を手に入れ、石器を片手に野生動物を狩って日々を食いつなぐという生活をしていたのだ。
連中の認識はあながち間違っていない、どころか全くもって正しい。
だから貴族とその家に仕える使用人達であれば、まず確実に見下され塩対応されるものと予想していたのだが、どうやら思っていたほどでも無い様だった。
まあ、ここの主人が呼びつけた客なのだ。
余りバカな対応で迎えると、家長の客にまともな対応も出来ない家であるという噂が立ち、家格を落としてしまう事にも繋がりかねないからだろう。
この国では身分制度のはっきりとした封建社会で貴族が絶対的な権力を持っているとしても、他国も同じ制度で成り立っているわけではない。
自分達の価値観を押しつけ偏狭な対応をしていたのでは、支配者或いは管理者、もしくは外交官でもある貴族としての資質に疑いを持たれかねないだろう。
例え相手が未開で野蛮な地球人であろうとも、少なくとも表面的にだけでもまともな対応をしなければ、貴族家としての面目が立たないというものだ。
などと、待たされている間の暇に任せてとりとめのないことを考えていると、先ほど俺が入ってきたドアが開いて三人の男が部屋に入ってきた。
相手は貴族サマだ。
失礼の無い様に、俺は座っていたソファから腰を上げて三人を迎えた。
渋く深い赤色を基調として、いかにも金がかかっていそうな服装をして二番目に入室してきたのが多分侯爵本人だろう。
侯爵を先導して最初に入室してきた男は、先ほど俺をこの部屋に案内してきた男とよく似た恰好をしている。
家長と共にやって来たという事は、地球で言うところの家令か執事長のような役割の使用人だろうと見当をつける。
そして暗い青色を基調として、侯爵よりももう少し地味ではあるが、それでも充分に高そうな服装を身に纏っているのは、従士か何かに相当する役割を担った者だろうと想像する。
その男の着衣は、どちらかというと草食性に主体を置いた侯爵の衣服よりも、より動きやすい軍隊の制服に近い印象を受ける。
細身には見えても切れの良いキビキビとしたその男の身体の動きは、俺の想像が然程見当違いでは無いだろうという事を確信させる。
テーブルを挟んで三人が俺に向かって立った。
すると、最初に入室してきた家令と思しき男が口を開いた。
「閣下。この者がこの度御用を申し付ける旅客船の船長である、キリタニ・マサシ船長です。キリタニ船長。こちらが当帝国第四位家エシオンフダイージオ家の家長で在らせられるディフガソップルフィーク閣下です。
「キリタニ船長、この度は急な招聘にも関わらず快く対応戴いた由、ご苦労様でした。」
それだけ言うと家令の男は僅かに身を引いた。
入れ替わるようにして真ん中の侯爵が僅かに前に出た。
「当家へようこそ、キリタニ船長。世話になる。立って話すのもなんだ。お互い座ろうじゃないか。」
そう言って侯爵は僅かに笑みを浮かべ、俺に椅子を勧めながら自分もソファに腰掛けた。
家令と思しき男はソファを回って侯爵の後ろに立ち、従士風の男は侯爵の後に続いてその隣に座る。
俺はまだ立ったままだ。
身分が下の者の自己紹介は必ず立ったまま行わねばならないという、帝国のしきたりがあるのだ。
「初めてお目にかかります、帝国第四位エシオンフダイージオ閣下。地球船籍の旅客船兼貨物船『Regina Mensis II』船長のキリタニ・マサシと申します。この度は閣下のご旅行に際して本船をご用命戴き感謝申し上げます。」
もう気付いているだろうが、ベルセンテルーク帝国では名前の順番は家名が先になる。
封建社会で、貴族家が中心となって社会を回しているため、個人よりもどの家に属するかがより重要であるからだ。
ついでに言うと、挨拶を述べるときには必要なだけの敬意を払いそれなりの言葉を選ばなければ無礼になるが、かといって延々と無意味な美辞麗句を並べ立てるのも嫌がられるらしい。
必要十分なだけ、しかし無駄は不要。
この辺りが、ベルセンテルーク帝国がシステムとしては欠陥のある封建社会を長く保ち続けていられる理由の一つだろうと思う。
「うむ。まあ、座ってくれ。
「こちらも名乗っておこう。今紹介してくれたのが当家の筆頭家令イーデンルハイで、こっちが衛士長のアウバッケドジースタだ。」
侯爵の紹介で、それぞれがこちらを見て軽く頷く。
一通りの紹介が終わって、再度侯爵から椅子を勧められてやっと俺は腰を下ろす。
こちらが身分が下の平民だからな。貴族社会めんどくせえ。
勿論、同じ平民でもこれが地球連邦政府最高会議議長だったり大統領だったりするとまた話が変わってくるのだが、一介の貨物船の船長なんざこんなもんだ。
「キリタニ船長。到着したばかりで疲れているところ申し訳ありませんが、早速話に入らせて戴きます。既に聞いていると思いますが、閣下は帝国標準時で十二日後、来月の初頭から休暇をお取りになり、その間ご趣味の狩猟をお嗜みになるご予定です。場所はフェンディーン#52星系d惑星ベルヤンキス。ベルヤンキスで約二ヶ月、四十日間の御休暇のご予定ですが、キリタニ船長にはベルヤンキスまでの往復の旅程と、ベルヤンキスでの約十日間の御休暇の間のお世話をお願いしたいと考えております。
「まずはこの依頼、受けて戴けるという事で宜しいですね?」
俺がソファに再び座るのを待って、侯爵の後ろに立った家令が再び口を開いた。
勿論。エベンツェチから概要の説明は受けて、納得したからここに来ている。
「勿論です。ご旅行に際して本船をお選び戴いた事を光栄に思います。」
「承知致しました。ありがとうございます。では、詳細について説明します。」
家令がそう言うと、窓から入って来る光が少し暗くなり、窓とは反対側にホロモニタ画像が現れた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
マサシに対する家令の台詞が難しいです。
家令として家格を落とさない程度の丁寧な言葉遣いであり、且つ目下である平民に対して過剰に謙譲しない様に、且つ主人である侯爵の呼びつけた客人に対する言葉遣い、とか。
SFでそこまで気にするな、とか言われそうですが。w
ベイダー卿の属する帝国とか、皇帝に対して普通の丁寧語で喋って超無礼しまくっとるし。




