9. メインストリーム
■ 14.9.1
ここまで乗ってきた狭苦しいQRBのメモリ領域から出て、目標の軽巡洋艦内部のネットワークに侵入すると、大きく世界が広がった感覚がある。
QRBのメモリ領域は三人が格納され活動するに充分な広さがあり、搭載されていたプロセサ群は三人がフルパワーで活動しても充分に余裕のあるキャパシティを持って設計されている。
目標に叩き付けて、その物理的な突破口によって破られた物理的なシステムセキュリティをシステムレベルですり抜け、目標内部に侵入して速やかに橋頭堡を形成するという、電子的侵入の為に使われるQRBの用途を考えると、その設計は当然のことだ。
ハードウエアの容量が足りなくて存分に力を発揮することが出来ず、侵入に失敗しました等という間抜けな事態に陥らないように、充分な余裕を持って設計されているのだ。
とは言え所詮は小さな実体弾に搭載されているハードウェア、船舶に搭載されその内部に張り巡らされているネットワークハードウェアに比べれば、スタジアムと犬小屋ほどの大きさの差がある。
三十万年前の旧式のハードウエアではあるが、全長1500mもある艦を支えるネットワークシステムの容量はやはり大きい。
末端とは言え、軽巡洋艦内に生体の神経のように張り巡らされたネットワーク上に存在するコプロセサを一つ陥落させて橋頭堡とし、ネットワーク上に確保した活動領域はQRB搭載のそれとは比べものにならなかった。
イメージ的には、最新の設備ではあれども、旅装を解くにも苦労をする狭苦しいビジネスホテルのシングルルームから、少々設備は古いが一フロア全てを占領する最上階のスイートルームに移り住んだようなものだ。
軽巡洋艦のシステムに対する侵入と攻撃は専門家のノバグとメイエラに任せ、ディーは築いた橋頭堡の防衛のために、携帯してきた防御用のプログラムをこの旧式のシステムに合わせて組み直して最適化し、一瞬で数百ものコピーを生成して手元に積み上げた。
併せて基幹のシステムから定期的に飛ばされてくる同調用の信号を漏らさず吸収して正常な信号を自動的に送り返す、自分達の存在が基幹側に気付かれにくくする吸収材のような防壁を辺り一面に張り巡らす。
定常信号に対して決められた形式の信号を返すだけの単純作業は、自分の処理から切り離して単純なプログラムに肩代わりさせれば良い。
その分本来の仕事にリソースを回すことができる。
それはごく僅かな差だが、その僅かな差が時に生死を分けることをディーは本体が持つ膨大な経験からのコピーを通して知っていた。
この艦に使われている旧システムは、システム構造もハードウエアも彼が良く知っているものとは大きく異なるのだが、既に解析されているシステム構造情報を元に必要な機能を盛り込み、旧システムに最適化したプログラムを瞬時に生成して大量にコピーし、この艦の基幹システムに自分達の存在がバレないよう、万が一バレても瞬時に最大火力で反撃できるように橋頭堡の周りを防御用のプログラムで何重にも覆っていく。
「オーケイ。向こう三軒両隣は堕としたわ。これでこの艦のシステム全体の約3%をこちらの支配下に置いた。隠蔽工作ヨロシク。」
と、メイエラが若干得意げに聞こえる声音で言った。
コプロセサとその管理下フラグメントのシステムを実際に堕としたのはノバグの作業だろうが、堕とした各フラグメントの構造を解析し、使用されているプロトコルやコマンドを解析して実際に使用できる状態にしたのはメイエラだ。
そしてそれを艦の本体に気付かれない様に隠し、さらには攻撃された場合に備えるのはディーの仕事だった。
先ほどから作り続けている防壁を更に大量にコピーして、自陣であることを示す青色に塗られた領域の外縁に並べて壁とし、その壁のすぐ内側に同様に大量にコピーした防衛用のプログラムを積み上げる。
大量のプログラムをフラグメントの内側に置くのは、当然その分キャパシティを圧迫するのだが、攻撃があった場合にその場で半自動で反応できるので、ディーが手元のプログラムを直接操作するよりも僅かに反応が速くなる。
その僅か一瞬の差を稼ぐために、キャパシティを消費するのは仕方の無いことだった。
それでも今メイエラが言ったとおり、理論上隣り合った幾つかのフラグメントを陥落しこちらの領域に統合できたことで、大きくキャパシティが増えた。
メイエラが更にコピーを生成して自分の処理速度を向上させる。
データ処理能力という意味では、今やメイエラ全体を足すとディーが持つ処理能力の数千倍に達している。
それでもまだ中央演算プロセサを支配しているこの艦の基幹システムに比べれば遙かに弱い能力でしかない。
まだ正面から喧嘩を売ることは出来ない。
その時、片手間で橋頭堡に防衛線を張りつつもずっと探りを入れていた回線の先に目的のものを探り当てた感覚があった。
「基幹回線を見つけた。共有する。探索用の疑似ピンガーを打つ。こちらも共有する。」
この艦の基幹システムが発するものに似せた幾つもの探索用信号が打ち出され、正規の信号に紛れて基幹回線に乗り、ネットワークの方々へと散っていく。
自分以外に信号を打ち出している存在があることを基幹システムに気付かれない様に、そっと少しずつ。
ネットワーク全体を支配しているシステムの監視の眼を誤魔化しかいくぐり、システム全体の構造を探ったり、侵入口となる脆弱な部分を見つけ出すのが特化された彼の機能だった。
方々に散らした信号の返信が次々に戻って来て、霞が掛かった視野が少しずつ晴れていくように少しずつネットワーク全体の構造が明らかになってくる。
打ち出した信号の中には、戻ってこないものもある。
コマンド構造が正しくなかったか、ただ単に打った先のコプロセサに返信を打つ機能が無かったか。
或いは打ち出した先が上位の権限を持つモジュールで、こちらの下位権限ではコマンドが通らなかったか。
いずれにしてもこの手の空振りは基幹システムにノイズ、或いは誤信号としてカウントされている可能性が大きく、余り大量の「誤信号」を発生させると基幹システムの気を引いてしまい、「誤信号」を発生させている「不具合」の原因を特定し修復するという動きを引き起こしてしまう可能性がある。
現在、打ち出した信号全体の6.5%が戻って来ていない。
メインストリームを流れている膨大なデータ量に比べればそれはごく僅かな信号量だ。
まだ気付かれないだろう。
だが、油断は禁物だった。
不具合に対するアクションを起こす閾値がどれ程に設定されているか分かっていない。
この艦隊は、現実世界のヒトが操る旗艦を頂点として、その支配下にAIが操る艦隊が配属されている構造を持つとニュクスは言っていた。
即ち、艦隊の機能自体がネットワークによるコントロールに大きく依存しているということだ。
極めて重要な装備であるネットワークの不具合に対して非常に敏感であり、僅かな不具合であっても即座に対処する動きを見せる可能性がある。
今のところは基幹システムはそういった動きを見せていないが、既に相手が動き始めるギリギリのところまで来ているか、或いはただ単にこれまでが幸運だっただけ、という可能性もあるのだ。
とは言え、ネットワークの探索は行わねばならない。
わざわざQRBを使用してまでこんなところにやってきた目的を忘れてはならない。
ディーはまるで糸のように捕捉した触手を伸ばすようにして、探査信号を方々へと飛ばし、探索を続ける。
それと並行して、現在橋頭堡としているエリアから更に外側、論理的に隣接した別のシステムやモジュールを一つまた一つと慎重に侵食していくノバグとメイエラが広げた支配領域に新たに防壁を張り、防御用のプログラムを無数にコピーしてセットする。
そしてとうとう第一の目標を探り当てた。
常に大量のデータが送り込まれ、それ以上に大量のデータが送り出されて基幹システム領域に向かって奔流のようなデータの流れを作り出しているモジュール。
モジュール自体の論理的な大きさはさほどでもない。
ただそこに開いているポートが巨大であり、ディー自身でさえ一瞬でくぐり抜けてしまえる程の大きさのデータポートがメインストリームのすぐ脇に存在していた。
基幹システムに気付かれない程度の小さなフィルタを展開して、流れる大量のデータの一部をモニタリングする。
艦体制御情報、航法データ、索敵データ、各種センサの数値情報、上位からの指示。
間違いない。
量子通信をコントロールしているシステムだと確信する。
ノバグとメイエラの活動を少しでも圧迫しないために今まで遠慮していたが、ディーはここで自身のコピーを一つ生み出した。
コピーと完全にリンクしながら、コピーには引き続きネットワークの探索をさせ、オリジナルの自分は発見した量子通信制御システムらしきモジュールを外側からゆっくりと優しく撫でるように解析する。
強引なやり方だと防衛機構や管制システムに気付かれかねない。
そしてこれだけの大きさの艦が通信機を一つしか持っていないという事もあり得ない。
サブシステムかバックアップが必ず複数ある筈だった。
コピーにはそちらを探索させる。
通信機を墜としておかないと、基幹システムを攻撃した際に上位に通報される。
サブシステムやバックアップが一つでも残っていれば、敵側の他の艦に知られてしまう。
最悪、乗っ取られかけたこの艦が僚艦から集中攻撃を受けて始末される可能性もある。
そうなってしまったら、今回の作戦は完全に失敗する。
ディーが量子通信制御システムの周りを撫で回して、突破口となりそうな部分に何箇所か当たりを付けているうちに、コピーは艦内ネットワークの探索を更に進め、サブシステム四つと、バックアップ二つを見つけ出していた。
ネットワークの中を手探りで探っていくようなやり方なので、これで本当に全て見つけ出せたのか確証がない。
とは言え、ネットワーク全体のマッピングなどという重要な情報は基幹の管制システム内部にしか存在しないであろうから、致し方ないことだった。
「通信関係の在処を押さえた。メイン一ユニット、バックアップ二、サブ四だ。同時攻撃目標七つだが、やれるな?」
あれから更に隣り合ったシステムを次々と陥落させ、完全体のネットワークの10%近くを既に奪い取ったノバグとメイエラに通達する。
全体の10%近くがコントロール下から外れれば、中央の管制システムがそろそろ気付きそうなものだが、占領した領域全てに正常な信号を返すダミーのプログラムを設置してある。
なかなか気付かれることはないだろうし、気付いたとしてもどこからどこまでが異常なのかすぐには露見しないだろう。
中央の管制システムにしてみれば、身体の末端全てが異常が無い様に思えるのに、実際に動かそうとしてみれば思うように動かず、結局攻撃プログラムを送り込んでみるまでは何がどう異常なのかも分からない、そんな状態になっているはずだ。
「問題無いわ。これだけの領域を奪っていれば、そろそろこの艦全体を相手に暴れても何とか処理出来るでしょ。」
「こちらは問題無い。通信機さえ墜とせば後はどうとでもなる。七つの目標に同時攻撃するキャパシティは既に奪っている。」
その二人の返事にディーは、頼もしい限りだ、と思った。
「それではご婦人方、まずはバックアップの通信システムを・・・」
二人に指示を出そうとして、ディーは今もまだ継続して艦内ネットワークの解析を続けているコピーから送られてくる異常信号に気付いた。
まずは安全に、通常使われていないバックアップ通信システムを二つとも墜とし、その後五つのシステムに同時攻撃することで、二人の負担を減らし、結果的に成功率を上げるつもりだった。
が、そうも言っておれなくなったようだ。
「緊急事態だ。安全策を採るつもりだったが、状況が変わった。メインストリーム上を流れているピンガー信号量が急速に増加している。どうやら中央の管制システムが艦の末端モジュールの応答がおかしいのに気付いたようだ。
「こちらの侵攻はまだバレていない。が、バレるのは時間の問題だ。七つのシステム全てに同時攻撃をかける。出来るか?」
中央管制システムはまだ異常の有無を疑っているだけだ。
だが、こちらの浸食に気付けば上位艦に報告する。
報告されたらお終いだ。
「出来るって言ってんでしょ。」
「問題無い。」
「ではすぐに取り掛かってくれ。」
ディーの言葉と同時に、メイエラが何重にも分身する。
数百人ものノバグが現れ、一斉にメインストリームに向かって突っ込んで行った。
数十人ものメイエラが同時にメインストリームに腕を伸ばし、流れている信号を解析し、取り込み、模倣し始める。
マーキングしておいた七箇所の通信システムに、それぞれ数十人のノバグコピーが群がり、一斉にその表面の弱いところを目掛けて攻撃を始めた。
同時にディーはその更に外側に防壁を張り、ノバグが中央管制システムからの排除攻撃に直接曝されないように護ると同時に、中央管制システムが送り込む緊急信号が通信システムに到達しないように妨害する。
実はもう一つ重要な仕事がある。
ディーも十人ほどコピーを生み出し、中央管制システムの挙動と送り出す信号の監視を始めた。
通信システムは本当にこの七箇所だけなのか。
実はまだ見つけられていないものが残っていないか。
一つでも見逃せば、計画は全てご破算になってしまうのだ。
こちらの存在に気付き、そして自分が攻撃されている事に気付いた中央管制システムが様々な方法で防御し攻撃するために、にわかに騒然として、これまでよりも遙かに大量のデータが濁流のように流れ始めたメインストリームに、ディーは自らのコピーを解き放ち、コピーから送られてくるデータの監視を始めた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
ネットワーク空間での戦いを書いているのですが、なんかサイバー感が足りないような気がします。
サイバー感を増すにはどうすれば良いでしょう。
ちょっと生臭さを増してみるとか? (それはサバ缶でんがな)
ピンガーの代わりに○めはめ波を撃つとか? (それはサイヤー感でんがな)
いやそうじゃなくて357を撃つとか。 (それはサエバー感でんがな)
・・・収拾付かなくなってきたのでこの辺でやめときます。




