4. パラドクス
■ 14.4.1
「どういう事だ? 帰れなくなる?」
ニュクスの言い方は、この時代に長くいるほどもとの時代に戻れなくなる、と聞こえた。
居心地が良すぎて戻りたくなくなる、という意味ではないだろう。
今のところ居心地の良い思いをした覚えはない。
「お主の嫌いな、理論の話じゃ。過去に戻った状態でその時代に長く居り過ぎると、時間の中で迷子になってしもうて元に戻れん様になる。過去で何か余計な事をすると、余計な時間線を生成してしもうて、余計に戻り難うなる。じゃから結論は、できるだけ余計な事はせずに、できるだけ早めにとっとともとの時代に戻るのが正解じゃ。」
「長く居過ぎると戻れなくなる? 具体的にはどれ位だ?」
感覚的にだが、ニュクスに言っていることがなんとなく腑に落ちた。
時間的な異物が、長く居ることで周りに馴染んでしまって帰り道が分からなくなる。
多分、そんな様な感じの話だろうと思った。
いずれにしても小難しい理論を聞いても俺には分からない。
分かり易い指標が欲しかった。
「済まぬが、それはケースバイケースとしか言えぬ。量子論的な話じゃ。この時代でどれだけ他の観察者から認識されたか、他の物体に働きかけたか、にも依るの。ただこれだけは言えるぞえ。ここに居れば居るほど戻り難うなる。それは間違いない。
「と言うても歯痒い情報じゃろう。儂の個人的な予想で良ければ、じゃが。余程のことをせぬ限りは、四十八時間以内であれば90%以上の確率でもとの世界と時代に戻れるじゃろうと思うておる。」
随分タイムリミットが縮んでしまったぞ。
「四十八時間、か。余程のこと、とは?」
「そうじゃのう。このチームなら、例えばテラの生物を大量虐殺するとか、その衛星であるルナを叩き割るとか、かのう。その様な事をしでかしてしもうたら、確実に別の時間線に吹っ飛ばされるじゃろうの。」
要するにアレか。
過去に戻って自分の父親を殺したらどうなる、的な話か。
特に興味も無かったので深く考えたことは無かったが、その手の議論があると云う事は知っている。
「つまり、自分の来た未来を変えるようなことをしたら戻れなくなる、という事か。」
「うむ。その理解で間違いない。」
当然そうだろうな。
三十万年前の地球に生存する生物を大量虐殺するのは、自分の父親を殺す行為に等しい。
もしかすると本当に、殺した原始人の中に自分のご先祖様がいるかもしれないのだ。
「例えば、月を破壊したらどうなる?」
「ルナを破壊した後に未来に戻ろうとすれば、ルナの無いテラが存在する時間線の未来に戻る事になろう。お主等地球人類の歴史上、ルナは様々な事柄に関わってきた。それら全てが根本的に書き換えられた未来じゃ。宇宙開発の明確な目標が無うなって、その方面の技術の発展が遅れ、地球人類はファラゾアに完全従族化されておるやも知れぬのう。」
「俺達が突然消えてしまったり、とかもあるのか。」
「いや、それは起こらぬ・・・いや、正確では無いの。別の時間線の未来から来た儂らという存在自体は残る。ただ、もとの時間線に戻れぬ様になるだけじゃ。ルナの存在せぬ、地球人類がファラゾアに従族化された未来に、『そうではない未来』の記憶を持ったまま迷い込んで、二度ともとの時間線に戻れぬだけじゃ。」
段々こんがらがってきたぞ?
「ファラゾアに完全従族化されたら、レジーナは絶対に建造されることはない。レジーナの存在が消えるんじゃないのか。」
「消えぬ。お主はモノの存在というものと、因果律と云うものを理解しておらぬ。ここに居る我らは、テランがファラゾアに打ち勝ち、レジーナが建造された未来に存在したことがあり、その未来を知っておる。それは変わらぬ。この過去の世界でルナを破壊することで、新たにルナが無く、テランがファラゾアに従族化された時間線の未来が発生するのじゃ。儂らは別の時間線の記憶を持ったまま、その時間線の未来へ迷い込むことになる。そして、二度ともとの世界に戻れぬ。」
なるほど。
・・・いや、ちょっと待てよ。
「じゃあもし、俺が地球を破壊したらどうなる?」
「面倒なことになる。」
「そりゃ面倒だろうよ。自分の母星を過去で破壊するんだ。」
「そうでは無い。テラが破壊されたという事実はこの時間線の確固たる事実として歴史に刻まれる。ところがそれを行ったお主は、存在しない惑星に派生した種族の末裔じゃ。そこでいわゆるパラドクスが発生する。」
ニュクスはそこで言ったん言葉を切った。
俺はニュクスの眼を見て軽く頷き、話に付いていけていることを伝える。
「居ってはならぬ者が世界に居る。するとどうなるか。ここから先はまだ確認が取れておらぬのじゃが・・・多分、新しい時間線が発生するじゃろう。
「お主が元々居った時間線をAとする。お主はA時間線の過去に遡ってテラを破壊する。すると、お主の存在自体が矛盾する事になる。そうすると多分、新しい時間線A'が発生する。そうすることで、時間線A’のテラは時間線Aからやって来たお主に破壊された事となる。つまり、異世界からやって来たお主に破壊される訳じゃ。異世界の未来からやって来たお主ならば、時間線A’のテラを三十万年前に破壊しようが何をしようが、辻褄は合うというわけじゃ。」
理解できた。
俺がやってきた並行世界では地球は破壊されて居らず、三十万年先に俺が存在して時間遡上の旅に旅立っても矛盾しないわけだ。
「その代わりお主は、もと居ったテラの存在する時間線Aには戻れぬ様になる。三十万年後の世界、即ち現代に戻ったとて、そこにテラは存在せぬ。なぜなら三十万年前にお主によって破壊されたからじゃ。」
なぜだ?
もう一度時間跳躍を行って未来に戻れば・・・そうか。
その未来は別の世界の未来だ。
ホールドライヴは時間跳躍が出来ることは明らかになっているが、並行世界間の移動が出来る訳じゃない。
時間線A'が発生して、俺の存在ごと別の世界になれば、俺はもとの世界に戻れないという訳だ。
一瞬訝しげな表情を浮かべた俺の顔から険しさが抜け、軽く頷いたことで、俺が彼女が言った事を理解したという事を理解したようだった。
「先ほど因果律の話をしたの。本来ならば現在と過去の関係は一対一じゃから、過去に遡ったとてもう一度現代に戻れば正しくもと居った現代に戻れるのじゃ。が、行った先の過去で要らぬ事をしでかすと、もとの未来に戻れぬ様になる。」
「つまり、過去に長く居れば居るほど、余計なことをしでかす可能性が高くなって、もとの未来に戻れる確率が下がる、という訳か。」
「違うぞえ。早とちりしてはならぬぞ。過去に行って長時間滞在することで、その過去でお主は色々な人や物から観察され、お主自体も過去に働きかける事となる。船を動かせばその時代に生きる者に目撃されて認識される。逆に呼吸をするごとに、お主はその過去に対して働きかける事となる。そうやって過去の時代と混ざり合い存在を認識されることにより、本来は未来からやって来た特異点であるはずのお主の存在は徐々に過去に『馴染んで』いく。馴染めば馴染むほど、もと居った未来との因果律が薄まっていく。因果律とは即ち、未来から時間遡上をして過去に居ることそのものと捉えても良い。そしてもとの未来に残してきた錨でもある。過去に居る時間が長うなるほど、錨の鎖は細うなっていく。」
まるで俺が、自分が元いた未来との因果律が下がることの恐ろしさを飲み込むことが出来るように時間を与えたとでも云うかの様に、ニュクスはそこでいったん言葉を切る。
しかしその眼は俺の眼を捉えて放さない。
「お主も聞いた事があろう。過去は一つじゃが、未来は無限にある、と良う言うじゃろう? 因果律が薄まらぬ限り、特異点であるお主の未来はただひとつじゃ。じゃが過去に馴染み因果律が薄まり、特異点としての特徴が弱うなって未来へ戻る為の錨を失うてしまうと、他の過去の存在同様にお主の未来は無数に発生する様になる。即ち、もとの未来に戻ることが難しゅうなる訳じゃ。
「先ほど言うたの。余程のことをせぬ限りは、四十八時間以内であれば確実にもとの未来へ戻れる、と。そういう事じゃ。」
納得できた。
何十日も掛けて氷の塊を溶かしているわけにはいかなくなったようだ。
ただ、ひとつだけずっと気になっていた違和感がある。
俺はそれを確かめずにはおれなかった。
「時間遡上について随分詳しいな。もしかしてやったことがあるのか?」
極めて重要な質問だった。
なぜ過去に来てしまったか、どうやったら未来に戻れるのか、現時点ではその原因と方法がさっぱり分からない状態に、答えを与えてくれるかも知れなかった。
「テラ政府からホールドライヴデバイスを貰うた後にの、WZDを開発するに当たっては、時空間量子論演算や超空間相対論の演算を中心に儂らもそれなりに深う関与して共同開発をしたのじゃ。その過程でWZDに何が出来て何が出来ぬかも理解できて居る。
「己が手の中に新しい世界を拓く可能性を秘めたものがあるのじゃ。試してみぬなど、有り得ぬじゃろう?」
そう言ってニュクスは口角を上げる。
それはまるで、新しい玩具を与えられて喜んでいる子供の様にも見えた。
面白がり屋で、知りたがり屋の機械達の性質をそのまま表しているようだった。
そして俺は唐突に気付いた。
機械達と地球人が妙に気が合う理由に。
例えそれがただ単に可能性を検討した演算の結果と、その結果を実証するための論理的な行動であったとしても、機械達はそこに可能性がある限りその先にあるものを確認せずにはおれないのだ。
それはこの銀河のなかで年若い種族である俺達地球人が、次々と目の前に開ける新しい世界の先を追い求めてやまないのと似ていて、機械達はその冷徹な眼で観察し、余りある演算能力を使って導き出した未知のもの、新しい可能性を見つけてはそこに飛びつき、その先に何があるのか見てみたいと突き進んでいかずにはおれないのだろう。
彼女達は、俺達ヒトのように全く新しいものを産み出すことが苦手だという。
その代わりに、ヒトの数百万倍もある思考能力であらゆる可能性を検討し、そこから予想と理論に裏付けられた新たなものを導き出すことが出来る。
天才的な閃きで全く新しい物を産み出すことは出来ずとも、その代わりに緻密且つ高速な考察でヒトでは気付けないような可能性を探り当てることが出来るのだ。
「試してみたのか?」
「もちろんじゃ。様々な条件を変えて、すでに数千もの艦艇や小型機を過去に送り出しておるぞ。」
「なら、なんで地球連邦軍は今回の依頼を俺のところに持ってきたんだ? 三十万光年先から巨大な望遠鏡を使って必死で過去を覗き込まなくても、お前達に協力を求めて船を何隻か過去に送って貰えばそれで済んだだろう。望遠鏡と同じ様に過去を観察するだけなら、もとの時代に戻って来れなくなるなんてこともあるまい?」
「儂ら独自の実験じゃからの。テラ政府には全てを伝えて居るわけではない。」
ここでペラペラ喋っていれば、アデールを通じて地球政府の知るところになるような気もするが。
「例えテラ政府が儂らの実験のことを知ったとて、おいそれと頼むわけにはいくまいよ。そうは言っても一応儂らは別の種族、別の国家じゃ。相手国の持つ資産を喪失する可能性のある依頼を、相応の見返り無しで依頼するわけにはいかぬじゃろうて。WZDは共同開発技術じゃからのう。ホールドライヴデバイスの時の様に、提供する見返りを要求することも出来ぬしの。」
そこは共生関係のような同盟国とは言えども他国、という訳か。
個人対個人の友人関係の様に、無償で労力を提供という話にはならないのだろう。
「分かった。ややこしい話は後回しだ。とりあえず無事もとの時代に戻ることが最優先だ。今のところはまだ戻れるのだろう?」
「うむ。テラを破壊したわけでも無ければ、お主らのご先祖様を大虐殺したわけでも無いしの。」
しかしそれでも時間が経つほど戻れなくなる確率が高くなる。
とにかくすぐに水を手に入れて、時間跳躍を伴う長いホールジャンプに不安が無くなるだけ船を修理しなければならない。
タイムリミットは四十八時間。
いや、今行っている修理に必要な時間を差し引けば、四十時間程か。
太陽系に戻るか、ケンタウリ星系かバーナード星系か、或いはロスか。
ケンタウリは主星が三重星で面倒な上に、確かどの惑星にも海が無かったはずだ。却下だな。
ロスの第二惑星には海がある筈だが、この時期からすでに他の銀河種族が入り込んでいる可能性が高い。
「レジーナ、近くに液体で水が存在して、この時代に他の銀河種族が占領していない星系は?」
「太陽系から20光年以内に四つあります。いずれも地球型の岩石惑星で海が有り、大気中に酸素が存在します。ただし、呼吸可能な大気を持つ惑星はありません。我々の時代で銀河種族の手が入っていませんでしたので、三十万年前の現在も非占領の惑星であると思われます。ただ、いずれの星の海も酸性が強く、中にはpH=3に達するものもあります。ダメージを負った本船で着水して補給を行うのは、あまりお勧めできません。」
船体から海にホースを降ろしてポンプで汲み上げるのでは時間が掛かるので、補給は着水してL2、R2タンクを開放して一気に行うつもりだった。
酸性が強い海に傷だらけのレジーナを降ろす気にはなれないし、幾ら最終的にニュクスが純水に転換してくれるとは言え、強酸性の水を燃料タンク内に導入したくは無かった。
中性の水が確実に存在する地球が最高の補給地なのだが、この時代の地球はファラゾアに占領されているはずだった。
更にはどうやらファラゾアを潰しにやって来たか、或いはソル太陽系をかすめ取りにやって来たのか、デールンネジカなどという連中までもが太陽系の辺りをうろついていやがるときた。
「・・・エンケラドス?」
そう言えば、ソル太陽系にはもう一つ天然で液体の水が存在する星があるじゃないか。
海の上に氷の層があるが、そんなものはギムレットでぶち抜くか、分解フィールドで消し飛ばせばどうにでもなる。
「レジーナ、ルナ。エンケラドスで水の補給が可能かどうか、調べてみてくれ。」
もしかするとソル太陽系に駐留する大量のファラゾア艦隊の目の前で行動する事になるかも知れないが、なに、俺達にはWZDがある。
ファラゾア艦隊が押っ取り刀で押し寄せてくる前に、連中の目の前でたっぷりと水をかすめ取って、攻撃される前にとっととトンズラしてしまえば良いだけのことだ。
いつも拙作お読み戴き有り難うございます。
なんという酷い環境破壊。w
まあ、戦争になったら麦畑を戦車が縦横無尽に走り回り、美しい珊瑚礁を水陸両用車がガリガリ削りまくり、そもそも大気中に放射性物質をぶちまけるまでするアホな種族ですから。
恥ずかしながら、本話を書くために調べていて、太陽系から20光年以内に沢山の他星系があるのだという事を初めて知りました。いやお恥ずかしい。
αケンタウリやバーナード星系は知っていたのですが、こんなに何十個もあるとは知らなかった。
知らなかったのが原因で、これまであちこちで嘘を書いているような気がして、冷や汗ダラダラです。




