3. 故郷から三十万年
■ 14.3.1
「客観的事実ですよ? ロングホールジャンプ以降に観察されたあらゆる奇妙なデータが全て、ここが三十万年前の銀河系であることを示しています。三十万年前であるとするなら、これまで観察された全ての異常事態に上手く説明がつきます。」
と、レジーナが事も無げに言う。
客観的事実。
そんな事は分かっている。
だが、理屈ではわかっていても、感情がそれに追い付いてこない。
ジャンプ事故で三十万年前に飛ばされました、とか。一体何の冗談だ。
それならいっそ、俺以外のクルーがみんなで示し合わせて、三十万年前に跳んでしまったように振る舞って俺を担いで悪戯している、と言う方が簡単に納得できる。
光学観測データや、受信したクロック信号も全てそれに差し替えて、正体不明艦隊に攻撃されて受けたレジーナの損害も、それっぽくシステムデータを書き換えて、とか、な。
・・・分かっている。
そんな事をしても何の意味も無い───もっとも、意味の無いことをして楽しむのが悪戯なのだが───事だし、デールンネジカと思しき艦隊にぶん殴られた時の物理的な衝撃は本物だ。
ただそんな、人類の夢と言って良いような過去の世界への時間の遡上が、こんなちょっとしたジャンプ事故で実現されてしまって良いのか、というモヤモヤとした猜疑心というか、不信感のようなものが強くまとわりついていて、どうしても抜けきれない。
「一応確認する。ホールジャンプなので杞憂だとは思うが、例の大ジャンプ前後での空間歪曲は発生していないんだよな? それが原因で、船体や人体に歪みが発生しているのが一番怖い。」
非物質化を伴わないホールジャンプでは歪んだ空間、即ち強い重力場へのホールアウトを行ったとしても、それが原因で船体が歪んだりすることは無い(だから星系の重力圏内で平気な顔をしてホールイン/アウトできるのだ)が、一般的に利用されているジャンプ航法では非物質化を伴う為、ジャンプアウト空間が歪んでいると、ジャンプインした空間との間の空間構造の歪みの差異が船体とその中身にモロに掛かってくるので、ジャンプアウト後に船体や人体が歪んでしまっていたり、それが原因で大きな事故の原因になったり、最悪ジャンプアウトの瞬間に船体を構成する物質そのものが分解したり、その逆で大爆発を起こしたりする危険がつきまとう。
事実、ジャンプ航法黎明期にはその様な事故が幾つも発生したという記録が残っている。
ホールジャンプなのでそのような歪みの問題は影響しないとされているが、時間遡上などと云う前代未聞の大事故だ。何が起こっているか想像もつかない。
軽く考えていると、後で大事故に発展する原因にもなりかねない。
「はい。歪曲基準器のチェックはホールアウト後に毎回必ず行いますが、時間遡上後の三回のホールアウト後チェックでいずれも異常は検出されていません。」
どうやら杞憂に過ぎなかったようだ。
しかしそれはそれとして、なんで突然三十万年前に跳んでしまったのか、そもそもまるで普通のホールジャンプを行うかのように簡単に時間遡上ができてしまって良いものなのか。
「まずは、ここが本当に三十万年前であることを確認したい。三十万年前であることを示す客観的証拠を五つ示してくれ。」
「はい。ひとつ、位置標準としている銀河系の恒星位置が三十万年前のものに一致していること、二つ、この三十万年の間に発生した超新星が全て存在していないこと、三つ、銀河系内の各クロック信号が全て機械戦争前に使用されていたプロトコルを使用していること、四つ、そのクロック信号で発信されている内容が三十万年前の日付であること、五つ、機械戦争で滅亡したとされるデールンネジカが生存していること、です。」
と、レジーナ。
簡単に五つも客観的証拠が揃ってしまった。
これはもう認めるしかないか。
「諒解。ここは三十万年前の銀河系だと認めよう。で、なんでそんな事になったか原因は分かるか? そもそもジャンプ事故だとしても、あんなちょっと長めのジャンプで簡単に三十万年もの時間をほいほい遡上できるものなのか?」
ここが三十年前だろうが三十万年前だろうが、意図しないホールジャンプの結果であるからには、先ほどの超長距離ホールジャンプは正常なものではなくジャンプ事故だったのだ。
その後の二回のホールジャンプでも時間遡上を起こしていないとは言い切れない。
三十万光年のホールジャンプで三十万年時間遡上したなら、その後の十光年と一光年のホールジャンプでも、それぞれ十年と一年時間遡上している可能性がある。
まあ、三十万年に較べれば誤差に等しいが。
だがいずれにしても、三十万年もの時間旅行をする羽目になってしまった原因を特定して取り除かねばならない。
そうしなければ、俺達はどんどん過去に向かって時間を遡っていってしまう可能性がある。
・・・その内いつか、ビッグバンが見られるかもな。
「三十万光年の超長距離ジャンプが、さらに三十万年の時間跳躍になってしまったことの原因は現在調査中です。
「超長距離ジャンプ後に取得したクロック信号をデータログから取得しました。現在受信しているクロック信号と比較すると、時間跳躍が起こったのはあの超長距離ジャンプの時一回きりのようです。その後の二回の十光年と一光年のホールジャンプでは時間遡上は発生していません。」
「とすると、その差はなんだ?」
「距離だろ。」
と、ブラソンが言う。
『長距離飛ぶ度に時間を遡上する、ってか? 永遠に現代に戻れないぞ。」
「後ろ向きに跳んだら戻るんじゃね?」
「アホか。そんな訳あるか。
「いずれにしてもそれだと行きのジャンプで発生しなかった理由が説明つかない。他の理由がある筈だ。
「レジーナ。ホールインしたときとホールアウトしたときの周囲の状況に差は無かったか? あと、ホールジャンプ中は?」
「ログを見る限りは特に異常なデータは計測されていません。ホールジャンプ中もです。」
そんなバカな、と思う。
時間を遡上するような非常識なことをやってのけたのだ。
何か通常と大きく違うものがあるはずだった。
「ホールジャンプに掛かる時間が異常に伸びていたよな?」
「それは過程であって、原因では無いと思われます。」
「いずれにしても、三十万年を遡上するのにあの程度で済むというのが信じられない。」
「マサシ、それは時間の流れというものを絶対的なものと考えてしまうからです。」
「分からないな。どういうことだ?」
「我々はこの通常空間に於いて時間というパラメータが動く事で、それに応じた動きを取っています。時間軸を主体にして動いているからそう思えるのであって、時間軸自体は只の次元パラメータに過ぎません。本来は空間パラメータと同じく、時間パラメータも任意に設定できるものです。
「ただしこの通常空間、時空連続体の内側からでは時間パラメータを任意に設定することは出来ません。なぜなら、時間軸が主体であるからです。この時空連続体から離脱すれば、時間軸も任意に設定可能となります。ジャンプドライヴにしてもホールドライヴにしても、超光速航法はこの時空連続体の外に飛び出すことで時間と空間のパラメータを任意に設定可能としており、時間パラメータをほぼ固定して、空間パラメータだけを変化させています。その結果ごく短時間で超長距離の移動を可能としています。」
と、レジーナが説明してくれたのだが、余計に分からん。
俺が眉を寄せていると、どうやら理解できなかったらしいと気付いたレジーナが、再び説明を始める。
悪いな。頭が悪くて。
「話を単純化しましょう。X軸とY軸で形成される平面を想定してください。この時、X軸が時間で、Y軸が空間です。我々はX軸が一定の速度で自動的に増加するシーケンスに乗っているので、通常は時間遡上が出来ません。が、このシーケンスを停止すれば、X軸の値も任意で設定できるようになります。この場合のシーケンスとは、普段我々が生活している通常空間の時空連続体、シーケンスを停止する、即ちシーケンスから抜ける事が、通常空間から抜け出しホール空間やジャンプ空間に突入することです。」
レジーナの説明と共に、ブリッジの中央の空中にホロ画像が発生する。
ホロ画像は回転しながら、レジーナの説明を画像で再現する。
うーん・・・分かったような分からないような。
「シーケンスから抜けて、時間と空間を任意に設定できるようになることが超光速航法ですが、通常のホールドライヴでは本当の意味で時間を任意に設定できているわけではありません。時間軸は不可逆に増加する方向にのみ進み、空間軸のみ自由に移動可能です。それに対してWZDは時間軸を動かさないまま空間軸を移動可能としています。通常の超光速航行では時間軸を止める事が出来ないのに対して、時間を止めることが出来るということを考えると、WZDを用いれば原理的に時間軸を逆向きに進む事が可能となり、この移動を微分処理することで時間軸上の任意の点を取ることが可能となります。」
きっとレジーナは、その手の技術だの計算だのに弱い俺のために噛み砕いた分かり易いたとえ話をしてくれているのだろう。
だが、さっぱり分からん。
おエラい学者サマであれば今の話に付いていけるのかも知れないが、少なくとも大学さえ出ていない只の船乗りでしかない俺には無理だ。
まあ理屈はさっぱり分からんが、WZDを使えば時間旅行が出来ても不思議ではない、という結論だけは分かった。
「それにしても、こんなに簡単に三十万年も時間を遡って良いのか? 三十万年だぞ? 三十分じゃない。」
「通常空間の時空連続体は一般相対性理論にて説明できる時空であるからです。」
相対性理論とか。ほらもっと分からなくなってきたぞ。
「どういうことだ?」
「通常空間の時空連続体は一般相対性理論にて定義出来るため、光速を全ての基本に置いて定義されています。光速で進む物体上では見かけ上時間の進行がゼロになります。三十万光年とは光が三十万年掛かって進む距離ですが、逆の言い方をすれば、三十万年とは、三十万光年の距離を光が移動するために必要な時間でもあります。先ほど例に挙げた時間-空間座標系では、三十万年と三十万光年は単位の差こそあれ同じ長さです。即ち、三十万光年を跳ぶホールジャンプは、三十万年を跳ぶホールジャンプと同じ長さになります。三十万年と三十万光年を同時に跳んだ先ほどのジャンプは、どちらか一方のみを跳ぶジャンプの長さに較べて、1足す1の平方根倍の長さ、即ち1.4142倍の長さとなります。実際に先ほどのジャンプは本来の29万6837光年を跳ぶはずであったジャンプの約1.5倍の長さであったことを計測しています。これは即ち・・・」
「ストップ。レジーナ。もういい。済まんが、時間と空間の跳躍に関する論理的な説明はもういい。分かり易く簡単に説明してくれているんだろうが、申し訳ないが俺のコンパクトで携帯性の高い脳ミソじゃ理解できん。
「三十万年過去に跳んだのは理解した。だがそれ以上を俺のアタマに求めるのは無理だ。だから時間はもっと有効に使おう。理解できない俺なんぞにいちいち説明する必要など無いから、お前はルナと協力して、超長距離ジャンプが時間ジャンプに変わってしまった原因を探ってくれ。」
「そうですか? 通常空間の一般相対性理論と、ホール内空間の超空間疑似相対論が絡んでくるここから先がこの理論の一番面白いところなのですが。ギブアップするなら仕方ありませんね。今日はこれくらいにしておいてあげます。」
勘弁してくれ。
俺はホールドライヴデバイスを使う側の人間であって、開発する側の人間じゃない。
早い話が、ボタンを押してホールドライヴに問題無く入れさえすれば、俺にとってはそれ以上のことは必要ないのだ。
「ああ、今日どころか未来永劫これくらい以上先に進むことはないだろうが、そうしてくれ。その代わり、俺のコンパクトな脳でも理解できるような事をやろう。
「とりあえずは、燃料調達だ。ここからなら、80日分の燃料があれば大概の場所に行けると思うが、それより何よりこの時代で俺達の時代のクレジットが使えるかどうかだが。」
「使えねえな。デールンネジカが生きてるって事は、この時代は明らかに機械戦争前だ。ハードウェア設計も、その上で走るシステムも、機械戦争前後で根本的に大きく違っている。支払いをしようとしてもプロトコルが違ってインターフェイスにアクセスできない。そもそもクレジットという通貨単位だったかどうかさえ怪しい。」
と航海士席に横向きに座り、サイドパネルを背もたれ代わりにしているブラソンが言った。
「金はあっても使えない、か。流石に海賊の真似をしてどこかから略奪するわけにもいかんしな。」
「テラン的には未来永劫仇敵であるファラゾアからなら略奪しても良いんじゃねえのか?」
「俺の倫理観から言ってもその選択肢はアリだが、現実には無理だろ。燃料タンクに辿り着く前に確実に撃沈される。」
「時間は掛かりますが、固体の水から液相を生成して補給することも出来ます。多少船外作業が必要になりますが。氷の大きさにも依りますが、八十日も掛からず燃料タンクをフル充填状態に出来ます。」
なるほど。
宇宙空間に無数に浮いている氷の塊を捕まえて、融かして飲み込めば良いか。
不純物はニュクスに頼めば簡単に除去してくれるだろう。
燃料タンクに隣接して設置してある物質転換機を使うのもアリだ。
「近場の無人の星系に行って、外縁のオールト雲で氷の塊を捕まえればいいか。燃料問題はなんとかなりそうだな。」
と、少しだけ安堵したのもつかの間、おずおずと云った風にニュクスが口を挟み、聞き捨てならない台詞を口にした。
「それがのう。あまり長い間この時代に居ると、もとの時代に戻れぬ様になろうぞ。」
・・・なんだって?
いつも拙作お読み戴き有り難うございます。
レジーナが超光速航行と時間跳躍の理論についてなにやら長々と喋っていますが、殆ど意味の無い適当なことをそれっぽく小難しく書いただけです。
ので、本気にしないでください。w
ああ、ジャンプ空間から見れば時間と空間は同位のもの、という理屈だけはマジです。
それがこの章の根本ですので。




