3. 広大な虚空
■ 13.3.1
「ボーディングブリッジ脱気確認。ロック解除。開放。重力アンカー、離岸シーケンス。距離20・・・50・・・100。重力アンカー解除。エピフィラムとの相対速度+100。距離500。回頭、0, -100。回頭完了。ジェネレータ出力上昇、20%。リアクタ出力上昇、15%。ソル座標系0, -100、加速度1500、加速開始。ジェネレータ出力60%、リアクタ出力42%。本船はソル太陽系南方に向けて加速中。ランデブーポイント到着は8時間35分後の予定。離岸シーケンス完了。お疲れ様でした。」
ネットワークを通して流れてくるレジーナの音声が、接舷していたエピフィラムを離れて太陽系南方に向かって加速し始めた事を告げた。
ブラソンが作った操縦システムがあるので、俺は船内のどこに居ても操縦士用のコンソールにアクセスすることが出来る。
なのでまったくその必要性はないし、ルールでもないのだが、しかし港を出入りするときは万が一の事態に備えてブリッジの船長席に座ることにしている。
その俺に釣られてか、航海士兼システムエンジニアのブラソン、各種火器類操作担当のニュクス、船体管制管理全般担当のルナの四人全員も、ブリッジにある各々の自席に姿を連ねていた。
今回の仕事の依頼主窓口であるアデールは、いつもの通り自室かダイニングに居るだろう。
そして、エピフィラムという俺達全体のベースとなる艦が出来、その内部に擬似的な生活空間が出来たことから、ミスラをわざわざ狭い船内に閉じ込めねばならず、また危険が伴う可能性が有る航海に連れ出さなくても良くなったのだが、ミスラ本人の強い希望もあって結局彼女は今回も俺達とともに航海に出る事になった。
強面のするクニ達ではあったが、実は全員が案外に子供好きでそしてミスラに滅法甘く、当初人見知りで警戒していたミスラも今では全員を名前で呼んで、顔を見かければ自分から駆け寄って行くほどになっている。
駆け寄られた方も、見目の整った銀髪の幼女に懐かれるのは満更ではないらしく、これがホントに元ヤクザか? と問い質したくなるほどに相好を崩して嬉しげにミスラを抱え上げるのだった。
当初ミスラに近寄ろうとしない男達が何人か居たが、どうやらそれはただ単に初めて接する幼い少女、見た目からして地球人とは異なる他星系の種族の幼女にどの様に接すれば良いかが分からず戸惑っていただけであったようで、互いに打ち解けた今となっては全員がまるで初孫を甘やかす祖父の様なデレデレの状態になっている。
一番心配したのは、ミスラがファラゾア人であるという事実と、明らかに他星系種族の見た目を持ったミスラの種族を隠したままには出来ないという事だったが、これも拍子抜けするほど簡単に解決した。
地球人である以上、三百年ほど前にファラゾアから侵略を受けて、絶滅するか従族として隷属させられるかの瀬戸際まで追い込まれた事は皆一般的な知識として知っていた。
実は今でもその時のことを言い募り、ファラゾアを仇敵として様々な活動をする者達も少なくない。
しかし彼等にとってそんな遙か昔の古事はただ知識と知っているだけの歴史であって、今現在彼等に何か問題を発生させているわけでもない過去の出来事は興味の対象外であった様だった。
地球人類がファラゾアから受けた不利益は知っている。
しかし眼の前に居る、ただ愛らしい幼女であるミスラがそれを行ったわけでも無い。それとこれは全く関係のない別の話、というのが連中の総意の様だった。
社会から弾き出されてしまい、刹那的な生き方をする他なかった連中にとって、眼の前にある事実が全てであって、自分が生まれる前の遙か昔の経緯など自分には関係のない話という事らしかった。
そう云った訳で、安全でかつ構ってくれる連中が居るエピフィラムに居る方がミスラにとってより良い選択だろうと思い本人に尋ねてみたところ、激しい拒絶にあってしまった。
無表情ではあってもいつも優しく丁寧に対応してくれるルナが居るのが良いのか、或いは見た目が近い歳に見えるニュクスが居るのが良いのか、或いはエピフィラムよりも住み慣れたレジーナが良いのか。
いずれにしてもエピフィラムに残ることを持ち掛けた俺への返答はただ一言、「絶対嫌!」というものであり、ルナの脚に齧り付いてこちらを睨み付けてきた。
もともと俺自身も最終的な決定はミスラの意志を尊重しようと考えていたし、ルナを始め他のクルー全員から、これほど嫌がっているのにおいていくなんてあり得ないと無言の圧力を込めた視線を受け、ミスラはレジーナに載せて連れて行くことを決定した。
エピフィラムに較べれば狭い船内で、行動もそれなりに制限される筈なのだが何が良くてレジーナに居ようとするのか、怒ってしまったミスラはその理由を言ってはくれなかったのではっきりしない。
だが、小さな子供とは言え彼女自身がそうしたいと言い、俺達としても特に問題は無いので連れて行くことにした。
というわけで、アデールも含めていつも通りのメンバーの揃ったレジーナはエピフィラムを離れて太陽系南方に向かって加速を開始した。
「暇なうちに今回の依頼内容をおさらいしておく。本船はこのまま太陽系南方に向かって航行し、約八時間三十分後、アステロイドJ区から南方に四億五千万kmの位置で連邦軍特務戦隊と接触、今回の依頼に必要な資材を受け取る。その後再び太陽系南方に航行を続け、ジャンプ規制領域を抜けたところで十光年ほどの短距離ホールジャンプを行って、追跡者の尾行をまく。その後、銀河系黄道面から銀河系南方に向かって約三百光年ジャンプして、航法ポイントNAV Aに到達、軍から受け取った機材の試運転を実施する。動作確認後、再び銀河系南方にホールジャンプを行い、銀河系黄道面から約三十万光年離れたNAV Cに到達。ここで本運用の為に機材を展開し、NAV Dに移動、今回の依頼である約三十万年前の地球を観察し、データを取得する。有効なデータが得られなかった場合でも十日後には観察を完了し、NAV Cにて可能な限り機材を回収した後、再び太陽系に帰還する。
「詳細なスケジュールと空間座標はクルーズスケジュールを参照してくれ。今回の依頼は、三十万年前の太陽系の状況を光学的に観察すること。軍から受け取った機材でそれが可能かどうかの検証を含めて、試験的に光学観察を実施することにある。」
今回の依頼元はまたまた地球連邦軍の情報部だ。
情報部も毎度毎度訳の分からない色んな仕事に手を染めていてご苦労なことだ。
アデールの話を聞いている感じでは、この件は軍だけでは無く、連邦政府の調査機関なども相乗りをしている様だった。
そんな重要な調査をなんでまたこんな民間の貨物船一隻に託してしまうのか甚だ疑問なのだが、アデールの言った様に、その手の調査を専門に行っている部隊が現在他の案件で手一杯である事、今回の調査依頼は確かに重要なものではあるのだが、機材も含めて初めての試験的な調査であるので大部隊を動かす前のごく小規模の試験として民間企業への委託でも充分に事足りること、軍内部、或いは連邦政府内外の政治的な問題もあって、地球人類が自分達の種族の運命の分岐点であろう三十万年前の太陽系を覗き込んだことを広く知られたくないこと、等々の様々な迷惑かつ妥当な理由に依り、見事俺達に再び白羽の矢がぐっさりとブッ刺さったという事らしかった。
いかん。
しばらく前にST指揮官のキャリー・ルアン中佐から誘いを受けた事があるが、これはマジで本格的に軍や政府と縁を切りにかからないと、毎度便利屋として使われてどんどん深みにはまっていっている様な気がする。
奴等からの依頼は前回の様にやたら短納期でしかも危険なものが多いのだ。
ろくなもんじゃない。
このまま続けていっては、本当に命が幾つあっても足りなくなってしまう。
「ちょっといいか? 気になる台詞があったんだが? 『追跡者の尾行をまく』ってのは、どういうことだ? 誰かに追跡されているのか? ヤバイ奴か? 依頼内容はヤバイ話なのか? そうは思えないんだが?」
珍しく自室から出てきているブラソンが、半身になってこちらを振り返り言った。
ブラソンが作った操縦&船体管制インターフェースは非常に優秀で、船内に居さえすれば例えそれが自室でも、どころかデータがやりとりできる状態であればなんなら船内に居らずとも、ブリッジに座ってコンソールとホロモニタを睨み付けながら操船する以上の環境を提供してくれる。
特に俺のような感覚的に船を動かすタイプのパイロットにとっては、まるで船が自分の身体の延長線上に存在するかのように感じることが出来、周囲で発生する事態への応答性や操船の精度などが格段に向上する。
実際、このインターフェースにはこれまでに何度も危ないところを切り抜ける助けとなってきた。
さらにこの船には俺が行うそんな高精度の操船を補佐する船体統合管制AIであるレジーナが居る。
さらに言えば、アクティブなインターフェースとでも呼ぶことが出来るルナも居る。
彼女達に助けられ、この船の機動力とその精度は銀河有数のものであると自負している。
「済まん、実はそこがよく分かってない。これは地球連邦軍情報部からの依頼だが、依頼人はこの依頼で交戦が発生する可能性は相当に低いと言っている。ただ、政治的な理由があって俺達が何を目的に行動しているか他者に、ことによると他の地球連邦軍にさえ知られたく無いらしい。『なぜ』『誰に』については、まあ当然のことながら何も教えてはもらえていない。全く。軍の依頼はこれだからな。」
そう言って大きくため息を吐く。
こちらを見ていたブラソンは、皮肉な表情で大きく苦笑して口元を歪め、肩を竦めて、それ以上追求してくることは無かった。
軍が依頼してくるこの手の後ろ暗そうな面倒な仕事の性質についてはブラソンも良く知っているだろう。
どうせ今回も「嘘は言っていないが、本当のことも殆ど言っていない」ような話だろう。
次こそは本気の本気で軍とは縁を切らねば。
「三十万光年? ちゃんと跳べるんだろうな? とんでもない距離だぞ。銀河系を端から端まで跳んでまだ釣りが来る。オーバーヒートしてホール空間で遭難しました、とかシャレにならんぞ?」
とブラソンが続けた。
当然、一番気になる問題だ。
「問題無い。この船に搭載されているWZDデバイスと同型のもので200万光年までの実績がある。もっとも、200万光年を一度のジャンプで跳んで往復したら、流石にオーバーホールが必要になったらしいが。30万光年ならば問題無いだろう。」
と、ブラソンの問いにアデールが直接答えた。
200万光年の往復ジャンプか。
地球連邦はアンドロメダ銀河への進出でも狙っているのだろうか。
いずれにしても、30万光年の大ジャンプの安全が保証されていると言うなら文句はない。
「軍から受け取る資材というのは?」
と、ルナ。
「重力レンズを形成する装置と聞いている。これまではこのレンズの性能が十分ではなくて、30万光年彼方を光学観察するなど出来なかったのだが、新たに開発されたその装置で大きく改善されたとのことだ。荷姿は中型のコンテナ二個という事だが、この船のカーゴルームはそれでほぼいっぱいになるな。装置の操作法も受け取り時に教えてもらえるとのことだ。最新の機材を余り人目にさらしたくなくて、面倒な受け渡しをしたいらしい。」
最後のは本音だ。
折角こちらがその手の資材受け渡しに最適な巨大な輸送艦に住み着いているというのに、わざわざそこから引き剥がして何も無い所で受け渡す事を選ぶなどと、全く面倒をかけさせてくれる。
宇宙空間でギリギリのサイズのコンテナをカーゴルームに格納するのがどれだけ面倒か知らないわけでもないだろうに。
「戦闘は発生しないんだな? まあ、常識で考えて、銀河から三十万光年も離れた銀河間空間に戦う相手なんざ居ねえとは思うが。」
と再びブラソンが言った。
三十万光年と言えば、方向は違うが、小さいながらもお隣の銀河である大マゼラン雲を越えてさらに向こう側に行くということだ。
もちろんそんなところに何か存在するわけもなく、太陽系間空間よりももっと何も無い銀河系間の虚空が広がっているだけだ。
常識的に戦闘になるはずが無い。戦いたくとも、相手が居ない。
「発生しないんだよな?」
と、俺はブラソンの台詞を繰り返しつつ半身を捻り首を曲げて、いつもの定位置に座るアデールを見た。
「発生しない。何も無いところを無意味にうろついている物好きな艦隊などそうそう居ないだろう。」
俺の問いかけに対して、アデールが無表情に答えた。
「だそうだ。」
「ふん。」
ブラソンは軽く鼻で嗤うと、皮肉な表情で僅かに口角を上げる。
まあ、発生しないはずの戦いが発生したり、軽い実力行使で乗り切れるはずの予定が泥沼のヤバイ戦闘になったりなんてのはいつもの事だ。
時々、政府はわざと不正確な情報を渡してきて、俺達が冷や汗をかきながら乗り切るのを眺めて楽しんでいるのではないかと疑いたくなるときがある。
とは言え何も無い誰も居ない三十万光年彼方の虚空に敵性の艦隊など居よう筈も無い。
恒星も惑星も、鉱物資源もないそんなところに艦隊を派遣する意味などない。
今回ばかりはアデールの言うとおり、交戦の発生しない依頼になるだろうと期待できる。
「他に質問は? ま、気になることが出来たらいつでも訊いてくれて良いが。」
ダイニングルームに居る全員の表情を見回す。
機械知性体達も黙ったままだ。
「よし、じゃあ八時間後まで自由。ランデブー前30分にはブリッジに集まってくれ。解散。」
俺がそう言うと、ブラソンは立ち上がりダイニングルームを出て行った。
ルナはテーブルの上の飲みもののカップを回収し始める。
アデールは相変わらずお気に入りの場所に座ったままで、ニュクスは何が嬉しいのかニコニコしながら椅子の上で足をばたつかせている。
銀河を離れ、銀河の直径の三倍も彼方の虚空を目指すなど、はっきり言ってまともじゃない。
だが、前人未踏とまでは言わないものの、常識では考えられない遙かな場所に行くことに、実は個人的に少しだけ心が躍っているのは自分でも気付いている。
いつも拙作お読み戴き有り難うございます。
29万8000光年の旅よりもっと遠くです。
目的地に着いてみたら、実はすぐ近くにシードの供給源がっ!! とかいう展開はしません。
ちなみに、第三艦橋が溶け落ちるのに、第一艦橋前面のシャッターはナンで無事やねん!?
つか、第三艦橋より小さい艦長室残ってたらおかしいだろ。
と、子供心に思ったというのは秘密です。w




