2. 駆逐艦「アリアドネ」
■ 13.2.1
駆逐艦アリアドネは、エピフィラム南方から高速で接近してきて距離約1000万kmほどで逆進をかけて大きく減速し、100kmほど西でいったん静止した後に太陽系内宙航教本通りのお手本のようなアプローチで再びゆっくりと加速して接近してきた。
緊急事態にはあらゆるルールを無視する権限が与えられている軍艦であるが、平時はあらゆるルールにきっちりと従う。
完璧にルールに沿った隙の無い機動と航行は、その艦の練度の高さと航海士の腕の良さを表していると言って良い。
全長600m余りの艦体は陽光を受けて白く輝いており、艦首に近付くに連れて細く尖ったような艦体形状はレジーナと同じMONECの船殻を使用しているであろうことを覗わせる。
もっとも向こうは軍艦用の重装甲船殻を使用していることに間違いは無く、それに較べればレジーナの船殻強度は紙のようなものだ。
外観は似通ったところがあろうとも、その防御力には雲泥の差があるだろう。
地球人類が宇宙に乗り出した黎明期には、一から設計を起こした様々な形の駆逐艦が建造されたらしいが、さらに銀河に乗り出し汎銀河戦争に巻き込まれると、太陽系防衛のためにとにかく艦の数が必要になった。
そこで基本設計を同じくして、搭載するモジュールを取り替えただけの同型艦が大量に建造されるようになり、いまに至る。
大量に建造された同型艦は、それぞれ建造した造船会社の特徴を有した似通った形状となる。
アリアドネの外観形状は、レジーナとよく似た印象を与える。
同じMONEC社の船殻を使用しているからだろうと思った。
アリアドネは最後の100mほどを秒速1mほどの微速で接近してきて、重力アンカーを使うこと無くエピフィラムのボーディングゲートにエアロックをピタリと合わせ、ミスも躊躇いも無くゆっくりとだが確実にゲートにドッキングした。
相当な腕のパイロットが繰艦しているか、或いは余程熟れたAIが艦体をコントロールしているのだろう、惚れ惚れするような動きだった。
ドッキングが完了し、ボーディングゲートが与圧されて、アリアドネのエアロックが開く。
予告された一名の移乗者がエアロックから姿を見せ、足音を響かせてゲートの中を歩いてきた。
連邦地球軍(TFF: Terra Federation Force)のほぼ黒に近いダークグレイの制服を着た女が一人、ゲートを抜けてエピフィラムの船内に姿を現した。
肩の下まで伸びる緩く波打った濃いめのブラウンの髪を揺らし、細身の黒縁の眼鏡を掛けたその女は、レンズの奥の濃い青色の眼で俺を見ると表情を崩すことなく口を開いた。
「また随分と立派な艦を手に入れたな。ここがベースになるのか。」
「ああ。立派な本社だろ? お陰で税金が高くなっちまうがな。」
特定の場所に本社機能を設定すれば、当然そこの管轄の行政区から法人税を取られるようになる。
今までのようにシャルルのドックを実質はただの連絡窓口である仮本社としていた本社の場所を固定していない状態に較べると、税金が高くなってしまうのだ。
税金ばかり取られて、連邦政府から特に何かしてもらった記憶も無い、どころか迷惑ばかりかけられているような気もするが、かと言ってハバ・ダマナンの近くに機械の艦を置くわけにもいかない。
エピフィラムを置いておく場所代だと思って我慢することにしていた。
いつぞや機械達に提供したテラフォーミングプラットフォームのお陰で、今回も機械達からエピフィラム提供の対価は求められていない。
税金は掛かるが家賃が不要なのだから結果的には得になっている。
もっとも、税金をむしり取っていく地球政府には迷惑ばかりかけられており、エピフィラムを無償で提供してくれた機械達には恩義ばかりが積もっていくアンバランスな状態に納得はしていないが。
閑話休題。
アデールを降ろした駆逐艦アリアドネは、余計な荷物からやっと解放されたとばかりにすぐにドッキングを解除し、エピフィラムから離れていった。
アデールの他は誰も姿を見せず、挨拶を交わすことも無かった。
その余りの素っ気なさに少々呆れつつも、俺はと言えば例の東京の下町での一件以来レジーナを離れていたアデールと共に、地上車で再び居住区に向かっていた。
少し煤けて良い感じに古びた外観の日本家屋の街並みを珍しそうに見回しているアデールと、そのアデールの反応に微妙に得意げな俺を乗せた小型の地上車は、やがて俺が滞在している湖畔のコテージに到着した。
荷物のひとつさえ持っていない軽装のアデールを案内してコテージに入ると、屋内にはルナが作っているのであろう夕食の良い匂いが濃密に漂っている。
それまで忘れていた空腹を急に意識し始めてしまう。
むずがる腹の虫をなだめつつ、キッチンとウッドデッキの間にあるリビングルームの小ぶりなダイニングテーブルにアデールと共に腰を下ろすと、いつものショートパンツ姿のルナが近付いてきた。
「すぐに夕食にしますか? それともお話しが終わってからにしますか?」
「すぐに飯にしよう。さっきから良い匂いを嗅いでたら腹が減って堪らん。構わないな?」
「ああ、構わない。水だけ飲んで真面目くさって話したがるお偉方が居るわけでもない。私も八時間ほど何も食べていない。ありがたい。」
アデール一人増えたところで、ルナにかかれば夕食の量を対応させるのは簡単なことだろう。
それにここには水もナノマシンも大量にある。ルナは不満だろうが、最悪、同じメニューをいくらでも皿ごとコピーできる。
一度キッチンに引っ込んだルナが、湯気を立てる皿と共に再びやってきた。
目の前に置かれた大皿の上には、トマトライスと野菜のビリヤニ、チキンとマトンのケバブが並べられ、その上からサグと思しきカレーがかけられている。さらにその上には良く焼けた焼きたてのロティが被せられて皿全体を覆っている。
さらにルナは、ビールの入った大きめのグラスを俺達の前に置くと、自分の席の前にも同じ物を置いて俺達と同じテーブルに着いた。
「艦でメシは出なかったのか?」
と、俺はロティをむしりながら聞いた。
「作戦行動中扱いになってな。戦闘糧食が配られたが、ここに来ればまともな食事が出来ると思って手を付けなかった。お前の船に乗ってると、どうも贅沢になっていかん。」
そう言いながらアデールは心持ち嬉しそうにビリヤニとサグを掻き混ぜている。
彼女の表情は変わっていない。
だが、喋り方や雰囲気で感情の動きが分かる様になってきた。
嫌だ嫌だと言いつつも、こいつとも長い付き合いだ。
「ふん。そこは譲れないな。自分の家でまともな食事が出てこないなど耐えられん。」
「否定はせんよ。」
短い会話の後、しばらくは互いに黙って食事を続ける。
表面は香ばしく火が通っており、内部はまだ充分に肉汁が残るケバブの焼き具合が絶妙だ。
トマトライスの酸味もちょうど良い。
ルナは本当に料理が上手くなった。
その分、チキンビリヤニアラビアータソース掛けタコスという様な独創的メニューが減ってきた様な気がするのは、少し寂しいところだが。
ビールは少し独特の風味がする。たぶん日本で仕入れてきた米入りのものだろう。
「そう言えば、STの艦じゃ無いんだな。情報部の艦か?」
もっとも俺が知っているのは、雪風、神風、ジャーヴィスとライラ、それと戦艦のジョリー・ロジャーだけだが。
とは言っても、特殊部隊であるST部隊がひと艦隊組めるほどの数の艦を持っているとは思えない。
「ちょうど全て出払っていてな。いや、あの艦は歴とした第八基幹艦隊の正規艦だ。ティル・ナ・ノーグ・ステーションに上がったら、ちょうど停泊していたので捕まえた。いわゆる職権乱用だ。流石に輸送機で何億kmも飛ぶ気にはなれなかった。」
ティル・ナ・ノーグ・ステーションとは、ヨーロッパ上空三万kmほどのところに静止している軍民共用の軌道ステーションの名称だ。日本上空に浮かんでいる天京と同様のものだ。
シュツットガルトかストラスブールで仕事を終えた後、アステロイドに向かう途中でビークルから大型の船舶に乗り換えるために立ち寄ったのだろう。
まさにその様に使われるために造られたステーションだ。
「で? 何かまた面倒事を持ち込んできたんだろう?」
フォークに突き刺したマトンのケバブをサグにからめ、口に運びながら俺。
「正式な依頼だ。大丈夫だ。戦闘は発生しない。時間旅行をしてみる気はないか?」
サグとトマトライスを混ぜたものを、千切ったロティを使って右手で器用に掬って口に放り込むアデール。
そして左手でグラスを掴んでビールを流し込み、僅かに顔を顰めながら手に持ったグラスを見る。
日本のビールだからな。ドイツのモルト100%のものとは違う風味がする。
それはともかく。
今何かアデールが突拍子もない事を言った様な気がするが。
「・・・何だって?」
思わず食事の手を止めてアデールの眼を覗き込む。
「時間旅行だ。」
と、事も無げに言うアデールはチキンケバブを突き刺して口に放り込んだ。
そしてグラスに1/3程残っていたビールを一気に流し込んだ。
いつの間にか席を立ちアデールの後ろに回っていたルナが、アデールが手を放した次の瞬間空になったグラスを回収してキッチンに向かって立ち去る。
「・・・次のダービーの結果でも知って一儲けしようってのか?」
ふと思い出す。
WZDを受け取った際に、派遣されて来た技術者が言っていた「理論上はこれで時間旅行出来ちゃうんですけどね」という一言。
長らく忘れていたが、今のアデールの一言でふと思い出した。
もちろんその時は、エンジニアが言った下手くそな面白くないジョークだと思い、取り合いもしなかった。
理論上は時間も空間も切り離せない一つの式の上に乗っているので、空間をゼロにすることが可能となったWZDの技術を使えば、時間をゼロにする、或いは逆転させることも可能なはずだ、と。
国際一等航海士の免許を取ったときの試験勉強の中で、ジャンプドライヴの理論的な説明が載っているページに、時間と空間がウンヌンカンヌンと云った理論も簡単に載っていた様に記憶しているが、もちろん俺に空間物理学なんてものが理解出来るわけもなく、その内容を覚えているはずもない。
俺達船乗りに必要なのは基礎的な天体物理学の知識と、あとはコンソール上でジャンプドライヴのボタンがどこにあるか、という知識だ。
ボタンを押した後に実際にドライヴユニットが走り、どの様にして空間を破断してどの様にして船を半非物質化して空間をジャンプさせているかなんて理論的な知識など、普通の船乗りには必要無い。
ましてやホールドライヴやWZDなど、設置から実際の動作まで全てレジーナが仕切っている。
船長でありパイロットでもある俺の仕事は、そのレジーナに明確な行き先の指示を出し、ホールドライヴの使用を指示するだけだ。
ホールドライヴの理論など、知ろう筈もなかった。
もっとも知りたいと思っても、未だ地球連邦軍の特級機密事項(Extreamly Confidentials)に名を連ねるホールドライヴの理論など、教えてくれるはずもないのだが。
「それもなかなか魅力的な話だな。そうすれば私も退職してのんびり年金暮らしが出来る。
「残念だが、未来に行く話じゃない。過去を調査する話だ。」
ここまで言われれば、学者でなくとも船乗りなら何をすれば良いか気付く。
光の速度は30万km/sだ。一光年は約9兆5千億km。その距離を、光は一年かかって踏破する。
即ち、物体を一光年離れたところから観察すれば、一年前の姿を見ることが出来る、というわけだ。
その理論はごく極簡単なものだ。一光年先にジャンプすれば良い。
人類が星間航法を手に入れて銀河に乗り出した黎明期、それを実際にやって見せて証明した者も居る。
だが、使い物にならなかった。
なぜか。
地球から放射される電波を拾うならともかく、一光年も先から光学観察を行おうとも、それに見合った光学望遠鏡が無くて使い物にならなかったからだ。
一年前に電波として放射された情報など、全て何処かのログに何かしらの形で記録が残っている。そんなものを調査する必要は無い。
行いたいのは光学観察だが、一光年も先のビークルのナンバープレートを読み取れる様な精密且つ大口径の光学望遠鏡が存在しない。
光学レンズを重力レンズで代用しようという試みもあったと聞く。
しかしながら、重力ジェネレータが歪めることの出来る空間は、その体積が大きくなるに連れて三乗の指数関数に比例して要求出力が大きくなっていく。
結局、ガラスなどの光学部品を使って造る光学レンズよりは高精度で大きなものが出来るには出来たが、しかしそれでも一光年先を覗き込むにはまだ遙かに足りない性能のものだった。
ジェネレータで生成できるのは所詮マイクロブラックホールに毛が生えた程度の大きさのブラックホールであり、そのようなブラックホールの有効重力半径などたかが知れている。
もちろん、そのような超小型ブラックホールに大質量の中性子星などを吸収させて本物のブラックホールに成長させて重力レンズとすることは、理論的には可能だ。
だがブラックホールには降着限界というものが有り、中性子星を吸収しきるまで何万年も待たねばならない気長な計画は流石に実行に移されることは無かった。
そしてこの過去を覗く試みは、将来大きな技術的ブレークスルーが起こるまで封印される事となった筈だった。
軍がそれを持ち掛けてきたという事は、何らかの技術的な目処が立ったということか。
だが、なぜ俺に?
そんな、人類とその周辺の過去の秘密を暴こうとする様な計画を、民間の業者に委託する意味が分からない。
「なんで俺のところに持ってきた? そういう妙な任務は軍の中で片付けた方が情報漏洩も少なくて済むだろう。」
俺はフォークとナイフを置いてビールを一口飲み言った。
「そういう任務に充てるのに適任な連中がちょうど出払っていて忙しくしていてな。ST部隊との付き合いもあって、民間業者にしては口も固い、そういう妙な依頼にも慣れている都合の良い運送業者が、ちょうど一仕事終わって暇そうにしていると聞いたものでな。」
アデールは再びロティをむしり、千切った右手のロティで皿の上のビリヤニとサグをかき寄せて摘まんで口に運んだ。
「俺はお前達の下請けの便利屋でもなければ、馴染みの出入りの業者でもないぞ。」
「そこは、信頼と実績の有る優良な民間企業だと高い評価を受けている、と思ってくれ。」
アデールが胡散臭い笑顔を浮かべて両手を組んだ。
これは逃す気はないな・・・勘弁してくれ。
「評価なんざ低くても構わん。俺はお前等と縁を切りたいんだ。政府や軍の仕事なんざ受けたところでロクな事が無い。」
「そう言うな。地球人類の平和と発展のために貢献できる、意義有る仕事だぞ。」
「ケッ。言ってろよ。」
俺はグラスを持ち上げると、残り1/3ほどのビールを一気に流し込んでグラスをテーブルに置いた。
すかさず手を伸ばしてきたルナに、ジャックダニエルをストレートで、ゴブレットに注いで持ってきてくれる様に頼んだ。
俺に合わせる様にグラスを空にしたアデールは、モーゼルワインがあるかとルナに尋ねる。
ドルンフェルダーの五年物で良いかと問うルナに、それで良いと、今度は本物の笑顔で返すアデール。
・・・諦めるか。
「で? 今度は便利屋に何をやらせたいんだ?」
溜息とともに、馴染みの甘く煙る香りが鼻腔を抜けていくのに満足しつつ、グラス越しにアデールに尋ねた。
「なに、お前の夢を叶えてやりたくてな。銀河をちょっと離れて、銀河の外からバルジを眺めながら、美女と一緒に大吟醸で一杯やらないか?」
「純米大吟醸は今回の地球行きで手に入れてある。美女の都合を付けないとな。」
「大丈夫だ。もうお前の眼の前に居る。」
「言ってろよ。」
そう言って俺はマルボロのパッケージを取出し、火を点けた。
ライターごとパッケージを放ると、アデールも一本抜き取り、慣れた手で火を点けて紫煙を吐く。
クニ達が住んでいるのだ。エピフィラムの居住区は、もちろん全面的に飲酒喫煙可能だ。
溜息とともに盛大に煙を吐き出し、気持ちを切り替える。
「詳細を聞こうか。」
「そう来ないとな。」
アデールが浮かべた今度の笑顔は、本物の笑いに見えた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
まさか紅白を聞きながらアップロードするとは思っていませんでした。w
今年一年、拙い文章にお付き合い戴きありがとうございます。
カメ更新になっていますが、引き続き来年もよろしくお願いいたします。




