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夜空に瞬く星に向かって 第二部  作者: 松由実行
第十二章 トーキョー・ディルージョン (TOKYO Delusion)
18/82

18. 幻影(イリュージョン)

 

 

■ 12.18.1

 

 

 呆けていたのは僅か1~2秒の事だったと思う。

 

「ルナ、ニュクス、AAR情報を遮断しろ。自分自身の光学情報だけで見てみろ。」

 

 AAR(Advanced Augmented Reality:高度拡張現実)は、今の世の中無くてはならない技術となっている。

 街中で空中に投映されているように見えるディスプレイや案内板、特定の施設に入ったときに表示されるインフォメーションやメニューなどの料金表、あるいは壁面や他の構造物に被せて表面を美しく飾り付けたり、場合によっては別のものに見せかけたり。

 先ほどまで頼りにしていた、レジーナからのナビゲーションによって空中に表示されていた黄色い誘導ラインもAARだ。

 

 AAR技術を利用することで、只の一枚の金属板が、アクティブに動き回る映像を表示して人目を引く看板になったり、立ち入り禁止区域を明示して通行人の安全を確保したり、或いは何も無い空中に巨大な立体像を投映することでイベントの客引きや、派手に人目を引くコマーシャルを仮想的に見せることが出来る。

 今回のような緊急事態が発生したときに、人々の視野に割り込んで事態を知らせ、安全な避難経路を示したりするのも同様にAAR技術だ。

 必要に応じて触覚や聴覚なども連動させ、実態の無い画像を触ることが出来るようになったり、空中に投映されたメニューを指先で押して選択することが可能となる。

 

 全ては俺達が脳内に導入している、銀河標準規格のバイオチップの機能によるものだ。

 バイオチップが受け取ったAAR情報は、そのチップの持ち主の設定に基づいて様々に形を変え、視野に表示される。

 もちろん、AAR表示を全てカットして非表示にすることも出来る。

 だが先にも述べたように、街中を歩けばあらゆる情報がAAR表示で示される今の世の中、AAR表示をカットして生活するなど不便極まりなく、何らかの特別な理由が無い限りはそのようなことをする者はいない。

 

 そしてAARはその名の通り、高精度で計算され緻密に表示された高度なものは、ぱっと見で現実に存在するものと区別できなくなる。

 勿論そのようなものが際限なく増えて辺り一面仮想現実だらけで実体の無い物体だらけになってしまえば深刻なレベルで様々な危険を伴うため、AAR表示には基準があり、その基準を満たさないものはネットワーク上で遮断され各ユーザには到達しないようにそれなりに厳しい規制が掛かっている。

 

 その規制を上手くかいくぐる、或いは取り払ってしまえば、どの様なものでもAARで仮想的に存在させることが出来るようになり、やりようによっては、眼で見て触ることも出来る、本物の現実と全く区別が付かない物体を任意の空間に作り出すことさえ可能だ。

 危険ではあるが極めて有用で、そして今や社会基盤の中に完全に組み込まれており、誰もが意識せず毎日の暮らしの中でごく普通に使っている技術、それがAARだ。

 

 そしてそれは俺達ヒトに限ったことでは無い。

 その空間に設定されている様々な視覚情報を「正常な」状態で視認するため、ルナやニュクスのような義体を持つ機械知性、さらにはノバグやメイエラのような義体を持たない機械知性体も、そこに設定されているAAR情報を読み込んで、物理世界の上に重ねた上で認識しているため、彼女達もヒトである俺が見ている視覚情報と同じ物を見ることが出来る。

 というよりもむしろ、互いの認識に齟齬が発生しないように通常彼女達もAARを重ねた視覚情報を積極的に利用している。

 

「何も無い、の。上手いこと謀られたわ。」

 

 腕組みをしたニュクスが憮然とした声色で言う。

 

「全てのシードが消えたぞ。索敵マップにはまだ存在している・・・ネットワークからの索敵情報をカットしたら、それも消えた。やられたな。」

 

 と、アデール。

 全て例のカルト野郎の仕込みだったという訳か。

 

「現在、幻影を発生させた命令元を特定中。多方面から多数の指示が飛んできて、それを全部繋ぎ合わせると幻影起動のコマンドになっているみたいね。コマンド一発で起動できるでしょうに。妙に手の込んだことをするわね。」

 

 メイエラがネットワークチームの状況を伝えてきた。

 

 ヘルメットのレシーバからは、この新都心内部のそこら中でいまだ大音量で警報が鳴り続けているのが聞こえる。

 隠密作戦の筈が、夜明け前、深夜と言っても良い時間に巨大都市全体を叩き起こすド派手な結末になってしまった。

 

「機械達も騙されるのか? お前達なら、光学データとAARデータの分離は容易そうに思えるが?」

 

「儂らの内部での情報処理については詳しくは言えぬが、やってやれぬ事では無いの。索敵情報にも表示されておれば、疑っては掛からぬからチェックも甘うなるしの。」

 

「お前達があちこちばら撒いているセンサも騙されるのか? センサはネットワークを経由せずに直接お前達本体に接続しているのだろう?」

 

「そのセンサデータが統合処理される部分に何か仕掛けられたら同じじゃ。元々奴は儂ら内部の個体じゃしの。」

 

「つまり地球のネットワーク同様、機械達のネットワークも騙されていた、と。」

 

「うむ。その通りじゃ。面目ない話じゃがの。」

 

「どんだけ大がかりな仕掛けを仕込んでやがんだ、あの野郎。」

 

「奴単独犯では無いかも知れぬのう。半群体とは云え、儂らの中にも色々な個性と思想が存在する。奴に同調して支援するグループがあるのじゃろうの。」

 

「全く、人騒がせな話だ。あれだけ大騒ぎさせておいて、全部幻影(イリュージョン)でした、ってか?」

 

 だが、腑に落ちない。

 東京のど真ん中に幾つものシードが発生した欺瞞情報を垂れ流して、奴は何がしたかったのか?

 ただ単に、人々が慌てふためく様を見てみたかったという愉快犯でもあるまい。

 地球人類との関係性の強化を模索し、その過程で宗教というものを知って傾倒した。

 そしてそこに終末思想を見つけ出し、そこから何かを得た者がプロデュースした幻影のパニック。

 奴は何がしたかったのか。

 何を伝えたかったのか。

 

 その時再び耳元で電子音の警報が激しく鳴り響いた。

 

「メガフロート表層に新たなシード複数発現。幻影です。先ほどと同じく、AARデータと、索敵情報、都市管理システムにそれぞれ同期されたデータを確認しました。引き続き幻影の起動命令元を追跡中。」

 

 ブラソン達だけでは無いだろう。

 先ほどまでシードからの侵食と戦っていた者達が皆、シードが幻影であると気付いた後は、その幻影を発生させた犯人の特定に回っているはずだ。

 それでもまだ特定できないという事は、余程周到に準備してあったか、慎重にその姿を隠しているのか。

 

「メガフロート表面の幻影シード数さらに増加。現在二十個体がメガフロート全体に広く散っています。AAR情報を重ねた映像送ります。」

 

 レジーナの声と共に、俺の視野の右端に小さなウィンドウが開いた。

 そのウィンドウの中に、夜の闇の中に白く薄く浮き上がるように存在する都市構造体が浮かび上がる。

 注意を向けるとウィンドは大きくなり、視野の右半分殆どを占めるほどの大きさに広がった。

 

 大きくなったウィンドウの中に、メガフロートの建造物群がその姿を現す。

 建物が街灯の明かりだけにしては妙に白くはっきりとしていると思ったら、どうやら外では空が白み始めているらしい。

 まだ暗い空を背景に、東の空から滲むように広がってくる明かりを受けて、都市の上空に向かってそびえる幾つもの白い建造物の輪郭がはっきりとしてくる。

 そしてその空に向かって伸びる塔の狭間に蠢く黒い異物。

 建造物の表面を這い回り、その中に潜り込んではあらぬ方向に貫いて再び露出し、建物を繋ぐ歩道に絡みつきそのまま隣の建造物に辿り着いて再びその内部に潜り込む。

 妖しく蠢く黒い触手は背景となる白亜の建造物と対照的で、そしてその無垢な表面を這い回って汚し壊し、侵蝕する様は本能的な嫌悪感を掻き起こすに足る不気味な光景だった。

 そして構造物を繋ぐように造られている歩道の上を、突然鳴り響いた警報に叩き起こされ、都市に取り付く異様な物体の姿を眼にして逃げ惑う人々の姿。

 

「この一帯のAARを切れば見えなくなるんじゃないのか?」

 

 騒ぎがどんどん大きくなっていくのを見て、誰に言うともなく呟いた。

 逃げ惑う人々は、それが単なるAARによる立体映像だと気付いていない。

 騒ぎのもとになっているAAR画像の供給を止めてしまえば見えなくなるだろうに。

 

「AAR情報管理は都市情報システム管理局の管轄なので、軍が割り込むのが難しいようです。それと、システム管理局のサーバが完全に乗っ取られており、強固な防壁を展開しています。権限を書き換えられているので、通常の方法でアクセスできないようです。現在、都市システム管理局から軍へ救援要請が出ていますが、突破にはかなり時間がかかるものと思われます。」

 

 状況を把握しているのだろう、この手の行動ではいつも戦術情報の整理役を頼んでいるレジーナからの答えが返ってきた。

 

「各個人レベルでAARをカットするように呼びかけるのもダメなのか?」

 

「その情報を個人の視野に表示するのもAARですね。独立した緊急情報用のシステムもあるのですが、どうやらそちらも押さえられているようです。」

 

「用意周到なこって。じゃあこっちはこのリアルなパニック映画をいつまでも見させられる訳か。」

 

 慌てて逃げ惑う人々が冷静になってAARをカットすれば良いことに気付くことはないだろう。

 そしてそれを伝える手段も無いと来ている。

 

「こっちから手助けするか? 管理局のサーバ墜とすなら、軍のオペレータが教科書通りにやるのよりは効率よくやれるぞ。何ならその辺のホロモニタを片っ端から墜としていって、メッセージを表示させることも出来る。」

 

 と、ブラソン。

 

「いや、止めておこう。そもそも依頼の範囲じゃ無い。都市システムに侵入してあとから難癖付けられるのも面倒だ。また何か依頼が来りゃ別だがな。AARなんだから、現実の被害は出てないんだろう?」

 

「慌てるなどして避難中に発生した事故で、現在百二十五人の軽傷者と、八人の重傷者が報告されています。ドアや窓の破壊が数百件報告されているようです。こちらも人々が避難するときに扉を破壊するなどしたのが原因ですね。けが人と建造物被害の報告はまだ増えると思われます。」

 

「そこまで面倒見きれるか。アデールが何か言ってきたら考える。」

 

 軍や政府が何か言ってくるのなら、いつも窓口にしているアデール経由だろう。

 そのアデールは先ほどから何も言ってこない。

 それに、そろそろ軍の軌道降下兵の部隊や、スクランブル発進した部隊が到着している頃だ。

 まあ、AAR表示されたシードに対して連中が何が出来るのかは不明だが。

 逃げ惑いすっ転んで怪我をする住民の交通整理くらいは出来るだろう。

 

「さて、俺達はどうする? ここに居ても仕方ないな。新木場のHASのところまで戻るか? アデール、何かリクエストあるか?」

 

 メガフロート上面で今まさにリアルに展開されているモンスターパニック映画と、それに驚いて逃げ惑う人々による大騒ぎを尻目に、俺達の間では微妙に弛緩した空気が漂い始めた。

 出来不出来の問題はあれども、当初の依頼は一応完了しており、追加でアデールから受けた依頼も実害は無く、只の虚像でしかないので対応のしようももない。

 まてよ、アデールが言った「シードに対処しろ」という依頼を拡大解釈されて、AAR画像のシードへの対処をネットワーク上で行う事を怠ったとして、後から難癖付けられて依頼報酬を減らされる可能性はあるか。

 本当に只の難癖か言い掛かりでしかないが、軍や政府ならそれをやりかねない。

 

「今のところは無い。これだけ大規模になるともう軍でしか対処できない。そこで待機しておいてくれ。何かあれば連絡する。」

 

 人数は少ないが、何かあったときに便利に使える手駒は手元に置いておきたい、というところか。

 

「諒解。とりあえず、メガフロートの上層まで出るか。」

 

 俺はルナとニュクスを見て言った。

 鳥に囲まれて腕組みをしたままのニュクスも、ライフルの銃口を降ろして手持ち無沙汰そうに立っているルナも、こちらを見て頷いた。

 俺はヘルメットのシールドを閉じ、ジェネレータのパワーを上げて、歩道(ペデストリアン)の床を蹴る。

 身体がふわりと浮き上がり、上に向かって加速する。

 その後を同様にしてルナとニュクスがついてくる。

 やって来たときとは異なり、今度はしゃかりきに急いでアクロバット飛行をする必要は無い。

 無理の無い速度で歩道などの構造物を避け、直線を見つけては増速して立体的な都市構造の中を抜けていく。

 都市上層まで1000mそこそこだ。数分と掛からず抜けることが出来るだろう。

 

 すると突然、何度目かの警告音がまた耳元で鳴り響く。

 

「今度は何だ? 本物のシードでも出たか?」

 

「いえ。メガフロート上層表面に、巨大な人体像が出現しました。ヒューマノイドタイプ。これもAARです。推定体長150m。」

 

「は? 巨大な人体像? なんだそりゃ?」

 

「人体像、増えました。大小計七体。全てヒューマノイドタイプ。最大のものは男性形。体長150m。残り六体は女性形。体長60m。」

 

 全く意味が分からない。

 何がしたいのか。

 東京メガフロートを巨大ステージにして、演劇映像の上映でもするつもりか。

 何が起こっているのか確認したいが、都市構造体の中を100km/hほどで飛び抜けている今は映像を確認している余裕も無い。

 さっさと上層に出て、実際に見てみる方が早い。

 速度を上げ、結局かなりアクロバティックな飛行をしながら、俺達はメガフロート構造体を上面に抜けた。

 頭上にまだ暗いものの僅かに青みがかった夜空が見える。

 視線を転じてメガフロートの上面を見ると、そこに異様なものが存在するのが見えた。

 

 都市の中空に表示される様々な標識や看板に囲まれ、男の巨人がビルの谷間を歩いている。

 その手には巨大な剣を持ち、余り見かけないスタイルの服を纏ったその姿は、マントを風にたなびかせ、まさに威風堂々という言葉を体現したかのように、ゆっくりと歩く。

 

 似た様な光景は見たことはある。

 東京や地球だけで無く、他国の様々な都市でも人々の気を引くために巨大な人体像を空中に投映して何かの商品の宣伝をしたりすることはよくある話だ。

 しかし今新都心メガフロートの上面を歩くその巨人像は、これまで見てきたどの様なAAR映像とも違う、何か不思議な独特の雰囲気を纏っている。

 都市構造から飛び出し、メガフロート上層から300mほどの高度で止まった俺は、その場から移動することも忘れてその巨人像を見続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 いつも拙作お読み戴き有り難うございます。


 超大型巨人来ました。

 AGGがあるので、立体機動装置は不要ですね。

 次回、ビルの谷間を立体機動し、ニュクス兵長が巨人の首筋を切り裂きます。 (嘘

 ぐるぐる回っておパンツ丸見えです。w

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