17. 目標SD06シード
■ 12.17.1
現実に引かれているわけでは無い、俺の視野の中に伸びる黄色い線を辿って星ひとつ見えないダークグレイの夜の東京の空を飛ぶ。
十年以上も前、郊外の小港に降りた貨物船に意を決して密航したときには、東京のど真ん中を最新のスーツを着て空を飛ぶなどという日が来るなんて思ってもいなかった、と思いつつ、右手に広がる旧都心近くの都市構造体と、そこに明滅する都会の明かりを眺める。
旧都心の都市構造体は、東京湾に沿ってゆっくりと湾曲しつつ、まるで地層のような層状構造の断面を露わにしている。
都市構造体の層状構造は、先ほどまで地上に降りていた新木場の辺りでは三層までしか存在しないが、隅田川を越える辺りで四層となり、更に都心に近付くと最大五層となる。
遠くからみれば、バウムクーヘンの断面か、或いはミルクレープの断面のような美しい層状構造が一つずつ増えて高くなっていくのを見ることが出来るが、今俺達が飛んでいる高度2000m辺りからでは全て平面に埋もれてしまい、層をはっきりと意識できるのは東京湾に面した断面部分くらいのものだ。
余り華美な装飾を好まない日本人の性質からか、同様に海に面したお隣の巨大都市である上海や香港に較べて東京の夜景は少々地味で、観光客の詰め掛ける世界的に有名な観光名所というほどでも無いのだが、そうは言ってもそれなりの巨大都市の夜景は上空から見るとキラキラと様々な明かりが闇の中に散って、その中を多数のビークルの明かりが縦横無尽に行き交う、充分に目を奪われるほどには壮大で美しいものだ。
こんな時で無ければ、空中に立ち止まりしばらくでも眺め続けていたいほどだった。
気持ちを現実に戻して、前方に眼を向ける。
メガフロート直上でほぼ直角に下降することを示す黄色いナビゲーションラインの曲がり角はもう目の前に迫ってきていた。
「降下点に到達した。これよりメガフロートに降下する。」
そう言って、黄色の線に沿って降下を始める。
多数の街灯が灯っているとは言え、基本的に真っ暗な「地表」に向かって速度を落とさず突っ込んでいくのはなかなか肝の冷える飛行だが、緊急事態の中一秒でも早い到着が求められている今、そんな事を言ってもおれないので、頭を下にして逆落としの体勢で真っ直ぐにメガフロート表面に向かって突っ込む。
夜の地表に向けて頭を下にして突入降下出来るようになれば軌道降下兵として一人前、という話を以前聞いた事がある。
スーツに護られているとは言え、目測で地上までの距離が感覚的に捉えられない夜間の降下で、真っ暗な地表に向けて頭から垂直に突っ込んでいくのは確かに怖い。
「メガフロート最上層表面まで300m。ビークル用移動シャフト等を経由して目標に誘導します。ナビゲーションラインを正確にトレースしてください。」
黄色いナビゲーションラインが、建造物や歩道、コンテナ用のヤードなどの間を縫ってメガフロート構造体の奥深くに続いて行っているのが見える。
構造体のあちこちには明かりが灯っており、さほど明るくは無いものの全体的に仄かな明かりに包まれている。
ヘルメットの光学センサの暗視機能を使えば視界を確保するのに充分な光量なのだが、それ以前に複雑な立体構造の中に猛スピードで突っ込んでいくのは、なかなかに肝の冷える体験だ。
レジーナの引いたナビゲーションラインは、それらを避けて最短且つ比較的安全に目標のシードまで到達できる経路なのだろう。
それは裏を返せば、ナビゲーションラインから大きく外れると立体的な構造を持つ都市構造体に叩き付けられるという事を意味するのだろう。
スーツを着ているとは言え、時速数百kmで都市構造体に叩き付けられる事を考えると、余り気分の良いものではない。
「マサシ、遅れておるぞ。1秒が惜しいのじゃぞ。」
微妙に曲がりくねって立体的な構造の中を縫うように抜けていく黄色い線を必死でトレースしていると、同じ様に近くを飛ぶニュクスからの声が聞こえた。
そう言っているニュクスは、先ほどまでHASを相手に街中で行っていた機動をさらに立体的にアレンジし、建物などの都市構造体の壁面や凸部、配管橋や歩道の端を蹴り飛ばしながら速度を落とさず器用に都市深部に向かって降下していく。
俺もそこそこ反射神経には自信がある方だが、機械知性体の演算能力とHAS並みに強化された肉体を駆使して行うそのようなアクロバットはとても真似の出来るものではない。
そしてニュクスと並んで高速のまま降下していくルナは、スーツのジェネレータを使って空中で向きを変えながら、そこにさらに都市構造体を蹴り飛ばして方向転換をする技術を組み合わせることで、こちらもやはり人間には真似の出来そうにない高機動を維持したまま下向きに突っ込んでいく。
AEXSSの補助があるならこっちのやり方の方が幾分真似しやすそうだと、俺もルナのやり方に倣ってみるが、足を出すのが遅れたり、身体の向きを変え損ねてビルの壁面に激突したりして、速度が全然上がらない。
やはり機械知性体の真似をするのは生身の人間には無理だと諦めて、脚を使わずジェネレータ頼りに空中で向きを変えながらナビゲーションラインをトレースする、ごく常識的なやり方に戻す。
メガフロート都市の内部空間は、旧都心のような自然発生型かつ、層状構造を持つ都市のものとは根本的なところからして異なる。
旧都心のような層状構造都市は、あくまで平面の都市が何層にも積み重なったものであり、移動の基本は道路とその上空の空間、そして区画という概念があり、層間の移動は吹き抜け開口部や層間移動ランプを用いて行う。
それに対してメガフロートのような、設計当初から立体的な移動が可能なビークルによる都市交通を組み入れて建造された都市には、住人が短距離を移動するための歩道以外、道路というものが存在せず、そして層というものも存在しない。
歩道や建造物、ビークルの発着場や電力や水道などの都市インフラが、立体的に組み合わさり、三次元迷路のような構造となる。
勿論、ビークルが高速で移動するための大通路や、そのビークルを目的地のすぐ近くにまで進入させるための枝道と云った構造は存在しているのだが、それら全てが二次元を積み上げたものではなく、最初から三次元的に設計され、建造されている。
立体的な構造のあちこちにビークルの乗降場所が設置されており、都市構造の全てが「ビークル乗り場まで五分、ビークルに乗るまで五分」という基本コンセプトの下に設計されていると聞く。
もちろん、現実はそう上手くいかないことも多いらしいが、少なくとも旧都心の劣悪な交通インフラよりも遙かにマシであることだけは確かなようだった。
そして俺達はそのような都市構造体の中を縦横無尽に走る通路を利用して、殆ど交通量の無い夜明け前の新都心の中を、緊急の排除目標であるシードのもとへと急ぐ。
「目標SD06まで300m。減速。触手浸食範囲を迂回して本体に北側から接近するルートです。」
レジーナからの指示に従い空中で急減速する。
ルナも急減速して俺に並び、ニュクスはというと、その辺の構造物を数回蹴り飛ばしてジグザクに飛んで減速する。
器用なものだ。
引き続き、細かく複雑に曲がる黄色いラインに沿ってさらに深部へと潜っていく。
辺りにちらほらと人の姿が見え始めた。
早起きの人間なのかとも思ったが、まだ外は暗い時間だ。その割には人影が多い。
触手の浸食から逃げ惑う人々だろうか。
そのまま数百m進み、赤色のSD06マーカに接近する。
幾つか構造物を曲がりこんだところで、縦方向に伸びる建造物に突き刺さり蠢く、黒く場違いな物体が視野に入った。
シード。
こんなところでその姿を見ることになるとは。
シード本体自体は建物の中に潜り込んでいるのだろう。
壁面から生えた黒い触手が蠢きつつ辺りに伸びていて、周囲の都市構造物の中に幾つも潜り込んでいるのが見える。
「シード視認。本体は都市構造物内部に侵入していて見えない。触手が周囲を浸食中。排除行動に入る。」
「こちらアデール。不用意に近付くなよ。あと、無駄弾を撃つな。都市に被害が出る。高速の実体弾で一本ずつ確実に仕留めろ。」
「諒解。」
「ニュクス、ナノボットで位置マーカを生成出来るか?」
俺達三人は、シードの触手がよく見える100mほど離れた歩道に降り立った。
新木場のコンテナヤードからついてきたのだろう。二十羽ほどの鳥がニュクスの周りに止まるのを見てふと思いついた。
「出来るぞえ。ほれ。」
右手を前に差し出したニュクスの手の平にツバメが一羽止まり、まるで映画のCG合成を見ているかの様に、見る間に銀色の小さな物体数個に姿を変えた。
「アデール、シードのコアの位置が特定できるなら、局所的にギムレットで吹き飛ばすのは構わないな?」
「構わん。シード排除の手段は問わん。ただし、都市への被害は極力最小限に止めろ。」
ギムレット使用を思いとどまったのは、あらゆる探査波を吸収するシードの性質に加えて、都市内部のネットワークも浸食されて穴だらけになっている現在、シードコアの位置を正確に特定できないので都市を穴だらけにすることを恐れたためだ。
シードコアの位置が正確に特定できるなら、ごく局所的に精確にギムレットを撃ち込むことも可能になる。
多少周りの空間も同時に切り取られるが、放っておいてもシードに浸食される空間だ。問題無いだろう。
そして射程約10万kmのギムレットであれば、北関東港に停泊中のレジーナから余裕で届く。
「ニュクス、シードコアが露出したら、その周りに位置マーカをばら撒け。レジーナはこっちの指示でギムレットを撃ち込んで、シードコアを吹き飛ばせ。太陽にでもぶち込んでやれ。」
「なるほどの。諒解じゃ。」
「ホールは双方向に移動可能であるので、恒星プラズマが逆流してきます。離れたところから撃ち込みます。シードの推進力は微弱です。1000万kmの距離から10万km/sで撃ち込めば、避けられず突っ込むでしょう。」
ホールドライヴがWZDに換装された恩恵だった。
地球上で静止している物体でも、ホールアウト時に超高速で撃ち出すことが出来る。
お陰でレジーナの主兵装であるホールショットが、凶悪なマスドライバへと変貌した。
地球軍艦隊の全力ホールショット斉射は、さぞかし凄まじい事になっていることだろう。
「まて。どうせならエッジワース・カイパーベルトに転送しろ。後で回収する。」
と、アデールが割り込む。
「了解。レジーナ、転送先変更、エッジワース・カイパーベルトだ。座標記録しておいてくれ。」
「諒解しました。ギムレットスタンバイ。いつでもどうぞ。」
「さて、やるか。まずは触手の排除と、シード本体の露出だ。いい加減侵食が進んでいる。急がないとな。」
そう言って俺はライフルを構えた。
本当は接近して高周波ブレードで切り落とすのが最も効果的なのだが、接近戦は流石にリスクが高い。
地球人とは言えども生身の俺では、不規則に蠢いて攻撃してくるシードの触手と接近戦は出来れば避けたいところだ。
ライフル弾種を徹甲焼夷弾に、弾速を10km/s、単発モードに設定する。
AAR表示される着弾予想地点のレティクルをシードの触手に合わせ、引き金を引いた。
反動さえ感じさせず、タングステン-クロム合金を中心とした物質で構成されている直径10mmの涙滴形状をした弾丸がライフルのバレルから打ち出され、バレル外の空気と接触した瞬間に爆発的な超音速衝撃波を発生し、大気の断熱圧縮によって生じた超高温の白く眩く光る炎を纏って目標に向かう。
白く発光する弾丸はシードに吸い込まれるが、着弾の光りも熱も全てシード触手に吸収され、当たっているのかどうか見た目ではよく分からない。
ぐねぐねと蠢いて、非常に狙いにくい触手に再び慎重に狙いを付け、引き金を引く。
ルナは俺のすぐ近くで俺と同じようにライフルを構えているが、ニュクスは飛び出していってシードの触手に接近している。
両手に構えた高周波ブレードで直接攻撃を加えて切り落とすつもりなのだろう。
奴ならその方が速いだろう。
万が一やられても、バックアップが存在する。
そんなニュクスの姿を視野の端に捉えながら、何発目かの銃弾を触手に叩き込んだ。
・・・おかしい。
もうすでに数発の弾丸を同じ触手に撃ち込んでいるはずなのだが、触手の動きに変化がない。
撃たれれば多少の動きの鈍りが見えるか、或いは攻撃されたことに反応して動きが激しくなっても良さそうなものなのだが、シードの触手にそういった動きの変化がない。
かなり強い違和感を感じた俺は、思わずそれを口に出して呟いた。
「変だ。」
「妙じゃの。」
同時に、触手に斬りかかったニュクスが言った。
「撃った手応えがない。」
「こちらもじゃ。斬った手応えがまるで無いぞえ。」
それはまるで幻影を相手にしている様で。
・・・まさか。
自分のチップのAAR表示を全てoffにし、ネットワーク越しにレジーナから提供されている情報もカットして非表示にする。
ヘルメットバイザーに投映されるあらゆる外部からの情報をカットする。
ついでに都市ネットワークからの情報もカットする。
唯一、自分のスーツのヘルメットバイザー越しに見える、自分の肉眼で視認できる光学情報だけが残る。
スーツのヘルメットバイザーの基本機能として残る距離表示などのインジケータの内、ごく少数の基礎情報だけを残して視野がクリアになった。
そう、クリアになった。
そこにはシードなど存在せず、薄明かりに照らされた灰白色の都市構造の複雑な連なりが遙か彼方まで延々と続いている光景だけが見えた。
「・・・どういう事だ?」
ヘルメットバイザーを開ける。
流れ込んできた外気が、都市特有の匂いで鼻腔を満たす。
自分の肉眼で直接見ても、その拍子抜けするほど平和で正常な風景に変わりは無かった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
信じられるのは自分の眼で見た物だけ。(笑)
ネットワーク情報に対する不信感が募りそうな話です。
百聞は一見にしかず。
意味違うけど。字面はまさにその通り。




