14. 重力擾乱
■ 12.14.1
暗闇の中、壊れずにまだ生き残っている街灯がまばらな間隔でポツポツと灯っている。
通りの両脇に壁のように建ち並ぶ薄汚れたビルにも、所々に明かりが漏れている窓が見える。
地上10mほどを南に向かって飛ぶ俺の右側を、くすんで汚れ、かなり光量が弱くなった街灯がひとつ、飛ぶように後ろに消える。
へし折れた何かの標識が空中にぶら下がり、右ロールで折れた支柱の間をくぐり抜ける。
俺の視野には、200mほど先を南下する多脚HASの赤いマーカが、時々路上の障害物を蹴り飛ばし、まるで左右に跳ねるようにして進んでいく動きを表示している。
右手の暗がりから黒い影が飛び出て、街灯の明かりの中を一瞬で飛び抜け、再び暗がりに潜り込むように消えた。
それがルナであることを示す青色のマーカが、暗がりの中に見えない彼女の存在を示している。
左側にはニュクスの存在を示すもう一つの青いマーカ。
路面やビルの壁面、空中に突き出ている街灯や標識板の支柱などを蹴って、時に空中に高く跳ね上がり、時にビルの壁を這うように接近して、こちらも暗い空中を切り裂くように進んでいく。
「目標は四ツ目通りを汐浜運河に到達。追い込み地点まで残り2500m。」
見えないところで周りを固めてくれているアデールの同僚達の協力もあり、俺達は目標のHASを順調に追い込めていた。
アデールの同僚達は、流石陸戦隊と云うべき手際の良さだった。
つい先ほども、永代通りに到達したHASが、アデールの予想通り西に向かおうとしたところ、どこからともなく一瞬で十人ほどの真っ黒なAEXSSが永代通りの路上に現れ、その防衛線をなんとか突破して西に進もうとするHASを圧倒的な火力でねじ伏せ僅かな時間の間に撃退して、HASを元通り南に向かって方向転換させることに成功した。
お陰でこっちは、四ツ目通り上で常に北側から圧力を掛け続け、目標を南に向かって追い立てる仕事に専念できた。
目標が脇に逸れないように両脇をプロフェッショナルが固めてくれるのは安心でき、このままあと数km真っ直ぐ進んで追い詰めていくだけだ。
という慢心があったのだと思う。
昔は標識か何かを取り付けていたのだろう、歪んで曲がり半ば折れかかって空中に張り出している金属製の梁を避けようと右にロールするのと、耳もとを白熱した弾体が飛び抜けたのがほぼ同時だった。
偶然動いていなかったら直撃だったかもしれない。
反射的に前を見る。
目標のHASが地上に降りて止まり、右肩のGRGをこちらに向けていた。
まずい。
咄嗟にもう一度身を捻りながらロールする。
HASのGRGから眩く光る実弾が発射されるのがそれと同時だった。
HASとの距離はほんの200m程度。
10km/sかそれ以上の速度で撃ち出された砲弾は一瞬でその距離を越えて、衝撃波を撒き散らしながら俺のすぐ脇を飛び抜ける。
ブレットタブが残り少ないのか、奴が連射で撃ってこなくて助かった。
建物か何かに当たったか、後ろで派手な破壊音が聞こえるが、振り返る暇などない。
ルナが飛行をやめ、通りに放置されていたビークルのスクラップの天井に着地して、アサルトライフルを構えて連射する。
白熱した弾丸が白く眩い線のようになって、HASに着弾し、派手に火花を撒き散らしながら弾かれる。
ニュクスは通り添いのビルの壁に着地し、壊れて元の形が分からなくなった看板や標識などの空中に突き出た障害物に身を隠して壁面を移動しながら、断続的にHASに実体弾を叩き込む。
破壊された路面やビルが立てる粉塵、高熱で蒸発してエアダスト化した実弾体の一部などが充満して埃っぽくなった四ツ目通りの闇を、一条の白い光線が切り裂き薙ぎ払う。
周囲のビルや構造物に当たったレーザー光は、その表面を一瞬の内に超高温に加熱し、爆発的に蒸発させ破壊する。
まるで霧が立ちこめたようだった四ツ目通りに、更に瓦礫と粉塵が加わり、多脚HASの姿がその煙と瓦礫の向こうに消える。
もちろん、AEXSSのセンサーは奴を捉え続けており、レジーナから送られてくる索敵情報がそれを補正し、正しい位置に赤いマーカを表示し続ける。
急上昇しながらライフルの照準を赤いマーカに合わせて引き金を引く。
一瞬で二層の底面に到達し、上下逆さまになって着地する。
すぐに足の下の底面を蹴って横に移動する。
その間もライフルの狙いはHASに付けたまま、指切りで断続的に弾丸を浴びせ掛ける。
視野の中でルナを示す青色のマーカが左右に移動し、彼女も俺と似たような動きでHASを牽制しているのが分かる。
同時に、俺を掠めるようにして単発で飛んでくる白く輝く弾丸。
常に動き回っていなければならない。
足を止めたら狙い撃ちにされる。
先ほどから耳元でうるさかった電子音が連続的なものに変わり、視野の中央にBULLET EMPTYの赤文字が短い間隔で点滅する。
横に移動する勢いそのままに手近な路地に突っ込み、地上に降りた。
ライフル底部のマガジンカバーを開けながらイジェクトの信号を送って再びEMPTYの信号が戻ってくるのを確認しつつ、同時に左手で左股のマガジンポケットからブレットタブを抜き取る。
ビルの陰に隠れてはいるが、奴との間に遮蔽物として建物が存在するからと云って安心してはならない。
最大で30km/sの以上の弾速を出せるであろう奴の右肩のGRGであれば、細い鉄筋と発泡セラミックで出来たビルなど易々と貫通して、壁の向こう側から俺を撃ち抜くことが出来るだろう。
ビルの陰はあくまで位置特定を困難にするためのものだ。
弾から身を守れる訳じゃ無い。
つまり、もたもたしていたら位置を特定され撃たれる。
左手のチョコバーをライフル底部のマガジンポートに差し込み、カバーを閉じる。
ライフルがチョコバーを認識し、視野中央で明滅していたBULLET EMPTYの文字が消えた。
それを確認して、ジェネレータを使わず、地面を蹴って路地から飛び出す。
レジーナの索敵情報や、ルナやニュクスからの目標位置情報があるので、こちらはHASの正確な位置が掴めている。
HASがどちらを向いているか、こっちにGRGを向けているかどうかさえ分かる。
どうやら目標の多脚HASは、四ツ目通りと塩浜通りの交差点の手前で通りのど真ん中に陣取って、固定砲台宜しくこちらを迎え撃っているようだった。
「マサシ、ルナ、奴の右後ろ足の第二関節を狙えるか? 止まって精密射撃されるのが鬱陶しい。」
アデールの声が聞こえた。
脚を破壊して、射撃の精度を下げようと云う腹か。
確かに空中に浮いているよりも、地に足を着けている方が射撃精度は上がる。
が、奴の射撃から逃げ回っているこの状態でそんな芸当が出来るほど俺の腕は良くない。
「無茶言うな。こんな逃げ回っている状態で精密射撃なんかできるか。」
「分かった。こっちでやる。」
そう言ってアデールの声が途切れる。
数秒の後、通りの左右から突然降って湧いたように十人ほどのAEXSSが路上に現れ、あるものは立ったまま、ある者はニーリングの姿勢で一斉に多脚HASに向かって激しく銃撃を加えた。
多脚HASの脚が白く光ったことから、レーザーも併用しているようだった。
レーザーに炙られて超高温となり、そこに10km/sもの徹甲弾を無数に叩き込まれて、流石のHASの装甲も撃ち抜かれたらしく、右後ろ足が吹き飛び、地上に止まっていたHASの姿勢が大きく崩れる。
十名もの陸戦隊からの集中攻撃を食らって流石に不利を悟ったか、HASは空中に浮き上がり、こちらに向けて散発的な砲撃を加えながらも南に向かって逃げ始めた。
さすが本職と言うべきか、一瞬での見事な破壊に思わず見蕩れる。
アデールレベルの人間が十人も集まればこうなるという見本の様だった。
というか、これ、俺達要らないんじゃないか?
まあ、部隊の関与を隠すために民間の警備会社に委託したという形にしたいのだろうが。
最下層とは言え、まだ生きているカメラは幾らでもあるだろうし、誰かに目撃されることもあるだろう。
書類上だけで無く、実際に俺達がここでHASと追いかけっこをして、俺達の姿を見せる必要があったのだろう。
一瞬で現れた陸戦隊の兵士達は、多脚HASが逃げ出した後、また一瞬で全員がその姿を消した。
「目標は汐見運河を越えて南下。指定地点まで1000m。汐見通りに到達。目標が方向転換。汐見通りを東に向かっています。」
「クソ、汐見通りを越えれば都市階層構造から出たものを。」
HASはまたあらぬ方向に向かって飛び始めたようだった。
アデールの舌打ちが聞こえる。
地表の上に何層にも覆い被さるように造られた都市構造体も、東京湾上に浮かぶ巨大構造体であるメガフロートにそのまま直接繋がるのでは無く、海を埋め立て造られた人工の土地である新木場から若州にかけていったん途切れており、その部分では海上輸送のコンテナヤードや、水浄化施設などの大型の地上施設に使われているだだっ広い埋め立て地の地表が露わになる。
それがこのエリアが多脚HASを捕獲するための場所として選ばれた理由であったが、どうやらHASは都市構造体の上層が途切れ地表が露出するそのエリアに飛び出すのを嫌って、汐見通り沿いに東に進むことで、穴蔵のような都市構造体の立体構造の中を逃げ回ることを選んだようだった。
当然と云えば当然か。
露出した地表エリアに出れば、その姿は上空から丸見えになる。
ゴチャゴチャとした巨大な洞窟のような都市構造体の中であれば、上空から直接照準で狙われるようなことも無い、
例え下層であってもそこに人が住んでいる以上は、大型兵器で都市構造体もろとも吹っ飛ばすなどという選択肢は採れない。
「クリス、ディアナ、HASを止めろ。東に行かせるな。アリソン、ブレンダ、北側から圧迫しろ。奴を南に押し出せ。マサシ、四ツ目通りに留まって、奴が西に逃げるのを阻止しろ。」
もはや特殊部隊の陸戦隊の助力を隠さなくなったアデールが、彼等に指示を出すと同時に俺達にも仕事を振ってきた。
彼女は、どうにかしてHASを都市構造体の外へと叩き出し、EMP兵器などが遠慮無しに使える地表露出部分に誘導したいようだった。
まあ、こちらも当然と云えば当然の話だ。
「敵橋頭堡、新たに十二箇所発生。各橋頭堡共に千体ずつのコピー生成を確認。初期四箇所の橋頭堡BeachHeadをBH001からBH004と命名。新たな橋頭堡をBH005からBH016と命名。コピー生成速い。これは、間に合わないわ。後手に回ってる。コピー稼働開始前に潰すのは無理ね。」
こちらもそれなりに忙しかったので、ネットワーク上の戦いに余り注意していなかったのだが、メイエラが報告した旗色の悪そうな台詞が耳に残った。
どうやらこちらだけで無く、ネットワーク上にても例のカルト野郎はたった独りで随分頑張っているようだった。
かと言って、そっちで俺が何か出来るわけでもなかった。
ネットワーク上のことはブラソン達を信じて任せるほかは無く、俺は俺でこっちの現実世界で逃げ回り時に攻撃を仕掛けてくるHASの相手をするのでで手一杯だった。
しかしそれにしても、現実世界ではHASを操り特殊部隊を含めた十人以上の追跡を相手取って好きに逃げ回り、ネットワーク上ではその道のプロフェッショナルであるブラソン達を手玉にとっているという、両方の世界を股にかけて八面六臂の活躍を見せるカルト野郎の大活躍には恐れ入る。
機械達のポテンシャルの高さなのか、或いはコイツが異常に能力が高いのか。
「マサシ、そっちに行った。西に抜けさせるな。止めろ。南に誘導しろ。」
どうでも良いようなことを考えていた思考が、アデールの鋭い警告で現実に引き戻される。
四ツ目通りと汐見通りの交差点に陣取る俺達の視野には、汐見通りを東から西へと近付いてくるHASの赤いマーカが表示されている。
足を開きライフルのストックを右肩に当てて安定させ、AARで表示されるライフルの照準を、HMDに表示されるHASのマーカに重ね、引き金を引く。
銃口から白熱した実体弾が吐き出され、まるで一本の白い眩い線が延びるようにして多脚HASに着弾し、その装甲上で派手に火花を散らして弾が跳ねる。
俺の左にはニュクスが、右側の少し離れたところにはルナが居り、俺と同じ様にライフルをHASに向けて弾を撃ち続けている。
HASのマーカに重なって白い輝点が見えたと思うと、輝点は文字通り一瞬で数百mの距離を駆け抜け、衝撃波の唸りを上げて俺のすぐ脇を抜けていく。
ニュクスが地を蹴って空中に飛び上がり、ビルの壁を蹴りさらに高度を上げる。
ルナがジェネレータ出力を上げて空中に浮き上がり、狙いを定められないよう左右にジグザグに位置を変えながら上昇する。
俺は通りの北側の建物の並びまで移動し、そのままビルの壁面を駆け上がりながら引き金を引き続ける。
闇の中、俺達三人がHASに叩き付ける弾丸の閃光を発する白い軌跡と、HASのGRGから散発的に打ち返される大口径実体弾のひときわ眩い光球が、荒れ果てゴミだらけとなった大通りの上で交差する。
HASは西向きの速度を増速し、200km/h近い速度で、時に進行方向に転がっているスクラップを弾き飛ばしながら地上近くを滑空する。
真っ直ぐこっちに突っ込んでくる。
減速するそぶりは見せない。
HASが撃った弾がまたひとつ、眩しい光を撒き散らしながらすぐ近くを通り過ぎ、俺の後ろで何かに着弾して派手な破壊音を立てる。
ダメだ。止められない。
コイツは止まる気が無い。
真っ直ぐ突っ込んできて、強引に突破する気だ。
何が何でも止めてやろうと、ライフルを構え直し、改めて照準を赤いマーカに合わせた。
その時。
「東京上空に重力擾乱多数。ホールアウトです。高度500から1000kmにホールアウト、数三十四。いずれも3000から5000m級の戦艦と思われます。
「東京周辺のネットワークトラフィックが爆発的に上昇しています。イヴォリアIXからの機械達の一斉襲撃を確認。」
レジーナの声が、事態の急展開を告げた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
四ツ目通りを南下した正司達ですが、現在の地形とは違い、四ツ目通りは新木場を突っ切り、若州(現存)、新砂町、沖洲といった埋め立て地を通過して、東京湾に浮かぶ東京湾メガフロートへと繋がっています。
ちなみに、東京湾メガフロートの名前は「東京湾のぞみ島」という、お役所らしいネーミングセンスの欠片もない正式名称が付いていますが、誰もその名前を使いません。w
東京湾メガフロートの方が格好いいから。
(東京の「国電」が「E電」になって忘れ去られたのと同じパターン)




