Go West! Go East! 3
四足の生き物と言うのは、基本的に人間より足が速い。そしてその四足の生き物がプレイヤーであったり、あるいはユニークスキルであったりすれば、その足がさらに速くなるのは想像に難くない。そして今、カムイはそのことを実感していた。
全力で走るカムイの少し前には、【ペルセス】に跨ったイスメルとカレンがいる。天馬らしく【ペルセス】の足は地面から少し浮いていて、その様子は非常に軽やかだった。しかも、これでもまだ全速力ではない。それで余力が十分にある彼ら(というか主にイスメル)は、先頭を走り進路上に現れたモンスターを駆除する役割も担っていた。
そしてイスメルらを追うカムイの横では、〈獣化〉して九尾の姿となったミラルダがしなやかに地を駆けている。本来のその姿はかなりの巨体なのだが、しかし彼女は走るときにほとんど足音を立てない。後で聞いた話だが、「淑女のたしなみじゃ」とのことだった。
「カムイ、キツイならもう少しスピードを緩めるぞ?」
ミラルダの背に乗ったアーキッドが、帽子を押さえながらカムイにそう声をかける。ちなみにキキも同じようにその背に乗っているのだが、彼女は全身でミラルダの艶やかな毛並みを満喫するのに夢中だった。
「ダイ、ジョブ、です!」
大粒の汗を流して走りながら、カムイはアーキッドにそう答えた。彼らはもともと、高速での移動に秀でたパーティーだ。その機動力を駆使して、彼らは各地の拠点を渡り歩いてきたのである。ただでさえ便乗する形で連れて来てもらっているのに、そこで迷惑をかけるわけにはいかない。カムイはそう思っていた。
そもそも、彼には当初自信があった。アーキッドらの機動力についていく自信だ。実際、一度彼らと肩を並べて走ることがあったが、その時は余力を保ちながら付いて行くことができたのである。
しかし今はそんな余力は少しもない。アブソープションを全開にし、白夜叉のオーラを白い炎のように揺らめかせながら、彼は全力かつ必死に走っていた。あの時とはあまりにも違う状況である。
(手加減してくれてたんだなぁ……!)
カムイは走りながら胸中でそう呟く。あの時はアストールがいた。それで一番足の遅い彼に、アーキッドらもスピードを合わせていたのである。だが、今その必要はない。要するに、これが彼らの本来の移動速度なのだ。
その移動速度に、カムイはかろうじてくらいついている。だから彼の自信は決して的外れなものではなかったと言えるだろう。とはいえ、結構ギリギリだ。アブソープションでもたせてはいるが、いやもたせる事ができてしまうので走り続けられてはいるが、そのせいで限界点を維持し続けなければならず、それが非常にしんどい。結果として、ずいぶん趣味のいいセルフリンチ状態だった。
だがここで速度を落し、アーキッドらのお荷物になることはできなかった。カムイは彼らに、自分を連れて行くことのメリットを提示できなかったからだ。そうである以上、せめてデメリットになるわけにはいかないのだ。
(くそっ……)
心の中で悪態を一つ。それからカムイは、首から革紐で下げた琥珀色の結晶に意識を向け、それを発動させた。吸収するエネルギーの総量が増えたことで、身体が少し軽くなったように感じる。少しだけだが、さっきまでよりはしんどくなくなった。琥珀色の結晶から供給される、冷たい清流のようなエネルギーが、汗の浮かんだ体に心地いい。
「へえ……」
カムイが纏う白夜叉のオーラ量が増えたのを見て、アーキッドは感心したようにそう声を漏らした。カムイは気付いていないが、隣を走るミラルダもその様子を見て目を細めている。さらに前を走るイスメルも、彼の気配が大きくなったのを感じ取っていた。
(ま、頑張れ若人)
胸中でそう呟いたのはアーキッドだが、他の二人も似たような気持ちである。そんなふうに微笑ましく見守られているとはつゆ知らず、カムイはただひたすら懸命に走り続けるのだった。
カムイが海辺の拠点を出発したのは昨日のことである。ただ、すぐにアーキッドらと旅を始めたわけではなく、まずはアストールらと四人で遺跡を目指した。遺跡で合流し、それから行動を供にしようという事になったのだ。
九人で連れ立ち遺跡を目指すことをしなかったのは、アストールが「ぜひレンタカーを使いましょう、そうしましょう」と主張したからだ。どうやら以前に散々走らされたことが、軽くトラウマになっていたらしい。それで四人は先行して遺跡に向かった。
アーキッドらと遺跡で合流できたのは、昨日の夕方前のことだ。さらに動くにはもう時間が遅いと言うことでこの日は早めに休むことにし、明日の朝一番に出発ということになった。アーキッドはロロイヤにも声をかけたが、彼にその気はなかった。彼はしばらくこの遺跡で諸々の研究をするそうだ。「静かだから気が散らされなくていい」というのは、いかにも彼らしい言い草だとカムイも思った。
そして今日の朝、カムイはアーキッドらと一緒に旅立ったのである。出発の場所は遺跡の正門前。呉羽とリムとアストールが彼らを見送った。ロロイヤの姿がないのはある意味当然なので、誰も気にしなかった。
『気をつけてな。無事に帰って来い』
吹っ切れたように穏やかな笑みを浮かべながら、呉羽はそう言ってカムイを見送った。それがおよそ二時間前のことである。時間を確認したアーキッドはそろそろ頃合かなと思い、先頭を走るイスメルに声をかけた。
「お~い、イスメル。そろそろ休憩しようぜ」
その声を聞くと、イスメルは【ペルセス】の足を徐々に緩めさせ、30mほど進んでから完全に止まった。その後ろに続くカムイとミラルダも、同じように速度を緩めて止まる。カレンとアーキッドとキキはそれぞれ地面に降りると、大きく身体を伸ばして筋肉をほぐす。ミラルダも〈獣化〉を解いて人の姿に戻った。
「あの、アードさん。オレならまだ大丈夫ですけど……」
大粒の汗を流し、肩で息をしながらカムイはそう言った。キツイことはキツイが、アブソープションのおかげで体力に問題はない。走ろうと思えばまだ走れる。気を使わせ、迷惑をかけることはしたくなかった。しかしそんな彼にアーキッドはこう応えた。
「俺たちが休みたいだけさ。ま、ちょっと付き合えよ」
「そうじゃぞ、カムイよ。だいたい妾のようなか弱い乙女には、休憩が必要に決まっておるじゃろう」
そう言ってワザとらしく科を作るミラルダだが、本当に彼女に休憩が必要なのかは大いに疑わしい。なにしろ彼女は汗も流さず息も乱していない。その様子はまるで今まで静かに座っていたかのようで、カムイよりもよっぽど元気そうだった。
「まあ、いつものことだから。それより、はいコレ」
苦笑しながらカムイの傍に来たカレンは、そう言って彼にタオルを差し出した。カムイは少し躊躇ってからそれを受け取って汗をぬぐう。
「ちゃんと綺麗にしてから返してね、ソレ」
「あいよ」
カレンにぞんざいな返事を返しながら、カムイはタオルで身体をふいた。下着を含め、服が汗を吸ってしまって少し気持ち悪い。汗が引いたら【全身クリーニング】を使おう、とカムイは思った。その時にタオルも綺麗になるので、それから返せばいいだろう。
カムイが汗をふいているその横で、アーキッドがパチンと指を鳴らす。すると大量のシャボン玉のエフェクトが現れ、それと一緒に【HOME】が出現する。アーキッドらはぞろぞろとその中へ入っていき、カムイも慌ててその後を追った。
リビングに案内されソファーに座ると、カムイはアイテムショップから冷たいスポーツドリンクを購入し、一気に半分ほどを飲み干した。アーキッドらも、それぞれお茶やお菓子を楽しんでいる。その最中、アーキッドはふと思い出したようにカムイのほうに視線を向けた。
「そういえば、まだカムイにちゃんとこれからの予定を話していなかったな。ちょっとこれを見てみろ」
そう言ってアーキッドはテーブルの上に地図を広げた。そしてある一点をカムイに示す。現在地からはまだかなり遠い場所だ。
「ここが、キファのいる拠点だな。ただ、まずはここじゃなくてコッチに向かう」
そう言って彼は地図上で指をさらに西へ動かし、また別の地点を指差した。後で聞いた話だが、この二つの拠点の間の距離はだいたい150km。アーキッドらの移動速度で一日強、普通に歩けば四から五日ほどかかるという。
「ここも、プレイヤーの拠点なんですか?」
「ああ。人数はおよそ30人。まあ、こぢんまりとした規模だな。何にもないところだが、でかい岩が聳え立っていてな。ソイツを目印にしているんだ。言ってみれば、〈岩陰の拠点〉ってところだな」
「〈岩陰の拠点〉……」
「そうだ。まずはそこへ行き、そこから順次拠点に立ち寄りながら東へ向かっていく。最終的にもう一度海辺の拠点に行くかはまだ決めていないが、遺跡まではきっちり送ってやるから安心しな」
「あ、ありがとうございます。……それで、岩陰の拠点まではどれくらいかかりますか?」
「そうだな……。二十日ってところじゃないのか」
アーキッドのその答えを聞いてから、カムイはもう一度テーブルの上の地図に目を向けた。眺めただけの目測ではあるが、現在地から岩陰の拠点までは確かにそれくらいの距離がある。つまりこれからしばらく走りっ放しと言うことだ。アブソープションを使っているからポイントも稼げるし、琥珀色の結晶を使う練習にもなって案外いいかもしれない、とカムイは思った。
それにしても、ここから一番近い拠点なら、おそらく明日中にはつく。しかしアーキッドらはそうはせず、まずは遠い岩陰の拠点を目指すと言う。わざわざそうするのは、早めにカムイをキファのいる拠点に連れて行ってやろうと言う気持ちがあるから、と考えるのはあながち的外れではないだろう。
もちろん、アーキッドはそういうことも考えてはいた。しかしそれが全てではない。彼の思惑には、効率よくポイントを稼ぐための計算もまた反映されていた。
キキのユニークスキル【PrimeLoan】は使えば使うほど、借りられる上限額が増えていく。つまり逆を言えば、このデスゲームが始まったばかりの頃は、今よりも上限額が低かったのだ。そして今、その差はかなり大きなものとなっている。
仮に【PrimeLoan】で上限いっぱいまで借りた場合、一部であっても返済しなければさらにポイントを借りることはできない。しかし上限額の方が増えれば、その分のキャパが空いたと見なされ、追加で借りることができるようになるのだ。このあたりの仕組みが、アーキッドに二周目を決意させた理由の一つである。
そして彼らは基本的に西から東に向かって拠点を渡り歩いてきた。つまり初期に訪れた西側の拠点の方が、【PrimeLoan】のキャパが大きく空いている。加えてまた西から東へ向かえば、上限額はさらに増えていることだろう。それで、この二周目で少なくとも3億Ptは稼げるはず、とアーキッドはそろばんを弾いていた。
(三周目もするのかな?)
カムイは不意にそう思ったが、しかし口には出さなかった。少なくとも彼は三周目に付き合う気はなかったし、アーキッドらもそこまでは露骨なポイント稼ぎはしないだろう。むしろまったく別の展望を描いているのではないか。カムイはそう思っていた。
まあ、それはカムイの願望でしかないのでおいておくとして。今後の大まかな予定を教えてもらったカムイは、残っていたスポーツドリンクを飲み干してからやおら話題を変えた。
「……そういえば、キファさんってどんな人なんですか?」
「どう、と言われてもなぁ。実のところ、そこまで良く知っているわけじゃない」
アーキッドは苦笑しながらそう答えた。【Kiefer】という、生産系のプレイヤーがいることは知っている。そして彼女のユニークスキルが、宝石研磨などの細工に秀でた能力であることも知っている。しかし逆を言えば、彼らが知っているのはその程度のことだけだった。
「知り合いじゃなかったのか?」
「一つの拠点にそう長くいたわけじゃないもの。特にキファさんは孤立していたのを回収して合流させたわけじゃないから……」
その間一緒に旅をしてある程度の時間を共にしたわけでもない。カレンは少し気まずそうにしながらカムイにそう答えた。ただ挨拶はしたし、話をしたこともあるので、知り合いであると言うのは本当だ。とはいえ、そう親しいわけではない。
「そういえば、無いものだらけだってぼやいていたわ」
キファとの会話を思い出して、カレンはそう言った。特にデスゲーム開始当初、キファをはじめとする生産職のプレイヤーの状況は厳しかった。いくらユニークスキルがあっても、専用の設備がなければ仕事の幅はどうしても限られる。
しかし初期投資のためのポイントは無い。それなのに生きていくためには毎日一定のポイントが必要で、さらにはモンスターも襲ってくる。この辺の事情は、方向性は異なるがガーベラとも似通っていた。
さらに言えば事情が厳しいのは全てのプレイヤーが同じなので、何かを作ってもそれを買ってもらうこと自体が難しい。アイテムショップがあるおかげでプレイヤーメイドの商品に頼る必要性が低いのも、彼らにとっては逆風だった。
とはいえ、その状況も少しずつだが好転してきている。【PrimeLoan】でポイントを借りられたプレイヤーなら、初期投資の費用をある程度確保できただろう。またプレイヤーショップが開設されたことで、離れた場所にいるプレイヤーにもアイテムを売ることができるようになった。つまり販路が広がったと言うことで、生産職のプレイヤーたちにとってはまさに福音だったに違いない。
「キファも何か出品しているかもしれんのう」
ミラルダがそういうのを聞いて、カムイは「確かに」と思った。それで早速プレイヤーショップのページを開き、キファの名前を探す。するとすぐに三つほどのマジックアイテムが見つかった。
アイテム名【銅貨のペンダント】 30,000Pt
説明文【腕部及び脚部への、骨折または多量の出血を伴うようなダメージを、一度だけ無効化する】
アイテム名【銀貨のペンダント】 70,000Pt
説明文【胴体への、骨折または多量の出血を伴うようなダメージを、一度だけ無効化する】
アイテム名【金貨のペンダント】 150,000Pt
説明文【頚部及び頭部への、骨折または多量の出血を伴うようなダメージを、一度だけ無効化する】
「ようするに、身代わりアイテムか……」
「そうね……。人気もあるみたい。結構売れているわ」
カムイが開いた画面を横から覗き込みながら、カレンが少し嬉しそうにそう言った。売れているということは、その分の収入があるということだ。キファの厳しい事情も和らいだかもしれない、と思ったのだろう。
それにしても身代わりアイテムがこの値段で買えるというのはかなり優秀だ。特に【銀貨のペンダント】と【金貨のペンダント】。「胴体への、骨折または多量の出血を伴うようなダメージ」とはつまり致命傷のことだし、頚部及び頭部への場合は即死するようなダメージと言うことだ。それを使い捨てとはいえ肩代りしてくれるアイテムというのは、このデスゲームにおいて非常に有用と言っていい。
「カレンも買っておいたらどうだ?」
カムイは幼馴染にそう勧めた。彼自身は〈白夜叉〉という防御に優れたスキルを使えるし、またアブソープションのおかげで馬鹿げた回復能力も持っている。それで、少なくとも今すぐにこれらの身代わりアイテムが必要とは思わなかった。
しかしカレンは違う。彼女のユニークスキル【守護紋】は瘴気の影響を完全に排除できるが、しかしその一方で敵を打ち倒したり身を守ったりする力はない。イスメルから双剣術を習ってはいるものの、このデスゲームを生き残るためには力不足だ。
もちろんカムイだってカレンがすぐに身代わりアイテムを必要とするとは思っていない。そんなものがなくても彼女は今まで生き延びてきたし、頼りになるパーティーメンバーも揃っている。しかし危険と言うのはいつ何時忍び寄ってくるのか分からないものだ。ポイントで買える保険なら、用意しておいた方がいい。
「そうですね。あんな事もあったわけですし、備えはしておいた方がいいでしょう」
イスメルも弟子にそう勧める。彼女の言う「あんな事」とは、言うまでもなくラーサーらの一件だ。あの時は別に大きな怪我をしたわけではないのだが、しかしそれは結果論だ。下手をしたら死んでいたかもしれないという恐怖は、今もカレンの心の奥底にへばりついている。
身代わりアイテムがあれば、あの事件を防げたわけではない。そして一度あのように拉致されてしまえば、身代わりアイテムを一つや二つ持っていてもあまり意味はないだろう。しかしだからと言って備えをしないのは、自暴自棄になるのと同じだ。そんな心構えでは、いつか本当に死んでしまう。
「せっかくだ。カムイ、婚約者にプレゼントしてやったらどうだ?」
突然、アーキッドがそんなことを言い出した。大した出費でもないし、カムイはそれでもいいかと思ったのだが、しかし彼の面白がるような笑みにふと警戒心が刺激される。そういえば、なぜカレンのことをわざわざ「婚約者」と呼んだのだろうか。
「ペンダントやネックレスなど、首周りにつける装飾品をプレゼントするのは、独占欲の現れや、これは自分の所有物だという意思表示……。ぐふふ、ご馳走様です」
そこへ、キキの邪悪な含み笑いが響く。それを聞いてカムイとカレンは揃って顔を赤くした。そんなつもりはないと言うのに、というか十分承知しているであろうに、ひどい意図的曲解である。
「そ、そんなつもりじゃ……!?」
「そ、そうですよ! と、というか、買うなら自分で買います!」
カレンは半ば叫ぶようにそう言って自分のシステムメニューを開くと、三種類のペンダントをそれぞれ一つずつ購入した。リビングが「やれやれ」と言わんばかりの生暖かい空気に包まれるが、断固無視である。
購入したペンダントはそれぞれ、コインを革紐で吊るしただけのシンプルなものだった。マジックアイテムとしての効果があるのは、ペンダントとしてではなくて、あくまでもコインのほうである。
ちなみにコインだけでも売っていたのだが、値段は同じなので、どうやら革紐はサービスのようだった。気に入らなければ自分でチェーンなどをどうぞ、ということなのだろう。またコインはまとめ売りもされていて、こちらは少し値段が安く設定されていた。
金・銀・胴の三枚のコインは、それぞれ同じデザインだ。直径は1cm強で、縁取りがされている。表には乙女の横顔が描かれ、裏には花を模した紋章が押されていた。身代わりとしての役割を果たすとコインには傷がつくそうだ。そうなった場合「プレイヤーショップにコインを出品してくれれば、一割で引取る」と書かれていた。
カレンは購入した三つのペンダントを少しのあいだ手に持って眺めていたが、やおら三枚のコインをまとめて同じ革紐につるし、一つのペンダントにしてから首に下げた。手鏡を取り出してその具合を確かめ一つ頷くと、そういえばと思いキキとアーキッドのほうに視線を向けた。
「思ったんですけど、キキとアードさんも買っておいた方がいいんじゃないですか?」
真面目な意味で、とカレンは付け足す。予防線を張られてアーキッドは苦笑した。
「ま、そのうちな。……さ、休憩は終わりだ」
肩をすくめながらそう言って、アーキッドは立ち上がった。他の五人も彼に続く。相変わらず【HOME】の外は瘴気まみれだ。渇いた荒野を踏みしめて、カムイは気持ちを引き締める。それからまた、彼らは走り出した。
昼食として一時間、さらに午後にもう一度休憩を挟んだが、それ以外は基本的に走りっぱなしである。それを淡々とこなすアーキッドらの様子を見て、カムイは「とても手馴れているな」と思った。考えてみれば当たり前で、彼らはずっとこうやって数々の拠点を渡り歩いてきたのだ。その経験が滲み出ているようで、カムイはここに加えてもらえて幸運だったと思った。
「よし、今日はここまでにしよう」
夕方、時間を確認したアーキッドがそう声をかける。それを聞いて、カムイらは足を止めた。ただ、周りはまだ明るい。カムイも時間を確認してみると、午後の四時過ぎだった。野営の準備が必要なわけではないし、足を止めるにはまだ早い気がする。カムイが首をかしげていると、その近くでイスメルがカレンにこう声をかけた。
「ではカレン。暗くなるまで稽古をしましょうか」
「はい、お願いします」
それを聞いてカムイは納得した。確かに暗くなるまでずっと移動を続けていては、二人は稽古をする時間が取れない。拠点間の移動中がずっとそんな感じでは、カレンの剣の腕では一向に上達しないだろう。それでは困ると言うことで、こうしてまだ明るいうちに移動を切り上げているのだ。なお、【HOME】に室内道場を設けるという案もあったが、多額のポイントが必要になるため却下された。
「そうだ。カムイも一緒にやらない?」
「いや、オレ、双剣なんて触ったことも無いんだけど……」
「このごろは専ら立会い稽古ですから、混じってもらっても大丈夫ですよ。それにこの先、肩を並べて戦うこともあるでしょうから、お互いの動きを確認する意味でも、稽古に参加してもらうのは良いかもしれませんね」
イスメルのその言葉を聞いて、カムイは「それもそうか」と思った。確かにいざという時、互いが互いの邪魔をして満足に戦えないようでは大変である。
それにイスメルは呉羽を越える腕利きだ。その彼女から稽古を付けてもらえれば、この旅の中でさらに強くなれるかもしれない。そう思い、カムイの心は傾いた。
「ほら、師匠もこう言っていることだし。ね、やりましょうよ。いいでしょう?」
そうカレン強く勧められたことが決め手となり、カムイは稽古に参加することにした。そして彼はだいたい三分後くらいにこれを後悔することになる。
「では、始めましょうか」
アーキッドらが【HOME】の中に引っ込むのを見送ってから、イスメルは二人にそう声をかけた。立会い稽古は、彼女一人にカレンとカムイの二人が相対する形だ。二対一だが、三人ともそれをごく当然のこととして受け止めていた。
イスメルの言葉に一つ頷いてから、カムイは飲みかけのスポーツドリンクをストレージアイテムに仕舞い、アブソープションを発動して白夜叉のオーラを揺らめかせる。カレンも腰の双剣を抜いて両手に構えた。
それを見て、イスメルもまた双剣をスラリと抜く。構えを取ったカレンとは対照的に、彼女は双剣を持った両手をダラリと伸ばしたままである。開始の合図もない。しかし彼女が双剣を抜いた瞬間に空気はガラリと変わっていた。
こめかみがチリチリとする。まるで空気が刃になったかのようだ。恐らくはイスメルが意図的にそうしているのだろうが、ここまで剣気というものをはっきり感じ取れたのはカムイにとって初めての体験だった。
呼吸は苦しくない。以前イスメルが呉羽にぶつけたような、重い圧力のある剣気ではまだない。だが目が離せず、強制的に集中力が高められていくような感覚に捕らわれる。
(……っ!)
呑まれてはいけない。そう思い、カムイが先手を取ろうとしたその矢先、彼の左の頬に鋭い衝撃が走った。踏ん張れず、身体が伸びて足がわずかに地面から離れる。反射的に腰を落として顔を腕で庇う。遅れて頬がジンジンと痛み出し、それでようやくカムイは自分が攻撃されたことを自覚した。
急いでイスメルに視線を戻せば、剣を持った彼女の片方の手が振りぬかれている。彼我の間合いは約十歩といったところで、もちろん双剣の間合いではない。イスメルが得意とする、斬撃を伸ばす剣技〈伸閃〉。それだ、とカムイはすぐに理解した。
理解して、その瞬間血の気が引く。何をされたのかは分かる。〈伸閃〉で攻撃した。言葉にすればそれだけのことだ。
しかし完全な不意打ちだった。見えなかったし、当然反応もできなかったのである。イスメルはずっと真正面にいてそこから動かず、しかも一瞬たりとも目を離したわけではなかったのに、だ。
(速すぎる……!)
つまり、そういうことだ。打たれた頬の痛みはすぐに消えたが、しかしカムイは警戒をかつてなく高めた。イスメルはこのデスゲームが始まって以来、間違いなく一番の強敵だ。いや強敵であることは最初から分かっていたが、この一撃で想像以上であることを思い知らされてしまった。そんな相手と相対するのが稽古であるというのは、まったく幸運としか言いようがない。
(喰らいつく……!)
カムイは自分にそう言い聞かせた。喰らいついて強くなり、次に呉羽に合ったときには驚かせてやろう。彼はそうやって自分を奮い立たせた。そのせいか彼の顔には自然と獰猛な笑みが浮かんだ。
イスメルはその様子から彼が戦意喪失していないことを見て取り、満足げに小さく笑った。やる気があるのはいいことだ。そして曲がりなりにも教える立場になった以上、熱意には熱意で応えるのが責任であり礼儀だろう。そう思い、カムイの様子をよくよく観察しつつ、彼女はこう言った。
「もう少し強くしても大丈夫そうですね?」
カムイが浮かべていた、獰猛な笑みが引き攣る。その理由に心当たりが無く、イスメルは内心で小首をかしげた。けれども「まあいいか」と思い、稽古を続けるべく今度は両手の剣を振るった。一呼吸にも満たない合間に左右三回ずつ、合計六つの斬撃を、宣言どおり先程よりも少し強くして。
五つの斬撃がカムイを打ち据える。タイミングは全てほぼ同時。まるで複数人が一度に切りかかってきたかのようだ。あらかじめ防御姿勢を取っていたので、今度は体勢を崩さずに済んだが、相変わらず回避できる気がしない。速いのもそうだが、〈伸閃〉は不可視の斬撃で、それが非常に厄介だった。
そしてカムイが攻撃を防御すると同時に、その隣でカレンが「わっ!?」と声を上げ、キンッという金属音が響いた。イスメルは六つの斬撃の一つをカレンに向けて放っていたのだ。それを彼女がなんとか防いだのである。
「カムイ、〈伸閃〉は基本的に刃が向いている先にしか伸びていきません。相手をよく見て、どこに斬撃が伸びてくるかを予測して回避しなさい。ただ不可視ですから、視覚だけに頼っていると、なかなかうまくいきません。剣気は感じ取れているようですから、そちらも頼りにするといいでしょう」
「は、はい!」
「それとカレン。気が緩んでいますよ。心配しなくても、カムイが加わっても貴女に手は抜きませんから、安心しなさい」
「安心できる顔じゃないですよっ!?」
イスメルは笑顔だ。魔王でさえくびり殺せそうな、満面の笑みだ。ソレを見てカレンは泣きそうになって絶叫する。
一方カムイは、イスメルの台詞に引っ掛かるものを感じた。それでカレンに視線を向けると、彼女はバツが悪そうに目をそらす。それを見てピンと来た。
「テメェ、コノヤロウ! オレを生贄にしやがったな!?」
「生贄じゃないわ、道連れよ!」
カレンはそう言い返すが、しかしカムイ的には生贄も道連れも大差ない。そして唐突に理解する。彼女が熱心に勧誘してきたその理由を。要するに生贄、ではなく道連れが欲しかったのだ。きっと負荷を分散できると思っていたに違いない。
「だいたい、お前の稽古じゃないか! 人を盾にしてたら意味ないだろう!?」
「コンビネーションよ! 二人で連携するなら、結局はそういう役割分担になるじゃない!」
「実戦ならそれでもいいけど、これは稽古だろ!? しかもお前の!」
「稽古の方が厳しいのよ!」
カレンが涙目になって叫ぶ。「あ、本音が出たな、コイツ」と思った瞬間、カムイは全身が怖気立つほどの剣気を感じた。反射的に顔を腕でガードするが、狙われたのは脇腹だった。言うまでもなくイスメルの〈伸閃〉だ。重い衝撃が身体の内側に響き、カムイは思わず膝を折る。
イスメルの攻撃を受けたのはカムイだけではなかった。カレンも〈伸閃〉の一撃を受けて地面に倒れている。そして二人が恐るおそるイスメルに視線を向けると、彼女はにっこりと極上の笑みを、それこそ大魔王でさえ土下座してしまいそうな笑みを浮かべている。それを見て、カムイは稽古に加わったことを思わず後悔した。そしてその後悔を決定付けるかのようにイスメルはこう言った。
「稽古中に無駄話とは、いい度胸ですね。よほど余裕があると見えます。いいでしょう。今日は特別厳しくしてあげます」
「し、師匠! 明日の活動に支障がでるのはよくないと思いますっ!」
カレンが顔を青くしながらそう主張する。その様子はまさに必死だ。しかしイスメルは弟子の言い分をバッサリと切り捨てる。
「貴女は後ろに座っているだけでしょう。【ペルセス】なら振動もありませんしね。カムイもアブソープションがありますし、大丈夫ですよね?」
「は、はい」
カムイは顔を強張らせながらそう答えた。どんなにボロボロの状態でも、一晩寝れば大丈夫と言う自信はある。なんなら、ポーションを飲んでもいいだろう。隣でカレンが「何てことを言うんだ!」という視線を向けてくるが、カムイとしてはウソがバレた時のほうが怖い。
「よろしい。では……」
イスメルが満足げに頷く。そして一旦言葉を切り、かと思った次の瞬間、彼女の姿がかき消えた。
「……稽古を続けましょう」
その言葉はすぐ近くからした。反射的に声のした方を見ると、イスメルは一気に間合いを詰めてカレンとカムイの間に立っている。そしてカムイがガードするよりも早く彼女の腕が振るわれ、彼は吹き飛ばされた。そこへさらに〈伸閃〉の追撃が幾つも叩き込まれる。ガードの上からとはいえ、ほとんどサンドバック状態だ。
イスメルがまずカムイに仕掛けたことで、彼女はカレンに背中を見せる形になっていた。その背中に、カレンは遠慮なく斬りかかる。しかしイスメルは振り返ることもなくそれをかわした。カレンは諦めずにさらに仕掛けるが、イスメルは逆にそれを受け流して彼女の体勢を崩す。そして足を引っ掛けて地面に転がし、さらに追撃をかけた。
「くぅっ……!」
カレンは転がされた勢いに逆らわず、まず一回転してから素早く身体を起こして片膝立ちになる。そしてなんとかイスメルの攻撃を受け止め、両者は鍔迫り合いになった。ただ、双剣を交差させているのに、だんだんとカレンの方が押されていく。あと少しで押し切られそうになったときに、カムイの雄叫びが響いた。
「おおおおおお!」
彼は右手に集めた白夜叉のオーラを“グローブ”にしていた。カレンが稼いでくれたわずかな時間で、琥珀色の結晶を使ったのだ。そして彼はその“グローブ”でイスメルに殴りかかる。
「これはなかなか……。ですが直線的過ぎますね」
そう呟くイスメルの対処の仕方は、カムイの予想の斜め上をいった。彼女は空いていた片方の剣を、迫り来る“グローブ”にぶっ刺したのである。そして突っ込んできたカムイの勢いを殺さずにそのまま振り回し、鍔迫り合いをしていたカレンに横からぶつけた。しかもご丁寧に危ない“グローブ”を切り捨てて二人が不慮の怪我をしないようにしている。
「きゃあ!?」
「どわ!?」
ぶつけられた二人はそのままゴロゴロと地面を転がった。そのうえ二人とも急いで立ち上がろうとするものだから、余計に手足が絡まり、いっそう混乱が酷くなる。
「きゃ、ちょ、ちょっと! どこ触ってるのよ!?」
「どこって、もが!? って、カレン!」
二人の背後でイスメルの剣気が膨れ上がる。回避は不可能と諦め、カムイは量を増した白夜叉のオーラを駆使して防御を固めた。カレンも身体を小さくして彼の影に隠れる。図らずも彼女が言っていた通りの役割分担だ。
「ぐ……っ!」
不可視の斬撃がカムイの身体を乱打する。しかも止む気配がない。カムイは防御を解けず、その場に釘付けにされてしまった。このままではジリ貧である。状況を打開するには、カムイの影に身を潜めているカレンが動くしかない。
「……っ、やぁぁぁ!」
何とかタイミングを見計らい、カレンは庇ってくれていたカムイの影から飛び出した。向かってくる彼女を、イスメルが〈伸閃〉で迎撃する。一つ目と二つ目をそれぞれ双剣で振り払い、三つ目はバランスを崩しつつも回避してカレンはイスメルに肉薄する。そんな彼女をカムイも“アーム”を伸ばして援護した。
「ふむ、なかなかいい動きですよ」
カムイの“アーム”を簡単に回避したイスメルは、続いてカレンと踊るように双剣を交え始めた。カレンは押され気味だったが、それでもしっかりと喰らいついている。その様子に、カムイは思わず見入った。
「がっ!?」
見入っていたら、〈伸閃〉で横っ面をひっぱたかれた。サボるな、ということらしい。慌ててカムイも動き、イスメルをカレンと二人で挟み込むようにして仕掛ける。しかし二対一にもかかわらず、イスメルの優位は揺るがない。むしろ巧みに状況をコントロールされ、二人は不利なまま延々と戦い続けさせられた。
ちなみに、カムイはアブソープションを全開にしていたのだが、暴走する事はなかった。ある意味で、そんな余裕がなかったとも言う。この日の稽古が終わったとき二人はまさに半死半生で、カレンは大好きなシャワーを浴びることも無くベッドに倒れ込み泥のように眠った。
カムイの方はアブソープションで回復できたので体力的にはまだ余裕があったのだが、それが彼にとって良かったのかは分からない。その様子を見たイスメルが「もう少し厳しくしても大丈夫だったのですね」と呟いていたからだ。明日からの稽古が実に憂鬱になる。道連れを欲したカレンの気持ちが分かるような気がした。
(でも、喰らいつく……!)
その気持ちは、変わらない。
カムイがこの旅に出ることにしたのはもっと強くなるためだ。琥珀色の結晶の研磨、つまり装備の強化は、その手段の一つに過ぎない。だがこの稽古に喰らいついていけば地力の部分を鍛えられる。なら、やった方がいいのは明白だ。
(それに、カレンが頑張ってるのに、オレだけのんびりしているわけにはいかないもんな……!)
そして呉羽もまた、己を鍛えていることだろう。そう思うと、楽な道はもう選べなかった。
やろう、とそう思う。決意を固めてからベッドに横になる。意識はすぐに遠のいた。




