〈魔泉〉攻略中5
マナの結晶化。それをするためにキファが向かったのはある井戸だった。彼女はバケツにロープを結んでその井戸から水を汲む。汲んだ水は、当たり前と言うか、瘴気に汚染されて真っ黒だった。
水の入ったバケツを石畳の上に置くと、キファは次にリムを呼んだ。そして彼女が持っている杖の先端にペンデュラムを引っ掛けて取り付ける。このペンデュラムがマナを結晶化するアイテム、の試作品だ。
「それじゃあリムちゃん。このバケツの中の水を浄化してくれ。その時、ペンデュラムの先端は水の中に浸けるようにするんだ」
キファの指示に頷きながら、リムはゆっくりと杖を傾けた。そして言われたとおりペンデュラムの先端の結晶を水の中に浸けてから【浄化】の力を発動する。慎重に能力を使っているのか、水はゆっくりとその透明度を取り戻していく。そして水がほぼ完全に透明になったところで、リムが目を見開いて声を上げた。
「あっ」
リムが杖を持ち上げると、ペンデュラムの先端の結晶がひび割れている。これではもう使い物にならない。リムが申し訳なさそうな顔をするが、そんな彼女の頭をキファは優しくなでる。そしてバケツの中を覗きこみ、笑顔を浮かべてそこを指差した。
誘われるようにして、カムイたちはそのバケツを覗き込む。バケツの底にはうっすらと青紫色の砂のようなものが溜まっていた。これこそが今回の目的、結晶化されたマナそのものである。
「砂状か……。もう少し固まるかと思ったんだが、まあいいだろう。後はこれを……」
上機嫌な様子で、キファはバケツの水を慎重に捨てていく。あらかた水を捨てたところで、彼女はバケツの底に溜まった青紫色の砂に手をかざす。そして得意とする〈工芸魔法〉を発動させた。
青紫色の砂が浮き上がる。キファの掌の上で渦を巻くように動き、そして徐々に集まって球体にまとまっていく。淡い青紫色の、透明感のある結晶体だ。それはまるで、宝石のように輝いて見えた。
「ふむ。少し大きいか」
そう呟くと、キファは一つにまとめた結晶体を工芸魔法で二つに分ける。硬質であるはずの結晶体が音もなく、まるで粘土のようにぐにゃりと二つに割れて、それぞれが球体にまとまっていく。
最終的にビー玉ほどの大きさの結晶体が二つできた。キファはそれを念入りにチェックし、納得のいくものだったのか小さく笑みを浮かべて一つ頷く。そして片方を上着のポケットに片付け、もう一つを右手の掌の上にのせる。その小さな結晶体を、彼女は真剣な顔で見据えた。
「さて、ここからが本番だ……。ユニークスキル【ギフト】発動。付加するギフトは【マナ結晶化】」
キファがユニークスキルを発動させた瞬間、マナの結晶体がそれに応えるように光を放った。その光が収まると、彼女はギフトを付加した結晶体をもう一度念入りにチェックする。ひび割れなどはない。ソレを見て彼女は満足げに満面の笑みを浮かべた。そしてその笑顔のまま、次にリムの方へ視線を向ける。
「リムちゃん、ペンデュラムを貸してくれ」
言われたとおり、リムは杖からペンデュラムを取り外してそれをキファに渡した。それを受け取ると、まずその先端に取り付けられている、ひび割れてしまった結晶を取り外す。そしてソレの代わりに今さっきギフトを付加したばかりの、ビー玉大のマナ結晶体をとりつけた。
「……それで完成か?」
キファの作業を見守っていたロロイヤがそう尋ねる。それに対し彼女は苦笑しながら、しかし上機嫌な様子でこう答えた。
「いやいや。むしろこれこそ試作品だと言いたいね」
どうやら最初の試作品はよほど不本意な出来だったらしい。一方で、今の彼女の様子からして、今回の試作品には自信があるようだ。そしてキファは生まれ変わったペンデュラムをリムに渡した。
「さあ、リムちゃん。もう一度頼むよ」
「おい、こっちとしては試作品ではなく完成品が欲しいのだが?」
実験を続けようとするキファに、ロロイヤがわずかに顔をしかめつつそう言って掣肘する。同じ職人として、好奇心の赴くままに実験を続けられては、いつ終わるか分からないと思ったのだろう。だがまるで彼女は頓着しない。むしろこう言い返した。
「もうちょっと様子を見たいんだ。それに、報酬の一部としてマナ結晶を譲ってもらえることになっていたはず。その分を精製するだけだよ」
「む……」
「それに砂状のままだと、どうも不純物が混じっているようだね。再結晶化も兼ねて、ある程度の大きさに固めておいた方が、ロロイヤさんも何かと使いやすいんじゃないのかい?」
キファがそう言うと、ロロイヤはとうとう肩をすくめた。研究素材にするにしろ、魔道具の素材として使うにしろ、確かに砂状では色々とやりにくい。不純物が混じっているのであればなおさらだ。
ある程度の大きさに再結晶化できればやりやすいのだろうが、今のところそれができるのは工芸魔法を使えるキファだけだ。いずれそれ用の魔道具を作るとして、ここで彼女の機嫌を損ねるのは得策ではなかった。
「いいだろう。その代わり……」
「ああ、分かっている。ちゃんとロロイヤさんの分も用意するさ」
そう言ってキファは「ニシシ」と笑った。そんな彼女を、カムイは思わず凝視する。なにしろ彼女はあのロロイヤをやり込めてしまったのだ。その手腕は尊敬に値する。そう考え、しかしカムイは「いやいやいや」と頭を振った。
あの二人は同類だ。同類のシンパシーを感じただけなのだ。見よ、彼のあの目を。好奇心に輝いているではないか。頼むからホドホドにしてくれ。カムイとしてはそう願わないではいられなかった。
まあそれはそれとして。完全に空にしたバケツの上に、リムは杖の先に取り付けたペンデュラムを垂らす。そして彼女が【浄化】の能力を発動させると、ペンデュラムの先端、先ほどギフトを付加してから新たに取り付けた淡い青紫色の結晶体が燐光をまとった。そしてその燐光からサラサラと砂状のものが零れ落ちていく。言うまでもなく、結晶化したマナだ。
「よし、効率を上げるぞ」
その様子を興味深そうに観察していたロロイヤは、そう言って小さな魔法陣を展開した。気流を小規模に操作する魔法陣で、つまりこれを使って周辺から瘴気を集めるのだ。最近はやっていないが、カムイたちが瘴気を大量に浄化する場合とほぼ同じ手法である。
その甲斐あってか、バケツはすぐに砂状のマナ結晶で一杯になった。しかしその一方でどうやらペンデュラムのほうも限界を迎えたらしい。リムが「あっ」と声を上げると同時に、先端に取り付けられていた丸いマナ結晶体がひび割れる。そしてそのまま砂状に崩れ落ち、さらには結晶化さえも解けて普通のマナに戻り、空気中に溶けて消えていった。
「なるほど……。こんなふうになるのか……」
その様子を興味深そうに見守りながら、キファは感心したようを見せながらそう呟いた。しかし周りの人間はそうも行かない。リムはオロオロとし、アストールとキュリアズは困ったように苦笑を浮かべ、カムイは呆れた顔をし、ロロイヤははっきりと顔をしかめた。
「おい、使い捨てでは困るぞ」
「問題ないよ。言っただろう、コレは試作品だって」
自信をのぞかせながら、キファはそう答えた。先ほどの試作品には確かにマナ結晶体を使っていたが、しかしそれは工芸魔法で適当な大きさに丸めただけのものだ。綺麗に研磨したわけでも、絵図を彫ったわけでもない。細工師を自称するキファにとって作品とは言い難いもので、要するに素材の具合を見るためだけのものだった。
納品するための作品は、これから作るのだ。ロロイヤは使い捨てになることを懸念していたが、キファにはそうならない自信があった。彼女のユニークスキル【ギフト】は、彼女の思い入れに強い影響を受ける。手間をかけて納得できる一品に仕上げさえすれば、何も問題はないはずだった。
「さあ、工房へ行こうか」
バケツを持ち上げ、キファは意気揚々と歩き出した。カムイたちはその後に続く。工房へ戻る道すがら、キファはふとリムにこんな事を尋ねた。
「そういえばリムちゃん。好きな花とかはあるかい?」
「えっと、ユリとか、スイセンとかが好きです」
「なるほど、なるほど」
リムの答えを聞いて、キファは上機嫌に何度も頷いた。そして工房へ戻ると、彼女は客にお茶も出さずに、早速作業台へと向う。カムイたちは呆れつつも勝手にイスに座り、彼女の作業が終わるのを待つつもりだったのだが、そこへ彼女の「あっ」と言う何を思い出したような声が響いた。
「この前、廃都をあさっていたらこんなモノを見つけたんだ」
そう言って彼女が取り出したのは、どうやら古いブローチのようだった。一部は欠けてしまっており、歴史的な価値はともかく、アクセサリーとしてはまったく価値がない。だがその古いブローチには一つだけ、とても目を惹く点があった。薄紅色の石が、はめ込まれていたのだ。
「これは、もしかして……!」
「そう、魔昌石さ。おっと、おさわりは禁止だよ。触るのなら、ポイント変換しない設定にしてからにしてくれ」
そう言われ、カムイは慌てて手を引っ込めた。生暖かい視線が彼に集まり、カムイは白々しく視線をそらした。
まあそれはそれとして。ブローチを受け取り、それをためつすがめつ眺めながら、ロロイヤはキファに鋭い視線を向けてこう尋ねた。
「確認するが、これはお前が作ったものではないのだな?」
「そうだよ。正真正銘、廃都で発掘、というか見つけたものだ」
「ぬう……」
「すごい……! 大発見ですよ、これは!」
アストールが興奮した様子を見せる。ただ、何がそんなにすごいのか、カムイにはよく分からない。それでそのことを尋ねると、ロロイヤがこう答えた。
「分からんか。このブローチが作られたのは間違いなくデスゲームが始まる前。この世界に瘴気が現れてから、この都市が滅ぶまでの間だ。つまりその時にはすでに、この世界に魔昌石があった、ということになる」
「あっ……!」
「現在、魔昌石はモンスターを倒すことで手に入る。恐らくだが、このブローチに使われている魔昌石も、そうやって手に入れたと考えていいだろう。ということは、だ。少なくともモンスターと魔昌石は、システムに依存していないと言うことになる」
このデスゲームにおいて、プレイヤーはモンスターを倒すことで魔昌石を得ることができる。そして魔昌石をポイントに変換することで、プレイヤーは攻略を進めていくのだ。モンスターと魔昌石は、ポイントやゲーム攻略と密接に関係している。このデスゲームの中核的存在と言っても過言ではないだろう。
だからこそ、モンスターと魔昌石は運営によって用意されたシステムの一部であろうと、カムイたちはずっと思い込んでいた。しかしキファが見せてくれたこの古いブローチはそれを否定している。
モンスターと魔昌石はシステムの一部などではない。むしろシステムがそれを利用しているだけなのだ。モンスターは瘴気と共にこの世界に現れ、そしてこの世界の人々はモンスターを倒すことで魔昌石を手に入れていたのである。この古いブローチがそれを証明している。
「実に興味深い。システムの一部でないのであれば、これは瘴気にとって自然な振る舞いと言うことになる」
「そうですね……。しかしそうなると、私たちが思っている以上に、モンスターや魔昌石というのは世界と関わりが深いのかも知れません」
「……まあそのブローチは貸しておくから、コッチの仕事が終わったら返してくれ」
ロロイヤとアストールが顔をつき合わせて考察を始めたのを見て、キファは苦笑してそう言った。たぶんはじめからそのつもりで、あのブローチを見せたのだろう。つまり待たせる間の暇つぶし、というわけだ。
キファは作業台に向かって仕事を始め、ロロイヤとアストールはモンスターや魔昌石について話し合い、リムとキュリアズは空いた時間を使って魔法の練習をしている。カムイは一人手持ち無沙汰のまま残され、ちょっと困ったように苦笑した。
(本でも読むか……)
そう思い、彼はイスに座って腰のストレージアイテムから文庫本を取り出した。タイトルは「エルフに会いに異世界へ」。あらすじによると、壮大なスペースオペラであるらしい。このタイトルでどうやったらスペースオペラになるのか、興味は尽きない。彼はパラパラとページをめくり始めた。
さてキファの仕事が終わったのは、工房に戻ってきてからおよそ三時間後。外がもう薄暗くなってきたころだった。ぶっ続けで作業していたので少し疲れた様子を見せながらも、キファは達成感の浮かぶ顔で化粧箱をテーブルの上に置いた。
「待たせたね。完成したよ。なかなかいい仕事をさせてもらった」
そう言って彼女は化粧箱を開けた。中に入っていたのは一本のペンデュラム。ただし、試作品とは格が違うことは一目で分かった。
まずチェーンが新しくなっている。少々無骨だった試作品と比べ、優美で銀色の光沢が美しい。そしてその先端には透明感のある青紫色の結晶体が、綺麗にカッティングされて取り付けられていた。結晶体の大きさは、試作品のそれよりも大きくなっている。
それだけではない。カッティングされたマナ結晶体の表面には、繊細で精密な彫刻が施されている。彫られているのはデフォルメされたユリとスイセンで、それに気付いたリムはぱっと顔を輝かせた。
「銘は〈クリスタライザー〉。さ、リムちゃん。手に取ってみてくれ」
キファがそう勧めると、リムはおずおずと手を伸ばして化粧箱の中から〈クリスタライザー〉を取り出した。そして目の前に掲げてみて、特にユリとスイセンの彫刻に見惚れる。それを見てキファは満足げに一つ頷いた。
「それじゃあ、少し説明させてもらおうか。〈クリスタライザー〉の形状は、見ての通りいわゆる振り子だ。武器として戦闘に使うわけではないので、着脱がしやすく、また多少華奢な作りになっている。あまり乱暴には扱わないでくれよ」
キファが茶目っ気混じりにそういうと、リムは真剣な顔で何度も頷いた。そんな彼女の様子に微笑んでから、キファは説明を続ける。
「さて、次に能力だ。付加したギフトは二つ。まずチェーンの方に【マナ誘導】のギフトが、そして先端の結晶体に【マナ結晶化】のギフトがそれぞれ付加してある。つまりチェーンの部分で周囲のマナを集めて先端へ誘導し、それを結晶化するわけだね」
付加された二つのギフトは、それぞれマナに効果が限定されている。これは範囲を狭めることで【ギフト】の効力を強めるためだ。つまり〈クリスタライザー〉は、例えばオドや魔力、瘴気などには使えない。尤も今回の依頼は「マナの結晶化」なので、何の問題もなかった。
「〈クリスタライザー〉は魔力によって駆動する。ただ、意識して魔力を込める必要はない。さっきみたいに杖に引っ掛けて【浄化】の能力を使ってもらえば、そこから勝手に魔力を流用させてもらう仕様になっている。ただその分、魔力の消費量は増えることになるから、そこだけはちょっと気をつけてくれ」
まあカムイ君がいれば問題はないだろうがね、と言ってキファは笑った。確かに彼がいれば、魔力切れの心配はないだろう。
「さて、まあこんなところかな。何か質問は?」
「最初の試作品でやっていたように、先端の結晶を【クリスタル・ジェル】で覆うことはしないのか?」
そう質問したのはロロイヤだった。【クリスタル・ジェル】で覆えば、【マナ結晶化】の効果はさらに強力になるのではないか。彼の質問はつまりそういうことだ。それに対するキファの答えは、職人らしくカムイの予想の斜め上を行く。
「しない。なぜなら美しくないからね」
「……見た目よりも性能を重視してもらいたいのだが」
「見た目だって重要さ。綺麗な道具は使っていて楽しい。つまりテンションが上がる。テンションコントロールはポテンシャルを発揮するために大切だ。ねえ、リムちゃん?」
「はい!」
リムは満面の笑みを浮かべてキファに賛同した。どうやら〈クリスタライザー〉を相当気に入ったらしい。まあ実際に使うのはリムなのだから、彼女が気に入るデザインが一番だろう。そう思い、ロロイヤも引き下がった。
さて、〈クリスタライザー〉に大きな不備はなく、そのペンデュラムは化粧箱と一緒にそのままリムに引き渡された。だがキファの仕事はまだ終わっていない。バケツに入れてもってきた砂状のマナ結晶。それを再結晶化して不純物を取り除きつつ、ある程度の大きさに固めるのだ。
もっとも、これは大して集中力のいる仕事ではない。キファは工芸魔法を使って大雑把に透明感のある淡い青紫色の結晶体を作っていく。最終的に拳大のマナ結晶体が十三個できあがり、その内の八つが今回の報酬に含められることになった。残りの五つはロロイヤの研究用である。
「後はポイントだな。400万でいいか?」
「いや。結局素材にはあまり費用がかからなかったからね。250万でいいよ」
キファは肩をすくめてそう言った。前払いした分も含めれば、今回の報酬は350万Ptと拳大のマナ結晶体が八つということになる。なかなかの高額報酬と言っていいだろう。減額を申し出たとはいえ、彼女の表情は明るかった。
「ではな。マナ結晶の精製を含め、また何か頼むことがあるかも知れないが、その時はよろしく頼む」
「こちらこそ」
報酬の受け渡しが終わり、最後にロロイヤとキファがそう言葉を交わしてから、カムイたちは彼女の工房を辞した。辺りはすっかり暗くなってしまっている。彼らはLEDランタンの明かりなどを頼りに〈廃都の拠点〉の外へ向かい、アーキッドにメッセージを飛ばしてから【オーバーゲート】で帰路についた。
カムイたちが【HOME】へ戻ると、呉羽やカレンが出迎えてくれた。それからすぐにリビングで夕食を食べる。リムは嬉しそうに〈クリスタライザー〉を見せびらかし、メンバーはそんな彼女を温かく見守っていた。
夕食を食べ終えると、ロロイヤはさっさと自分の部屋へ戻った。早速、マナ結晶体の研究を始めるのだろう。アストールは例のブローチの写真をアーキッドやミラルダに見せている。リムは今日の出来事を呉羽やカレン相手に興奮気味に話し、カムイはときどき口を挟んでその話を補足した。
「アクセサリーを作ってくれる職人さんがいるんだねぇ。アタシも今度なにか依頼してみようかなぁ」
リムの話を聞いて、ルペはどこか間延びした声でそう呟いた。それを聞いたカムイが彼女にこう尋ねる。
「やっぱりルペもアクセサリーとかに興味あるのか?」
「そりゃ、アタシだって女の子だよ? 綺麗なアクセサリーには興味あるよ」
心外そうにルペはそう答えた。無神経なことを聞いたカムイには、カレンや呉羽、それにリムやキキ(ただし彼女は便乗)からも非難の視線が浴びせられる。質・量ともに圧倒的に不利な形勢だ。視線の十字砲火によって蜂の巣にされてしまったカムイは、小さく肩をすくめて両手を上げて降参した。
まあ無条件降伏した男の子のことはいいとして。ただ綺麗なアクセサリーが欲しいだけなら、アイテムショップを覗けば事足りる。彼女が考えているアクセサリーとは、そういうものではないのだ。それで少し表情を引き締めてから、彼女はこう言葉を付け足した。
「飛行能力を強化してくれるようなマジックアイテムがね、欲しいなぁ、って思っているの」
「アイテムショップにないのか?」
「うん。検索してみたけどなかった」
少し意外そうな呉羽に、ルペは苦笑しながらそう答えた。そして苦笑したまま、こう言葉を続ける。
「風属性を強化する、みたいなアイテムは結構あったんだけど……。飛行能力ってマイナーなのかなぁ?」
ルペのユニークスキルである【嵐を纏う者】は、風属性の能力も備えている。だから風属性を強化してやれば、間接的に飛行能力も向上するだろう。ただルペの飛行能力の精髄は光の翼にある。
こと空を飛ぶことに関してのみ言えば、風属性の力はあくまでも補助でしかない。となれば、枝葉ではなく幹を強化したいと考えるのはごく自然なことだ。
だがしかし、そのためのマジックアイテムはアイテムショップにはないという。それで、最近は稼げていることだし【アイテムリクエスト】でも使おうかな、とルペは考えていた。ちょうどそんな時に、こうしてキファの話を聞いたというわけだ。
「リクエストしたら、それだけで100万もかかるじゃない? 幾つも欲しいわけじゃないし、それだったらその分も含めてキファさんに頼んだ方がいいかなって。そうすれば、デザインもコッチの希望を聞いてくれるだろうしね」
ルペの話を聞いて、カムイは「確かに」と思った。【アイテムリクエスト】の最大の利点は、リクエストしたアイテムがアイテムショップのラインナップに加わることだ。特に消耗品などの場合、その恩恵は非常に大きいといえる。
一方、今回のように一点物の場合は話が異なる。リクエストはするだけで大金がかかる。ならば専門の職人にデザイン込みで依頼し、リクエストにかかるはずの費用を予算に含めてしまうというのは、なかなか合理的な判断と言えるだろう。
なにより、キファには【ギフト】の能力がある。彼女が手がけた作品なら、アイテムショップで売られているマジックアイテムの質を優に上回るだろう。後は予算さえ惜しまなければ彼女のテンションもうなぎ上りで、それはそれは見事な一品を仕上げてくれるに違いない。
「……で、どうする? 今ならキファさん、仕事は入ってないだろうから、依頼すればすぐに取り掛かってくれると思うぞ。なんなら、オレがメッセージで連絡とってもいいし」
「う~ん……。まあ、もうちょっと考えてみるよ。今すぐに必要ってわけでもないしね」
カムイの提案を、ルペはそう言って断った。とはいえアイテムを諦めたわけではない。状況を見て時が来たと思ったら、あるいは物欲を抑え切れなくなったら、その時は頼むことになるだろう。それはそう遠い未来ではないようにカムイは思った。
「ところでそもそもの話なんだけど、ルペは飛行能力を強化して何がしたいの?」
「アクセサリーの件はひとまず先送り」という結論が一応出たところで、カレンが気になっていたことをルペに尋ねた。それに対し、彼女は少し気恥ずかしそうにしながらこう答える。
「何ていうか、雲の上まで飛んでみたくってね。今もそうだけど、元の世界でもその高さまでは飛べなかったから」
それを聞いてカムイは「面白いな」と思った。ルペは単純に高い空を飛んでみたいだけなのだろうが、彼の興味は別にある。つまり、雲の上にまでも瘴気は届いているのか、ということだ。届いているにしても、濃度が地上よりも低ければ、瘴気は空気よりも重いと仮定することができる。
もっとも、瘴気はファンタジーなエネルギーだ。重さとか関係なくこの世界を覆っている可能性はある。それに雲の上にも、いわゆる〈魔泉〉があるかもしれない。この世界の上空すべてを調べられるわけではないし、過度な期待は禁物だろう。
ただ、もしも瘴気濃度が薄い状態であるとしたら、例えば高い山の頂上付近などはもしかしたら瘴気の影響を免れているかもしれない。そういう場所があれば、この先、拠点を定める際に候補の一つとなるだろう。
なんにせよ、雲の上が未知の世界であることに間違いはない。その様子を探ることには意味があるだろう。アーキッドに話せばパーティーの予算から費用を出してくれるかもしれない。カムイがそう言うと、ルペは「それじゃあ、今度話してみる」と言って笑顔を浮かべた。
「……オレ、そろそろ部屋に戻るわ」
二時間ほど話し込んだ後、カムイはそう言って立ち上がった。そんな彼に、カレンが「もう?」と言って首をかしげる。夜もふけては来たが、寝るにはまだ早い時間だ。しかし彼は苦笑してこう答えた。
「職人二人の間に挟まれて、ちょっと疲れた」
「「ああ~」」
呉羽とカレンの声がハモった。事情を察したらしく、二人とも苦笑を浮かべている。別に何をしたわけでもないのだが、要するに気疲れというやつだ。カムイも苦笑を返してから、彼は足早に自分の部屋へ向かった。
部屋に入り扉を閉じると、カムイはそのままベッドへ向かった。ただ、横になるわけではない。そこに腰掛け、彼はシステムメニューの画面を開く。起動するのは【メッセージ機能】。宛先はキファだ。
《To:【Kiefer】》
《今日はありがとうございました。早速ですが仕事の依頼です。アクセサリーを二つ、よろしくお願いします。一つは藤か菖蒲をモチーフにしたペンダント。もう一つは三日月をモチーフにしたブローチ。予算は二つとも150万Pt以内でお願いします。》
カムイは本文をもう一度確認してから送信ボタンをタップする。メッセージは問題なく送信され、彼は「ふう」と息を吐いた。
カムイがキファに【システム機能拡張パック2.0(フレンドリスト&メッセージ機能)】を勧めたのは、〈クリスタライザー〉の作成に関わるやり取りについて、それがあった方が便利だと思ったからだ。
すぐに連絡がつかないと、時間を取り決めて何度も行き来しなければならなくなる。それは面倒くさい。実際、【メッセージ機能】のおかげですぐに問題を解決できて、しかも予定より早く完成したのだから、勧めたかいがあったといえるだろう。
ただ彼の本心としては、そっちはむしろついでというか建前だった。本当の目的は、こうして人に知られずにキファに仕事の依頼をするためだ。さらにプレイヤーショップを使えば、依頼品の受け取りと報酬の支払いも他のメンバーに知られずに行える。他のプレイヤーに間違って買われてしまわないよう気をつける必要があるが、それもメッセージで綿密に連絡を取り合えば大丈夫だろう。
それにしても、なぜこんな面倒くさいことをするのか。それは依頼するこの二つのアクセサリーがプレゼントだからだ。贈る相手は、もちろん呉羽とカレンである。晴れて付き合うことになった彼女たちに、カムイはサプライズプレゼントを贈りたいと思ったのだ。ちなみにモチーフとして選んだ藤と菖蒲、三日月は、それぞれ呉羽とカレンが好きなものである。
アクセサリーを買うだけなら、アイテムショップを覗けば普通の装飾品だけではなくマジックアイテムも含め、それこそ山のように種類がある。その中にはもちろん、藤や菖蒲、三日月をモチーフにしたモノもあるだろう。だがこれはプレゼントだ。しかも付き合ってから初めて贈る、サプライズプレゼントだ。喜んで欲しいし、そのためには何か特別なモノを贈りたい。
そう考えるカムイの脳裏に浮かんだのが、かつて〈オドの実〉の製作を依頼したキファである。ただその時点では彼女と連絡を取り合う手段がなかった。〈廃都の拠点〉までイスメルに送ってもらえば諸々バレてしまうだろうし、カムイとしても「どうしたもんかな」と悩んでいた。
そんな時、ちょうど別件で〈廃都の拠点〉まで行く用事ができた。しかも用があるのはまさにキファその人。行き帰りに【オーバーゲート】を使うこともあり、カムイはごく自然に一行の中に紛れ込めた。
二人の職人の間に割って入り、キファに【システム機能拡張パック2.0(フレンドリスト&メッセージ機能)】を勧めるには多大な精神的労力を要したものの、何とか彼女を【フレンドリスト】に登録することはできた。あとはメッセージで仕事の依頼をするだけ。そしてカムイはこうして一人になれるタイミングを作り、満を持して作戦を決行したというわけである。
「お、来た来た」
少し待っていると、キファから返信が来た。逸る心を抑えながら、カムイはそのメッセージを開く。そこにはこんなことが書かれていた。
《From:【Kiefer】》
《依頼の件、了解だ。ところでペンダントとブローチはそれぞれ男性用かな、それとも女性用かな? もしプレゼントなら相手の名前も教えて欲しい。どんな【ギフト】を付加するのかにも関わってくるからね。もちろん【ギフト】の内容についてもリクエストを受け付けるよ》
「…………」
なんだか色々と見透かされている気がして、カムイは眉間にシワを寄せて顔をしかめた。とはいえ確かに、男性用と女性用では、同じモチーフでもデザインは異なってくる。今回はカレンと呉羽に贈るのだから、やはりデザインは女性向けにしてもらわなければならないだろう。
加えてせっかくキファに依頼し、さらに一つにつき150万Ptも出すのだ。二人に合わせた【ギフト】も付加してもらうのは、むしろ当然の話だ。そうなるとカレンと呉羽の名前を出さなければいけなくなるのだが、なんだかメッセージを読んだキファのニマニマ顔が目に浮かぶようで、カムイはなんだかゲンナリした気分になった。
ともあれ、返信しなければ話は進まない。カムイは返信ボタンをタップするが、しかしエラーが出る。エラーが出るとは思っていなかったので、彼はちょっとイラついた様子を見せたが、すぐにその原因に思い当たった。まだ【メッセージ機能】の時間制限と文字数制限を解除していなかったのだ。
(どうしたもんかな……)
一時間待とうかと考え、しかしカムイは首を横に振った。この機会に、字数制限はともかく、時間制限は解除しておこうと思ったのだ。それでアイテムショップのページを開き、以前にリクエストした【システム機能拡張パック2.1(フレンドリスト&メッセージ機能)】を購入する。ちなみにお値段250万Pt。想定外の出費である。
(まあ、最近稼げてるからいいか……)
ずいぶん高額なはずなのだが、胸中でそう呟きカムイは自分を納得させた。それから改めて【メッセージ機能】を起動し、キファ宛にメッセージを作成する。
《To:【Kiefer】》
《アクセサリーは二つとも女性用でお願いします。ペンダントは呉羽に、ブローチはカレンに、それぞれプレゼントするつもりです。【ギフト】はキファさんのほうで考えてください。お願いします。追伸、【システム機能拡張パック2.1(フレンドリスト&メッセージ機能)】を買って【メッセージ機能】の時間制限を解除してもらえると、この後の打ち合わせがやりやすいです》
ほとんど開き直った感じである。いろいろと白状してしまっていて気恥ずかしいが、情報共有が出来ていなければ注文どおりの品を作ってもらうのは難しいだろう。これもあの二人を喜ばせるためだとカムイは腹を括った。
それに、キファだって一角の職人だ。顧客の情報はしっかりと守ってくれるだろう。それが職業倫理のはずだ。カムイは彼女の倫理観に期待しつつ、送信ボタンをタップした。したのだが……。
「エラー!?」
カムイが声を上げた。画面には「送信できませんでした」というメッセージが表示されている。一体どうしたんだといぶかしみ、そしてはたと気付く。キファはまだ【メッセージ機能】の時間制限を解除していないのだ。
時間制限を解除していない場合、メッセージの送受信はそれぞれ一時間に一回ずつしかできない。そしてキファはすでに一回、カムイからのメッセージを受信している。それで時間制限に引っ掛かって受信ができず、結果としてカムイの画面には「送信できませんでした」のメッセージが表示されたのだ。
こうなると、一時間待つより他に手がない。【メッセージ機能】とはつまりコミュニケーションツールであり、そしてコミュニケーションとは双方向のもの。片方だけが時間制限を解除していても意味がないのだ。
結局、メッセージのやり取りを再開できたのは一時間後。制限が付いたままでは不便であることを、カムイはまざまざと思い知らされてしまった。なお、キファの返信は次のようなものだった。
《From:【Kiefer】》
《重ねて了解だ。二人にも秘密にしておいてあげよう。完成したらまたメッセージで連絡するよ。それと【システム機能拡張パック2.1(フレンドリスト&メッセージ機能)】はまだ買わない。今日の報酬が吹き飛んでしまうからね》
そのメッセージを読んで、カムイは苦笑しながら肩をすくめた。この場合、金銭感覚として正常なのはキファのほうだろう。使いすぎを自戒するとともに、次のメッセージはよく考えて一度で事足りるようにしようと思うカムイであった。




