41.原因調査
「あたちは当代の″聖獣″、江来座・ホワイトキャットだみゃあ」
俺たちが自己紹介すると、白い毛並みの猫耳獣人の女性──聖獣エライザは、改めて俺たちにそう名乗った。獣人の年齢って分かりづらいから確信はないけど、なんとなく20代半ばくらいに見える。若者が疎開したここガルムヘイムではかなり若い方だ。
聞けば彼女は、黒死蝶病が再発生してから今まで、一ヶ月近くずっとここ『聖光園』で感染した人たちの治療を行っていたらしい。すごいなー、行いからしてまさに聖人ならぬ聖獣だ。
「それは……大変だったんだね」
「リリスみゃあ、ありがとみゃあ。でもあたちは病になった人たちを助けることは出来なかったみゃあ。すでに──500人はいた住人たちは半数近くが亡くなってしまったみゃあ」
「ちょ、ちょっと待って! そ、それは……聞いていた話よりも遥かに病の被害が凄まじいんだけど!?」
リリスがあまりの被害の大きさに顔を青ざめる。俺にはその理由がよく分からなかったので尋ねてみた。
「何を驚いてますの?」
「これが驚かずにいられるかって話だよ! だって──聞いてる限りで僅か一ヶ月で200人以上が亡くなってる。しかもその致死率は……」
「ええ、100%ですみゃあ。一度感染したら、全員が死んでますみゃあ」
致死率100%。それは即ち感染したら即死亡を意味している。黒死蝶病ってそんなに恐ろしい病だったのか。これがもし突然変異した病の力なのだとしたら、丸ごと焼き払えと決める気持ちも分からないではないと思ってしまう。それほどに身の毛もよだつ悲惨な実態だった。
「元々『黒死蝶病』は致死率が5割近い病でしたみゃあ。それでも十分恐るべき病だったけど、今回再発生したものは、さらに酷いことになってるみゃあ。聖獣の血も効果なく……有効な手段はもはや無い状態みゃあ」
「か、感染はっ!? 空気感染とか無いの!?」
「あたちが確認している限りでは空気感染は無いみゃあ。ただ、感染者の血が傷口や口から入ると感染る可能性があるから気をつけるみゃあ」
「だとしたら……細菌やウイルスが原因ってわけじゃ無いのか? わからない……なんなんだこいつは」
リリスがまたよくわからないことを呟いているが、こいつなりに必死に前世の知識を元に考えてることは伝わってくる。頼むぞリリス、お前しか頼れる存在はいないんだから。
「ところであなたたちはどうしてガルムヘイムに来たみゃあ? もはやここは滅びゆく定めの地みゃあ。あたちたちみたいにこの地と心中する人たちは残るけど、関係ない人たちは早く逃げるみゃあ」
「だからボクたちは、この病を無くすために来たんだよ!」
「なっ!? そんなことは無理にゃあ!」
「無理かどうかなんてやってみなきゃ分からないよ! だから──キミの知ってることを全部教えて欲しい」
真剣な表情のリリスに頼まれ、江来座さんも最初戸惑っていたものの、最終的にはリリスの熱意に当てられて首を縦に振った。
こうして俺たちは、聖獣・江来座さんが営む臨時の治療院となった″聖光園″を拠点として、『黒死蝶病』と戦っていくことになったんだ。
◇
この日から、俺たちは3つのチームに分かれて活動することにした。
リリスは江来座さんと組んで、『黒死蝶病』の原因究明と治療法の確立に奔走だ。『黒死蝶病』を発病してしまった患者は基本的にここ″聖光園″に運ばれてくるそうなので、二人は患者を診ながら、病の原因を突き止めるために限られた時間の中で全力を尽くすつもりのようだ。
残った4人は、俺と舞夢、ティアとモードレッドの2組に分かれて、街の中の巡回と情報収集に当たることになった。リリス曰く、「病気の発生状況を知ることで、原因を見つける手がかりにつながる可能性がある」とのこと。
俺だって本当は江来座さんやリリスの手伝いをしたかった。なにせここには現時点で10人近い患者がいる上に、日々新たな患者が担ぎ込まれてくるのだ。いくらでも人手が欲しいところだろう。
だけどリリスは、こう言って俺たちを外に送り出した。
「限られた時間の中でボクたちに求められていることは、ここで看病することなんかじゃない。そんなものは″浄化″というタイムリミットを前にしてはただの偽善でしかないんだ。だからボクは──『黒死蝶病』の原因究明と解決に全力を注ぐ。そのためにも、情報が欲しい。今ある情報だけだと、どうしても原因究明に繋がらないんだ」
「ですが、リリス様だけにこのような……」
「舞夢、お黙りなさい」
悔しいけど、リリスの言う通りだった。たとえこの場で俺たちが看病を手伝ったところで、事態は大して変わらない。だけど原因究明と解決は別だ。これらは──俺たちにしか出来ないことなんだ。
だから俺たちは奥歯を噛み締めて、リリスの言う通り情報収集に当たることにしたんだ。
組み合わせについては、舞夢はいざというときになんの能力も持ってないし、言語能力が不自由な俺のサポートをしてもらうためにもこの組み合わせにしたんだけど、チーム分けの際にティアが「お姉様と組みたい!」とぶーぶー文句を言って大変だった。
そこは「ティア、では夜は一緒に寝て差し上げますわ」と言うと「……それなら仕方ありませんね」と口元をニヤけさせながら受け入れたので、まぁ良しとする。……もしかしたら墓穴を掘ったのかもしれないけどさ。
明けた翌朝、俺と舞夢は、被害が最も多かった地域──ガルムヘイム湖畔近くの住居群を確認しにいくことにした。
この地域は、既に8割以上の住人が『黒死蝶病』に発病して死滅していた。発生した順番としては、まず大人の男性と4〜10歳の子供から発症し、次いで女性陣が発症。現時点で生き残っているのは、ほぼ寝たきりの老人と3歳未満の──まだろくに歩けない幼い幼児だけだった。
この話を聖獣・江来座さんから聞いたリリスは、しばらく考えた末に俺たちに言った。
「話を聞いただけでは分からないけど、もしかしたらこの順番には何か意味があるかもしれない。『黒死蝶病』の原因に繋がるヒントが隠されているのかもしれない。そこで2人には現場に行ってもらって、目で見て確認して、気付いたことをボクに報告してほしいんだ」
だから俺たちは、なぜ病がこの順番で発症したかについて、この地で何らかのヒントを見つけなければならない。それが、ガルムヘイムを救うことに繋がるのだから。
「舞夢、わたくしたちは″大人の男性″と″小さな子供″だけが立ち寄るような場所をこの集落で見つけなければなりません。……お前に心当たりはありまして?」
「うーん、申し訳ありませんワン。マイムにはすぐには分かりませんワン」
それはそうか、俺たちにすぐに分かるようなら獣人たちはすぐに手を打ってるだろうしな。
「では視点を変えましょう。この集落のものたちは、いったいどういう生活をしていたのです? わたくしは下々のものたちの生活には不得手なゆえ、お前の考えを伝えなさい」
こんな時でもラティリアーナ節は変わらない。住人たちが聞いたら怒りそうな発言にも舞夢は気にした様子もなく答える。
「ここ湖畔の集落は、湖からお魚を取って生活してますワン。いわゆる漁師がほとんどですワン」
魚? ということはその魚に『黒死蝶病』の病原菌が潜んでいるのだろうか。
「うーん、お嬢様。でも魚であれば大人の男性や子供だけでなく女性や街のものも普通に食べてますワン」
「では──食べ方の問題はどうですの? たとえば生食をしているとか」
「生食は普通にしていますけど、おそらくそこに男女の違いはないですワン」
以降もいろいろと話しをしたのだけれど、舞夢に確認している範囲だと、どうやら魚と病の関係性はあまり見出すことはできなかった。
もしかしたら魚は無関係なのか? 湖に近づいて水面を確認してみる。湖の水は比較的透き通っていてとても綺麗だった。魚が泳いでいる姿も確認できる。おそらくこの水があったからこそ、昔の獣人たちはこの地を安住の地と定めたのだろう。
「人以外──たとえば魚での発症事例を舞夢は知っていて?」
「いいえですワン。おそらく『黒死蝶病』は、獣人にしか発症してませんワン」
たとえば毒であれば、獣人や魚など無関係に全てを殺す。しかし『黒死蝶病』は獣人だけに発症している。この理由は何なんだろうか……。
ふと湖面を見ていると、たくさんの巻貝が湖の中で繁殖しているのが見えた。もしやあの貝に原因があるのだろうか。
「舞夢、あの貝に原因があるとは考えられなくて?」
「あれは……この辺ではよく見かける巻き貝のロール貝ですワン。ただ、小さすぎて食用にはしていませんワン」
たしかに舞夢の言う通り、巻貝は小指の爪の半分くらいしかなく、食用に使えるとは思えない。
「大人の男性や子供だけが食べてたとか……」
「残念ながら考えにくいと思いますワン」
「料理の際にダシに使ったとか……」
「おそらくみんな同じものを食べてますワン」
そもそも加熱したら体に悪いものは無くなるというのが定説だから、ダシにした時点で問題なくなってるだろう。ということは、これも原因ではないということになる。
結局この日はそれ以上の収穫がないまま、すごすごと″聖光園″に引き揚げていったんだ。
そして、戻った″聖光園″で俺たちは──リリスと江来座さんが言い争うという予想外の場面に出くわしてしまうことになる。
◇◆
同日。
ティアとモードレッドは2人で別の『黒死蝶病』多発地域にやってきていた。ここは街の住人たちの食事を担う大きな水田がある地域で、この地域の人たちは老弱男女関係なく発病し、ほぼ全滅という悲惨な状況になっていた。
「全滅したのだったら、『黒死蝶病』の原因を突き止めるのは難しいですね……」
「はい、私もそう考えます」
「なにせ赤子以外全員死んでますし、発症時期に差もないようです。違いを見つけるのは困難ですね」
住むものが誰もおらず、荒れ果てた水田を眺めながら2人は言葉を交わす。水田に水を引き込むための用水路は単に土を掘っただけの原始的なもので、だがそうであるがゆえに水生生物の姿が数多く見られた。水生昆虫、カエルなどの両生類や小魚。そして小さな巻貝たち。
獣人たちだけが死滅したとは思えない、ごくありふれた自然な風景の美しさに、ティアが思わず吐息を漏らす。
「……これ以上ここにいても得るものはなさそうですね」
「そうですね」
とはいえ、もともと接点が少ない2人には共通の話題などあるわけとなく、二、三言葉を交わしただけで会話が尽きてしまう。
2人の間に、流れる沈黙。
だが──すぐに空気は一変する。最初に口調を変えたのはティアであった。
「さーて、ここなら他に誰もいないし、ちょうどいいかな? ……あー疲れた! 良い子のフリをしてるのも大変なんだよねぇ」
これまでの彼女──いや彼には考えられないざっくばらんな口調。雰囲気も、これまでの弱々しい少女のような印象からガラリと代わり、鋭い眼光に怪しい光を湛えている。だがティアの態度の急変を前にしても、モードレッドは特に反応を示さない。
「そう、ですか。大変なのですね」
「あれ、モードレッドは驚かないんだね? ティアがこんな態度になってもさぁ」
「たしかにティア様は普段と様子が違いますが、マスターたちに危害を加えるとは思えませんので、特に問題視していません」
「あははっ、面白い判断基準だね。さすがは元モンスターの機械人形、生体ゴーレム」
「……そう……だから、なのでしょうか」
まるで歯ごたえのないモードレッドの反応にティアはつまらなそうな表情を浮かべたあと、ふぅと大きなため息を吐く。
「モードレッドってばつまんないの。ティアは理由を聞いて欲しかったんだけどなぁ」
「……ティア様はどうして急に態度を変えられたのですか?」
「えー、聞きたいんだったらしょうがないなぁ。じゃあ教えてあげる。お父様やお姉様はさ、ティアが良い子にしてると優しくしてくれるじゃない? だから普段はおとなしくしてるんだけど……ずっと良い子ちゃんでいるのは疲れるんだよねぇ。だから時々こうして自分の黒い部分を出して発散してるんだ。普段は良い子の白いティアちゃんで、今は悪い子の黒いティアってところかな?」
「白ティア様と、黒ティア様ですね。承知しました」
「そうそう。だから機械人形で口の固いあなたと一緒にいる時くらいは、ティアもこうして息抜きしたいんだ。いいかな?」
「問題ありません、ティア様」
「他のみんなには──内緒にしてくれる?」
「はい、わかりました」
モードレッドの回答を得て、ティアは蠱惑的な笑みを浮かべる。白銀色の髪をかきあげると、おもむろに後ろで結び始め、あれよあれよという間にポニーテールにする。
「じゃあ目印がわりに、ポニーテールにしてたら″黒ティア″って合図でいいかな?」
「わかりました、黒ティア様」
「……その黒ティアって呼ぶのはやめてよね? 名前でバレバレで台無しじゃない」
「わかりました、ティア様」
黒ティアは赤い唇からペロリと舌を出すと、モードレッドの首筋に顔を近づけた。赤く染まった唇を開け、鋭い牙を剥く。モードレッドは遠くに視線を向けたまま微動だにしない。
だが、牙が首筋に食い込む寸前──ティアはその動きを止める。
「……ねぇモードレッド、あなたには血が流れてないの?」
「はい、血の代わりに魔力を流動化させる液体が流れています」
「そう、それだと″真祖″の吸血による支配は効かなそうね」
「私には精神魔法に関する影響を無効化するための処置として、意識や感情が備わってません」
「感情がない……なるほどね。でもあなたはそれでつまらなくないの?」
「…………感情が無いのでわかりません」
「ふーん。でもさ、あなたはそれでいいの?」
「わかりません。ただ……」
「ただ?」
モードレッドにしては珍しく言葉に詰まりながら口にしたのは、マスターであるリリスや仲間であるラティリアーナに対する″想い″。
「マスターは、私を人にしたいとよく口にします。サブマスターは、私を人のように扱います。私には──わからないのです。私はモンスターであり武器。人である意味はありません。ただ……お二人からそう言われるたびに、私の胸の部分の温度が高くなるのです」
「ふぅん?」
「理由はわかりません。バグなのかもしれません。ですが私は、お二人の力になるようプログラムされた存在。お二人に危害が加えられないように、この身の全てをもって対応します」
「……ねぇモードレッド、それってあなたの″感情″じゃないのかなぁ?」
ティアの言葉に、虚を突かれたかのように顔を上げるモードレッド。
「これは──感情、なのですか?」
「ええ、だってティアも同じなんだもの。ティアもお姉様が好き、大好きよ。だからお姉様の敵は全てティアが滅ぼすわ。なにせお姉様は、ティアをあの薄暗いダンジョンの奥から救い出してくれたんだから」
「ダンジョンから──それは私も同じかもしれません。私もマスターと出会うまでは、ダンジョンの暗い一室で機能停止状態で永く待機していましたから」
「そう、ならきっとティアたちは仲良くやれるわ。だって、大好きな人たちを守りたい気持ちは一緒なんだからね。──ということでモードレッド、あなたはこの街についてどう思う?」
突然振られた質問に、モードレッドは首を横に傾げる。
「どう、とはどういう意味でしょうか」
「この街には死の病が充満してるわ。病魔に絶対抵抗があるティアや生体ゴーレムのあなたには無関係なんだけど、ただの人族であるお姉様たちは違う。感染すると死に至る病よ。それって──ティアたちの敵だと思わない?」
「敵──だとするとどうしますか?」
「もちろん滅ぼすわ。むしろ率先して浄化するわね。だってティアは、お姉様を守るためならなんだってするって決めたんだから 」
ティアの瞳が、妖しく輝く。見るものが見たら、その輝きが魔族独特のものだと気付いたことだろう。だがその輝きはすぐに消えて去ってゆく。
「でも──今はまだそうしないわ。だって今そうしてしまうと、きっとお姉様が悲しむもの」
「……高確率でマスターも悲しみます」
「ええ、だけどもし時間の中で病の撲滅ができなかったら、そのときは──」
ギラリ、ティアが牙を剥く。
「ティアが、この街を滅ぼすわ。たとえお姉様が悲しもうと関係ない。だってそうすることがきっとお姉様のためになるって決まってるんだから」




