The threat of the another world
「昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか」
- ニーチェ -
ー ゲンブ樹海中層:”300人の別動隊”隊長:ハク・シュエン ー
見上げる程の巨木――齢数千年の大樹が幾多も聳え立つ、昏き樹海。
血管の如く伸びた枝にへばり付いた濃緑の葉が、蒼い天を覆っている。
光差す空は閉じられ、薄い黄色の瘴気が漂い、我々を残酷な死へと誘う。
しかし兵の士気は高く、その足取りには淀みがない。
私の率いる部隊がゲンブ中層に踏み込んだのは、つい先ほどの事である。
ここまでに2刻程掛かったが、樹海を進軍した経験の無い者が多数いる状況を勘案すると、上出来という他ない。あと少しで本隊の最後尾に追いつくだろう。
私自身はこのまま進軍を続けても構わないが――やはり休息は必要である。
疲労が蓄積されるとその分だけ回復に時間がかかる故に、万全な状態を維持しながら無理に進もうとすれば、最終的に行軍の破綻に繋がるのだ。
「そろそろだ。行軍停止、小休止、笛を鳴らせ」
私は周囲の状況を見渡し、後方に控えている鼓笛兵にそう伝えた。
兵の持つ大ゴルド王国産の巻貝が特徴的な重低音を発し、総計420人の列は完全に停止する。そして各々は3人組で背中を合わせて座り、ある組は周囲を警戒しながらも行軍で失った体力を回復させ、ある組は解毒魔法を再び掛け直した。
固く緊張した精神をほぐすため、私は長い息を吐く。その時、私の教育係であり、この隊の副長でもあるトンファ師が話しかけて来た。
「うむ、初陣にしては上出来ではないか。ハク殿」
「ああ、兵達の日頃の訓練の成果だ。とても心強いよ」
「ふぉふぉふぉ、ハク殿の的確な指示もあるのう。いやはや、ご立派になられた」
「いや、私はまだ未熟者だ。とてもそのような――」
「謙遜しなさるな、自ら率先してこれを立案したのは貴公よ。作戦会議で可決されたという事は、トウミ殿らは貴公に相応の信を置いているという事じゃ。――ほれ、あの集団を見よ」
師が杖で遠く指し示したのは、如何にも珍妙な斑緑の鎧を纏い、顔全体を覆う不気味な面を付けた二ホン兵であった。剣も槍も弓も無く、持っているのはどう形容して良いのか分からない形をした黒杖のみ。鎧の周りには全く同じ色の小物入れや袋が装着されている。それらが一体どのような素材で作られているのか、彼には全く分からなかった。全くの不明であった。
「二ホンの兵じゃ。持っているのは遠距離武器――弩のようなものじゃろう。魔力が無ければそうとしか思えん。あの面は恐らく、この瘴気を防ぐ為に付けている。だが儂には未だに分からんのだ。あやつらが何なのか、そしてどう戦うのか。一昨日の事の顛末ならハク殿もよく知っておるがーーあれをあやつらがやったのだと思うと、儂はどうも不安でならんのだ。不安、いや、あれは戦慄よ。あれ程の大群を、何の感慨もなく、消し飛ばしおった!」
ハクは常に冷静で飄々としていたトンファの声が震えるのを感じた。
彼の記憶の限りでは、ここまで師が動揺しているのは、これが初めてだった。
「トンファ殿・・・」
「――すまぬハク殿。しかし儂はあの時、確かに心の奥底から湧き上がる戦慄を感じたのだ。例外なくトウミ殿も同じであった。会議場にただ一人残って、譫言の様に疑問を口にするトウミ殿の横顔は――儂は決して忘れられんよ」
そして、トンファは俯きがちだった顔を上げ、決意に満ちた目でハクを見た。
「故にハク殿、この隊はある意味、前線の第一軍団よりも遥かに重い任務を背負っておるのじゃ。決して自覚を忘れる事無きよう――失礼。これは、釈迦に説法でありますな。何はともあれ、儂は立案者であるハク殿に、どこまでも付いていく所存でございます」
それはハクの師としての、そして老練な軍師としての目であった。
ハクはそれに心を打たれ、心中に秘めた重責の自覚と決意を更に確固なものにした。
「――感謝する。我が偉大なる師よ」
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ー ゲンブ樹海中層:第一特務小銃小隊:通信科隊員 ー
指向性集音マイクと記録装置を置き、彼は無造作に電鍵を取り出した。
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モールス信号 日本語変換
【我中層に到達せり】 {了}
【異常なし】 {了}
【戦闘無し】 {了}
【任務は順調なり】 {了}
【我友軍の一部に警戒されり】 {注意されたし}
【了、定期報告終わり】
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「我が国以外は全て仮想敵国である」
- ウィンストン・チャーチル -




