One year later
宮沢賢治する(動詞)
あの忌々しい「召喚」から1年、日本は打撃から立ち直りつつあった。
いや、「国民がこの状況に慣れてしまった」と言う方が正確か。
大震災の時のように「未曾有の災害に直面して一致団結した」と言うべきか。
それとも――
召喚に伴い引き起こされた、これ以上無い絶望の数々。
天文学的な経済損失、破滅的な資源不足、致命的な食糧不足。
都市には大量の失業者が溢れ、石油やガスの使用には制限が課された。
店にずらりと並んだ大量生産・大量消費社会の象徴はいつしか姿を消した。
有名なファーストフードのチェーン店は軒並み壊滅し、配給される僅かな米と芋、少々の野菜と調味料が、国民の生命を繋ぐ蜘蛛の糸であった。
最早、元の豊かで便利な生活には戻れない。
日本に未来はない――召喚直後、このような悲観的な言論が噴出していた。
しかし、国民が無気力な諦念に支配される事は無かった。
その最大の理由が、未知のモノへの「好奇心」である。
そう、2020年の「現代」において、「新大陸」が発見される事は絶対に無い。
地球上のあらゆる場所は、急速に発達した科学技術によって舐めるように解析された。民族、歴史、文化、その他ありとあらゆる概念は高度に情報化され、望めば誰もが知ることができる。つまり、コロンブスやマゼランらによって齎された感動と興奮は、地球人類は二度と味わえない筈だったのだ。
だが、今、日本の目の前には、何が広がっているのか。
未知の大陸、巷に溢れる創作ファンタジーの様な、壮大な剣と魔法の世界。
エルフ、ドワーフ、ホビット、ヒューマン――創作物によくある概念だ。
サブ・カルチャー先進国の日本で、この手の創作物に触れた事の無い人種は皆無と言って差し支えない。
誰もが皆、有り得ないと知りながら、心の奥底に憧れを抱いているもの。
そうで無ければ、どうしてあそこまで人気を博す事ができるのか。
いや、絶対にできないと断言できる。
そのような憧憬の対象である世界が、現実として目の前にある。
そうして日本国民の目は国外に向けられ、毎日のように入ってくるファンタジーで非現実的な情報を最大の娯楽として、かつての戦時中のような厳しい生活にも耐え忍ぶ事ができた。
今や日本は、立ち直りつつある。
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ー1年後:とあるマンションの一室ー
カーテンから光が漏れる薄暗い室内に、やる気のないアラームが響きわたる。部屋の隅に置かれた安物の布団にくるまっていた若い男は、心地よいまどろみをぶち壊された事に本能的な怒りを感じながら、冷気の漂う暗闇の中に緩慢な動作で手を伸ばし、乱暴に時計のスイッチを切った。
まだ眠っていたいと心の中の悪魔が微笑む。だが男はついに意を決し、薄い布団を剥ぎ取る。肌を刺す冷気に若干の後悔を覚えながらも、寝間着から普段着に逃げるように着替え、洗面所に向かった。
触れるのも躊躇われるような冷水を顔に打ち付ける度に、眠気が覚めてゆく。顔を拭き終わった時に、ふと鏡を眺めてみると、そこには眼光のみがいたずらに炯々とした、かつての容姿とは似ても似つかぬ自分がいた。男は不満足そうに視線を外すと、足早に台所に向かい、電気炊飯器に残った玄米の残りを108円で売られていたプラスチックの茶碗につぐ。男は、不味くも美味くもないデンプンの塊にネットを見て作ったネギ味噌をトッピングし、何の感慨も得ずに水道水でそれらを胃袋の中に流し込んだ。最早、彼にとって、食事とは人生の楽しみではなく、生命を維持する為に行う栄養補給に成り下がっていた。
食器を片付けた男が次にすることは、会社のリモート会議までの時間に、情報収集をする事だった。ノートパソコンを立ち上げ、ネットニュースやSNS、某動画配信サイトで、目新しいものが無いか画面をスクロールして探し続ける。――国連の脱退、情報鎖国、新世界移民法の成立、自衛隊員の大規模な募集、食料自給率の改善の為の農地改革、衛星の打ち上げ成功、都市鉱山への着目、第一次・二次産業への回帰――世の中の全てが、1日経つだけで、目まぐるしく変化していく。
情報に飢えた男の目に、センセーショナルな題名の記事が飛び込んできた。
『転移後初 煌帝国に自衛隊派遣』
『煌に自衛隊”派兵” 戦闘が前提か』
『自衛隊 ”クラスター兵器”再配備』
『動物愛護団体が国会前で大規模なデモ』
『資源地帯の開発進む 移民30万人突破』
『移民の武器所持緩和へ ボウガン・猟銃「許可」』
煽情的な題名で先入観を持たせ、記事に着目させるメディアのいつものやり方。
男は溜息をつき、視線を小さな文字で書かれた本文に移す。
「事実」と「新聞社の意見」を分け、「事実」のみを頭の中に入れた男は、パソコンの横に置かれたデジタル時計の針が7時50分を指している事を確認し、Zoomを起動した。
会議の10分前だが、「会議室」には誰も入ってきていない。
男は、最近になって導入されたリモート会議ツールの扱いに慣れずに四苦八苦する中年の部長を想像し、ニヤニヤと口角を吊り上げた。
毛沢東語録を読んで文革と大躍進しよう(ニッコリ)




