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家族・6

最終話となります。

 夫とアンヌ・テレーゼは大君主国から到着したエスターとその生母である女もつれて、ヨーゼフ・オイゲンと面会した。女は最初は共に行くことを拒否したが、アンヌ・テレーゼがおそらく最後の面会となると伝えると考え直したらしい。恨み言の一つも言いたいのかもしれない。


 ヨーゼフ・オイゲンと元乳母のリベカが入牢して丸一年が経過した。

 牢内の囚人としては最大限に配慮された扱いを受けている。食事内容は王宮警護の者たちと同じであるし、朝夕はそれぞれ独房で取るが、昼食は二人の兵士立会いの下でだが二人一緒に取ることを許可している。昼食後は牢のある地下から出て、高い塀の内部の中庭で散策し、陽の光を浴びることのできる時間を設けている。雨の日には昼食をとる部屋で読書や手紙を書くことを認めている。一日おきに入浴し、シーツや下着類は毎日交換されるし、毎月医師の検診もある。現在、二人とも全く健康状態に問題は無いらしい。

 

「あなたは大君主国からも相当睨まれているな。世継ぎマンスールの誘拐事件に関係していたそうではないか」


 夫の言葉にヨーゼフ・オイゲンは不服そうだった。


「愚かな女の嫉妬を煽って波風を立ててやろうとはしたが、それだけだ」

「大君主国側が言うには、私の管理下にあなたがいれば手出しはしないが、その他の場合は命の保証は無いそうだ。大君主直々に寄越した私あての親書にそのように有ったのでね、間違いなかろう」

「マンスールの件は、私はほとんど関与していないぞ」


 その言葉が嘘だとはアンヌ・テレーゼは思わない。思わないが、事態はこの何かとお騒がせの『兄』が思うよりもすっと深刻で、厳しいまなざしが向けられているのだ。そのあたりの空気の読み取り方というか、事態の把握の仕方が甘いのではないかと思われる。そうした甘さの所為で、この『兄』の陰謀はいつも失敗したし、夫も息子も無事であったのだ。


「だが、あなたは大君主国内にかなり住んでいる神聖帝国の遺民たちの間ですら信用も人望も無いから、その弁明は通らないだろうな。国母様も擁護はなさらんと言っておいでだし」

「……それは、まことなのか?」

「ならばこれを読んでみるのだな。筆跡は見覚えがあろうし、国母様の手紙は西大陸の言葉で書かれているから、大君主国の文字の読み書きができない不勉強なあなたでも読めるだろう」

 ロベルトはヨーゼフ・オイゲンに国母からの手紙を読ませた。

「……あの与えられた邸で、与えられた女を相手に一生ゴロゴロ暮らしておれば国母の怒りを買わなかったのだろうがな」


 ちらりと『兄』がエスターの母に向けた視線は、どこか冷やかなもので、女のほうも冷やかに睨み返す感じであった。そのやり取りだけで双方に愛情など存在していないのが、アンヌ・テレーゼにも十分わかった。


「確かにそうだろう。それはそれとして……この子の名だが、エスターで良いのか?」

「その子の件は全てお任せする」

「だが、一度ぐらい抱いてやれ。娘なのだから」

「そうですよ。兄上」

 

 アンヌ・テレーゼに向かってほんの瞬間微笑したが、夫の顔を見てすぐに兄は硬い表情に戻った。一方でエスターの生母の表情は、エスターを受け渡す時に一瞬動いたが、またすぐ元の冷淡なものに戻った。


「おお、重いですな……よしよし……元気で暮らせよ」

 

 エスターは愛らしい顔つきの子で、一歳になっているから表情も豊かだ。笑うとえくぼができる。その純真さにつられるように、ヨーゼフ・オイゲンも笑みを浮かべた。この人騒がせな兄にも父親らしい情は存在するらしい。

 元気で暮らせという言葉が、娘のエスターだけに向けられたものでもないように聞こえたが、本当の所は本人にもわからないのかもしれない。アンヌ・テレーゼはそのような気がした。


 この日、夫はヨーゼフ・オイゲンに三つの選択肢を示した。流刑先と言うか、これからリベカと共に生活する場所を選ばせようというのだ。


「その三か所に関する情報や資料は牢番に言えば全て持ってくるはずだ。今日も少しばかり持ってきたので、リベカにも読ませて、二人でよく相談するのだな」

「死罪、あるいは一生監獄暮らしが相当だろうに。国王陛下はなぜそのような事をなさるのかな?」

 

 兄の疑問ももっともだ。夫が「お前の兄上は我が国民というわけではないから、それなりの配慮もしよう」というのは、宰相が指摘したように「甘い」のだ。だが、自分と兄の血縁関係を考えて「甘い」のだろうから、済まないと感じる。


「死罪にするのが一番簡単だが、肉親の情からすれば辛い選択ではあるし、後悔もすると思うのだ。何しろエスターの実父なのだし。一度だけ、あなたに立ち直りの機会を与えようと思う。そう私が言うとな、このアンヌ・テレーゼが何と言ったか、お分かりかな?」

「厳しい事を言ったのだろうな。あの男はさっさと死罪にすべきだとか何とか」

「さすがにそこまでは言わなかった。ただ『あの人が殊勝に反省するとは、全く思えません』と怒った顔で、そういったぞ。あなたは全く信用が無いな『兄上』、ハハハ」


 夫が選んだ流刑先は、温暖な気候の小島・かつてワイン造りが行われていた火山島・南方の貿易中継地の島の三か所だった。いずれも流人となる二人が自力で収入を得る方策も、考えられている。当人たちの希望が固まり次第、出航の支度をはじめる手筈だ。幼い二人の子供らは教育を終えるまで、宰相夫妻が面倒を見る事になっている。

 二十日ほどして「行き先を決めました」というので国王夫妻は再びヨーゼフ・オイゲンと面談した。

 今度は共に流刑地に赴くリベカと一緒だ。二人は既に法的に夫婦となっている。資料を調べ、話し合いを重ねたそうだが、二人はかつて質の良いワインを産出していた火山島を選んだ。


「ふうむ。三つ挙げた候補地の中から、この島を選んだのはなぜかな?」

「この島は地味が豊かだそうですね」

 ヨーゼフ・オイゲンの口調は恭しく丁寧になっていた。

「それはそうだが、絶海の孤島といっていいような僻地で、活火山が有る。おかげで温泉もあるが、強風が吹きつける。なかなか大変な島だ。今は灯台守りと若干の警備兵の他には住人がいない状態だ。もう一つの島のほうが気候は穏やかで、大陸にも近いし、楽できるだろうと思うが」

「ですが、かつてあの火山島で作られたというワインは素晴らしい味でした」

「真面目に働いて得た収入はすべて二人の物にしてよいと言ったのだから……高い利潤が見込める南方の島という選択肢もあったと思うが」


 軍港に近く、かつてセレイアの王族の保養のための離宮も置かれた島は小さくて、花の栽培と漁業が主な産業だ。南方の貿易中継地の島は一攫千金の夢も狙えるが、海賊の被害も覚悟しなくてはならない。


「海賊にやられるのは、正直言って恐ろしすぎます。その点、あの火山島は貿易航路からも海賊の稼ぎ場所からも外れていますし、一応警備兵もいるようですから安心です」

「ほどほどのもうけを取る、そういう事だな。だが、一番肉体労働は多いだろう。非番の兵士に応援を頼むなら、多少の礼なり食事なり出してやって欲しい。ただ働きは厳禁だ。そうだなあ……そういう事なら、元島民を中心に移住を希望する家族を募ってみよう」


 その年の内に、移住を希望する五家族が決定した。どの家族も健康で、夫婦二人と十歳に満たない子供が二人以上いる。そしてそのうち二家族は元島民の子供や孫で、多少はブドウの栽培やワイン造りにもなじんでいるのだった。一挙に子供たちも増えるので、若くてやる気のある教師の夫婦も共に着任させる事になった。


「流刑というよりは開拓団の団長になったと思って、責任を持って励んでいただきたい」


 ワインそのものより、島民の暮らしが安定するように気を配ってほしいというのが王である夫の望みだが、それがどこまで叶うのか、正直言ってアンヌ・テレーゼは期待は出来ないと感じていた。だが、その自分の予想を裏切って、成功を収めて欲しいとも願っていた。


「大丈夫だよ。人は期待されると、その期待に応えたいと頑張るものなんだ。兄上も頑張るさ、今度は」


 月日は流れ、アンヌ・テレーゼは更に二人の王子と王女を一人産んだ。養女としたエスターは美しい娘に育った。その間、宰相の所で厄介になっていた二人の息子たちは独り立ちし、やがて妻を娶って島の両親に会いに行くなどという事も有った。そのころになるとワインづくりが軌道に乗り始めたようだった。


「かつて赴任していた兵士たちや、教師に聞いても、おおむね兄上はうまくやっているようだ。溶岩で大きな石垣を作ってブドウ畑を守ったり、ずいぶん張り切っていたようだぞ」


 夫の言葉を信じたかったが、信じきれないアンヌ・テレーゼだった。だが、ついに往年の良質のワインが復活し、献上されるに及んで、あの『兄』の努力を素直に認められるようになった。島のワイン製造協同組合は良好に運営され、ワインの出荷も増えてきているようだった。

 

「実に良いワインじゃないか」

「ええ、本当に」


 思わず涙があふれた。うれし涙だった。抱き寄せる夫の手は労りと慈しみに満ちていた。(終わり)


 

後日、登場人物のまとめを付け足すかもしれません。

最後までお付き合いいただいて、ありがとうございました。

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