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試練・5

「フーチョン、息災のようだな」

「おかげをもちまして、日々妻子ともども御用を承って、一心に働いております」

「子らも大きゅうなったであろうな。お前が初めてセレイアに来た頃は、国元で父親の帰りを待っていたのであろう?」

「はあ。王のお力で無事にこうして家族ともども暮らしておりますが、かの人の言うままにしておりましたら、このような幸せは無かったと時折思う事がございます」

「その、かの人、ヨーゼフ・オイゲンについて何ぞ聞き及んだ事があるのか」

「はい。陛下のおかげをもちまして、西大陸の国々で東方の物産を商っており、商売は順調でございますが……」


 チャチャイ人のフーチョンは茶や絹をはじめとする大君主国よりはるか東方の物産を、ほぼ独占的にこの西大陸で売りさばいている。商売を始めるにあたっての資金はロベルトの手許金から出してやったので、今もこうして何がしかの情報を得ると、こうして伝えにやってくる。妻子もセレイアに連れてきており、今やセレイアでも一二を争う大富豪となった。言葉の方も非常に上達して若干のなまりはあるものの、母国語と大差無い水準にまでになっている。


「……するとケンメル王国がモード王女を送り出すについても、ヨーゼフ・オイゲンの関与が有ったか?」

「はい。どうやら、かの人は御自分の妹君が陛下の御子様をお生みになることを、可能な限り妨害したいと考えておいでのようです」

「なぜなのだ? アンヌ・テレーゼが世継ぎの母親になると、何が不都合であるのかな?」

「察しまするに……ご自分の血族がこの地の王となられると、ご自分が帝国を再建することは永遠に不可能になるとお考えのようで……」

 どうやらヨーゼフ・オイゲンの考えでは、かつての帝国発祥の地であるこのセレイアの都に彼以外の「神聖帝国の帝室の血筋」が根付くと、「帝国のまじないの秘術」を行う事が出来ず、神聖帝国復活も不可能になるという事ではなかろうかと、フーチョンが言う。

 ヨーゼフ・オイゲン本人はフーチョンがケンメル王国の港の支店にいる時に、二度姿を見せたという。

「二度とも『大いなる目的のために資金が必要だ、献金せよ』との事でした。察しまするに、カルフ大公国やケンメル王国での資金調達が難しくなったのではなかろうかと」


 フーチョンがつかんでいる情報ではカルフでもケンメルでも占い師として宮中に入り込み、「正妃の体調不良をピタリとおさめて」信頼を勝ち得ていたらしい。セレイア以外の西大陸の国家では旧帝国のしきたりやら儀礼をありがたがる傾向が有り、宮中に占い師が出入りしないのはセレイアだけだろう。


「どうやらそれぞれの宮殿で厨房の女たちを手なづけ、なにがしかの薬物なり毒物なりを仕込んでお妃様を病気にしてしまうという手口のようです」


 毒で体調を崩した妃を解毒剤を使って「鮮やかな手際」で治し、一気に信用を得る。まさにペテンだ。


「病的なうそつきだな」

「あの方は武人ではありませんし、身を守るすべを他に思いつかなかったのでしょう」


 それでもフーチョンにとっては「命の恩人」には違いないので、店に姿を見せたら「多少の金品はお渡しする」ようだ。チャチャイ人の道徳観念では普通のことらしい。だが、商売向きのことや知りえたセレイアの事情についてはヨーゼフ・オイゲンには漏らさないようだ。


「聞かれた事に答えませんでしたら、横面をはり飛ばされ腰をけられた……などという事も御座いました」

「抵抗しなかったのか」

「店の警護の者たちが、店の外に出しましたが……」

 どうやらヨ-ゼフ・オイゲンにとってフーチョンは今なお「異民族の奴隷」であるらしい。

「奴隷などというものがいないセレイアは、やはり良い国ですね。もっとも、祖国のチャチャイにも奴隷などいない長閑な国ですが」

「そんな失敬な男に金品を恵んでやる必要もなかろうに。もう十分に恩返しもし、義理も果たしたであろう」

「そうですなあ。私のかせいだ金で悪事を働くようですから、あの方に金をお出しするのは、もうやめます。もっとも、あの方はどうやら新しい資金調達の方法を見つけたようで、今年に入ってからはおいでになりませんが」


 フーチョンが探り出したのは、ヨーゼフ・オイゲンが昨年からどこかで金を掘らせており、今年に入って純金の延べ棒をまとめて大君主国の地金商に持ち込み、換金するとすぐ出国したという情報だった。


「金の隠された鉱山は、どうやら黒い森のそばのどこかのようです。セレイアの御領内という可能性もあり得ると存じまして、お知らせに伺いました次第です」

「黒い森のそばの開拓村で、昨年末から村を流れる川に濁りが発生して、魚が死ぬという事例が報告されているのだがな……その延べ棒が持ち込まれたのは、今年なのだな?」

「はい。もしかして……」

「うむ。その村の川の流れをたどれば……」

 金の鉱山の排水なり製錬時に発生する有毒物質なりが、村を流れる川の上流で流れ込んだのかもしれない。

 ロベルトはフーチョンに礼を言い、引き続きヨーゼフ・オイゲンの動向に注意を払うように依頼した。

「ならば……酒食のもてなしぐらいはする事にいたします。かの人は酒が入ると、口が軽くなるようですので」

「ほう、そうなのか。その調子で、よろしく頼む」


 フーチョンが退出すると、ロベルトは鉱山の専門家と黒い森近くの村出身の将校らを呼び集めた。そして、河川の汚染に関する詳しい調査と、問題の川の上流地帯を武装した部隊を伴って十分に調査するように手配する。


「黒い森一帯の鉱脈の調査が終了したら、他の地方も詳細に調査し、台帳にまとめよう」


 ロベルトのこの提案には皆が賛同した。特に鉱山の専門家は「鉱毒などの事まで考えて、計画的で安全な鉱山の運営をするためには、国家が鉱山を管理するべきでしょう」という意見を述べた。確かに大規模な鉱山の運営は一介の貴族の手には余るものだろうが……国中の鉱山を王が管理運営するようになれば、自然王権も強くなるのだ。


 夕食の折に、アンヌ・テレーゼにその日の顛末を語ると、目を丸くして驚いていた。黒い森に金鉱脈が有るあるなどという話は初耳であったようだ。


「ならばロベルトは……ますますお金持ちになるのですね」

「使い道が色々有りすぎて、手元には大して残らないだろうがな」

 王国中すべての村、すべての町で初等教育が受けられるようにするためにも、都の大学をもっと充実させるにも、用水路や堤防の整備、軍事、外交と考え出せば、きりがないのだった。

「そうですね。ロベルトがお考えになることをすべて実現させようとすると、どれだけお金が有ってもキリが無いくらいですものね。昼間来てくれたフーチョンの妻によりますと、ロベルト以外の諸国の王は、商人たちに借金が随分と有るものらしいですね」

 フーチョンの妻がこの王宮に来たのは、確か初めてであったはずだ。夫がロベルトにヨーゼフ・オイゲンに関わる情報の報告をする間、妻はこちらにいて、アンヌ・テレーゼとよもやま話をしたようだ。

「無借金の君主は、私以外にはかの大君主ぐらいのものだろう」 

「どの商人よりもお金持ちなのは、ロベルトだろうと聞きましたが……」

「その割には暮らし向きが質素だとでも言ったか」

「ええ。ですが、さすが賢王といわれるだけの方だと、感服していました。それと……」

「それと、なんだ?」

「王宮の茶菓子の数々が、おいしいと申しましたから、一部持たせてやりました。留守番をしている子への土産とするように」

「ほう、それはよいことをしたな」

「……それと」

「なんだ?」

「毒の問題が解決したのであれば、きっとそのうち私も子ができると励まされました」

「そうか。私もそう思うぞ。だから、きちんと食事をとって、運動もせねばな」

 すると何を思ったか、アンヌ・テレーゼの顔が真っ赤になった。

「ン? どうした?」

 顔を見つめると、決まり悪そうに下を向かれてしまった。 

「……ああ。私はお前が馬術や剣の鍛錬をまた始めたのが、良い事だと思っただけなのだが」

 妻の勘違いに気が付いたのに、少しばかり意地悪な言い方でもあったろうか。

「……申し訳ございません」

「いや、別に構わんさ」

 食事も終えて、食後の酒をゆっくり楽しんでいるのだから……

「食後の運動を、するか?」


 抱き寄せると、妻の体はすっぽりと腕におさまる。無言ではあったが、口づけに対して返された口づけから、答えは明確だろう。


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