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黒い森・3

「色々考えたが、これを使え」


 ロベルト王から騎兵が用いるような胸甲とヘルメットを受け取ったアンヌ・テレーゼは驚いた。一般の騎兵用よりは優美な意匠ではあるにしても、明らかに実戦的なものだ。


「木の上から弓矢で攻撃されたり、物陰から射撃されたときの事も考える必要がある」


 ロベルト自身も当然のようにその胸甲を身につけ、頭にはヘルメットをかぶった。


「それだけ治安に不安がありますか?」

「実は森の奥までは調査がなされていない。もとのゲンツ村はその情勢がつかめない森のすぐそばだ。用心に越したことは無い。お前が並みの貴婦人なら、旧ゲンツ村訪問はあと二年は待たせるところだ」

「なるほど。承知いたしました」

「それにしても不思議なものだ。以前ならこのような身なりをすれば少年に見えたのに、今はやはり女にしか見えないぞ」

「着心地は良いです。久しぶりに男のなりをしましたら、奇妙な感じです。動きやすいのは確かですが」

「胸甲とヘルメットは重いか?」

「重さはさほど負担には感じませんが、馬に乗り続けるうちに蒸し暑く感じるかもしれませんね」

「途中の泉で休憩できそうなら、するが、状況によりけりだな」


 更には、ロベルト自身は最新型の小銃と弓を馬に乗せ、アンヌ・テレーゼには拳銃を持たせる用心深さだ。見れば近衛の者たちも全員胸甲とヘルメットを着用している。前方と後方は近衛の者がそれぞれ十騎づつついて、国王夫妻を警護する体制を取って、整備されたばかりの道を国境に向けて馬を走らせる。


 幾度か道に並行するような位置を走る気配を感じたが、人ではなさそうだった。おそらく獣だろう。久しぶりに乗る愛馬は侍従時代にロベルトがくれたもので、馬なりに張り切っているようだ。やがて、中間地点だという大きな泉に出た。そこで持ってきた食べものを取り出して、昼食と休憩とする事になった。


「もっと物騒な状況を覚悟しておりましたが、どうやら大丈夫なようですな」

 若い近衛の隊士が言うと、ひげ面の守備隊長は首を横に振った。

「油断は禁物だ。黒い森の中に潜んで時折姿を見せる山賊どもは、まだ誰も捕まっておらんのだ。それに連中は旧帝国の生き残りと結びついているとも聞く。最後に連中が確認されたのは二十日前だが、今日あたり姿を見せんとも限らんぞ」

「アンヌ・テレーゼがその泉の水でさっぱりしたいらしいが、無理だろうかな」


 一言もそのようなことはロベルトに言っていないが、土ほこりをかぶった上、汗みずくで顔が火照っているからそのように思ってくれたようだった。確かに巨岩の抉れた穴に澄み切った水をたたえた泉は、飛び込んでみたくなるほど涼しげだった。全身を浸すのは無理でも、顔や襟元を洗い、手足を浸すぐらいしたい気分だ。だが、そうなると男たちの視線が気になってくる。


「やはり誰か警備せねばいけないですが……我々では問題ですよなあ、陛下」

「私自身がアンヌ・テレーゼが泉の水を使う間、警護してやろう」

「ありがとうございます」

「まずは、手を清めて食事をしてからだ」


 皆、雑穀が混じった少し固めのパンにハムをはさんだものとチーズにリンゴを食べる。アンヌ・テレーゼが侍従時代によくしていたようにナイフでリンゴの皮をむこうとすると「無用だ」と言ってロベルトは丸かじりをはじめた。それで、アンヌ・テレーゼも見習って丸かじりをする。


「子供時分はよく木登りをしたものですが、高い枝の上でリンゴを食うとうまかったですなあ」

 そんな話を始める者がいる。

「お前も、そんな風にリンゴを食べたことがあるか?」


 ロベルトに聞かれて、正直にアンヌ・テレーゼは答える。そもそもロベルトに対して嘘をつけるはずも無いが。


「はっきり思い出せないのですが、木登りは大好きだったように思うのです」

「やはり、そのあたりの記憶は、まだ、あいまいか。ここらの景色に見覚えは無いか?」

「ええ……あ、あの山には見覚えが有ります。城から遠くに見たときはそうも感じなかったのですが、ここまで来て山の稜線がはっきり見えるようになると、何だかなじみの山なのでは無いかという気がしてきました」

「泉のほうは?」

「この泉は……初めてだと思います。もっと小さな泉なら、知っていると思うのですが」

「どんな泉だ?」

「はい……ここのような水量の豊富な泉とは、まるで違うのです。確か……白い大岩の裂け目から細い流れとなって、水が外に流れ出る場所があって、その下に大人が二人ぐらいは入れそうな大きな樽が置かれていて、中にたまった水を、皆が使っていたと思います。それにしても、大きな泉ですね、ここは」

「中で泳ぐか」

「そんな、人目もありますし、無理です」

「人目が気にならない状況なら、泳ぎたいか」

「もう、大人ですから、無理です。でも、顔を洗って手足ぐらいは、洗いたいです」


 先に皆に岩から流れ落ちる分の水で顔と手足を洗わせ、皆が涼しい木陰で昼寝を軽くする事になった。実は皆、少々昨夜のドンちゃん騒ぎが響いているようだった。ロベルト王も上半身すっかり脱いで、顔から全部洗える範囲で洗い、靴も脱いで足も洗ったようだ。終わると裸足で、上半身はシャツだけという涼しい格好になった。上着も着たままで、靴も脱いでいないのはアンヌ・テレーゼだけだ。


「今なら洗えるだろう。何なら沐浴しても構わんぞ。私が銃を構えて番をしてやるから」


 腰に剣を帯びて銃を持ち、髪が乱れ裸足の王は、なにやら山賊の親玉のように見えなくも無い姿だ。


「……では、お願いします」


 アンヌ・テレーゼは夏仕様とはいえ、結構な重量の上着を脱ぎ、前開きシャツの襟を思い切り広げて、顔から首筋まで泉の水で洗い始めた。と……その時、王が急に銃を構え、一発撃った。


「あ、あっぶねえ! 何も頭ギリギリを掠めてぶっ放すこたあねえじゃねえか! おっそろしいなあ……黙ってオッパイを覗いたのは悪い、兄弟、だけどすげえ別嬪じゃねえか」


 初めて聞く男の声がした。


「人の妻を、勝手にのぞき見るな!」


 王は声のした方の木陰に向かって、怒鳴った。


「ああ、わりぃ、お前さんの嫁さんなのか。怒るな兄弟、そっちに行って、一緒に背中を向けていたら、許してくれるか?」


 茂みから現れたのは、弓を背負い、腰に獲物らしきウサギを二匹下げたヒゲもじゃの男だった。人のよさそうな顔つきだが、山賊ではない保証は無い。


「曲者!」


 昼寝から目覚めた者たちが三人がかりで男を取り押さえ後ろ手に縛り上げると、男は「俺が何をしたっていうんだ。その男の服を着た別嬪さんのおっぱいを、チラッと見ただけじゃねえか」といったので、守備隊長が拳骨で男の頭を殴った。


「あんたら、よそ者だな? 俺が縄張りで獲物を取ってただけなのに、何でそう殺気立ってるんだ?」


 ロベルト王はひげの男をにらんだ。


「先ほど兄弟と言ったな、まさか血のつながった実の兄弟と言う意味ではあるまい。さては……山賊どもと、普段なじんでいるな? 違うか?」

「な、何のことで」

「とぼけるな! 山賊どもとなじみの猟師や木こりは、互いを『兄弟』と呼ぶのだろう? 違うのか?」

「それのどこがいけないんです? みんなやってる事ですぜ、それとも何ですかい? お前さんたち、都のお偉方だとでも言うんですかい? さっきから王様かなんぞのように威張り腐りやがって」

「私が王で、お前が胸を覗き見たのは、私の妃だ」

「よせやい、王様があんな凄え一発をぶっ放すなんざ、ありえねえ!」


 男はロベルトを見上げたが、皆が黙っていると見る見る顔を青ざめさせた。


「……本当に、王様なんで?」


 ロベルトがうなずくと、男は「ひえーッ」と叫び声をあげた。

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