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先行き不透明・6

 大君主への謁見の際、アンヌ・テレーゼは深紅の大きな帽子を被り、顔を微妙に隠す同じ色のレースをとりつけた。ドレスは大君主国で珍重される真珠を大量に縫い付けた象牙色の艶やかな絹製だ。セレイア式の婦人用の鞍を置いた美しい白馬に、優雅に横座りした状態で乗り、宮殿入口の大門から大政庁の正門をゆるゆる進み、更に長い道をまっすぐ玉座の真下を目指した。

 

 周りには多くの宦官がいて、ラッパを鳴らし銅鑼を打ち、荘重な節回しの歌を歌い、幾度も幾度もバラの花びらを撒くのだった。駿馬にまたがりバラの花を撒かれた中を進むのは、大君主国における最上級の外交使節の扱いなのだが、大政庁に女が出入りする事は長い歴史の中で皆無であったので、従来の慣習に妥協した形を取ったのだ。

 楽器の賑やかな音や多くの人の気配にも怯えず、静かに堂々と馬を進めさせるのは、乗り手の高度な技量が必要だ。馬術を重視する大君主国では、馬を乗りこなせない使節は話をするに値しない……と言う伝統的な価値観が有るのだ。


 アンヌ・テレーゼが馬上で横座りすると決めたのはロベルト王であったが、確かに優雅に白馬を操る異国の女は、大君主国の百官に強烈な印象を与えたらしい。


「さすがに素晴らしい馬だが、乗り手の技量も見事だ。その乗り手が極上の真珠に彩られた美女とは、皆も驚き喜んでいる。この大政庁に華やかな美しい歴史を与えてくれて感謝する」


 決まりきった儀礼的なやり取りの後、大君主は上機嫌でそのような言葉を述べた。これでセレイアは正式に大君主国と国交を開いたという事になる。近く互いに大使の任命及び派遣がなされるはずだ。

 通常なら百官と共に歓迎の大宴会が開かれるのが慣習だが、女の特使であるため、特にハレムに案内され、寵姫ルゥルゥと対面し、親しく歓談する時間を持った。


「まあ、大きくなって……」

 寵姫ルゥルゥは涙ぐんでいた。アンヌ・テレーゼには全く肉親であると言う実感も記憶も無いのだが、本気で自分と会った事を喜んでいるらしいルゥルゥの顔を見ているうちに、アンヌ・テレーゼの目にも涙が浮かんだのであった。

「私は二度、これまであなたに会っているのよ」

 聞けば、生まれて間もなくと、静養先で秘密に会った事が一度あったようだ。

「ルゥルゥ様は……」

「あらいやだ。お姉様と呼んではくれないの?」

 そのように言われれば、実感も乏しいままに「お姉様」と呼ぶ事になる。

「お姉様は、ヨーゼフ・オイゲン・コルネリウスという人の事は御存知ですか?」

「ああ……一度だけ、国母様の所で会ったわ。顔は、薄気味悪いほどリヒャルトに似ていたけれど、全然違う人ね、あれは」

「亡くなられたリヒャルト皇太子とお姉様は、御一緒にこちらにおいでになったのですよね」

「同じ海岸から逃げ出して途中ではぐれたけれど、またこちらで巡り合った……と言う所ね。可愛そうにリヒャルトは砂漠の熱気で体を壊してしまったのよ」

「はああ……さようですか」

「……本当は、自分の事が知りたいのでしょう?」

「ええ。まあ。私は親兄弟の記憶がすっぽり抜け落ちているのです。頭に傷を負ったせいかもしれませんが。ですから、実の両親の事や、兄弟姉妹の事で御存知の事を伺いたいのです。自分が皇太子殿下の忌み子として、恐らくはどこかよそで育てられたのだろうとは推測しておりますが」

「あなたとリヒャルトが生まれた日、私はそっと母の顔を見に行ったの。母と言うのは最期の皇后であったフレデリカの事よ。母は疲れ切った顔で寝ていて、すぐそばに生まれたばかりの赤ちゃんが二人寝ていたの。男の子と女の子だと聞いて、私はとてもうれしかった。世継も大切だけど、妹が生まれたなら、きっとかわいがって仲良くしようと決めていたのですもの。でも、急に女官長が女の子の方だけを抱っこして、部屋から出て行ってしまった」


 どうやら女官長に「妹をどこに連れて行くの?」と呼びかけたが、ついてきてはいけないと強く禁止されたらしい。取り急ぎベッドで眠っている母親に「妹が連れて行かれてしまいました」と報告すると、「あの妹は宮殿で育てるわけには行かない子なの」と悲しそうに言ったそうだ。


「一月もしない内に、母は亡くなってしまった。それからは宮中の色々な悪者どもから、私なりに知恵を絞ってリヒャルトを守ってきたつもりだけど、本当に役立っていたとは思えないわ。何しろ子供だったから」


 いささか頼りないほのかなものではあったが、悲しそうな目つきで自分を見る「姉」は確かに近い血縁者なのだと、実感がわいてくるようではあった。


「ごめんなさい。夏の離宮に滞在していた時に、あなたが小さな村にいるところを、そっと見に行ったことは有るの。女官長の妹が私の侍女の一人で、あなたの行方を承知していたのね。で……七歳になった妹が、どんなかわいい子になっているかと思って……でも、あなたはすっかり男の子の格好で、それが非常にリヒャルトに似ていて……でも病気がちのリヒャルトと違って、元気に木登りなんてしていたわ……それが、余りに楽しそうで……あなたが羨ましかった。それで声もかけずに離宮に戻ったわ。父君は子供の事なんて、何も考えてはいらっしゃらなかった様だし、私は日に一度拝謁をするけど、話をしたことなんて、殆どなかったの。だから、父君がどんな方だったか、実は私もよく知らないの。宮中になだれこんできた暴徒に殺されておしまいになったと聞かされても……リヒャルトを助け出す事以外、何も頭に浮かばなかった……ごめんなさい」

「お姉様も、御苦労なさったのですね。僕……ええ、私のいた、その夏の離宮の側だと言う場所は、何という村でしたか? あるいは預けられていた家の人たちの名前とか苗字とか」

「黒い森の側の村としか……他には何も……知らないの。事情を知っていた女官は、皆亡くなったり、行方が知れなかったりという状況なの……ごめんなさい」


 姉は幾度も「ごめんなさい」を繰り返す。

 親の記憶も無い自分を憐み、これまで全く手を差し伸べなかった事に対して、罪悪感を抱いているようだった。恐らくは、同じ宮殿で育った皇太子だけがこの「姉」にとっての、本当の家族だったのだろう。本来は愛情深いたちなのかもしれない。「姉」の家族に向ける愛情も愛着も、大半は亡き弟に向けられているようだ。

 だからほろ苦い笑みを浮かべて「マンスールは私の子と言うよりは、大君主の世継なのよね」などと言うのだろう。腹違いのヨーゼフ・オイゲンに至っては、弟とは全く認めていないようだった。


「それにしてもヨーゼフ・オイゲンは、一体全体何が目的なのかしらね、セレイアの王宮でそんな物騒な事件を起こすなんて……」

 国母よりも更に情報を持っていない「姉」には、顔だけが亡き弟にそっくりとはいえ、殆ど赤の他人のような男の思惑など、わかるはずもないと考えているようだった。

「あなたが言うように、あのヨーゼフ・オイゲンがマンスールをさらった一味だと言う可能性も有るなら……そんな人は弟でも何でもないわ」

 じゃあ……自分はどうなのだろう? 思わず「姉」の顔をアンヌ・テレーゼは、まじまじと見てしまった。するとその視線をどう受け止めたのか、「姉」は寂しそうな笑みを浮かべた。

「あなたは……セレイアの国王陛下と、本当の意味で家族になれそう?」

 そんな風には、一度も考えた事が無かったので、返事に詰まった。


「陛下は……ロベルト陛下は……ずっと僕に取って一番大切で、一番信じられる方で……それはこれからも変わらないと思うのです」

「では、他の女の方とのことは、どう受け止めていくの? 聞けば幾人かあの国王陛下の御子を産んだ女の方が居るとは聞いているけど、そのあたり、あなたはどう考えているの?」

「愛人の方々との関係は期間が限られています。それぞれの女性と陛下の間の事は、僕が関わってはいけない事で……耐えなくてはいけないと思っています……少なくとも、陛下の御子たちは、大切にしたいのです」


「姉」はニッコリして、こう言った。


「あなたって、夢中になると、自分の事を『僕』 って言ってしまうのね」

「あっ……」

「なんだか、可愛いわ」


 そこへ、大君主のお成りを告げる先触れの声が響いた。第二子を懐妊中の寵姫を見舞いがてら、義妹となるアンヌ・テレーゼの顔も見に来たと言う所のようだ。


 それからは大君主とルゥルゥがあれこれ考えながら、アンヌ・テレーゼが「滅んだ神聖帝国の皇女であった」事を保証する内容の文章を書きはじめた。アンヌ・テレーゼが「御前会議の場で、朗読される事になるでしょう」と言うと、二人は俄然ヤル気を出した様で、熱心に語り合いながら文言を決めていくのだった。


 その様子は仲睦まじい夫婦そのもので、アンヌ・テレーゼは微笑ましく思うと同時に、羨ましくも感じたのだった。そして一刻も早くロベルトに会いたい……とも思ったのだった。

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