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先行き不透明・4

「こちらへおいでなさい。あなたも体を揉み解してもらうと良いわ。隣にあたくしと同じように寝そべりなさい」


 完璧な西大陸の言葉だ。耳触りの良い女性としてはやや低めの声だ。


「この者たちは西大陸の言葉は分からないはずよ」


 それが本当かどうかは確信は持てなかったが、躊躇しても仕方がないとアンヌ・テレーゼは割り切る事にした。少なくとも殺気は感じない。だが、真っ白い背中を晒している女性はやけに存在感が有るのは確かだ。体型はほっそりしているのに、強烈な迫力のようなものを感じる。公に知られている事柄から推測すると、国母は老女といって良い年齢のはずだが、肌は十分にみずみずしく、黒い髪には白髪一つ見当たらない。

 言われるままに、隣の敷物の上にねそべる。部屋全体がかなり蒸し暑い。


「初めまして。あなたの叔母のルイーゼ・グレーテルよ。なぜこんな所に呼び出したのかって、思うわよね」

「はあ……仰せのとおりです」

「いいわ。話だけ、聞いてちょうだい」

「はい」

「あなた、無事に帰ったら、セレイアの王妃になるって、本当?」

「国王陛下御自身は……そのようにお考えのようですが、セレイアの国内で正式に決まった事でも何でもありません」

「まあ。正確なお答えをありがとう。それが一番知りたかった事なの」

「はあ。ですが、それだけが……私をここにお呼びになった理由ですか?」

「そうよ」

「では、失礼した方が良さそうです」

「まあ、愛想のない人ね。お呼び立てしたお詫びに一つだけなら、あたくしの知っている事を教えてあげましょう」

「では、伺います。私と顔が良く似た若い男が国母様にお邸を賜ったとか言う噂が、セレイアに聞こえて参りましたが、その男は何者ですか?」

「あなたの腹違いの兄になるのかしらね。同じ年の生まれだけど、ほんの数日だけ早く生まれた筈よ」

「名前は?」

「あら、二つ目だけど……特別に教えてあげても良いわよ。あなたがなぜそれを知りたいのかって言う理由を教えてくれたらだけどね」


 ニッコリして見せたが、国母の目は笑っていない。


「公にはされておりませんが……セレイアの王宮で国王陛下の護衛が吹き矢で襲撃されると言う事件が有りました。そして『幼い姫が行方不明になったのは国王陛下が自国民の監督を十分になさらないからだ』と非難する内容らしい置手紙が残されていました。非常に稚拙で筆跡も酷い物でしたが、一応、大君主国の公用文を真似た体裁でした。捜査の結果、実行犯に命令を下したと推測されたのが、その男なのです」

「まあ、事件の噂は知っているけれど、あのヨーゼフ・オイゲン・コルネリウスが、そんな事に関わっていたなんて、知らなかったわ」

「本当に御存じありませんでしたか?」

「ええ、本当よ」


 国母が嘘を言っているようには見えなかった。あくまで見えなかっただけだが……


「彼は……その……ヨーゼフ・オイゲンは何と言っていますか?」

「それがねえ……あなたと入れ違いに姿を消したのよ」

「ええ? なぜですか?」

「さあ、さっぱりわからないの。あなたと会えば、何かわかるかしらと思った訳よ」

「国母様は、セレイアでの事件を踏まえて……彼が消えた理由をどのように推測なさいますか?」

「ひょっとして……あなたはあのヨーゼフ・オイゲンに会うつもりだったの?」

「はあ。彼が何をしようしているのか、ある程度の事が知れるかと思っていたのですが」

「あなた、ヨーゼフ・オイゲンと名付けられた皇族の神聖帝国における役割については、御存知?」

「いえ、存じません」


 すると国母は神聖帝国のややこしい慣習について解説を始めた。ロベルト王に見せられた、あの養母の亡き夫マウリッツ・ノイマンがまとめた報告書の内容と大半が同じような事柄であったが、全く知らなかった事もあった。


「ヨーゼフ・オイゲンの名を持つ皇族の男子は、早く言えば将来皇位につく者の控えというか、場合によっては影武者とか身代わりとかの役目を果たすのよ」

「容姿が皇太子と似通っている……という事ですか?」

「あの男は瓜二つって所ね」

「亡き皇太子とヨーゼフ・オイゲンとルゥルゥ様と私の血縁関係は……どうなるので?」

「ルゥルゥは……あなたと亡き皇太子の同腹の姉にあたるわ」

「私は皇太子の忌み子ですね?」

「そうそう。そうなるわ」

「ヨーゼフ・オイゲンは他の三人と母親が違うのに、なぜ皇太子と瓜二つなのでしょう?」

「たまたま……なーんて言っても納得しない?」

「はあ」

「まあ、正直ねえ」


 クスクス笑う感じに、悪意は感じられない。


「はっきりとは知らないけれど……あくまで、あたくしの推測よ」


 国母が言うには、神聖帝国の皇族は何代も血族結婚を重ねてきたので、似通った容貌の者が多い。そして、どういう訳か昔からやたらと双生児が生まれる率が高かった。時には双子の姉妹が同時に皇帝の皇后と側妃となる場合もあったと言う。そうした場合、側妃は公には存在を隠されていたらしい。皇后の替え玉とか身代わりとか言った意味合いらしい。随分と非人間的な扱いで、忌み子同様、理不尽な慣わしであった様だ。


「そういう場合は皇后腹の男子が皇太子となるのだけど、側妃の産んだ男子は、皇太子が亡くなればすぐにその地位を受け継ぐの。時には、皇太子が亡くなった事は秘密にされて、入れ替わる事も幾度か有ったようよ」

「つまり……その……ヨーゼフ・オイゲンの場合、母親が皇后の双子の姉妹で、本人は皇太子の替え玉役だった……と言う理解で正しいでしょうか?」

「正しいわ」

「……あのう……個人的な事柄なのですが」

「なあに?」

「私は、頭に傷を負った状態で、セレイアの国王陛下に保護して頂きました。親兄弟の記憶が一切無いのですが……私の実の両親について、何か御存知の事をお教え願えませんか?」


 すると、国母は沈黙した。不機嫌になったようにアンヌ・テレーゼには感じられた。

 

「あなたの両親である亡き皇帝と皇后の事は……明日にでもルゥルゥから聞きなさい。私は……ごく若いうちにこの国に来たから、何も知らないのよ」


 そしてその後は気まずい沈黙が広がった。

 やはり国母本人の全くあずかり知らぬ所で、神聖帝国と大君主国側の事前の申し合わせが出来ていて、国母は誘拐されたのだ。最新の報告書には不確実な情報として記載されていたが、恐らく事実なのだろう。双方の国の間の秘密の協定の当事者であった兄でもある当時の皇帝を、国母が不快に感じていても、いや、状況によっては憎んでいたとして全く不思議は無い。しかも金品の授受が存在したなら、まさに兄に「売り渡された」わけだ。あるいは神聖帝国が公には「皇女ルイーゼ・グレーテルは十三歳で病死」とした事も、腹に据えかねているかもしれない。

 不機嫌になったせいもあって、質問をぶつけるのはためらわれる。だが、一つは確かめておきたいとアンヌ・テレーゼは思った。


「国母様がこちらにおいでになった細かな経緯ですが……ルゥルゥ様は御存知なのですか?」

「知るわけがないでしょう」


 小さな声であったが、明らかに不機嫌だ。


「わざわざ聞くって事は、あなたはあたくしが神聖帝国に売り渡されたって事を知っているのね?」


 じっと見る視線が、驚くほど鋭い。失敗であったかもしれないと、アンヌ・テレーゼは感じた。


「……はあ。あくまで未確認情報としてですが」

「そう。セレイアの諜報網は優秀ね。言っておくけど、あたくしがあなたの命を狙うとか言う事は有り得ません。だって、何か有ったら逃げ出す先はセレイアしか無いのですから。何が悲しくて、わざわざ国王陛下の御機嫌を損ねるような事をするものですか」

「さようで」


 国母もまた、自分自身の亡命を視野に入れて行動していると知って、驚いたのだ。ならば、ロベルト王が信じていたほど、国母の力が絶対的に大きいというわけでも無いのだろうか?


「そうなのよ。ああ、このシャーベット水、美味しいわよ。あなたも飲んで御覧なさい。毒なんか入ってないから。では、あたくしは先に出ます。あなたはどうかゆっくりなさいね」


 見れば国母の体を揉んでいた揉み手は、作業を終えて、恭しく壁際に引っ込んでいる。その一方でアンヌ・テレーゼは、まだ、揉み解されている途中だ。驚くほど機敏な動作で国母は、部屋を出てしまった。果たして今日の秘密会談は、成功であったのか否かはっきりしない。


「となると、僕の命は……当分は安全……なんだろうか?」


 少なくとも国母には自分を殺害する意思は無さそうだ、という事がはっきりした。それと同時に、突然行方をくらましたと言うヨーゼフ・オイゲンが、どこで一体何をしているのか、皆目わからなくなったのも事実のようだった。


「宮殿に行ってみなくては、わからない事も多そうだな」


 余りの心地良さにうとうと眠り込んでいるうちに、揉み手の作業が終了した。


「ありがとう。とても気持ちよかったよ」

 

 アンヌ・テレーゼが礼を言うと、女は床に額を擦りつけるようにして深々と礼をした。それから恭しい手つきで、繊細な細工を施した蓋付きの銀製の器を差し出した。中身は削り氷入りのシャーベット水だ。国母にも勧められたジャスミンの香りのするシャーベット水は、ヒンヤリ甘く喉に心地良い。


「美味しいねえ」

 

 国母のかつての祖国に対する屈折した感情……それが、今度の外交交渉でも重要なカギになるのかもしれない。改めて、アンヌテレーゼは国母の目に浮かんだ激しい感情の揺らめきについて考えていた。

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