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先行き不透明・2

「風呂屋ですか? 俺らは行かなきゃならんでしょうが、特使様にはちゃんとセレイア式の風呂だって用意するはずです。まあ、滞在先の邸で相談してからにしましょうや」

 ロベルト王から幾度も「何によらずまず三人の護衛に相談してから行動を決めよ」と念を押されていたので、風呂屋の事も相談すると、ファリドにそのように言われてしまった。ファリドが言うには治安上の問題が有ると言うのだ。


「風呂屋に大君主の後宮の女奴隷の調達係が潜り込んでいて、これはと思う美人は布袋に入れて後宮に運び込んじゃうって話です。不細工やらデブなら全然大丈夫ですが、美人は要注意ですよ」

「陛下は宦官長とかなり細かい取り決めをなさったはずだが……」

「それでも下っ端はそんな外国相手の取り決めなんて知らないでしょうから、さらわれて宦官長の検分が有る時まで、牢みたいな所に閉じ込められちゃいますよ」

「今でもそんなひどい事をやっているのか?」

「大君主は一度やめさせる法令を出した様なんですが、その後も構わず国母がやらせているようです。もっとも後宮に潜り込みたいけれど伝手が無い娘には、歓迎されている節も有るんですけどね。後宮に入るとなると、奴隷なら持ち主に、自由民なら家族に最低でも金貨千枚は払われるそうですから」


 国母がどのように自分に対して接するのかは、全く分からないのだ。面談が可能ならばした方が良さそうだが、危険ならマンスールを引き渡し、ルゥルゥとの面会を果たしたら、さっさと帰国するのも構わないとも言われている。


「母と息子の和解に一役買ってくれたら最高だが、そこまでは期待しない。ともかく安全に帰国する事が最重要事項だ」というロベルト王の言葉は、額面通り受け止めれば良いのだろうが、確かに母と息子が和解できれば、この国の政治における不安定な要素は消えるのだ。


「市場にいた特使様に良く似た男、あの人物の思惑や動きもわかりません。慎重になさって下さい」


 あまり訓戒めいた事は言わないキアーまでがそう言うのだ。用心が必要なのだと、アンヌ・テレーゼは気を引き締めた。


 船が港に入ると、ボートがやってきた。でっぷりした男が召使や奴隷らしきものを三名ほど連れて乗っていた。男はロベルト王から与えられた交易許可証を振りかざし、叫んだ。


「セレイアの国王陛下より、御命令を承っております。ガァニィ・バヤルでございます。バヤル商会のあるじでございます」

「おお、お世話になります」


 顔を見知ったファリドが縄梯子を下ろさせた。肥満体に似合わずガァニィ・バヤルは軽々と甲板まで登ってきた。


「これはこれは特使様」

 直立の姿勢から一回の立礼と二回の座礼と言う動きを三回繰り返す仰々しい礼をした。これはこの国の最高の敬意の表し方なのだ。

「私はそのような礼をして頂くほどの者ではないが 、我が国王陛下の名代として、あなたの心からの敬意をお受けしよう」

 これまた、公務や貴人の名代で礼を受ける場合の決まり文句だ。

「おお! 滑らかに我が国の言葉をお話になるのですなあ、実にすばらしい」

 ガァニィというオヤジはドジョウを思わせる髭を振りたてて、野太い声で吠えるように言った。ボートにはこの港で一番腕利きの水先案内人を乗せてきていた。そして、そのおかげで無事に港に接岸した。するとそこには四頭の白馬に引かせた金ぴかの馬車と見事な黒馬が三頭いた。


「特使様とお供の方はこちらへどうぞ。護衛の方々はこの馬へどうぞ」

 わざわざセレイアから付いてきてくれたネリーは、馬車に一緒に乗り込んだ。ネリーは海では具合が悪くて寝込みっぱなしだったが、陸についたら平気らしい。

「私も年ですから、どうなることかと思いましたが、なんだか大丈夫みたいです」

 だが、船旅はこれを最初で最後にしたい、などと言うからよほど船酔いが辛かったようだ。

「それでも、ネリーがいてくれたら、何かと安心で助かるよ。いよいよだね」

「今夜はあの、商人の邸で、宮殿に行くのは明日以降でしょうね」


 護衛たちの意見も聞いて、マンスールと乳母役の女も馬車に乗せる事にする。後から考えると、これは正しい判断であったようだ

 アンヌ・テレーゼは男の身なりでいるが、明日はドレスで宮殿に赴く事になるだろうと考えていた。

 武器の携行がどの程度可能だろうか? 無論用が無ければそれに越したことは無いが。恐らく大君主との謁見の際は危険は無いだろう。危険なのはハレムだと思われる。いきなり宦官が寄ってたかって袋詰め、という事が横行している場所らしい。身を守れるのは真の権力者に取って有用だと見なされた者のみ……らしいのだ。で、今のハレムの権力者は国母なのは確かなようだ。ルゥルゥは国母にとって「使える駒」と見なされている間は安全だが、権力を脅かす存在と見なされると、色々危ないだろう……そう、ロベルト王は見ているのだし……


 到着したガァニィの邸はまさに大豪邸だった。割り当てられた美しいタイル張りの部屋は、広々して涼しい。まずはセレイア風に作られた風呂で水浴びをしてさっぱりした後で、ネリーと二人で宮中に行く日の服装などを決めようかとしていた所、世話係の女が大慌てで部屋にやってきた。


「恐れながら、申し上げます。ただいま大君主陛下がお忍びでおいでになりました。若君様に御面談なさっておられます。特使様に特に賜る御言葉が有るようでございます。服装などのお気遣いは御無用にとの事でした。急ぎお出で下さい」

 黒い肌の気立ての良さそうな中年女だが、よほど焦ったと見えて息がはずみ、顔に汗がにじんでいる。

「いかがなさいます?」

「男の服装で良いかな」

 急ぐなら、その方が便利だ。真っ白いシャツとクラヴァットにセレイアの宮中で着なれたタイプのジャケットと膝丈ズボンに真っ白い靴下だ。ネリーはセレイアでいつも来ていたような飾りが無いグレーの地味なドレスを着た。

「ねえ、連れの三人の男たちは?」

「お供の方たちは、ハレムの入り口でお待ちです」

 そうなのだ。こうした商人の家でも女が寝起きする部分は「ハレム」と呼ばれ、邸の主以外の男は、一切立ち入り禁止なのだ。


 急ぎ三人の居る所まで行き、そこから皆でこの邸で一番豪華だと言う「ドームの間」に急いだ。お忍びだと言っても、大君主は十名の黒人奴隷と十名の白人奴隷を従え、黄金づくりの鞍を置いた駿馬に跨ってきたのだそうだ。何とも仰々しいと思うが、誰がどこで聞いているか分からない。この国で大君主は絶対的な存在であるようなのだ。邸の主のガァニィも西大陸の言葉が流暢だった。奴隷や身分の低いものでも多くの民族を抱え込んだ国の所為か、数か国語を解する者は珍しくないようだ。何か一言、迂闊に呟いただけで、思わぬ厄介な事態になるかもしれない。


 大層高いドーム天井の広間に、ゆったりとした衣服を着てマンスールを膝に抱きあげている男がいる。これが大君主なのだろうと、一瞬見て、視線を外す。あまりじろじろ貴人を見つめるのは礼を失するからだ。


「あ! 来た!」

 マンスールが、愛らしい良く響く声で言った。ドーム天井の下なので、余計に響く。

「特使殿、くだくだしい挨拶など抜きで良い。近う寄れ」

「ははっ」

 こうした場合、やはり男の服装の方が対応しやすい。

「大事な我が世継を、よくぞ無事に連れ帰ってくれた。感謝する」

「ははっ、我が主、セレイア王国国王ロベルトは大君主陛下の誠実なる隣人にして、友でありたいと願っております。常々大切な陛下のお世継ぎは、自身の王子にも等しいと申しておりました」

「おお、さようか。セレイアの国王陛下は我が国との対等な国交を開きたいとお考えだそうだな」

「御意」

「我が方としても、大いに歓迎じゃ。明日、早速に参るが良い。正式な調印を執り行う準備を整えておく。そなた……実はおなごだと聞いているが、なるほど髭が無いのだな。だが立ち居振る舞いは、見事に男じゃなあ。明日はやはり男の装束か? そなたの女の姿と言うのも見せてほしい様な気がするが」

「明日は、セレイアの女の正装で参上致します」


 終始、和やかに談笑して時が過ぎ、大君主は息子のマンスールを連れ帰った。もと人さらいの一味だった乳母役の女は、引き続き乳母役を務める事になりそうだったが……国母から何がしかの干渉が有る可能性は高そうだった。


「マンスールを取り急ぎという感じで、連れ帰ったのは……あらかじめ決めていた事では無く、今日になって急に決めた事のようだった。なぜだろう?」

「そりゃあ、可愛い息子さんに一刻も早く、お会いになりたかったからじゃありません?」

「だが、自身で忍びで迎えに来るのは……やはり異例じゃないか?」

「お世継ぎがさらわれちゃったのが、そもそも異例でしょう?」


 ネリーはそう言うが、のどかな話の内容とは裏腹に、大君主は明らかに何かを警戒していた。何を警戒していたのだろうか? ロベルト王の指摘が正しいとすれば……大君主は、母親を警戒していたのかもしれない。

アンヌ・テレーゼにはそう思えてならなかった。

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