星の導き・2
後任の侍従が決まらないので、結局は「アンドレアス・ノイマン」が王の朝の身支度の介助役を続けている。気性の合わない侍従に付き従われるぐらいなら、自分で身支度をした方がましだと、ロベルト王は思う。侍従は国務には関係ない。愛人達同様、王や王太子の個人的な都合で定めても非難される事は無い。実際、相性の良い侍従が見つからないと言う理由で、アンドレアスの前任者が王太子時代に栄転してからは三年ほども担当者がいなかったりしたのだ。
有力貴族たちに推薦されたルーカス・ホフマンとの相性は今一つ良くないと感じたので「まだ幼いので無理なようだ」という理由で、家に帰した。そして家から宮中に通い、王宮の学者から学問を学び執務室の雑用をこなしながら、将来政務に携わる者としての訓練をさせる事にした。場合によっては学校に送り込むかもしれない。両親に可愛がられて育った者の悪い面がひどく不快に感じるのは、やはり相性が良くないという事なのだろう。母を早くに亡くし、幼いころは父である先の王に構ってもらえた記憶が殆どない自分は、甘ったれた人間は子供でも上手く付き合える気がしない。それだけ自分は人が言う程「良く出来た方」でも「賢い王」でも無いのだ。そんな風にロベルトは思う。
「お前の姉上であるらしいルゥルゥ殿には書状を送り、赤子が見つかった事を知らせたよ」
「姉だと言うその人の身分というか位ですが、今の所、あの国の後宮では序列が一番らしいですけれど、こちらで思うような正妃という扱いとは違うようで、不安定な身分なのでしょうね」
「反対派を追い落とし、世継を産んだのだから、今の国母の立場の方と同様、力を握る事になるのだろうとは思う。だが別の女に大君主が目を向けたら、確かに不安だな。そうならないように、ありとあらゆる手を尽くすのだろう」
「なんだか陰謀でドロドロな感じがしますね」
「否定できんな」
「この国ではどうなんです?」
「私の代になってからは、無いはずだ。第一、我が国には後宮なんぞ無いからな」
「無くて良かった。有ったら、僕、きっと壊れてしまいます」
いまだに侍従は「僕」と言ってしまうが、ロベルトは特に注意はしない。見苦しいと言う程ではないので、差し支えが有りそうな場合のみ注意を促すだけだ。
ドレスの着こなしも様になってきた。こうして侍従としての仕事をこなしている時は以前同様少年に見えるが、それでも以前とは違い、何かの拍子に色っぽい雰囲気のため息をついている事が有って、やはりそれなりに成長したのだろうとも思う。
出かける先が外国なのだから、言葉はどのみち翻訳される。大君主国の言葉では「僕」と「私」の違いは反映できないはずだ。おかしいと言えばおかしいが、今回の任務には差し支えは無いだろう。それよりも「壊れてしまいます」という言葉の方がよほど気になる。
「壊れてしまう? ほう。なぜ?」
「だって……」
そう言って、侍従は顔を真っ赤にした。
「理由を聞きたいな、アンヌ・テレーゼ」
洗顔と整髪を終えて、メイドや理髪師も退室した。部屋の中には自分と侍従以外誰も居ない。危険な事態の山は越えたと見て、護衛たちにも久しぶりの休暇を与えている。廊下に近衛の者が詰めてはいるが、ロベルト自身の特別な許しが無い限り決して入室はしない事になっている。
「僕は……僕は、欲張りなのです」
「そうなのか?」
「陛下を独り占めしたがる、愚か者です」
「愚かではないさ、別に」
化粧っ気ひとつない顔に後ろに束ねただけの髪、それでも実に美しい。白いうなじはやはり、男のものではない。紛れもない女のものだ。香水は馴染めないらしいが、毎晩ロベルト好みの香りのする石鹸で肌を磨きたてているせいか、何ともそそるほのかで清潔な香りがする。
「お前は、いい匂いがするな」
抱き寄せても、抵抗しない。その気になればなかなかに手ごわい反撃も出来るはずだが……
「ここで私が……不埒な振る舞いに及んでも、抵抗しないのか?」
「陛下のなさる事なら、何だって、何だって、僕は受け入れます」
「……嘘つきだな」
ロベルトは少女をベッドの上に押し倒し、腕の中に抱き込めた。少女はそれだけで、目が潤み、呼吸が荒くなった。放心したようなまなざしでロベルトを見上げている。女の体としてはまだ未発達で、いささか厚みと量感に乏しいが、すんなりと形良く伸びた手足をゆっくりと撫でさすってやると、体がぶるっと震える。ゆっくりと軽いキスをする。初心な反応に気を良くする自分は、不純な大人そのものだと自覚している。
「う……嘘では……ありません」
「嘘だ。私が別の女に触れただけで、射抜くような鋭いまなざしで睨む癖に……お前にこうするのは構わないが、別の女に同じ事をするのは許せないのだろう? ん?」
「あ……そうです。おっしゃる通りです」
「素直だな」
「陛下には、素直です」
「そうか。それは良い事だ。御褒美に、大人のキスと言う奴を教えてやろうか?」
「は、はい。お願いいたします」
「良い返事だな。では、体の力を抜いて……」
自分の腕の中で少女がぐったりとするまで「大人のキス」をして、ロベルトは「男の自尊心」と「独占欲」が大いに充たされたようだと感じた。子供っぽい事だと自分でもあきれるが、予想以上に気分が浮き立つのも確かだった。
「私は……実を言うと、このところ欲求不満気味なのだ。健康な肉体を持つ男子としては、かなり努力もしている。そのあたりを、お前は分かっているかな?」
「は、はい。おそらくは……」
「過去の清算に務めているが、そうそう、すぐに片付かない問題でもあるのだ。そのあたり、わかってくれるな?」
こんな事をぬけぬけと言ってしまう自分も、なかなかにズルい。王の権力を振りかざして、好きな時に好きなように事に及ぶ……という事態を考えない訳では無い。自分はこの国の王で、それが許される立場だが……実行するほど度胸が無いのだ。自分を見つめる多くのまなざしが、恐ろしいのだともいえる。
「どうやら朝食の支度が出来たようだな」
「あっ、さようで」
耳を澄ますと、そのような物音が聞こえる。朝食を持ってきた者達に部屋に入ることを禁じたりしたら、この王宮中の人間が何が有ったのかと噂するだろう。
少女は一気に気分が「女」から「侍従」に戻ったらしい。それまで、熱に浮かされたようなまなざしをしていたのが嘘のようだ。
王太子時代は愛人のもとで夜を過ごし、共に朝食を食べる事は珍しくは無かった。だが、即位してからは、大抵この「アンドレアス」と一緒だ。
「なあ、知っているか? 共に食事をして美味いと感じる相手は、ベッドでも相性がいいものなのだぞ」
「そ、そうなのですか」
「ああ、間違いない」
「……それは……御経験に裏打ちされた……事実ですか?」
「そうだ」
一瞬、強烈な光が少女の瞳の奥で揺らめいた。そしてその感情の揺らめきを覆い隠そうとでもするように、下を向いた。
「お前は焼きもち焼きだな」
「……申し訳ありません」
「別に責めてはいない。お前の焼きもちは、わかりやすいな。お前らしい」
その時、扉の前で「ハンス様、ヨハン様が御挨拶においでになりました」と呼ばわる声がした。
「わかった。入るがいい」
許可を与えるがいなや、二人の幼い男児はキャッキャッという声を上げて入って来た。二人は腹違いの兄弟だが、同じ部屋で暮らし、今では大層仲が良い。
「父上! おはようございます」
「おはようございます」
どちらかというとハンスの方が活発で積極的だ。ヨハンはハンスと同じ年だが、体が一回り小さく、声も小さい。だが、無邪気な嬉しげな笑みを浮かべている。
「よしよし二人とも、守り役のペーターの言うことはちゃんと聞いているか?」
「はい、父上。今朝もお野菜をきちんと食べました」
「それは良い事だ、えらいぞハンス。ヨハンはどうだ?」
「昨日は怒られませんでした」
「そうかペーターに怒られずに済んだか、がんばったな」
ロベルトは長椅子に座り左右に二人を座らせる。すると侍従はテーブルの食器を片付け、部屋を下がる。そうした時のこの侍従の表情は静かだ。どうやら母親と子供は別物と思うらしい。本人の言葉によれば「陛下の御子様達を、僕が大切に思わない訳が有りません!」と言うことらしいが……願わくばどの子にもその気持ちを忘れず接して欲しいものだと、ロベルトは思う。
「父上、アンドレアスと遊んでも良いですか?」
「僕もアンドレアスと遊びたいです」
幼い子供の目はまっすぐ真実を見つめるものだ。その子供たちが遊びたがるのだから「アンドレアス」も、なかなか大したものだとロベルトは思っている。
「アンドレアスって、本当はお姫様なのですか?」
「誰に聞いた?」
「昨日あっちの庭の木に登っていて、アンドレアスが綺麗なドレスを着ているのを見ました」
「僕もハンスと一緒に見ました」
「……そうか。これは秘密なのだが、アンドレアスはなあ……魔法にかけられているのだ。もうすぐ魔法が解ける。そうしたら、姫君に戻るのだよ。だが、これは秘密だぞ。さもないと、困った事になるからな」
「父上、それはペーターにも内緒ですか?」
「母上にも内緒ですか? ばあやにも?」
「みんなに内緒だ。わかったな? 約束できるだろうか?」
「できます」
「大丈夫です」
そろそろ「アンドレアス」をアンヌ・テレーゼに戻すべき時期が迫っているのだと、ロベルトは感じていた。




