淑女への道・1
「貴婦人らしくドレスを着こなし、優雅な挙措動作を自分のものに出来るまでは、夕食はセシリアの所で取りなさい。私も時折様子を見に行こう」
そう侍従に言い渡して以降、ロベルト王の夜間の外出が復活した。だが、以前より時間は短く、真夜中の日付が変わるころには王は自室に戻っている。どこで何をして来たかについて、尋ねる権利は侍従には無い。今朝もうっかり、「昨夜はどこへ」と言いかけて王に顔を凝視された。陛下は怒っておられた……と侍従は思う。
「今のお前はそうした問いを、私にできる立場に無い。また答える義務も私には無い。だが、これだけは言っておこう。お前の言動が私の決心を一度はくじいてしまったのだとな。今一度尋ねる。お前は……本気で私と将来も共に有りたいのだな?」
「はい。女の姿でなければお側におれないなら、ドレスにも慣れ、女らしくお辞儀もダンスもできるように頑張ります」
「ならば、久しぶりに夕食を共にしようか。私がセシリアの所に行こう。お前はきちんとドレスを着ておくのだぞ」
この所、午前中は男の姿で侍従として朝食の毒見・給仕をしてから大君主国の言葉を学び、養母のセシリア
の所で比較的身軽な女の服に着替えて昼食を取り、礼儀作法の訓練をして夕食を取る形を取っている。連日女の服を着て、女らしい挙措動作を必死になって学んでいるおかげで、どうにか「形にはなってきた」と養母は言ってくれた。まずは女の衣装を着た状態での所作に慣れさせズボンの無い状態になじませようという事らしい。紐で締め上げるコルセットではなく、簡便な下着にしてくれているので、ずいぶん体も気分も楽だ、と侍従は感じている。
だが、今日は事情が違うようだ。昼食を済ませてすぐにドレスメーカーがやってきた。そして既にほとんど縫い上がっていたドレスのサイズの微調整を仕上げると、退出した。それから、また別の商人がやってきて、装身具類をドッサリ置いて行った。商人たちにはセシリアが「後見する若い姫君」のためと言ってあるようだった。
「ここ半月余りの特訓の成果をご覧いただくのですからね」
養母も心なしか緊張しているように感じられる。
「これほど立派な御仕度をして下さっているのです。お前も本気を出しなさい」
ロベルト王が寄越した淡いピンクのドレスは、そうした事に疎い侍従の目から見ても見事な出来だ。高価な薄絹をふんだんに用い、上半身には金糸と銀糸で細かな刺繍が入り、大きく広がるスカート部分にはこれまた思い切り高価なレースを被せ、ところどころ絹のリボンで作った飾りが配置されている。
「はい。精一杯やってみます」
「では、正装用のコルセットにも耐えなさい」
そう言い渡され、ネリーと二人の若いメイドも加わって、着付けが始まった。
「……ううっ、苦しい……ネリー、お願い、もっとゆるく」
ネリーと若いメイドの二人は思い切りコルセットのひもを引っ張っているのだが、それが侍従には耐え難い苦痛だと感じられる。
「ダメですよ。アンドレアス様、ああ、アンヌ・テレーゼ様ですね、ともかくダメです。このようなドレスをお召しになる為には、コルセットをきちんとつけませんと」
結局、侍従は大嫌いなコルセットで体を締め上げられてしまった。更にスカートを膨らませるためのパニエをつけ、その上から着せられた絹のドレスは随分と襟ぐりが開き、腰の下は広くスカスカした感じで、何ともおちつかない。
「このドレスの生地はお前に似合うだろうと、陛下がお見立てくださったのですよ。確かに顔映りが良いようね。御推薦下さったドレスメーカーに急いで作らせておいて良かったわ。襟の空き加減も下品にならない頃合いだし、スカート部分の分量もちょうど良いわ。近頃はこうしてスカートを膨らませるのが流行ですからね」
「な、なんだか、息が上手くできません」
「姿勢を正して、深呼吸なさい。そう、そうよ。確かに運動には不向きね。でも、ネリーは良い加減に締めてくれたと思うわよ。ちゃんと姿勢を正せば、大丈夫。ね?」
そう養母に言われても、侍従は青息吐息と言う感じだ。
「御髪が短いのが惜しいです。でも、このリボンを絡ませて編み込むと、素敵ですよ」
「まあ、いいわネリー、それで行きましょう」
「はい、奥様」
「この刺繍で縫い取りをした小さな室内用の帽子を被られたら、華やぎますね」
「そうね、そうしましょう。この髪留めを使いましょうか」
「帽子やリボンと色が揃いますね」
養母とネリーの口調は楽しげだが、侍従本人は何が楽しいのかと思っていた。
「まああ、いいわねえ、美しいわ」
「やはり、もともとがお綺麗ですから、良くお似合いですね」
丈の長い鏡にうつりこんだ自分の姿は、普段より顔つきがほっそりとし目が大きくなったように見える。柔らかな色合いのドレスのおかげで白い肌は一層艶やかに見えた。その事に侍従は面食らった。
「どう? 気にいらないかしら?」
「いえ、そんな事は……無いけれど……やっぱりズボンが穿きたいなあ……」
「もう、なんて子かしら。張り合いがないわねえ。姿形はちゃんと身分ある令嬢にふさわしいものになったのに、この期に及んで、まだズボンにこだわるの?」
「だって、こんな格好は……ほんとの僕じゃありません」
養母は困ったと言う顔つきになって、首を振った。
「お前は折角美しく生まれついたのよ。だから、その美しさにふさわしく優雅にふるまえるようにならねばいけません。陛下もそれをお望みなのだから」
「ですが……これでは、身動きが取れないって感じです。無理に動いたら……」
「動いたら? どうなると言うの?」
「バチンと大きな音がして、僕の体がはちきれちゃいそうな気がするのです。あーあ、スカートがズルッとして、なんか変です」
「まあまあお嬢様、そのようにスカートを捲り上げられてはいけませんわ」
「そうよ、アンヌ・テレーゼ。脚を見せてはいけないわ。教えたでしょう? 非常に不作法よ」
「でも、母上……本当に、こんな事をしなくては、僕は陛下のお側にいる事は出来ないのでしょうか?」
「ええ。幾らあなたが男の子のつもりでも、本当は男の子では無いのですからね」
「確かに、鏡を見るとそうなんでしょうけど……でも、何というか、檻に閉じ込められちゃったみたいで、とっても変なんです」
やがてロベルト王がやってきた。一同姿勢を正して迎えたが、侍従の表情はいかにも硬かった。
「おやおや、アンヌ・テレーゼは子供っぽい駄々をこねて、おまえの母上を困らせているのか。ドレスもその髪もたいそう似合っているのに、表情がコチコチだなあ。貴婦人らしく優雅に艶やかにほほ笑む事も学ばねばいかんぞ」
「む、難しいです。でも、頑張ります」
「そうか。頑張れよ。ちゃんとできたら……以前話したように必殺の一撃を特別に教えてやろう」
「本当ですか?」
思い切り嬉しそうな少女の表情に、王は思わず苦笑したようだった。
「私は、約束は守るだろう?」
王とセシリアと侍従が席に着き、運ばせた料理が出された。正餐のように品数は無いが、どれも贅を凝らした上等の料理だった。極上のワイン二種類と海老のコンソメ、若鶏とハーブのパイ仕立て、チョコレートスフレ、極上のチーズの盛り合わせに季節の果物類といったメニューで、チーズ以外は軽く消化の良いものばかりだ。
「お前の好物を用意させたぞ」
「この、コルセットさえなければ、すっかり平らげる事も出来ますが……」
「すっかり平らげる、なんて、女の子らしくないですよ」
養母に注意されて、少女は困ったと言う表情になった。
「まあまあ、セシリア、この子のナイフやフォークの使い方は、概ね合格だろうが。勘弁してやれ」
「そういった物の使い方は、もともと大して男女の違いはございませんから」
「でもまあ、ぐびぐびと言う感じでワインを飲むわけじゃなし……まあ、無理なく食べられる範囲で、食べておきなさい。滋養の有るものを取らねば、体に良くないぞ」
そんな事を言う王の顔は思いやり深い、優しい父か兄のような表情を浮かべていた。




